タイプ
その他
日付
2008/7/15

第19弾「棚田米」(2/5)


2.どうやって作られるのか


京都府宮津市の飯尾醸造では、昭和39年以来、山間部の世屋地区を中心とした棚田で酢の原料となる米づくりを無農薬栽培で行っている。先代の3代目飯尾輝之助さんが、大量生産の米づくりに不可欠となった農薬の使用による健康被害や田圃の生態系の変化に疑問をもったのがきっかけだ。当時は高度経済成長時代の幕開けでもあった。機械化が進みはじめ、土地改良事業による圃場整備が急速に進められていった。輝之助さんは、大量生産へと切り替える農家が多い中、「いいお酢づくりには、よい米が欠かせない」という信念のもと一軒ずつ無農薬の米づくりをお願いして廻ったそうだ。棚田での栽培にこだわったのは近隣の田圃で使用する農薬の影響を受けないことと、生活排水などが流れ込まないことがよい米づくりの基本と考えたからだ。


 栽培品種は「コシヒカリ」が8割、あとの2割が麹作りに使う酒米の「五百万石」。現在は約25軒の契約農家に無農薬で米づくりをお願いしているが、近年は高齢化が進み、平均年齢は65歳を越えている。中には米づくりの継続が困難な農家も出てきたため、平成16年からは、同社の社員総出でおよそ30枚の田圃の米づくりも行っている。

 棚田での米づくりは、大型の機械を入れることができず、手作業によるところが多いことから、各地の棚田で継続されている米づくりも慣行栽培が多いと思われる。無農薬の米づくりと一口に言っても、除草、防虫、病気の予防のための手間と労力は計り知れない。飯尾さんたちの米づくりも、あらゆることを試みては失敗と成功を繰返している。例えば、田圃の代表的な雑草であるコナギの発芽を抑えるために、冬期も水を抜かない農法「冬季湛水」を実施してみた。1年草のコナギは、種子を大量に撒き散らす田圃の代表的な困った雑草の一つ。湛水を続けた結果、粒子が細かくなったトロトロの泥でコナギの活着を阻止し、発芽を抑制できたが、多年草の雑草は生き残ってしまった。また、防虫も苦労の連続だ。イネミズゾウムシを窒息させるため飲食店の使用済み天ぷら油を少量流し、薄く田んぼの表面に油膜を張ってみたところ、かなり成功した。病気の予防には、自社製の農業用酢「バイオトップ」を300から1000倍に薄めて散布している。




[左:田植え(写真提供:(株)飯尾醸造)][右:田起こし(写真提供:(株)飯尾醸造)]



 そのうえ、近年、この丹後地方でも、イノシシの被害が目立ってきている。稲は昼間に光合成によりブドウ糖をつくり、涼しい夜間に稲穂に溜めていく。だから、昼夜の温度差が激しいほど、おいしい米ができるといわれる。標高400mの上世屋地区は、真夏でも夜は寒いほど温度が下がることもある。その稲の旨みが溜められつつあるミルク状の稲穂を食べにやってくるのがイノシシだ。昨年はイノシシ避けとして、集落の畜産農家から牛を2頭借りてきて、田んぼのそばに置いてみた。イノシシ避けには機能したが、アブに牛がたかられストレスをためて、子牛を流産するというハメになり、断念せざるを得ない結果となった。結局今年は、電気柵を取りつけ、夜間だけ電流を流している。



[左・右:イノシシの足跡(写真提供:(株)飯尾醸造)]


 田植えが機械化された昭和29年には、機械の大きさや作業に合わせて苗作りも改良された。機械に合わせて均一な苗が必要になり、屋外の苗代では不可能であるため、一斉に生えるようにする育苗器が産み出された。しかし、機械による田植えは、苗を無理に引き剥がすため根を傷つけやすく、機械に合わせるために小さな苗になり、密度を思うように調節できない、ということから、飯尾さんたちは手植えをしている。また、手植えは田植え機によるものに比べて根の活着が早いということもあり、およそ50年後の今、手植えが見直されている。

 イノシシがミミズなどの餌を求めて畦を掘り返したり、雨で地盤がゆるんだりと棚田は水もれも多く、畦の修復にも手間がかかる。とにかく人手が、労力がかかる、それが棚田での米づくりだ。



[中:(写真提供:(株)飯尾醸造)][左:(写真提供:(株)飯尾醸造)]





[左:草刈前(写真提供:(株)飯尾醸造)][中:草刈後(写真提供:(株)飯尾醸造)][左:(写真提供:(株)飯尾醸造)]





[左・右:(写真提供:(株)飯尾醸造)]





[左・右:(写真提供:(株)飯尾醸造)]