タイプ
その他
日付
2008/7/15

第19弾「棚田米」(5/5)


6.人物ファイル



飯尾彰浩さん(右)


 
明治26年創業以来、110年以上続く飯尾醸造の五代目見習い。東京農業大学で醸造学を学び、東京での会社員生活を数年経て、現在は同社の跡継ぎとして幅広い業務に携わっている。催事など出かけることの多い東京では評判のレストランの料理人との交流を積極的に行ったり、食の関係者との人脈を培ったりと余念がない。彰浩さんや同社のスタッフで綴るブログ「酢を造るといふ仕事」(http://iio-jozo.livedoor.biz/)は、酢づくり、米づくりから料理情報まで満載された充実した内容でファンが多い。最近では、食に関するセミナーなどでお酢の話をする機会が増え、彰浩さんの説明とお酢のテイスティングでお酢の魅力に目覚める人も多い。

飯尾醸造の主力商品である「富士酢」は、無農薬栽培の丹後の米をJAS規格の「米酢」表示基準の5倍の量にあたる1リットルあたり200g使用している。醸造期間に1ヵ月半かけてつくったもろみ(純米酒)の表面に菌膜をつくり、空気と触れる表面から徐々に発酵させ、ゆっくり酢へと導く静置発酵により、さらに3ヶ月半かけて発酵させ、完成した酢は最低8ヶ月間熟成させる。酒仕込みから商品になるまでにかかるおよそ1年半という歳月は、速醸法により酸素を大量に送り込んで24~48時間で急速に発酵させ、最短で数週間で完成する大量生産の酢の10倍である。







[左:ゆっくりと発酵中の酢][中:タンクの表面の菌膜][右:種麹の仕込み(写真提供:(株)飯尾醸造)]


 棚田での無農薬の米づくりをはじめ、酒仕込みから完成まで「自分の納得するお酢だけを造り続けたい」と邁進する飯尾醸造が担っているのは、地域農業の未来から日本の食文化までと奥が深い。そんな同社の姿勢に共感する人が徐々に増え、年を追うごとに田植えや稲刈りに参加する人が増えている。取材や視察も後が絶たない。
 「宮津のことに関心を持ってもらえるし、うちのお酢のことも知ってもらえる貴重な機会」と捉えている。本来のお酢がもつ力とおいしさが時を越えて人と人、人と地域、人と自然のつながりを強固なものにする。地域における飯尾醸造のようなメーカーの担う役割の重要性を美しい棚田の風景が如実に物語っている。


伊藤浩二さん


伊藤さんは宮津市の隣町与謝野町の出身。食とは関わりのない仕事についていたが、20年前にふとしたきっかけで飯尾醸造に入社。冬場は酢の基になる酒づくりに励む。6年前より、春から秋は農業担当になった。
 「農業をやるなんて、夢にも思っていなかった。というか、周辺に田圃があって見ていたから、農業はやりたくないと思っていたんですよ」と楽しそうな顔。
稲の葉に黒い点のようなものがちらほら眼につく。

「ほら、これがドロオイムシ。日光や天敵を避けるために自分の糞を身にまとって隠れています。葉を食い荒らすやつです」
「農薬をかけると楽になるんでしょうねぇ」と聞いたら、
「私は無農薬栽培の米づくりしか知らないんですよ。だから、普通のつくりかたとの差がわからない」と笑う。









[左:虫を取る伊藤さん (撮影:朝田邦子)][右:ドロオイムシ(撮影:朝田邦子)]



 農薬や化学肥料を使わないために苗にしっかり育ってもらうことが最重要になる。
これを「苗半作」というそうだ。虫の食害に耐えるように、病気にならないように、雑草に負けないように、しっかり根を張るように、分けつが進むように、とにかく育苗をしっかりすれば、米づくりは半分終わったようなものという意味だ。




[左・右:ハウスの中の育苗中の稲(写真提供:(株)飯尾醸造)]


 平地をもとにアドバイスされることが多いので、それをもとに農家さんたちと一緒に試行錯誤しながら取り組む。自然はわからないことだらけだから、仮説で動くことも多い。
「だからこそ、米づくりは奥が深いんですよねぇ」
 田植えと稲刈りには人が集まってくれるようになったけれど、日々の除草や水の管理が稲の生育には大きな影響を与える。暑い夏には、冷却ベストに保冷材を入れて、草刈に励む。棚田で無農薬の米を作るということはそんな涙ぐましい日々の積み重ねだ。
 飯尾醸造では、杉板張りの麹室、自社精米と大切に育てられた米の力を最大限に引き出すために細部にも行き届いた製造を行っている。土づくりからもろみ(酒と粕に分ける前段階の純米酒)造りまでを受け持つ伊藤さんの楽しくて、面白くて、苦労の多い日々に終わりはない。


磯田有美恵さん(NPO法人里山ネットワーク事務局)

 
世屋地区の風景は、どこを見てもなぜか懐かしい。かつて日本のどこにでもあった風景だからかもしれない。そんな風景の中に溶け込んだ古い民家がNPO法人里山ネットワークの事務所だ。同団体は、飯尾醸造をはじめ、地元の農家、ペンションや企業、藤織りの保存会などの活動団体など世屋地区に深い関わりを持つ人々によるネットワーク組織である。奈良市出身の磯田さんは、京都の大学を卒業後に宮津市に活動拠点を持つNPO法人地球デザインスクールの研修生として1年間を過ごした後に同団体の事務局員となった。
 同団体として耕作している棚田は一枚のみ。棚田も世屋の暮らしの風景の一つとして捉えられており、この地域に残る自然の恵みを生かし、積み重ねられてきた暮らしそのものを伝えていくことを目的に活動している。

 「子育てをする人がここに住みたいという地域にしたい」という。そのために生業が必要となる。関わる人が増えることが生業への道づくりにもつながる。例えば、世屋の棚田で無農薬で栽培されている稲藁は貴重な資源である。この稲藁を飯尾さんの食の仲間である東京の納豆メーカーが藁苞納豆に昨年から利用している。また、京都の祇園祭の際のちまきをまく笹はこれまで東北のものを使っていた。これも丹後で採取したものを使おうとつないでくれる人が現れた。
「ほら、ちまき笹ってこれですよ」
 磯田さんが指差したのはこの家の軒。この地域独特の珍しい笹葺きだ。
この地に暮らしてみれば、ないものを買うことを中心に考えるのではなく、あるものをどうにか工夫して使うことに心を砕くようになるという。それがまた面白い。


 棚田での田植えや稲刈りの体験プログラムを実施すると、丹後に住んでいる親子連れの参加者が多い。
 「丹後の人にこそ、世屋のことを知ってほしい」
 事務局となっている古民家の愛称は「ブナ林のある丹後」だから「ぶーたん」。そのブナ林が溜めた水が棚田の稲のゆりかごとなる。磯田さんや飯尾さん、伊藤さんのような若い人が自然と棚田と人々の暮らしをつなぐ中心になることでこそ、未来が紡がれていく。棚田で毎年、稲が稔り続けるかぎり、世屋の暮らしも“なつかしい未来”を築いていけることだろう。







取材・文:朝田邦子
撮影:堀口宏明