タイプ
その他
日付
2008/8/19

第21弾「海塩」(1/5)


「食のたからもの」第21弾は、「海塩」を取り上げます。日本では有史以前から海水を原料とした塩がつくられ、各地で製塩が行われてきました。しかし、明治38年(1905)には塩専売制が実施され、製造販売が規制されます。さらに昭和46年(1971)の塩田全廃によって、連綿と続いてきた伝統的な製塩法は失われ、イオン交換式製塩法による食塩しか口にできない時代が長く続きました。平成9年(1997)、約90年に及んだ専売制が廃止されると、塩は再び「選択」の時代へ。伝統を受け継ぎ進化させた自然製塩法でつくられた「粟国(あぐに)の塩」と「手もみ天日塩 塩夢寿美(えんむすび)」を、フリーライターの福田素子が沖縄で現地調査を行いました。

――――――――――― <目次> ――――――――――――
1.なぜ、たからものなのか
2.どのように作られているのか
3.どこに残っているのか
4.地図情報/5.どこで味わい買うことができるのか

6.人物ファイル
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■English Version→  Sea Salt

1.なぜ、たからものなのか


■海水とともにあった日本の塩づくり
 塩は空気、水とともに人間にとっては不可欠であり、代替できない物質だ。その重要性は古来より認識され、日本を含む世界各地には海岸部から内陸へ塩を運んだ「塩の道」が残されている。

私たちにとって、塩は生活に密着した身近な存在だけに、改めて考える機会は少ないが、そもそも塩とは何なのだろう。
 日本では昔から、塩は海水からつくるものだったが、世界的に見れば陸から掘り出す岩塩や、湖塩を原料としている塩も少なくない。これらの原料がなく、四方を海に囲まれた日本では、海水から塩を取り出す技術が生まれ、時代とともに発展した。

日本の塩づくりの歴史は、有史以前にまでさかのぼる。縄文時代の遺跡からは製塩土器が発掘されており、海水を煮詰めて蒸発させ塩の結晶を得る「直煮式」だった。
 奈良時代に行われるようになったのが、万葉集にも詠まれている「藻塩式」。海藻に海水を何度もかけて天日で凝縮し、土器や鉄器で煮詰める製塩法だ。
 平安時代ごろからは、藻の代わりに砂を使う「揚浜式塩田」が始まった。海面より高い砂浜に海水をまいて太陽と風で蒸発させ、かん水(濃い塩水)をつくって平釜で煮詰める。

 土木技術が発達した江戸時代には、瀬戸内海沿岸で「入浜式塩田」がいち早く導入された。遠浅の海岸に土手を築き、干満を利用して海水を流入させて太陽と風で蒸発させた上、かん水を平釜で煮詰める。揚浜式のように海水をまく労力を必要としない点では画期的であり、終戦後しばらくまで700~800年間も続けられた。

 戦後から昭和30年頃まで実用化された「流下式塩田」は、「流下盤」と「枝条架」を組み合わせて海水を濃縮する方法。ポンプで海水をくみ上げ、まずは「流下盤」というゆるやかな斜面に、次にやぐらに竹枝をかけ竹箒をいくつも並べたような形の「枝条架」に流す。天日と風で段階的に塩水の濃度を高め、最後に平釜で煮詰める。
 このように、日本のほとんどの製塩法は、海水からかん水を得る「採かん」とかん水を煮詰めて塩の結晶をつくる「せんごう」のふたつの工程をもつ。海外では塩田で海水を自然結晶させたものも多いが、日本では雨が多く、天日製塩にそぐわないため、こうした製塩法が発達し、現在にまで受け継がれている。

■専売制の実施、そして塩田全廃へ
 日本の塩の歴史を語るとき、欠かせない出来事のひとつが、塩専売制の実施だ。日露戦争の戦費捻出および国内塩業の基盤整備のため、明治38年(1905)に始まった専売制によって、塩の製造販売は約90年にもわたって規制されることになった。
 さらに昭和46年(1971)には、日本の塩の歴史上、類を見ない大改革が行われる。塩業近代化臨時措置法が成立し、すべての塩田が廃止されたのだ。塩田は海岸沿いの砂浜にあり、高度成長期のこの頃、塩田の立地はそのまま工業用地として最適な場所だった。こうして日本の伝統的な製塩は姿を消してしまうことになる。

 塩田での製塩に代わったのが、イオン交換式製塩法(イオン交換樹脂皮膜電気透析法)だ。電力とイオン交換膜を用いて、ナトリウムイオンと塩化物イオンを海水から抽出・濃縮し、真空蒸発釜で煮詰めて結晶化させる。塩化ナトリウムの純度が99%以上と極めて高く、効率的な生産のため価格も安い。さらに、海洋汚染物質や細菌もない安全な塩と謳われた。日本は、世界で初めてイオン交換塩を国民に供することに踏み切ったのだ。塩の生産を許可されたのは、イオン交換式製塩を行う7社のみ。自然塩は消滅し、長い間選択の自由なく私たちが口にしてきたのが、塩化ナトリウムの塊のような「食塩」だ。

昔ながらの自然塩とイオン交換塩では、ミネラル成分に大きな隔たりがある──。危機感を感じた医学者や科学者らが、すぐさま声を上げた。塩は単なる調味料ではなく、人間が生きるために必要な微量ミネラルを豊富に含んでいる。海中のミネラル比と人間の体液である血清や羊水のミネラル比は極めて似ている。海で誕生した生命は、陸に上がった後も海を内包しているわけだ。にがりを大量に抜いて精製を強化したイオン交換塩は、自然塩に比べて塩化ナトリウムが増え、マグネシウム、カルシウムをはじめとするほとんどの成分が少ない。ミネラルバランスは、ごくわずかに濃度が増大しても減少しても、不都合が生じる。したがって塩の成分が海水の成分と大きく異なるのは、身体によい影響を与えないのではないか……。自然塩復活運動が始まった。

 まずは、食用塩調査会(昭和47年発足。現・NPO法人日本食用塩研究会)によって、専売法の範囲内で供給可能な自然再製塩が提案された。この自然再生塩とは、輸入天日塩に、にがりを添加したもの。にがりを加えることでイオン交換塩に比べ、自然塩に近い成分に近づく。塩専売法では、需要の少ない塩や用途・性状が特殊である塩については「特殊用塩」として専売公社に届け出れば、自主流通できたのである。塩からつくる塩だったが、海水から製塩することが許されなかった当時、もっとも自然塩に近いものだった。現在でも「赤穂の天塩」、「伯方の塩」「シママース」など多くのメーカーが、こうした再製自然塩をつくっている。
 また、後には特例としてごく限られた生産者のみに、試験生産という形で海水から直接生産した塩製造が許可される。「海の精」などのこうした塩は会員配布という形をとり、代金は会費として支払われた。ごく一部ながらもようやく自然塩は復活し始めた。





■塩専売制の廃止とともに多彩な塩が登場
 塩が百花繚乱の時代を迎えるのは、平成9年(1997)、塩専売制が廃止されてからである。平成14年(2002)、塩専売廃止の経過措置が終了すると、輸入塩も完全自由化された。

 現在、日本の塩の製造メーカーは全国で700社以上、商品数は家庭用・業務用をあわせると1500以上とされる。世界でも、これほど多くの塩が選択できる国はない。なかでも、製造地や製造方法、ミネラル、天然、自然などを謳い文句にした家庭用塩の消費量は増加傾向にある。輸入原塩を使用し、にがりや海水を加えた再製自然塩が多くを占めるのが実状だが、一方で日本の海水から自然な製塩法で生産され、無添加でミネラルバランスに優れた自然塩をつくる生産者も日本各地に登場している。

 昭和47年(1972)、日本に復帰し専売制が適用されるまで300年余年もの製塩業の歴史があった沖縄では、現在は30社以上の塩製造メーカーがある。そのなかから、沖縄のきれいな海水から自然な製塩法で生産された「粟国(あぐに)の塩」と「手もみ天日塩 塩夢寿美(えんむすび)」を取材した。一度は日本から姿を消してしまった自然塩が、ここで鮮やかによみがえっていた。ミネラルバランスに優れた塩は身体にいいだけでなく、まろやかでコクがあり美味しい。生産者に、確かな塩への思想と責任感が感じられるのも頼もしい限りだ。