タイプ
その他
日付
2008/9/17

第23弾「鰹節」(3/5)


3.どこに残っているのか


 鰹節と日本人のつきあいは古い。醗酵食品としての鰹節(本枯れ節)の製法が確立されたのは、江戸時代中期だが、そのルーツである「煮堅魚」は、すでに「養老律令」(718年)の中に「煮て干して堅くした魚(の調味料)」として、その名を記しているという。
 かように古くから、生食だけでなく保存のきく加工品として調理に用いられていた鰹が乾物から進化し、「焙乾法」と呼ばれる鰹節の製法を得たのは1674年のことだ。

 その「焙乾法」の誕生譚として名高いのは、紀州(和歌山県)生まれの甚太郎という漁師が漁に出た際、嵐に遭って土佐(高知県)の宇佐浦に漂着し、持っていた鰹を薪で燻してみたところ、格段に風味が良くなり、これが鰹節の「荒節」の原型となったという逸話である。この「焙乾法」(別名「燻煙法」)による「荒節」は、後に土佐藩によって保護され門外不出の調味料となった。鰹節が、別名「土佐節」とも呼ばれる由縁である。だが、秘伝とされたその製法も、生みの親である甚太郎の帰郷によって紀州にだけは伝わったという。

 その百年後、1770年頃には、燻煙による「荒節」をさらに進化させた、カビ付けによる「本枯れ法」の鰹節が登場する。このカビ付けの創始には諸説あって、土佐の商人が発案者であるという説、あるいは、荒節を輸送する船中の木桶の中でカビがつき、荒節の風味が格段に良くなったために以後は確信的にカビをつけたという説、似たところでは、鰹節問屋の蔵の中に置いた荒節にカビがついたが、勿体なくて捨てずにいたところ風味が増していたという説などなど。諸説ある推測の共通項は、カビるという災難が転じ、偶然の産物として製法が進化したということだ。カビの力を駆使してさまざまな保存食を作ってきた日本人の智恵と経験とが、鰹節の製造の際にも発揮されたというところだろう。 

 これらの伝聞や「土佐節」という名前などから連想されるものとして、鰹節の主要産地としては、高知県、和歌山県がイメージされるようだが、現在、鰹節の生産地として最多の生産量を誇るのは、原料となる鰹の水揚げにおいても国内屈指の漁港を持つ鹿児島県・枕崎市である。平成19年度における枕崎の鰹節生産量は、13,992トンで、主要三地区の生産量の43%をしめ、次に同県山川(指宿市に合併)の9,971トン(31%)、静岡県焼津の8,631(26%)と続く。

 さて、前項で出汁離れ、鰹節離れの傾向を嘆いたが、鰹節の生産量を見る限りでは、減少するどころか、予想に反して生産量は増加している。昭和55年には、6,593トンであった枕崎の生産量は、平成3年には初めて10,421トンの大台に乗り、平成18年には、さらに15,856トンにまでその数字をのばしている。ただし、その内訳としては仕上げ節は493トン、荒節が14,511トン、若節が852トンである。

 この数字に潜む実情としては、産地を出た鰹節は、削り節としてだけではなく、フリーズドライの即席みそ汁、既製品としての麺つゆ、顆粒状の鰹風味だしなどの加工用に回されるものも相当量あると考えられる。現状では、簡便な顆粒状・液状という多様な商品群があってこそ、鰹節の消費拡大が可能となっている、ともいえるだろう。