タイプ
その他
日付
2008/10/8

第24弾「アワビ」(2/5)


2.どのように採られているのか


鳥羽磯部漁協の国崎支所の協力で、海女の漁に同行させてもらうことができた。

海女の漁には、大きく分けて、夫婦で小舟で漕ぎ出し、夫が妻の命綱を握るフナド(舟人)と呼ばれる海女と、トマエと呼ばれる男が船を漕ぎ、見張り役となるカチド(徒人)あるいはオケドと呼ばれる海女がある。この日は、二艘の船で9人の海女が乗り込むカチド。

しかも、目的地は同漁協が保有する漁場で、浜島の三重県水産研究所との協力によって放流した稚貝の生育状態を調査する共同作業の日とあって、普段のような競争もない。

港を出て岩礁に近づくと、どぼんと勢いよく海女たちが、次々に海に飛び込んだ。浮輪につかまり、それぞれの思う漁場まで散って行ったかと思うと、素早く潜って漁を始めた。『海の博物館』で、15キロほどある重石を片手に、一気に潜水するフナド海女の映像を目にしたダイバーは、自分らには、到底、そんな速度では潜水できないと目を剥いたそうだ。若い頃から潜っているとはいえ、その動きは俊敏で、まるでイルカのようだ。





数分後、すでに何人かの海女が大きなアワビを、嬉しそうに船に向かって見せてくれる。50~60代の女性たちだが、そのまま1時間20分、30回でも、50回でも潜ってはアワビを採り続けるのだから、まさに超人的体力である。この地域では、昔から女が生まれると海女になるのが習わしで、地元には、「テー(男)一人ぐらい、よく養わんようではヤヤ(女)の値打ちがない」とまで言われてきた。女の子も幼い頃から覚悟して育ったというが、その長い歴史の中で、海中を自在に泳ぐ高い能力を持った女たちが選抜されてきたとも言えるだろう。

やがて1時間20分が経過し、船には、続々と重たい戦利品を手に海女たちが戻ってくる。陸に上がる瞬間はさすがに苦しそうで、這うようにして船にあがり、ピューという独特の息をして呼吸を整える。これは海女笛と呼ばれ、どこか物悲しいその響きが歌にも詠まれてきた。


 



海女の道具と海女小屋



(1)磯メガネ 古くはメガネなしだが、明治中期から使用するようになった。曇り止めには、今もヨモギやツワブキの葉を使う。


 

 



(2)磯ノミ 岩からアワビをはがす道具、地域によって形が違う。

(3)磯ダルとゲタ 戦後までは、木製の磯ダルを使っていたが、今では採ったものを入れる網がついた発泡スチロールの浮輪を使う。これにつかまって休むのにも使う。真ん中はゲタといい、漁獲が禁じられている小さなアワビを図る道具。


 



(4)海女小屋 夏でも海中の水温は低く、歯があたるほど体が冷える。そこで漁を終えた海女たちは、すぐ潜水服を脱ぐと海女小屋に駆け込み、囲炉裏(カマド)に火を焚いて、煙を吸わぬよう背中を向けて温まる。そこで採れたてのアワビを焼いたり、鍋をしたり、海女たちの社交の場ともなっている。古くは、「海の博物館」の展示にもあるように藁で作った小屋だったが、それは姿を消し、トタンや木製、場所によってはブロック製の小屋になった。


 


 
この日、漁を終えて港に戻ると、そこでは、浜島の三重県水産研究所の研究員たちが待ち受けていた。彼らは、激減するアワビの漁獲量を何とか復活させようと、こうして年に20回ほど人工的に育てて放流したアワビの稚貝の生育状態について調べている。「放流したうち15%も育てば大成功、7~8%でも採算はとれるが、年によっては2~3%の年もある」という。また、アラメやカジメなどアワビの餌場を育てる努力もしている。


 


三重県水産研究所の阿部文彦さん、三重県栽培漁業センターの徳澤秀人さん以下、研究員のみなさん


 


放流ものにはチップが取り付けてある


 


アラメとカジメ、ともにアワビの好物



海女の漁が、持続可能である理由



(1)一日に潜る時間を制限している 国崎では1日1回のみ、1時間20分。浦によってルールはさまざまである。

(2)10~12月、アワビの産卵期は禁漁。

(3)三重県では、10.6センチ以下の小さなものは海に返す。

(4)ウェットスーツ、酸素ボンベなどの潜水器は禁止 浦によって異なる

(5)スカリと呼ばれるアワビを入れる網袋の網目を大きくする

また、海女の漁は、季節感のはっきりとした多様さが魅力だ。5~9月の半ばまではアワビ、さざえ、ウニ、トコブシなど。天草は7~8月。台風などで漁に出る日は多くても30日、少ない年には10日ほど。12~4月は伊勢エビ、11~12月はなまこ。1、2月は休み、3月からわかめ、5月はひじき。

7月1日と11月15日は、ヒマチといって骨休めの日。花に小豆や御酒を備え、海女だけで食事会などする。7月13~14日、鮫が産卵のために通るといい休み。12月26か27日が、ノミアゲといい仕事おさめ。赤飯を炊いて祝う。

「毎日、行けたらいいけどな。台風で、一週間も10日も海が濁って、行けん日があるやろう。もっと安定してあったらいいな」と海女小屋で誰かがぼやく。そんなことから、この地では、半農半漁の暮らしが定着した。半分ほどの海女が畑や田んぼまで手がけ、その上、子育てや家事をこなす。そんな母親たちの暮らしを間も当たりにしてきた娘たちは、なかなか海女を継ごうとしない。また、母親たちも、休みもない暮らしを娘たちに継げとは言えずにきたようだ。

ほとんどが50~60代だが、まだ若い方で、以前に訪ねた安乗や甲賀の浜では、60~70代の海女が主流だったし、昨年は82歳の現役海女もいたという。国崎でも、浜にアワビをもらいにきていた元海女は82歳。長くフナドを続けてきたが、夫を失った後も去年まで潜っていたと言って笑った。

相差や御座では、20代や30代の海女が希望の星となっているが、この国崎では20~40代の海女はみごとに一人もいない。国崎では一軒に海女は一人と決まっている。昭和53年、170人だった海女は、今年63人だった。




岸に上がるなり、今度はアワビの殻掃除を手伝う海女たち