タイプ
その他
プロジェクト
日付
2011/7/14

鼎談:震災復興のために政治はいま何をすべきか

東京財団上席研究員
ジェラルド・カーティス × 加藤創太 × 渡部恒雄


アメリカにおける日本政治研究の第一人者・ジェラルド・カーティス、比較政治経済を中心に研究をすすめる気鋭の学者・加藤創太、日米の政治、外交問題の専門家・渡部恒雄。それぞれの専門分野が異なる東京財団上席研究員の3人が、東日本大震災の復旧・復興にむけて政治はいま何をすべきか、さらには「トモダチ作戦」以降のアジア地域における日米同盟のあり方などについて、各々の持論を語り合いました(2011年6月15日)。

なぜ首相のリーダーシップが発揮されない?

渡部 国民が政治について、いま最も知りたいことは、震災対応で大変なときになぜ首相のリーダーシップがうまく発揮されないのかということに尽きるのではないでしょうか。首相だけでなく、政治そのものに対してフラストレーションも不安もある。そして、菅首相が辞めて次の新しい人が首相になったら、日本はどう変わるのか、今より良くなるのかここが一番気になるところだと思います。

 退陣を表明しながらも、菅さんが首相の座にとどまれるのは、任期が切れるか、国会で不信任案が可決して解散・総選挙をしない場合か、自分で辞めない限りは、首相の地位は守られる仕組みだからです。ただ、過去の首相は、予算や重要法案を早く通して政治の空白を避けたいとか、国民の不満を煽って次の選挙で自らの政党や仲間を不利にしたくない、という理由で進退を決めてきました。潔く後任に譲って、自らの影響力を残したいというような利己的かつ政治的な思惑もあったと思います。しかし、現時点での菅首相の居座りは、それらのどれでもなさそうな気がして、見ていて不安になります。いずれにせよどこかの時点で退かざるを得ないでしょうが。今後の見通しを含めて、現在の日本政治の状況への率直な評価をお聞かせください。

加藤 菅さんのリーダーシップにいろいろ問題があったのは事実だとは思います。民主党政権全体にも言えることですが、やはり一番問題なのは「政治主導」の意味をはき違えている点で、全体の工程を管理している人が誰もいなくて、官僚は官僚で指示待ちになっています。あらゆるところでタマが落ちて来ているのに、それに気づいても誰も拾おうとしない。どんなに能力があったとしても、今回のような事態をすべて一人でリードするのは無理で、適切な「授権」が必要なはず。あと、官民問わずどんな組織に共通することですが、上から下まで組織の一人ひとりが自発的に物事を考えてアイディアを出していけるような体制にしないと。

 ただ、「菅降ろし」にも違和感があります。「三木降ろし」などと違って政治思想的な対立軸も見えない。菅さんのリーダーシップ自体が問題なのだとすれば、菅さんが代われば本当に事態が大幅に改善するか? 優れたリーダーの下で重要な意志決定がスムーズに進むか? といった点が本来最も重要なはずですが、どうもそういう方向に「菅降ろし」の意識が向いていない気がします。そんなに菅さんがまずいというなら、民主党の議員はまず、そういう人をリーダーに選んだのがまさに自分たち自身であることの責任を感じてほしい。今は「菅降ろし」ということで奇妙な連帯が民主党内にも民主・自民党間にもありますが、それは「これから何かをやろう」という前向きな連帯ではないし、政治思想的な対立や連帯でもないので、「菅降ろし」が済んでも迷走が続くのではないかと思っています。

カーティス 先の参院選の結果、民主党が過半数を失い、いわゆる“ねじれ”になったのが一番の問題です。民主党が選挙に負けたその日から自民党が非協力的になった。何とか菅政権を倒して総選挙せざるを得ないような状況をつくり、一刻も早く政権復帰しようというのが自民党の狙いで、3月11日の震災後もそういった基本的な戦略を変えなかった。これは無責任な態度です。

 一方の菅さんは“ねじれ”の中でどういう態度を取るべきかを十分考えず、対応に失敗しました。そういうときは、自分がやりたいことを国民によく説明して説得するしかない。同じような状況にあったオバマさんが、必死になって健康保険の制度改革のために国民を説得する努力をしたでしょう。

にもかかわらず、菅さんは谷垣さんに電話して連立を持ちかけました。あれはダメです。ポリティカル・リーダーシップ、政治主導とはどういうことか、そのために何が必要かということを、日本の政治家はどうも理解していない気がしてなりません。

渡部 昔のほうが、国民に対して自分は何をすべきなのか、ということを意識しながら発言する政治家が多かったように思います。テレビに出る時でも、画面の向こうにいる有権者を意識する人が多かった。ところが最近では、菅さんでも他の政治家でも議論する相手をやり込めることに終始して、国民にメッセージを送るという態度が弱いような気がします。アメリカでは、特に大統領は節目節目で国民に対して明確なメッセージを投げかけようと努力します。これは国民性の違いでしょうか。それとも、そういうことを意識しない、あるいは意識できない人たちが選挙で選ばれるような仕組みになっているのでしょうか。

カーティス 一つは選挙制度の影響が大きい。それと、昔の政治家、自民党のいわゆる黄金時代の政治家たちには理念や哲学があった。日本をどうすべきかという基本的な考え方、ビジョンがありました。西洋に追いつくためにはどうすればいいかというそれぞれの考え方があって、官僚とうまく調整したり、国民を説得しなければいけないこともわかっていました。

 日本の政治家と四十数年付き合っていますが、昔は政治家に会うのが楽しかった。偉大な人と一緒にいるなぁと感じることが多かった。それがいつの間にか消えてしまった。原因の一つは、日本が目標を失ったからでしょう。西洋に追いつけ追い越せという目標を80年代で達成してしまった。そのあとは、何を目標にすればいいのかを探っていますよね。だから、政治家も話したいことがないんです。大きなビジョンがまるでない。

加藤 政治家が小粒になったという点は同感で、私が官僚になり立ての頃と比べてもその差ははっきりしています。その一つの要因としては、自民党の中では、幹部に世襲議員が増えたということがあると思っています。一般化を恐れずに言えば、一から政治家になった人たちと比べると、きれいな目的とか理念は持っていて、頭も良く人格的にもまともな方も多いのですが、かつての政治家に感じたような、人を包み込むような温かさや器の大きさと、その背後にある迫力や覚悟といった面が弱いかなという感じがします。

 民主主義は、ここまで多様化した現代で「多数決」で物事を決めるという非常に雑な制度なので、そこでうまく人々をまとめて意志決定を導き出すには、緻密な調整力、胆力、人間的魅力といった総合的なリーダー力こそが、政治家には問われると思います。詳細な専門知識や事務処理能力も重要ですが、そこはむしろ官僚などをうまく活用すれば良い。

 民主党は逆に世襲議員が少ないのですが、野党の経験しかない人が大半で、民主党内の人材育成トレーニングのシステムもできていない。組織のマネージメントを経験した人も少ない。「風」だけで通ってしまったような人もいる。野党時代のマインドのまま、メディアなどで目立つこと、人気の出そうなことに、場当たり的に意識を集中させがちです。自民党一党優位体制が続いてきたのでここは仕方ないところがあって、菅さんの「仮免許」発言ではないですが、今は民主党の議員にとってのトレーニングと選別の機会になっているという面があるのでしょう。これは長期的に見れば日本にとって決してマイナスではないのですが、こういう震災などの非常事態では問題点が浮き彫りになります。

渡部 安倍首相以降、麻生、福田、鳩山前首相から菅さんまで、首相がちょっとした個人的な弱みや失敗を見せると、メディアも一般の人も、うわーっと一斉に個人攻撃をするようになりました。メディアがちょっと気に入らないと、首相は1年ぐらいで取り替えられるものになってしまった。印象的だったのは、麻生元首相が漢字を読み間違えたことで、彼へのバッシングが始まった。漢字の読み方なんか誰だって間違うし、国家を運営する実力とは全く関係ない。

ある政治記者の友人は、かつての大物政治家からは、一緒にいるだけで「風圧」を感じたそうです。そういう人には、畏敬の念もあり、怖くて浅薄な批判なんてできません。ところが、今の政治家には、そのハードルが下がってしまい、簡単に批判やバッシングを招く。政治家は風圧や迫力、そして畏敬を取り戻す必要がありますね。

加藤 テレビのバラエティなどに政治家は軽々に出るべきじゃない。国民の代表者なのだから、政治家は自分の矜持を保つ努力をすべきですし、テレビも政治家をもっと尊重すべき。国民に尊重されていないリーダーが国をまとめられるはずがありません。

日本の政治家は国民に甘えている

カーティス 最近、特に感じるのは、国会での野次に品がないことです。あれほどの品のなさをよくもまあ国民の前で示せるものだとビックリします。国会の場で個人攻撃をしたり、首相の人格がどうのこうの言ったりするのはおかしい。何故こうなってしまったのか。危機だ、危機だと言いながらも、本当はそう考えていない政治家が多い。日本全体に緊張感が足りないから、こういうことが許されると思っているんじゃないかな。

渡部 米国でも政治任用される政府の高官やベテランの議員の方々は、それなりの風格を持っていますね。

カーティス 日本の政治がおかしくなったのは、ある意味で社会がしっかりしすぎているからです。政治がおかしなことやっていても何とかなるんです。大震災の被災地に行ってみて、よくわかりました。政府がいろいろよくやっているから暴動が起こらないというわけではなくて、東北の皆さんが素晴らしい。助け合い、我慢強く、そして礼儀正しい。

 避難所に行って感心したのは、本当に静かだということ。他人に迷惑をかけないように、小さな声で話をする。これはアメリカではちょっと考えられない。気遣いという日本社会の素晴らしさです。

 日本の社会がしっかりしているから、政治家は許されるだろうと考えている。社会に甘えているんです。国民がそろそろ甘やかしませんよという態度を取れば、政治家はもうちょっと緊張感を持ちますよ。

加藤 日本では、個の能力は高いのにリーダーはダメだというのは戦前からも言われていることで、たしかにそういう面はあると思います。ただ戦前なら、民主主義の統制の効かない部分で無能なリーダーが暴走した、といった言い訳が、たとえ実態と違っていてもできたのですが、今の日本ではリーダーを選んでいるのは名実ともに国民自身です。政治家を冷笑的に見る、というのが日本では一般的ですが、自分たちの選んだ代表者なのですから自分たちも責任を持たないと。これは民主党内で「菅降ろし」をしている議員たちにもいえることです。

渡部 政治家を甘やかさないために、国民には選挙で政治家を選ぶという直接的な権利行使が保障されています。政権交代は政治を甘やかさないための一つの手段と考えられていましたが、一方で、民主党政権の現状をみると政権交代があったからこんなにひどくなってしまったという見方もできます。一体どちらなのでしょうか。

カーティス 民主党政権は必ずしもうまくいっていませんが、政権交代は日本にとってよかったと思っています。今は大きな政治的な過渡期であって、そのプロセスにおいて政界再編などいろいろあり得るでしょう。もう少し辛抱すれば、日本の政治はいい方向に向かうのではないでしょうか。

加藤 政権交代がなければいつまで経っても野党には政権担当能力は備わらなかったでしょう。そうすると真の意味での民主主義は日本には根づかない。有権者の方でも、野党だった民主党が言っていたことにどれくらいリアリティがあるのか、実際に見てみないと納得できなかったと思います。だから政権交代はあった方が良かったと私も思います。今は過渡期の苦しみで、ここで民主党に問われるのは、経験を積んで政権担当能力を備えることでしょう。党内で若手の政治家をトレーニングし、優れたリーダーを選別していく仕組みを作ることも大事です。

 震災後の対応を見ていて感じるのは、市町村長が一番しっかりしていて、次が知事、一番ダメなのは国会議員ということです。しかし国会議員を選んでいるのも自分たちなので、国政の醜態を見て他人事のようにあざ笑うのではなく、なぜそこがうまく機能しないのか、国民一人ひとりが当事者意識を持って考えないといけない。小選挙区制度は問題の大きな要因でしょう。広い地域の過半数の支持をもらわないと当選できないので、とにかく知名度勝負になってしまう。あと、「風」さえ吹けば、特定の政党から立候補していれば誰でも当選してしまう。そういう意味でも、小選挙区制の導入に加えて時代の流れもあって、地域などのコミュニティと国会議員や国政選挙とが離れてしまっているのが最も根源的な問題かもしれないと思っています。かつてカーティスさんが描き出した、日本の地域コミュニティに根づいた政治が、少なくとも国政レベルでは変容しています。信頼され頼られ評判の良い人が議員として選ばれるというシステムが崩れ、代わりにテレビでタレントみたいなことをやっている人に票が集まってしまう。地域コミュニティ自体も崩れつつあるのかもしれません。

カーティス 日本のコミュニティというのは案外、今も昔も根強さというか、共同体としての意識が非常に強い。民主主義が確立できたのは、マッカーサーが素晴らしいリーダーでそれを持ってきたからではなくて、民主主義の伝統、ルーツが日本の社会に元々あったからです。明治維新前の日本は中央集権ではなくて、藩閥政治は連邦政府のようなものだった。今の地方自治というのはそういう意味で、コミュニティをベースにした政治です。中選挙区制度というのは、ある意味でそのコミュニティの中にある政治を国会に持っていったという面もあったんですね。

 だから、日本の政治を良くするポイントは、強いコミュニティの様相をもっと国会に反映することです。そのためには、選挙制度の改革を考える道もあるでしょう。

渡部 共同体的な強さが日本を支えているということはよくわかるのですが、一方で、改革への組織的な抵抗の源でもありますよね。規制緩和や貿易自由化などに対しては、地元の既得権益を守ろうとする地域コミュニティの根強い抵抗があり、公務員改革に対しても、自分たちの既得権益を守ろうとする省庁の組織的な抵抗あるなど、共同体的な強さが、邪魔になることもあります。ただし、2009年の政権交代を見ても、地域コミュニティと緊密な利害関係を共有して支持基盤を固めてきた自民党が地方でも選挙に敗れるなど、コミュニティの人的つながりは、緩くなってきている側面もあるかと思います。

カーティス 緩まってきたことは確かですが、日本の地域コミュニティはいまだに強い。ただ、昔と違うのは要望が変わってきたということです。たとえば利権といっても、昔のように道路や橋を造ってほしいといったインフラから、介護や福祉をどうしてくれるのかとか、若い人たちが地方に戻ってこられるような雇用をつくってほしい、といったものに変わってきています。コミュニティの重要性を認めながら、そうした要望に応えられる政治家、政党が生まれてくれば、爆発的な支持を得られると思います。

 政治家はもっと聞く耳を持って、コミュニティで何が求められているかということをやればいい。建設業、土建業界の人たちが喜ぶようなことをすれば票になるという考え方はもう止めたほうがいい。