タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/1/12

歴史から見た「大阪都」問題(上)

大都市制度の見直し論議を考える


東京財団研究員
三原 岳

昨年11月の大阪府市W選で、府市再編による「大阪都」創設を掲げる地域政党「大阪維新の会」(以下、維新)が勝利を収めたことで、構想実現に向けた動きが加速している。政府の地方制度調査会(首相の諮問機関)でも大都市の行財政制度の在り方が今月から議論される予定だ。維新の主張は様々な課題を残す半面、これまで顧みられて来なかった大都市制度の見直しを迫っている点で、全国に共通する課題を内在しており、単なる「大阪ローカル」の問題とは言えない。しかし、維新を率いる橋下徹大阪市長の政治手法を巡る賛否が先行しがちなため、冷静な議論が展開されにくい状況となっている。

一方、大都市制度を巡る大正期以来の歴史を振り返ると、府県と大都市の利害が対立した結果、見直し論議が停滞していたことが分かる。本稿は大都市制度を巡る見直し論議や、維新を率いる橋下氏が「お手本」とする東京都の行財政制度に関する経過を振り返りつつ、大阪都構想や大都市制度の見直しに向けた課題や方向性を考える。上下2回の主な中身は以下の通りである。

 (1)大阪都構想の内容
 (2)大都市行政の制度史
 (3)大阪固有の府市関係史
 (4)都区制度の歴史と現状
 (5)今後の論点と制度設計に向けた方向性

(1)大阪都構想の内容

まず、橋下氏や維新*1の主張を確認する。W選の公約*2や橋下氏の著書などを見ると、「都市間競争に打ち勝つ上では、1人のリーダーが成長戦略を実施できる広域自治体が必要」「大阪市が提供している住民サービスをより住民に近い形で提供できる体制が必要」といった文言が見て取れる。つまり、(1)都道府県並みの権限を持つ政令指定都市(政令市)として大阪市が存在している結果、府市の間で二重行政による非効率が生じている(2)約267万人の人口を抱える大阪市では行政に民意が反映されにくい―として、経済基盤の弱体化が進む大阪の競争力を高めるため、大阪府、大阪市、堺市を「税収を稼げる『強い広域自治体』(=大阪都)」「住民ニーズに対応できる『やさしい基礎自治体』(=特別自治区)」に再編するとしている。

具体的には、政令市の出先機関である現在の「区」(行政区)を解体するとともに、東京都区制度を参考にしつつ、大阪市、堺市を人口30万人規模の10~12の特別自治区に再編し、教育や福祉、保健衛生など中核市並みの権限を移譲。特別自治区には区長公選制を採用するほか、区議会を置く。一方、大阪都は広域インフラ整備、都市計画、雇用対策などの権限を所管するとしている。その上で、これらの制度に2015年4月から移行するとの考えを打ち出している。構想の課題や疑問点は(下)で検証するが、構想の目指すイメージは大阪府「自治制度研究会」の最終取りまとめ「大阪にふさわしい新たな大都市制度を目指して」*3や大阪府議会の「大阪府域における新たな大都市制度検討協議会報告書」*4に示されている。


◇図1 府市再編のイメージ


(出所)大阪府議会「大阪府域における新たな大都市制度検討協議会報告書」(2011年9月)49ページ「大阪の再編(イメージ図)」より引用


◇図2 大阪都移行までのスケジュール予想


(出所)大阪市ホームページ2011年12月27日第1回大阪府市統合本部会議資料「府市統合本部について」、大阪維新の会「大阪都構想推進大綱」(2011年11月)、各種報道などを基に筆者作成


W選での勝利を受けて、府市統合本部が発足しており、今後は図2に掲げた通り、本部を中心に事務・財源・債務配分、特別自治区の制度設計・区割りといった作業が進むと見られる。橋下氏の動向に触発され、新潟、愛知でも「中京都」「新潟州」の創設を目指す動きが出ている*5。このほか、政令市長で構成する指定都市市長会は2010年5月、権限・財源面で府県から独立する「特別自治市」構想を提唱*6。地方制度調査会も大都市制度の見直し論議に着手する予定で、2012年は大都市制度の在り方が論じられる機会が増えると見られる。

(2)大都市行政の制度史

では、現在の大都市制度はどういう経緯で生まれたのだろうか。この淵源は大正期まで遡る必要がある*7。工業化と都市部への人口集中を背景に、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の各市は大都市の権限・財源強化を求める運動を展開した。各市の主張は「特別市制運動(六大市運動)」と呼ばれ、歴代内閣は検討機関を設置するなどの対応を迫られた(表1参照)。このうち、制度改革論議が先行したのは東京であり、最終的に戦時下の1943年7月に「東京都」が発足。都のトップは内務省(後の自治省、現在の総務省)による官選となり、公選を求めた東京市の主張は退けられた。こうした経緯を指して東京都の存在を「戦時体制の遺物」と受け止める向きがある。

しかし、東京都創設の経緯について、内務省の官僚だった鈴木俊一氏(後の東京都知事)は以下のように説明している*8

「府と市という巨大な自治体が重なって併存している。(中略)府立の中学校があり、市立の中学校がある。これは府市併存の弊、二重行政である」

「それ(=筆者注:二重行政)をやめるのには、府市を統合すべきであるということで東京都を作ることになった。なにも戦時中だからそういう問題が起こったのではない」
実際、内務省は東京都創設の趣旨の一つとして、「府市併存の弊を是正解消し、帝都一般行政の一元的・強力な遂行を期す」という目的を挙げており、当時の東京府、東京市でも現在の大阪と似たような二重行政の問題があったことが伺える。そもそも、内務省が「東京都制」を帝国議会に初めて提出したのは1896年(明治29年)であり、その後も東京市域の統治機構改革について、内務省、衆院議員、政党、東京市から様々な法案・提言が発表され、提案数で43件、実際に提出された法案数で24件に及んだという*9。これらの経緯を考えれば、それまでの議論が戦時下に実行された側面を指摘できるのである*10。敗戦後の民主化で都のトップは民選に変更されたが、当時の枠組み自体は現在も残っており、都区制度の歴史と現状は(下)で述べたい。

一方、東京都に吸収された東京市を除く5大市は敗戦後も自治権確立運動を継続させ、その結果が一度は法制化された「特別市制度」だった。この制度は5都市を府県から完全に独立させる内容で、1947年に制定された地方自治法に盛り込まれた。しかし、どの市を特別市に指定するかどうかについては、その後の特別法で定めることとなり、「中心部と切り離される残存地域が弱体化する」「二重行政の弊害は事務配分と財政調整で解決すべきだ」と反発する府県側との調整が難航。その過程で、特定地域を対象とする法律を制定する際、住民投票の実施を義務付けている憲法95条との兼ね合いが焦点となり、住民投票の対象範囲を特別市ではなく府県全体とする改正地方自治法が成立し、特別市の実施は困難となった*11。こうして空文化した特別市制を廃止する代わりに、政令で定める大都市に対し、府県の一部権限を移譲する形で創設されたのが現在の政令市制度*12であり、政令市が「妥協の産物」*13、「寄せ木細工」*14と称されるのは、以上のような経緯があるためである。こうした歴史を見ると、都区制度と政令市は形こそ違うが、戦前の「特別市制運動の落とし子」と形容できるであろう。


◇表1 特別市制運動~政令市発足の歴史


(出所)東京市政調査会編『都と区の制度的変遷に関する調査研究』(2011年9月)、大都市制度史編さん委員会編『大都市制度史』(1984年3月)などを基に筆者作成

(3)大阪固有の府市関係史

1956年の政令市発足後、大都市制度を巡る議論は収束を見たが、大阪では府市の間でせめぎ合いが展開された。具体的な動きを挙げると表2の通りである。近年の例で言えば、2000年代前半にも現在と同様の議論があり、太田房江知事時代の大阪府が「大阪新都」の創設を提唱すると、大阪市が府から独立する「スーパー指定都市構想」で対抗する一幕があった。

こうした議論が大阪で起きた背景には、水道事業*15や大学、図書館、港湾など似通った事業を府市が別々で所管し、「不幸せ(=府市合わせ)」と揶揄される二重行政*16の存在が挙げられる。二重行政が生まれた理由について、大阪府自治制度研究会の最終取りまとめは府市の「二元行政」に求めている。具体的には、都市としての集積が大阪市以外の周辺市にも広がっているにもかかわらず、「市は市域、府は市域外」という「ふたつの大阪(=二元行政)」の状態が固定した結果、「市は市域で府県並みの施策や施設整備を行う一方、府は府民の利便性を考慮し、中心部である市域に施設を整備したり、他の市町村の補完行政を行い、二重行政の問題を起こしている」と指摘した。こうした問題意識の下、橋下氏や維新は「府市で統一した戦略を描き、府域トータルでの効果的な施策展開が図られていれば違った道もあったはず。これまでの府市の連携・協議も、利害・組織の枠組みを超える取り組みに踏み出せなかった」として、大阪の統治機構を改革する手段として大阪都構想の必要性を唱えている。(下)で述べる通り、様々な課題や問題点は想定されるが、これらの経緯を見れば、橋下氏がW選で「(府市)100年戦争に終止符を打ちたい」と形容した*17のもあながち誇張とは言えないであろう。


◇表2 大阪府市の再編を巡る議論の経過


(出所)吉富有治『橋下徹 改革者か壊し屋か』(2011年3月)、大阪府自治制度研究会最終取りまとめ「大阪にふさわしい新たな大都市制度を目指して」(2011年1月)、大阪市大都市制度研究会「新たな大都市制度のあり方に関する報告」(2003年8月)、自治・分権ジャーナリストの会編『この国のかたちが変わる』第11章「対立する府県と政令市」(2002年11月)などを基に筆者作成

(4)歴史を踏まえた大阪都構想の位置付け

こうした歴史を踏まえると、大都市制度の在り方が戦前からの懸案であり続けていることに気付く。確かに道府県と大都市が鋭く対立したケースは大阪以外に見られず、「大阪特有の問題」と受け止める向きが多い*18が、現在の東京都と政令市が様々な議論の末に創設された経緯を考えれば、大阪都構想の提起する問題は全国共通の課題として認識するべきなのである。

では、1956年の政令市創設後、大阪以外の地域で何故、大都市制度の在り方が論じられて来なかったのだろうか。例えば、1990年代から進んでいる地方分権論議を見ても、国から地方への税源・権限移譲が争点になったものの、大都市制度の在り方は殆ど議論されていない。過去の歴史を見れば分かる通り、大都市制度の問題は道府県と大都市の対立関係、あるいは大都市と残存部地域の対立関係を引き起こしかねないため、たとえ「妥協の産物」だったとしても、道府県、大都市の双方にとって折り合える都合の良い制度として、政令市が機能していたと言える。総務省(旧自治省)や全国知事会など地方六団体は「地方の総意」として足並みを揃えつつ、国を相手に権限・財源を獲得する運動に力点を置いたため、地方団体同士の意見が対立する大都市制度の見直し問題を避けて来た面も指摘できる。その意味では、(下)で述べる通りに構想の課題や疑問点は依然として多いが、橋下氏の積極的な行動が分権論議の「死角」となっていた大都市制度の在り方を争点として浮上させた意義は小さくない。

このほか、近年は政令市の形態が多様化している影響も見逃せない。以前の政令市は都市としての拠点性や稠密性が重視されていたが、市町村合併への誘導策として人口要件が引き下げられる措置*19などの結果、現在は農村部を抱えた都市も指定されており、特別自治市の実現可能性も含めて、政令市の在り方を再考する視点も必要になる。さらに言えば、地域特性を考慮せず、全国一律に同じ制度を適用する是非*20も問われるべきではないか。こうした観点で見れば、大阪都構想を単なるローカル問題と捉えるのではなく、地方制度調査会や全国知事会、全国市長会を巻き込んだ全国共通の問題として議論されるべきである。

では、大阪都構想の課題は何なのか。(下)で特別市制運動のもう1つの落とし子と言える東京都区制度の実態を見つつ、大阪都構想の制度設計に向けた課題や方向性を考える。




 本稿執筆に際しては、学識者、地方自治体、メディアの関係者から情報・助言を頂いた。ここに感謝の意を記したい。
*1 橋下氏は府知事だった2010年1月頃から府市再編の必要性を提唱し、大阪都の創設を目指す地域政党として維新を同年4月に発足させた。その後、維新は同年5月、同年7月の市議補選で相次いで勝利し、2011年4月の統一地方選では府議会の単独過半数を獲得。大阪、堺両市議会でも第一党に躍進した。
*2 大阪維新の会「大阪都構想推進大綱」(2011年11月)。
*3 最終とりまとめや議論の経過は大阪府ホームページで閲覧できる。
*4 報告書や議論の経過は大阪府議会ホームページで閲覧できる。
*5 このうち、新潟県は2011年7月から「新潟州構想検討委員会」を発足させている。
*6 さいたま、千葉、横浜、川崎、相模原、京都、神戸の7市が2011年10月から特別自治市実現に向けた合同研究会を発足させている。なお、政令市では以前から大都市制度を議論する動きがある。主な動きは以下の通りである。
 ・2007年2月、名古屋市が道州制を見据えた大都市制度の姿を示す報告書を発表。
 ・2009年1月、横浜市が府県から独立する大都市制度改革の提言を公表。
 ・2009年2月、横浜、大阪、名古屋の3市が「都市州」の創設提唱。
 ・2009年3月、川崎市が「大都市制度等調査研究報告書」で「自治特別市」の創設提唱。
 ・2010年5月、横浜市が「新たな大都市制度創設の基本的考え方」発表
 ・2011年3月、横浜市が大都市制度を導入した際の広域連携・財政調整の考え方公表。
 ・2011年8月~、横浜市が行政区の活性化などを議論する「大都市自治研究会」を発足。
*7 明治初期の自治制度確立に際して、東京、京都、大阪の3市については、市長を置かずに府知事が職務を執り行う制限を掛けられ、市会が3人の候補から市長を選任する一般市とは異なる「三市特例」が採られた。このため、3市は特例廃止を政府に働き掛けて、1898年に実現した。しかし、この経緯を本稿では取り上げない。
*8 鈴木俊一『官を生きる』(1999年4月、都市出版)20~21ページ
*9 東京百年史編集委員会編『東京百年史 第5巻』(1972年11月、東京都発行)1264ページ。
*10 提案された首都制度の見直し案は様々な形態を採っており、現在の東京都の姿とは異なる案も多い。例えば、内務省が1896年に提案した「東京都制」では、▽従来の東京市域に都を置き、多摩など残存部は「武蔵県」とする▽都長官は官選―という中身だった。
*11 当時は戦災の影響を受けなかった京都市を除き、大都市の人口が府県の過半数を占めていなかったため、住民投票で特別市制度が成立する可能性が消滅した。
*12 2012年1月現在で指定されているのは、札幌、仙台、さいたま、千葉、横浜、川崎、相模原、新潟、静岡、浜松、名古屋、京都、大阪、堺、神戸、岡山、広島、北九州、福岡の19市。熊本市も同年4月に移行する予定。
*13 金井利之「『大阪都構想とは何なのか』」岩波書店『世界』2011年12月号114~122ページ。真渕勝「『妥協の政令指定都市』のための改革戦略」神戸都市問題研究所『都市問題』2010年10月号12~18ページ。
*14 木村収『大都市行財政の展開と税制』(2004年3月、晃洋書房)29ページ。
*15 大阪の水道供給については、市域は市が運営している一方、それ以外の地域に関しては、急激に増加する水需要への対応に追い付かない市町村を補完するため、府が用水供給事業を行って来た。その後、府市の間で統合協議が持ち上がったが、議論はまとまらず、大阪市を除く全市町村が参加した「大阪広域水道企業団」が2011年4月に発足した。
*16 大阪府自治制度研究会の最終とりまとめ(2011年1月)によると、産業振興や病院、図書館、大学、スポーツ施設など13施設に重複が見られるとしている。事務事業を検証した同様の内容としては、大阪市の「行政事務事業の分類(中間案)」(2010年7月)、関西社会経済研究所の「府県・政令市間の地方行財政効率化に関する調査」(2002年4月)などがある。
*17 『読売新聞』2011年11月28日。新聞は都内最終版。
*18 『読売新聞』2011年12月10日によると、政令市長と政令市を抱える道府県知事(大阪府知事、大阪市長、堺市長を除く)に対し、大阪都の評価を問うたところ、賛成が5人、反対が3人にとどまった半面、「どちらとも言えない」という回答が22人に及んだ。
*19 政令市の指定要件は法律上、人口50万人以上となっているが、実際には100万人以上か、近い将来に100万人を超える80万人以上の市が指定されていた。しかし、合併を促進するため、国は2010年3月まで合併した団体に関して、人口要件を70万人に引き下げた。
*20 この問題では新潟県、新潟市、愛知県、名古屋市、大阪府が2011年7月の共同宣言で、「画一的、一律ではなく、住民自治を確保しながら、各大都市圏の持つ多様性・個性をふまえ、それぞれにふさわしい大都市のあり方を考えるべき時期に来ている」として、地域特性に合った制度を自主的に選択できる枠組みを提案している。


■ 論考「歴史から見た『大阪都』問題(下)」は ⇒ こちら