タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/3/30

国立大学法人化政策の課題とその対応(2)


2.現場から見た課題

(1)文科省ばかりを向いたマネジメントと事務組織の硬直化
国立大学法人は、国の予算編成がきわめて厳しい中、運営費交付金に対して効率化係数(1%)や附属病院の経営改善係数(2%)が適用されている。そのため、人件費を除く基盤的経費が制度上毎年削減され、法人化以降年々増える人件費が交付金では賄えなくなってきており、大学の経営、とくに経費面での改革が迫られている。法人化によって組織と資金の自由度を高められたにもかかわらず、組織改革や予算節減などの経営課題の解決は進んでいないのが現状だ。中でも、本来、経営面では、学務のプロである学長とは別に、経営のプロである理事長が経営改革に臨むべきなのだが、現時点で学長と理事長とを分離した国立大学は全く無い。2009年の事業仕分け(行政刷新会議)において有識者の仕分け人より、こうした現状に対する問題意識を尋ねられた文科省の返答も、国立大学法人の学長職と理事長職の分離に関しては否定的であり、企業経営能力に長けた民間経営者は理事(非常勤)として入っていれば十分で、必要に応じて文科省や他省庁から国の業務に精通した適任者(官僚)を理事会へ派遣すれば足りるというものであった。

学長兼理事長の下、大学の現状は何も変わっていない。本来であれば、理事長を兼務する学長の下、従来の教授会中心のボトムアップ型の組織から学長・理事長主導のトップダウン型組織に転換しているはずだが、そうはなっていない。ボトムアップ型の教授会が力を持続したままの中途半端な経営形態のままだ。実際、本来は入試と卒業だけを扱えばよいはずの教授会になったはずだが、教授会の議題は従来と変わらないものとなっている。

大学法人化は、大学運営資金の調達先の多様化、つまり民間からの資金調達を志向していたが、実態としてはほとんど進んでいない。そうした中、運営費交付金が毎年度削減されたことによって、文科省依存がさらに強まったことはきわめて皮肉なことだ。実際、昨年の予算編成に際して、「元気な日本復活特別枠要望」に関するパブリックコメントを広く求めたところ、文科省関連のパブコメが85%を占めた。これは、特別枠の確保を図ろうとした文科省が関連団体にパブコメへの応募を呼びかけたためである。大学では、組織を通じて、教職員に対してパブコメに応募するよう組織的な働きかけが行われた。国立大学法人が文科省の方を向いて「やらせ」と言えなくもないパブリックコメントを乱発している実態は、国を代表する教育研究機関のあるべき姿として妥当性を欠く。

加えて、運営費交付金縮減に伴う総人件費抑制のため、定年退職教員の不補充を余儀なくされている。大学教員の世代交代は教育研究スタッフの人件費削減に効果的であり、博士号取得者が無給や薄給で出身大学に居残り続ける状態を直ちに解消し、ポストドクターを大学・研究機関等に社会参画させて科学技術創造に邁進させることが経済成長戦略上不可欠といえる。しかし、財務的に弱い国立大学法人では固定費となる人件費を圧迫するため、定年退職教員の後任者補充人事が凍結され、常勤教員数が2004年~2008年で1793名減少した*4。その結果、若手の登用が見送られて、教員組織の高齢化が進み、研究活力の高い若い教員が減ったため教員人事の硬直化が急速に進んできた。その影響もあって、図5に示すように教員の研究実験活動時間の縮小という形での研究機能の劣化、さらに論文発表数の減少(図3)が避けられなくなっている。

国立大学の定員管理は、法人化以前には同じ国家公務員として職員研修や大学間移動人事も可能であったが、法人化後は法人間での人事異動が困難になり、各法人の間における人材の流動化も停滞している。専門性の高い教員の採用は、法人化以前から公募方式が主に行われてきたため流動性は基本的に確保されているものの、専門性が低く、企画立案能力が乏しいといった事務系職員の質の格差問題は急速に拡がり、大学の事務機能が弱まった。各法人で任期付き非常勤職員の導入が大量に進んだこともあって、文科省からの膨大な調査資料作成依頼に対し事務系職員は数字のとりまとめしかせず、調査書類の作成は教員に委ねて手を煩わせるということが具体的事象として現れている。教員の事務作業量が増えたことによって、研究メイン大学(旧帝大クラス)と教育メイン大学(地方・単科大学)とで若干異なるが、研究に充てられる時間は大幅に減る傾向にある。法人化によって学長がすべての人事権を掌握することになり、教員や事務系職員の採用や配置も学長の自由裁量に任せられているとはいえ、教授職しか経験の無かった学長に積極策が急に打てるわけはなく、前例踏襲が原則の事務組織に多くの執行権が委ねられている現実も大学改革が進まない原因の1つであろう。

(2)事務手続きばかり取られ「研究」に時間が割けない
法人化の前後で教育研究の基盤的経費には変化が無かったにもかかわらず、各国立大学とも教員が受け取る研究費が極端に減った。これは法人化により学長が自由度を得たことに伴い、学長を中心とした執行部において各大学とも財務内容を改善するため経営機能の充実に努めたことに起因する。それにより、教員研究費が各大学の判断で大幅に圧縮されたため、日常的な研究資金でさえも足りなくなり、大きな打撃を受けた。

「科学研究費補助金」をはじめとする外部資金に目を向け、競争的資金を獲得するため、申請書作成に時間を取られることになった。このことは大学改革本来の目的に添った事象として評価できる一方、研究時間の減少や研究内容の旧態化につながり、基礎科学の研究成果物である学術論文の発表件数は減少傾向(図3)にある。アカデミックな世界での競争力を減退させることになりかねず、特に地方国立大学の劣化が進み始めた。さらに、イノベーションにつながるような質の高い学術論文発表で、図4に示すように他の研究者から引用される回数が多い上位10%の学術論文数で日本のシェアが低下しつつある。これに対し、競争的外部資金を獲得した教員でも教育ノルマが減らないなど、大きな研究成果を上げているスター教授でも平等に負担を負う慣習は変わらない(その一方で、外部資金獲得者の精進を讃えて獲得金額に見合ったボーナスを給付する国立大学も増えたと言われている)。

加えて、教員が減った持ち時間を駆使して申請書類の作成で大変な苦労を積み重ね、やっと競争的な外部資金プロジェクトを獲得したとしても、当該研究費は具体的な使い道は限定されている。共同研究パートナーとの交際や会食に使えないことは当然としても、会議、人員雇用などで連絡調整してもらう秘書や大量の注文伝票をさばく会計事務補助者を当該研究費で雇うことはできない。プロジェクトの研究事務補助者を雇用する場合は、当該研究費に付随する間接経費、または別途受け入れる寄附金、共同研究費などによって賄わなければならないが、間接経費は大学全体で受け入れて財源として使われるため獲得者には還元されない仕組みをとっている大学が圧倒的に多く、かつ都合よく寄附金や共同研究費が入るケースは稀である。また、外部資金によって研究実験を拡大して実施するスペースはどの大学でも確保されていないので、場所取りの競争を避けるため学外の研究施設を賃借しなければならない場合も多い。

結果として、研究の活性化を図り、自由な研究時間を保証するため裁量労働制をとっている常勤教員であっても、社会貢献や企業役員就任などに関する裁量の余地が実は小さくなってしまい、研究活動を社会で実践する機会はきわめて少ない現状にある。

まして、特任教員(非常勤ポスドク)は時間的な自由度を必要とする研究実験業務に従事するにもかかわらず、定められた月所定日数以内の固定時間勤務の労働条件となるため働きにくく、研究成果をあげにくい現状がある。もし非常勤教員が超過勤務を行ってしまい、その対応を誤れば雇用主の教員が労働基準法違反を問われかねない窮地に置かれている。このような厳しい研究労働環境下で科学技術立国を担う人材育成が行われていることは案外知られていない。

(3)蔑ろにされる「教育」
国立大学法人の授業料は82大学横並びで有意差は無く、文系、理系、医歯薬系を問わず統一金額であり、学部、修士、博士の間にも授業料の差は基本的に無い。そのため、学生が受ける教育研究サービスは本来同じであるべきにもかかわらず、図1から容易に予測されるとおり、運営費交付金の配分額から見て、学生個人が受けられる教育研究サービスに大学間で大きな格差がある。

そうした現状の下、深刻な問題と思われるのは、アカデミアにおいても、企業の研究開発においても、グローバルな場では博士であることが不可欠であるにも関わらず、博士号取得後のキャリアパスが用意されていないので、最も優秀な学生は修士課程で就職を選び、大学院博士課程に進学しないことだ。

将来のキャリアパスの問題もさることながら、授業料等の負担のわりには、卒業後のキャリアで十分な報酬を得られないためと指摘されている。米国では、大学院(修士・博士)入学者は外部資金をもつ教授から研究活動と生活を保証するための報酬が確約され、負の遺産は背負わないで済む学業システムが確立されている。わが国の理系人材の生涯年収は文系よりも2割以上低いのに対し、EU諸国では理系人材の収入が大学卒業時に2割高く設定されていることは注目に値しよう。

また、我が国の奨学金が貸付型に偏重しているとの問題もある。大学院進学者が日本学生支援機構の奨学金を受けて研究生活を送る場合、奨学金は原則として借金として残る。博士前期課程(修士課程)修了時には、2年間貸与で国公立大学では約200万円、私立大学では約300万円の借金を背負って社会生活をスタートすることになる。博士課程では3年間貸与で国公私立大学共400~500万円の借金を背負うことになる。

加えて、現在の奨学金制度では、奨学金を返せない未返還者が大量に出ているため、税投入が継続されているとの問題も指摘されている*5。何を目指すのか、政策としての目的がいまひとつ明らかにならない現行制度は早期に見直さねばならない。

教育に関する競争的資金として、21世紀COEやその後継のグローバルCOE等の制度がある。これらは専攻、研究科などの組織に対して競争的に大型資金を入れる文科省プログラムであるが、教育改革の面から見て効果を上げているとは言い難い現状にある。

グローバルCOEでは、その政策目的に対して、あまりに的外れな方法が為されている。政策の目的としては(1)大学の競争環境の促進し国際競争力ある個性輝く大学作り(学長リーダーシップの下での大学マネジメントの充実)、(2)世界トップレベルの大学と伍する教育および研究活動の充実、(3)世界をリードする創造的人材育成と世界トップレベルの大学と伍する教育および研究活動の充実が挙げられている。これに対して、具体的な方法を見てみると、例えば、(1)の達成のために国際会議の開催がほぼ義務付けられている、これをもって評価しているが、そもそも評価基準として適切ではない。また、(2)については、論文数ばかりの評価で学術的・社会的な影響の有無までは見ていないこと、また、高パフォーマンスの研究室を代表とする”専攻”に資金を出しているので、研究成果の上がらない”隣の研究室”も資金を受け取ることができてしまい、投じた資金に対し効果的なパフォーマンスを期待できないとの指摘もある。さらには、規模を優先するため、地方の個性ある小規模大学は採択されにくいとの声も聞かれている。加えて、(3)については、社会への人材輩出など就職面での先駆的な取り組みを取り上げるモノサシがないため、人材育成を促せていないばかりか、政策の効果も測定できない現状にある。

こうした問題に満ちたグローバルCOE等の教育に関する競争的資金だが、資金の構造としても、政策的にはきわめて異例な性質のものだ。本来、こうした競争的資金は、パフォーマンスに対して正比例の関係で資金が配分されなければならない。ところが、グローバルCOEの場合、ある拠点はもらえて、ある拠点はもらえないといういびつな関係が生まれてしまうとの問題も指摘されている。

加えて、本制度の資金の流れについても問題がある。グローバルCOEは「専攻」組織全体へ資金が入るので、リーダーとなる研究室のみならず、成果の上がらない隣の研究室でも恩恵を受けられるため、資金が分散して非効率になっているばかりか、大学→研究科→専攻→指導教員→学生の順で資金が流れるので、学生の隷属化が加速してしまうとの問題もある。

こうした問題は行政刷新会議の事業仕分けでも指摘されたことだが、これら諸点に対する文科省の回答は費用対効果を含めた釈明として不十分で、現状のグローバルCOEのやり方では世界最高水準が達成できるわけがないとの意見に集約されたが、博士課程大学院生やポスドク等の研究生活を支えている点が考慮されて、結局のところ予算縮減にとどまってしまった。

すでにグローバルCOEは「リーディング大学院」政策に移行することになっているが、同じ政策の枠組みでは政策目的を達成できないばかりか、それ以外にも多くの問題を引き起こす懸念がある。実際、一部の大学では、修士と博士の5年制の一貫教育のリーダー育成大学院を始めるといった、新しい政策に対応した新しい取り組みが散見される。これも受益者である学生や社会を見たものであれば、歓迎すべきものだが、上述したパブコメのように文科省の予算目当てのものならば、本末転倒でしかない。引き続き、政策の動向はもちろんのこと、大学の対応にも注視していかねばならないといえよう。

3.高等教育政策の目指すべき方向性

以上の問題提起を踏まえれば、大学をはじめとする高等教育政策で目指すべき方向性は、以下の3点である。

  1.大学への資金配分(交付金)ルールの説明責任の確立とこれに基づく運用
  2.教育に資する競争資金の確保と配分ルールの確立と運用
  3.受益者である学生と社会による評価確立のための一部政策資金のバウチャー化

広く集めた税金を原資とする政策としては当然のことであるが、我が国の高等教育政策はこれができていない。このため、大学が、本来の受益者である社会や学生を見ずに、政策のサジ加減を決める政策当局者の顔色を伺うばかりに陥ってしまうのである。

まず、必要なのは、基本的な運営資金である国立大学運営費交付金等の配分ルールを明文化しなければならない。まずは国立大学から始めるべきだが、その後は私立大学向けも取り上げるべきであろう。受益者である学生や社会に対して、どういう基準で配分するのか、これをしっかり説明できなくてはならない。

1ができた上でのことだが、競争資金についても、同様に説明可能なものにしなくてはならない。基礎的な配分と競争資金では政策目的として何が異なるのか、これが明らかにならない限り、政策への信頼を築くことはできないであろう。

最後に挙げたのは、本来の受益者である学生が自ら、政策資金の行方を左右することができるというものだ。研究費を含めれば、学生が年間に支払う授業料と同じくらいの金額の公費が大学に入っている。それであれば、学生にバウチャーを渡し、選択された大学や学部・講座が資金を受け取ることができるようにするものである。いわば、競争環境を強制的に作るものである。導入にあたっては、学生の判断をどこまで政策的に取り上げるべきか、考えるべき点は多いが、例えば、大学院生から始める等のやり方もあろう。いずれにせよ、学生を受益者として本当に見ることができるかどうか、大学こそが試されているのだ。

そもそも、大学とは何だろうか。先日、STeLAという学生団体の主催シンポジウム「大学」って何だろう? -学生目線で話し合う理系高等教育とは-*6に参加した。資源がない我が国においては人材こそ唯一の武器であり、学生や社会が大学に期待することがきわめて大きいにも関わらず、実際に学生たちに聞けば、大学教育への失望は大きい。大学が本来の受益者である学生や社会に応えるため、本稿を通じて、政策的な議論が活発化すれば幸いである。




【参考文献(新聞、雑誌、報告書は除く)】
▽ 天野郁夫『国立大学・法人化の行方』(2004年4月、東信堂)



*4 豊田長康「イノベーション力強化急務」(2011年7月4日 日本経済新聞)
*5 「行政刷新会議 事業仕分け 平成21年11月25日議事録」
    (http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov25gijigaiyo/3-53.pdf
*6 http://web.mit.edu/stela-mit/jp/symposium11.html