タイプ
レポート
プロジェクト
日付
2010/6/9

日本の科学技術政策が抱える課題とは



1.科学技術のありようを考える

(亀井)厳しい財政事情のもとにあっても、科学技術予算は社会保障関係経費を上回る水準で拡大を続けてきた。にも関わらず、経済におけるイノベーションの効果、特許収支、研究者数、国民の科学に対する意識など、いずれをとっても、めぼしい成果がみえてきていない。

(長谷川)科学者は一所懸命に研究する事に専念していて、国民に対して科学の成果や面白さ、様々な意味での科学の意義を積極的に広報するのが自分たちの義務と積極的に認識し始めたのがこの10年くらいの事。
 「自分の狭い専門分野を超えて、日本が科学と技術に対してどういう立場を持って国を進めていくべきかという科学技術政策を科学者からも積極的に考えて発言しなければならない。」それが科学者の義務の1つという意識は非常に低いし、そういう事を考える人も育てていない。

(中村)成果は重要だが、成果とは何かを考えねばならない。
 例えば、ゲノムプロジェクトでは、医療が重要で、病因解明、治療法開発、創薬が成果とされる。成果の出る期限を5年ごとに区切り、現実的でない目標を立てる。2002年にポストゲノムとして拙速に始めたタンパクプロジェクトは成果が何かも明らかでない。研究機関のホームページは「オーダーメード医療ができる」と書いてあるまま、具体は何も書いていない。米国は第一級の専門家が徹底議論し、2006年にみごとなガンプロジェクトを立ち上げた。NCIのホームページには今日の成果が報告されている。マイナスを含めて、是非こうありたい。

(金田)確かに科学技術振興費を拡大させ、研究者の競争を促してきたかもしれないが、一方で大学向けの運営費交付金が減っていて、現場としては、必要経費を確保するために奔走してきたというのが実感。結果として、本来すべき研究テーマはよりカネを取りやすいものに偏りがちになる。
 併せて、事務作業が増大し、本来の研究に集中できない環境になってしまっていて、成果があがっていない結果につながっているとの印象。

(榎木)もっとも重要と考えるのが研究者の減少。博士課程に進む事、研究への魅力を感じなくなってきているのが重大。もはや高校生でも知っている「ポスドク」問題だが、真剣に取り上げてきたのかは疑問。これをきちんと取り上げ、議論する場が求められている。

(薬師寺)科学技術の成果が上がっていないとの指摘だが、経済全体の動向の影響が大きいとみるべき。
 もっとも大きな問題は若い人が研究者になりたがらないという事。研究者の人口ピラミッドは現在逆ピラミッド型になっているが、これを是正していかねばならない。
 中村先生ご指摘のとおり、米国ではあらゆる設備を作るときにファシリティに関する200人委員会のようなものを立ち上げる。そこで喧々諤々の議論をして、国家としてどこに投資すべきかを決める。日本でも、議論の場を作り、しっかりと論争して意思決定する方向に変える必要。

(小林)使い方に問題があるというのは事実だが、成果の評価は、外国との競争や様々な見方もあり、なんともいえない。一刀両断的な議論は危険。
 何のための科学技術なのかという事を、きちんと議論する場を、我々の社会の中に作っていない。現在の議論は、産業界、大学、研究者、誰もがステークホルダーとして、自らの利害を主張する場になっている。結果として、これらの利害調整の視点でのみ動いている。
 「社会公共政策としての科学技術政策」として位置づけ、考えるべきだが、現状は活かされていない。いずれにせよ、そういう議論がきちんとされる場がなく、利害を持ち寄る場ばかりがあるのが一番の問題と思う。

(前原)国際比較で、日本は政府支出をもっと増やすべきとの意見があるが、支出を増やせば成果が上がる単純な構造ではないと思う。予算の使い方に問題があると見ている。先進国の中で最悪の財政状況の中で、予算で、税で実施するという以上は、目標と成果というのは厳しくもっと問われなければならない。研究開発における国の役割とは、基本的には基礎研究部分だと思う。近年は、産学官の連携の重要性が広く認識されているので、基礎研究であっても、税財源でやるからには、その成果がどう社会に還元されるかという事は極めて重要。
 民間経営者の立場から見ると、不確実性は高くても、その時点、時点できちんと定量的な評価を試みて、その積み重ねで評価手法を開発、改善していくという努力をもっとすべき。

(上杉)率直に言って日本の科学技術に関する報道はお粗末。昨年の事業仕分けにおける科学技術政策の議論でも明らかなとおり、中身について話し合われたというより、むしろ蓮舫議員の一言が集中砲火的にメディアに載って国民に伝わるレベル。科学技術報道を通じて、メディアの報道のあり方にも十分リンクする問題との印象を持った。
 かつて文部大臣秘書をしていた折、科研費陳情というものに数多く直面した。予算については、中身で決まるというより、ある意味、政治力、人的なつながりで、研究者に対し個所付けをするとの印象を当事者として持っていた。

2.スパコン騒動を検証する

(亀井)昨年の事業仕分けにおける所謂「スパコン騒動」について伺いたい。「なぜ一位じゃなきいけないのでしょうか、二位じゃダメなんでしょうか」との発言ばかりが注目された。問題の本質はここにはないと考えている。本件を一つの切り口に科学技術政策のあり方、社会における科学技術の意味、世間への伝え方について考えたい。

(金田)本発言ばかりが取り上げられ、深い議論にならなかったのが残念。
 本件はスタートから誤っていた。巨額の税金を投入する以上、それなりの成果が求められる。にも関わらず、これだけのお金を使って開発する意義をどこに認めるのかという議論、深い議論が何もなされないまま、始められてしまった。また、計算機開発者の世代交代が迫り、OJTを通じた技術の伝承という事もミッションの一つだったが、そのような人を育てるプログラムもなく、新しいチャレンジがなく、これもなかなか達成できなかったように思う。やはり、税金を使う以上、それなりの効果を発揮するような手順なりプロセスを経てやるべき。

(上杉)事業仕分けの当日から、本発言ばかりがTVで流された。面白いものに飛びついたとの面もあるが、元々、日本では、科学技術の問題が軽視されていて、正しく扱われないとの問題があった。加えて、記者クラブの問題がある。米国では元NASAの記者がいたりして、専門的な知見に基づいた記事が発信されるが、日本では、残念ながら、そういう記者はいない。そもそも、科学技術を正確に報じるシステムになっていない。
ただ、今回のプロセスで興味深かったのは、日を追うごとに改善されたという事。というのは、事業仕分けは全ての議論をインターネット中継しため、この発言が全てでないと分かる国民が多くなったためだと思う。結果として、時間が経過するに従い報道は冷静になったと感じている。

(薬師寺)「1番、2番」の問題について申し上げれば、政治家が問題。本来、スパコンの場合、利用者コミュニティがあって、若い人達も含め、皆が使える環境整備が大事。にも関わらず、スパコン族のような人が「米国に追いつけ、追い越せ」と言えば、役人もそうなってしまう。結果として、そういう文章ばかりが目立つ事になる。

(中村)「1番、2番」ではなく実体と利用を専門家が検討して最良の選択をすることが大事。
 野依さんたちノーベル賞学者の会見は東大のサイエンスコミニュケーションの方たちが企画したそうだが、見当違い。スパコンの専門家を集めて内容の議論を皆がわかるようにするのが筋で、圧力をかけるためだから、ノーベル賞学者になったのだろう。実際、「予算削減はけしからん」いうと主張になった。
 実は、若者達が「お金」でも「1番、2番」でもない、「本当に日本にとって大事なスパコンは何か」を議論すべきだと提案したとの事。それはすばらしかったと友人から聞いた。ところが、その部分は報道していない。ショーではないので地道な議論と報道が必要だ。

(上杉)この部分について言えば、科学技術の問題ではなくて、単に政治的な、予算獲得、もっと言えば陳情だけの話。ノーベル賞学者の発言には、発言内容が正しいかとか、背景に何があるかとか、を判断する前に、記者が報道せざるを得ない状況に置かれたのが全てではないか。野依さんはノーベル賞受賞者であると同時に、理化学研究所のトップで、陳情においては利害該当者でもある。その人が言った事を、そのままを思考停止で流し、その権威に寄り添う報道を繰り返していた。
 ただし、その一方で、ネットでは「彼は利害関係者であり、ちょっとおかしいじゃないか」との意見が起こっていたのも事実。

(長谷川)せっかく一流の学者が集まって、こういう形にしかならなかった事が、科学者コミュニティの見識というか、普段からの研さんが足りない事を露呈した。陳情に権威で色付けをした形だけで、その後に学生が議論したような事を話せなかったという事が、今の科学者コミュニティの弱さを表している。本来は、科学と技術の意義、日本が何をするべきか、そして、科学者がそういう研究にどう関わっていくのがよいのかという事を、我々だけじゃなくて、次世代の若い人たちの教育も含めて、常に話し合って、何かを持っていれば、こうした事にはならなかったと思う。

(亀井)事業仕分けから予算決定までのプロセスを振り返る。事業仕分けでは「計画の凍結、来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」との結論だったが、その後、ノーベル賞学者の陳情を経て、結果として、予算案では「予算復活して、前年度比40億減の227億円」となった。予算を決定するプロセスが全く見えてこないが、どう考えるか。

(小林)結局、「誰の声を聞くべきか」という問題。これ自体を議論していない。これまでは、従来から付き合いのある人、声の大きい人、権力を持っている人でやってきた。今回の事業仕分け、国民サイドからは支持が高かったようだが、科学コミュニティから見れば、社会との科学技術コミュニケーションの典型的な失敗事例。若手の議論を社会に伝えるチャンネルを持っていない。つまり、必要な声をちゃんと聞いた上でやっているか、やってきたかという事に対する、かなり根本的な疑問を感じさせる事件だったと考えるべき。誰の声を聞く事によって、よりましな政策決定ができるかという問題を真剣に考えなくてはいけない、そういう教訓だったと思う。

(薬師寺)これまでの政策決定プロセスでは、専門調査会というものを作って専門家を招くが、そこにはステークホルダーがいるが、若い人たちは絶対入っていない。これではダメで、最近ほかの分野でやや成功しつつあるが、コミュニティの人たちをいっぺんに100人ぐらい集めて、徹底的に論争させる場を作らなければならない。この議論をベースに最終意思決定をする事ができれば、非常にパワフルだと思う。

(榎木)実は若手研究者の間では、スパコンはそんなに話題ではない。むしろ、若手研究者の特別研究員制度が厳しい評価となったのが大きな話題となった。特別研究員制度を「ポスドクの生活保護」と言った事に若手研究者の間でも失望が広がった。しかし、これを契機に、若手がしっかり声を出していかねばならないとの意見が出てきたし、我々が集会をすれば、それが伝わったりと空気が変わってきた感じもする。
 若手が政策決定プロセスに声をだすべきというのもその通り。仕分け前は意見を出すとつぶされる事を懸念して出せなかったが、仕分け後には一歩前に進んだ。そうした意味で事業仕分けの意義は大きい。

(前原)この一連の経緯は、我々国民一人一人が、基礎研究について考えるきっかけが与えられたという事で良い機会だったと思う。
 仕分け前の予算、仕分けで減額された予算、最終的な予算、それぞれ異なる場合に、文科省だけではなく、各省ともきちんと説明すべき。
 以前に比べれば大分見えるようになってきたが、まだまだブラックボックスが多い。今がチャンスなので、今こそよく見えてきたものについて、国家の基本戦略について、われわれはきちんと提言をしていかなければいけない。そういう時期に来ていると思う。

(小林)単にブラックボックスを開けるだけでなく、政策決定過程の作りこみが重要。研究者が決めれば良いわけではない。社会や公共のために科学技術がどう機能するかという観点から考えると、多様なインプットを入れ、そして、そのプロセスをどう作り、その結果がどう説明されるかという、その構造をつくらないといけない。
 スパコン騒動を契機に変わったところがある。なぜ、事業仕分けが無ければ変わらなかったのか、そこが問題であるし、それを議論し、文科省は説明すべき。

(中村)せっかく事業仕分けでオープンにしたのに、また、ブラックボックスに戻している。明るみに出たという良さを生かさなければ仕分けの意味はない。ここで内容が分かっており、しかも研究全体を見通して適確な判断のできる人がオープンに議論をして、納得のいく形でお金を付けるという方にもっていかなければいけない。ここでは専門家が考えることが重要。先進国はそれをやっている。

3.司令塔としての「総合科学技術会議」のあり方

(亀井)数々の指摘があったが、我が国の科学技術政策の司令塔である「総合科学会議」のあり方について、議論したい。

(薬師寺)総合科学技術会議というのは橋本行革で内閣府に作られた新しい組織。自分も中にいたが、絶対変えなきゃいけないと思う。
 総合科学技術会議は本来、制度改革を担うべき。自分自身は、数々の制度改革、特に生命倫理の問題、女性の科学者を増やすための方策、治験要員の増員等に取り組んできた。議員を務めている時から申し上げていたが、右から左に、ステークホルダーに金を渡しているだけじゃ駄目。日本の科学技術を常に高度化していくためには、抵抗勢力を乗り超えて、みんなで考えて、制度改革を進めていくしかない。

(松井)機能しない一番大きな原因は「人」。仕組みも組織も大切だが、駄目な人がやっている限りは駄目。薬師寺先生のように旧体制でもいろいろやろうと思えばできる。総合科学技術会議の議員が、元学長とか管理職の次のポストになっているのが現状。誰がどうやって選んでいるのかというのが問題。
 科学技術立国と言いながら、科学技術総合会議の事がメディアを賑わす事もない。実のある議論をすればマスコミも取り上げるし、国民的な関心も沸き上がるわけだが、それがない。というのは、議員が主体的にそういう問題意識を持って、問題提起をして進めていくという事になってないから。現在であれば、科学技術基本計画が一番大きな課題だが、議員が本当にフランクに、自分の持っている資料だけで「どうあるべきか」を議論しているとは思えない。おそらく、役人から上がってくる情報をまとめているだけではないか。
 議員の資質も問題だが、組織上の問題としては、議員が使えるスタッフが手元にいない。1人の議員に少なくとも5~10人のスタッフがいて、自分でデータを集め、行動するベースとなる体制が不可欠。

(前原)ボトムアップ型の前年比主義的な予算編成を排し、国家戦略としてトップダウンで高い目標を上げて研究開発に取り組む事がますます求められている。
 総合科学技術会議の有識者が事前仕分けをするとのニュースがあるが、この試みで新しい方向付けに成功すれば、新たな創意工夫が行われる。意義は大きいと思う。
 総合科学技術会議でSやAの評価をしても前年ゼロだとなかなか予算が付かない、C評価でも前年予算が付いていれば残るとの実態がある。総合科学技術会議を再編成をした上で、権限を任せるのも大事。併せて、予算決定だけではなく、パフォーマンスのチェックもきちんとやるべき。

(薬師寺)総合科学技術会議には、法律上、予算を決定する権限は無い。総合科学技術会議でS、A、B、Cの評価をつける。その上で財務省主計局が予算をつける。環境エネルギー分野を担当していた私達のチームは専門性が高いので、最終調整に入っても、意思決定に役人が入れないようになっていた。とはいえ、予算というのはポリティカルプロセスであり、Cが入るような突然変異はある。これをオープンにしないのが一番の問題。

(金田)研究に夢中で全く興味がなかった。興味持ったのが昨年11月に仕分け人をしてから。次世代の事を考えると大きな予算の判断ができているか疑問に感じる。

(中村)科研費は原則適確な分配をするシステムを長い間に作ってきたと思う。
 一方、総合科学技術会議が関わるトップダウンのプロジェクトは、外からは見えず、ここが問題。S、A、B、Cという評価作業はプロジェクト選択の基準として必要だが、本当に重要なのはプロジェクトの実体の適確な検討。例えば、昨年の2,700億円は、政治的に下りてきたものを1か月程度の短期間で決め、政権が変わったら突然の減額。思いつきとしか言えない。トップダウンのものは額も大きいので、政治的判断が入り、そこに基本政策が無いので無駄が多い。ここのシステムを作らなければならない。

(松井)科研費というのは、ボトムアップ型研究資金配分システムで日本学術振興会が、全国の研究者が参加するピアレビューを通じて、薄く広く配分するお金。
 もうひとつには「創造的戦略事業」等様々な名前で呼ばれるトップダウン型のお金がある。総合科学技術会議の方針に連動し、この分野が重要だから、そこにお金を出そうっていう格好の新たな研究費配分システムが生まれた。これを主として科学技術振興機構が担っている。トップダウンの発想で決まっているので、殆どどの機関に渡すかが当初から決まっている。日本で科学技術振興費が増えているとの指摘があるが、殆どがこれ。
 総合科学技術会議が機能しないという問題は、昨年の2,700億円の特別枠の研究資金配分時に、同じ仕組みながら別の審査・配分機関が出てきたという事実を考えれば、既に政治家にも認識されている。本来やるべき中身が伴っていないから、そうなる。

(長谷川)総合科学技術会議で議論するのが、「当面の重要課題」から始まっている。これがどうやって決まっているのかが問題。本来、制度を変えるにせよ、根本的な課題を考えるにせよ、やはり理念や哲学的背景がなければならない。しかしながら、実際は、個々の議員が、自分の見識と様々な資料とスタッフの裏打ちをもって意見を交わし、決めるようにはなっていない。だから機能してない。
 研究者が、そういう事に関わりたくないとの気持ちもわかるが、私のイギリスの友人は、イギリスの総合科学技術会議にあたるような、政府の科学政策の決定する重要なポストに就いた人が2人いる。彼らは政策に関わる事ができる人達だと思っていなかったが、いざ始めれば、ものすごくしっかりやっている。彼らには元々見識があった。そういう科学者として立派で、政策にも本気で力を注ぐ人をイギリス政府は一本釣りで確保する。日本の場合にも、そうした事ができるかどうかが重要だと思う。
 英国の『New Scientist』や『Nature』という雑誌があるが、何れも前半1/3は科学政策や科学が社会に与える影響が書いてある。これを読みながら育つ科学者は、やはり何か考える人に育つ。日本の科学者は、その部分を殆ど読まないという。科学政策とか、もっと一般的な哲学的な事まで踏み込んで、日常的に考えようとする人はまだ少ない。それは歴史的な違いの問題もあるとも思う。

(小林)こういう問題は特効薬がない事をわきまえて議論しなければいけない。やはり科学技術政策というのは社会公共政策。科研費のようにボトムアップで科学者の自由な発想によって自由な研究をするという側面と、社会を発展させるために必要な研究というものと両方ある。後者は、ある程度トップダウンでやらざるを得ない構造があって、ボトムアップと同じように科学者が動員されれば、うまくいくわけではない。科学者の今の世界というのは、どんどんと細分化して、深く狭くならざるを得ない構造の中で国際競争を戦っている。その一方で、日本全体における科学のあり方についての見識等を備える人を見つけるというのは至難の業。加えて、そういう幅の広い観点を持つようなトレーニングを日本の大学院では行っていないのが現状。だから、そこに科学者が入ればいいという話ではない。
 スタッフも同じ事。どこから供給するのか、どうやって育てるのかという議論せずに、どこかから湧いてくるような議論をしているのでは駄目。

(榎木)普段研究している上で、関係する事が殆ど無いので、総合科学技術会議は、若手にとって存在しないも同じ。2003年、C評価になった研究に小柴さんが出てきて、ひっくり返った事があった。こういうのを見ると声の大きい人が重要で、若手は蚊帳の外と感じるわけで、関心が無いのが当然の状況だと思う。総合科学技術会議が大阪でタウンミーティングが開かれ、私も参加した。こういうのは一歩前進だと思うが、ただのガス抜きにせず、政策にきちんと取り入れるべき。
 研究者の声だけで動くのも問題だが、少なくとも現状では、若手は、声すらあげていない状況なので、多くの人を巻き込む仕組みにしなければならない。

(前原)研究開発活動をより効率的に推進するために研究課題管理に携わるプログラムディレクターの機能強化が必要。プログラムディレクターの質、量、両面で確保する取り組みも必要。ポイントは6つ。?権限と責任の明確化および権限の委譲。?有期による選任での任用。?組織内でのキャリアパスの明確化。?ふさわしい報酬体系の整備。?広く世界からの人材登用。?プログラムディレクターの労働市場確立への取り組み。(「イノベーション志向経営の更なる実現に向けて」2009年4月、経済同友会提言)

(松井)たしかに今はスタッフとして登用すべき人材はいない。でも、そういうポジションが仕組みとしてあって、全国の大学から若手の研究者で、興味を持つ人を募集すれば集める事はできると考えている。

(薬師寺)やはり、優秀な人間を政策決定プロセスに入っていくべきではないか。科学者はそういう事やりたくないという事ではいけない。いきなり英国の例のようにはいかないが、日本の中で選ぶ以外ない。

4.実施機関としての大学・独立行政法人等の課題

(亀井)大学の改革が行われた。これに伴って、運営費交付金が減ったとの指摘もあるが、皆さんの評価はいかがか。

(長谷川)文科省のがんじがらめで自由度がない事を変えられるようにしたという意味では良いが、では良い方に向かったかと言うと、細かい一つ一つの研究者の大学での場面場面で、ちっとも良くなっていないというのが実感。雑用がなぜ増えるかが分からないくらい増えた。実際、研究者の時間の使い方のアンケートを見ると、前よりみんな忙しくなっている。研究に使える時間が減っている。

(小林)全部悪くなったとは言わない。例えば、教育が大学の大事なミッションとの意識がかつてより強くなった。他方で、運営交付金の削減もあるが、国立大学間の格差が大きくなった。この競争的環境の中で、研究費の獲得のために、理工系の先生は、一所懸命にプロポーザルを書き、研究費を獲得する。そして、2~3年目になると、次の研究費の獲得のために走り出すという構造。また、3~5年以内の成果や評価が重視されるので、研究は短期的かつ成果の上がりやすい方向に誘導されている。加えて、若手がそういう環境で育っているので、長期的視野の研究へのインセンティブが落ちている。これが日本の研究環境として本当に良かったのか、ありとあらゆるところを競争的にする功罪はもう少し考えるべきではないか。特に人材育成において、若手が競争に対して過剰適応していると感じる。

(金田)最初のセッションでも指摘した予算の1%減の影響が極めて深刻。研究室を存続させるための運営費確保のためにどうしても時間が取られてしまう。
 トップクラスは違うかもしれないが、全体として大学の質が落ちている。小林さんの指摘の通り、今のこの状況を見て若手は育つ、金を取る教授が偉いと思うのがいるが、それ明らかに誤り。5年先、10年先を見通して重要と考えられる研究をやらなくなる。そういう意味で、昔は良かったとは言わないが、少なくとも今が良いとは思えない。

(薬師寺)激しい事を言えば、日本は創造性と金をドブに捨てていると思う。現状では、競争的資金という制度が標準化・規格化しているので、創造的な人間は資金が取れない。制度にうまく合わせた最適なプロポーザルを書ける優秀で小利口な人がカネを取っている。
 アメリカ等では大学間をどんどん移動するのが常識だが、日本では大学間を移動しないように制度が作られている。昇進も退職金も税制もそう。結果として、良い大学に上がるというだけのモチベーションしかない。例えば、優れたファンドは日本の俗的なモノサシとは違って、きちんと内容を見極めて資金を投下している。
 例えば、ハーバードではフェローという形で若い人を残し、彼らのチャンスも残す。なぜそういう事を日本はやらないのか。先生から見れば優秀な学生がいるのを知っているはずなのにできない。こうした事を直していかなきゃいけないと思う。

(中村)青臭い事を言えば、大学は、社会の中で、給料は少々安いかもしれないけど、時間を与えられ、ゆっくり考えられる場所だと考えたい。科学は科学技術として役に立つ事ばかりを言うが、人間として考えれば、本来、研究は、自然、宇宙、人間について、根本を考える役割をもつ。今の時代、環境問題など様々な課題があり、科学者が、基本を考えなければならない時期にある。科学は複雑系になり、1対1の因果関係を知る時代から変わろうとしている。日本の若い人達がそのような変化をしっかり捉え、考え、新しい知の世界を作ってほしい。
 そういう若い人を育てるのは大学しかないわけだが、大学がもはやそういう所ではないとの社会の位置付けにされてしまっている。法人化は、独立性等の良い面を求めた事もあったかもしれないが、結局は経済的な理由だったと思う。この改革が、大学の本質とは合わない事をしたのではないかと懸念している。最近、イギリス、アメリカというアングロサクソン系の方たちの書いた本が送られてくると、異常な競争社会がいかに人間性を壊したかという事が書いてある。本家で反省が起きているのだ。この反省を生かし、知を創出するのは大学だと思う。お金を持っている人だけが勝ちとされる大学にしておくと、そういうものは出てくるはずがない。このままでは、10年、20年先に良質の知はなく、社会が決して良いものになっていないだろうと感じる。

(松井)大学院の先生が指導する学生の数が問題。海外の一流大学と比べれば、日本は多すぎる。東大でも京大でも二流大学並み。加えて、基礎学力が落ちてきて、指導に手間がかかる。結果として、研究に時間を割けないのが現状。これは法人化に伴うものというより、大学院大学化したときからの事で文科省の責任は大きい。明治以来、日本の帝国大学が持っていた教授と学生の定員数の比を戦後のシステムに改めた際にこうした事が起きた。
 大学が魅力ある場所であるためには、若い人たちにとって、教授や准教授が魅力あるポジションだと思うようでなければならないが、現実は、彼らが疲弊しきっていて、そうは見えない。結果として、優秀な人が残らない。みんな途中で出ていってしまう。
 外部研究資金の獲得競争という問題については、圧倒的に旧帝大が有利になるようになっている。競争的資金を取るには、研究者の数を集めてチームを作らないといけないが、地方国立大学では優秀な人がいても一人、二人で実際に人数を集める事ができない。結果として、競争的資金が劣るという意味で不利になって、ますます格差が生まれてくる。この国の高等教育の制度っていうのはこれまで、ドクター数を増やすとか、一つとしてまともな政策が無かった。こういうところからもう一度考え直さなければならない。

(榎木)法人化したこの5年間の因果関係は不明だが、ポスドク問題は、その当時から言われていた。にも関わらず、ポスドクはどんどん増えていき、大変深刻な問題になっている。文科省にも責任はあろうが、現場の大学の先生達が当事者意識を持っていないのは悲しい事だし、反省してもらわなければならない。

(前原)先月まで私学の経営者だったので、その立場から。今、私学の半分位が定員割れで、深刻な赤字状況になっている。数年後には2割位が存続できなくなるという状況にある。そういう状況だから、入ってくる学生を甘やかしてしまう。だからこそ、教育の質が非常に大切になる。「教育の質をどう上げるか」がこの10年間の最大のテーマである。
 国立大学の経営協議会の委員もしているが、それぞれ各大学の取り組みに個性がある。同じような大学でもかなり差が出てきていて、そういう意味では、大学改革は悪くはなかったと思う。先生達の負担もあろうが、いずれは経験しなければならなかった事。
 今大切なのは、国立大学といえども、「自分の大学のミッションは何か」を問い直すべき事。漫然とやってきた事を繰り返すのではもう成り立たない。大学創立時にはミッションがはっきりしていたはず、今一度、そこを見直し、現代に合わせたミッションを設定すべき。

■質疑応答

(会場)事業仕分けは政治的茶番以外の何ものでもないと考えている。本日、事業仕分けのマスコミの報道態度について議論があったが、あれについて、マスコミは本当に反省しているのか

(上杉)茶番だという部分に関しては、まさにマスコミ報道がそういう形で扱ったと思うが、私自身は現場で取材した立場からすると、そうは思わなかった。というのも、準備期間も含めて取材したが、本当に徹夜で週末も泊まり込んで、査定のかなりの部分、また対象となる案件については練りに練ったと感じている。200以上の事業は財務省が選んだと伝えられているが、4割程度は否定しないが、6割は個々の政務あるいは政調から出たもので、決してそんな単純な茶番ではなかったと感じている。
 ただ、結果として、当初見込んだ数兆円規模の削減ができたかというと、そこはできなかったとので、これは政治側がきちんとうまくいかなかったという事を認めるべきだし、実際、仕分け人をやった議員では、そこを率直に認めている人もいる。
 私自身が取材して最初に思ったのは、事業仕分けは全く意味のない事ではないという事。というのも、これによって、これまで、財務省主計局を含めて、お手盛りというか、ノーチェックでつくっていた概算要求が、これによって、額は少なかったが、来年度以降、これは役人がこんな風にやられたらたまったものではないなと、ある意味、事前の警戒機能を果たしたと感じている。
 となると、そういう意味で、極端な話100円でも削減できれば、予算、決算、ノーチェックという、これまでの予算編成のシステムが変わるという意味での、マインド的な役割は十分果たしたかなと思っている。

(会場)大学の修士課程にいて、科学技術のグローバルリーダーを育てるフォーラムを学生で取り組んでいる。
 先輩達に聞きたい。これから、若者自身が今いったい何を議論し、何をアクションしていけばいいかという、もしアイデアがあったら、今日の事を踏まえて聞かせていただきたい。

(松井)今の人は、先の事を見過ぎていると思う。自分自身を振り返れば、給料もらえなくても、とにかく好きな事をやり続けられれば良いという事だけでやってきた。今でも大学は何とかそういう人を養えるだけの体力はあると思う。まず自分がしっかり成長していくというのが大事。どんな学問であれ、あるいは経済活動に従事するでも何でもいい。とにかく自分がまずしっかりしなきゃ駄目。先の事をいくら見ても駄目じゃないかというのが私の経験から言える事。


■結びに一言ずつ

(榎木)これからも科学技術政策について見ていきたい。事業仕分けがそのきっかけとなったと思うし、そういう所から、若い人が何をしたいって、どんどん意見を言ったら良いと思う。「こういう事がおかしい」とか現場からの意見を何らかの形で表明していくのがこれから重要になっていくと思う。そして、政策を監視する人もどんどん増える事を願っている。

(松井)科学技術政策に皆さんが関心持ってくれるというのが、良くなる一番重要な条件。ぜひ、これからよくウォッチングをしていただきたい。

(長谷川)今日は画期的なチャンスだったと思う。いろいろな立場の人が、今の状況を見てどう考えるかという事を、素直に議論したと思うので、これで終わりにせずに、このような意見を集約して、何らかの政策に絶対反映していただきたい。

(中村)学問について深く考えて、しかも社会として今何が大事かという事も考える、本当のリーダーがこの国で育つ、そういうきっかけにこの会がなればいいと思う。

(薬師寺)やはり、日本が世界に誇れるのは科学・技術だと思う。だから、こういう会を何回も持ちながら、みんなで議論していきたいと思う。

(金田)先ほどの修士の学生さんの質問で思ったのだが、今回の事業仕分けで若い人も含めて非常に気になされているのでしょうが、私自身、東大紛争の時に大学に入っていて、あの時と比べれば大した事ないと、何とかなるさという楽観的にやりたいなと思っている。

(小林)特効薬はないという事は散々申したが、やっぱり何のための科学技術かという事を考える時期にきていると。これが一番の根本の問題で、しかも何のための科学技術かは、科学者や技術者だけが考える資格を持っているのではなくて、社会全体で考えなくてはいけない課題だという事を申し上げたい。

(前原)経済同友会として提言している「独立行政法人の実施する研究開発資金の配分における改革案」について3点。?研究開発資金を配分する9つの独立行政法人を各所管省庁から切り離して、総合科学技術会議のもとに移管する。?総合科学技術会議は、各独立行政法人を統一的に評価するとともに、その評価結果を各法人への予算配分とリンクさせる。?総合科学技術会議の組織と権限を強化して、競争的資金1件あたりの金額を増やしたり、各独立行政法人間の連携、競争などの政策策定を可能にするという提言を出している。

(上杉)率直な議論で思わず刺激を受けて、この期間中、原稿1本書いてしまった。ツイッター上でもつぶやいたが、ツイッター上で、シンポジウムそのものよりも、ここに集まった人たちが後日交流をしたらものすごい事になるのではないかとの意見もあった。実際、ジャーナリズムの立場からすると、この科学技術政策においては、記者クラブメディアが、薬師寺さんや中村さんの勇気の10分の1でも持って報じてくれれば、メディアの側から変わるのではないかと、そんな印象を受けた。

(亀井)大変有意義な会だった。これで終わらせず、主催者である行革700人委員会、ご後援の経済同友会と共に、そして、先生方のご指導をいただき、また傍聴いただいた参加者の皆さんとともに、考えていきたい。
 最後に主催者を代表して、田中一昭先生より一言。

(田中)私自身、大学基準協会という大学を評価するところの専務理事をしている。今いろんな基準、公表している基準でもって大学院から普通の大学まで評価しているが、あれで良いのかと反省した。
 本日提起された問題をどうやってブレイクスルーしていくのか、いろいろそういうサデッションも頂いた。直接大学と関わっているので、考えさせられるところも多かった。先生方も会場の皆様も引き続きいろいろ教えていただければありがたい。本日は実にありがとうございました。



政策提言「科学技術政策の司令塔として総合科学技術会議の抜本改革を」はこちら
  (亀井善太郎 東京財団研究員・政策プロデューサー)