タイプ
論考
プロジェクト
日付
2009/9/28

論考「官僚支配批判の本質をとらえよ」

官僚支配批判の本質をとらえよ


森信茂樹
東京財団上席研究員


1、官僚主導政治とはなにか

今回の選挙の争点で、民主党勝利の要因の1つは、「脱・官僚支配」というスローガンであった。選挙後は、官僚の力を借りる必要もあることからか、「脱・官僚主導」という表現に変わった。

では、「脱・官僚主導」政治とはどんなものであろうか。選挙を通じて指摘されてきたことは、おおよそ次の点である。

第1に、族議員と官僚の癒着である。長期間にわたる自民党族議員と官僚がスクラムを組んで、既得権益を守るべく政策形成を行ってきた。この結果、政策は特定の利害を守るものが多く、国民の利益は置き去られることとなった。

第2に、この共同体の中で、天下りシステムが保持され、高額な退職金や「わたり」等で官僚はいい思いをしてきた。

これを、国民によって選ばれた政治家が政策決定する本来のメカニズムに改め、官僚は専門性に基づき選択肢を提示することにとどめ、さまざまな特権を廃止する、これが脱官僚主導政治、というものの中身のようである。

このような見方に対する霞が関(とりわけ財務省)の官僚たちの正直な感想は次のようなものだ。

「官僚主導と非難されるのは、違和感がある。仮に自分たちで思うような意思決定ができておれば、このような巨額の財政赤字は積み上がっていないし、消費税率も10%程度にはなっているはずだ。そうなっていないことが、官僚支配・主導ではないことの証左ではないか」というものであろう。「政治家の無理筋に嫌気がさして多くの官僚がやめて政治家を目指すが、これも官僚が主導権を取って政策を行っていないことの証の一つだ」という声すら耳にする。

では、官僚主導政治とは本当なのか。批判の本質は何なのか。

2、官僚内閣制―責任不在の意思決定メカニズム

政と官の関係でもっとも問題なことは、「官僚内閣制」である。飯尾潤・政策研究学院大学教授によると、「日本においては、政治家が立法権を担い、行政権を担う主体が官僚というように議院内閣制は変質し、政府における最終的意思決定の責任が不明確化している。その結果、意思決定中枢が空洞化して、寄せ集めの政策しか打ち出せないという大きな問題が生じている」(『日本の統治構造』中公新書)。

つまり、これまでの政府の意思決定(政策)は、だれがどこで決定したものかわからないという、無責任体質であった。小泉内閣においてすら、国・地方の三位一体改革具体化の最終決定責任者は、総理ではない。ましてや、安倍、福田、麻生内閣のもとでは、厚生族、公共族、農林族等が跋扈し、意思決定が多元化した。経済財政諮問会議で決めた「骨太方針」に描いてある政策はほとんど作文の世界になったのである。

3、政治主導の税制決定メカニズム

もっとも、明確な政治主導の分野も自民党時代に存在した。わたしは長年税制改正に携わってきたが、その経験に基づき、自民党と官僚の決定プロセスを分析してみよう。

歳入予算である税制について言えば、各省・族議員から出てくる税制改正要望を査定するのは党税調である。党税調の位置付けは、政調の部会より一段高く、各部会から出てきた税制改正要望(「要求」)を、一つずつ○だ、×だといって査定、つまり取捨・選択の最終決定を行うことにより、官僚の力を閉じ込めてきた。

党税調がこのような権限をもつことができた理由は、個別の利害から離れ、専門的知識に基づきつつ大局的判断を可能とする政治家が存在したことである。長年の税制改正にかかわり豊富な知識を持つ党税調長老は、業界の個別利害を超えた、国家観に基づく議論を行ってきた。そのようなシステムは、往々にして透明性に欠けると批判されることがあるが、それはまた別の観点である。

重要なことは、脱・官僚主導を目指すのなら、政治家が大局的見地に立ち、自らの見識に基づき厳しくプライオリティーを付け、それを最終決定するという仕組みを作ることである。

(歳出)予算の決定が財務省主導と映るのは、自民党政調会が各部会から上がってきた新規政策・予算要求を自らは「査定」せず、財務省へほぼ「丸投げ」するからである。この結果、財務省主計局は、各省の予算を査定するという権限を手に入れ、財務省が主導する場面が出てくるのである。

国家戦略局や行政刷新会議が、官僚を凌駕する知識と見識を備え、自ら最終的な判断を示し、政治家100人を送り込む内閣・各省の要求を査定する(最終結論とする)、その後どんな抵抗があっても変更しない、というシステムさえ出来れば、脱・官僚支配は一夜にして実現するのである。

4、官僚の質の劣化を防げ

より大きな問題は、官僚の質の劣化をどう防いでいくかという問題だ。

官僚の質の劣化は、今に始まったことではない。私見によれば、バブル発生のころから始まっている。バブル経済に対する適切な財政・金融政策がとられず、バブル発生を許容し、さらに崩壊を急激に進めたことから影響を深刻化させ、「失われた10年」と称される経済失政が生じた。このことが官僚に対する信頼感を失わせた。その後、霞が関不祥事、年金・官製談合にはじまる数々のスキャンダルが続き、官僚制度への国民の信頼は地に落ちたのである。

この背景には、わが国が経済大国として成功をとげ、冷戦も終わり、新たな海図なき世界で自ら舵を取らなくなってきたこと、その中で、官僚が、アカデミズムや専門的知識を軽視し、「段取り、はこび、おさめ」こそが自らの役割とばかりにエネルギーを集中させてきたこと、そのような能力に長けた人たちが階段を上って行ったことに原因がある。世の中の信頼を取り戻すためには、専門的知識を磨き、アカデミズムを行政にうまく活用することのできる人材を育て、そのような役人を評価するシステムを構築することだ。

脱・官僚主導政治を実現するだけでなく、わが国の官僚システムそのものの劣化を防ぐことも重要だ。天下り批判や官僚バッシングだけでは、官僚の劣化は防げない。官僚の専門的知見を向上させ、わが国最大のシンクタンクとしての霞が関の復権を期待したい。