タイプ
論考
プロジェクト
日付
2011/11/9

TPP交渉参加表明では終わらない:通商貿易政策の再検討に向けて


浅野貴昭
東京財団研究員


米ホノルルにて開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議(11月12~13日)を前に、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定締結交渉への参加の是非をめぐる議論が大いに高まった。APEC出席のタイミングをとらえて、日本政府として交渉参加を表明したいという野田総理の意向を受けてのことだが、東日本大震災発生を受けて一時は脇に追いやられたかに見えたTPP論議は、ホノルルAPECというデッドライン*1 と、農業関係者を中心とした強硬な反対論という2つの要素が存在したことで、一気に過熱した。

急速に盛り上がった政策議論も、TPPへの参加の是非という一点をめぐってのものであるだけに、参加表明さえ済んでしまえば、あとは政府の仕事とばかりに、議論は一気に収束しかねない。しかし、一連の議論がTPP賛成・反対両派間の殴り合いだけで終わってしまっては全く無意味であるし、それは間違いでもある。この度の政策論議の高まりを一つの好機ととらえ、東京財団としてもTPPにとどまることなく、日本の通商貿易政策をめぐる論点を取り上げ、今後、議論を深めていく予定ではあるが、まず本稿ではTPP交渉参加表明の先に控える課題について触れたい。


TPP交渉参加表明の次には何があるのか

バスに乗り遅れるな、とばかりにTPP交渉への早期参加を掲げる賛成派と、そうはさせじと抗議活動を強める反対派は、いずれもAPEC首脳会議における交渉参加表明が天王山になると見ているわけだが、当然のことながら、その先にもプロセスが待ち受けている。TPP交渉参加に向けて野田内閣が前のめりになっているだけに、まずは目線を上げて、その先を見ておくこととしたい。

昨2010年11月、横浜にて開催されたAPEC首脳会合にあわせてTPP首脳会合も開かれ、1年後のホノルルAPECでの交渉妥結を目指して交渉が加速していると言われていた。しかし、物品市場アクセスの問題も含め、交渉には時間を要している模様で、今年11月の段階では「大枠合意」にとどまる見通しだ。

このTPP協定締結交渉に正式に加わるためには、現在の交渉国全て*2 が日本の交渉参加を承認しなくてはならない。なお、日本は交渉参加9カ国のうち、すでに6カ国との間でFTA(自由貿易協定*3)を締結しているが、残る3カ国、米国、オーストラリア、ニュージーランドとの間ではFTAは実現していない。9カ国全ての承認を得て、日本がTPP交渉に参加するまでに、少なくとも3カ月は要すると言われている。

例外なき関税撤廃による「質の高い」自由貿易協定を目指しているとされるTPPだが、経済の規模も、構造も異なる9カ国による交渉は容易ではない。例えば、米国とオーストラリアの間にはすでにFTAが締結され、2005年に発効しているが、そこで合意した自由化除外品目の扱いをTPPという多国間交渉の場にて改めて交渉のテーブルに載せるかどうか、という点についても未解決だと伝えられている。二国間FTAと多国間FTAが重複する際の両者の整合性については、日本もASEAN諸国とのFTA交渉を通じて経験しているところだ。これは来年以降のTPP交渉妥結の見通しを得るうえでも重要なポイントであるし、さらにいえば、TPPがFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)へと拡大・発展を遂げるためには避けては通れない課題だろう。この課題に対する解決策如何で、すでに米国との間でFTAを締結している韓国やカナダのTPP加盟という問題にも影響が出てくる。

なお、カナダはTPP交渉参加を希望していながらも、未だ果たしていない。その理由については諸説あるようだが、TPPをめぐるカナダのケースは日本政府にとっても重要な関心事であろう。

そして、条約交渉が妥結し、採択・署名に至った後には各国による承認手続きがある。TPP拡大交渉を主導する米国の影響力に対する警戒感が世論の中にはあるが、帝国主義的野心をもってFTA政策を展開できるほど米国も一枚岩ではない*4 。オバマ政権が輸出促進や雇用確保を大義名分にFTAネットワークの拡大を掲げようとも、様々な地元の事情を抱えた連邦議会が必ずしも常に同じ方向を向いているわけではなく、民間セクターも業界や企業規模に応じてTPPへの姿勢が異なる点は日本と変わらない。

これまでは環太平洋における経済規模の比較的小さな国々とのFTAであったはずのTPPに、経済大国である日本が加盟するとなると、米国内でも関心の度合いが異なってくる。例えば、米韓FTAをめぐって米自動車製造業が警戒心を隠さなかったように、日本のTPP交渉参加に伴い、同様の声は必ず米国内で上がってこよう。

そうした国内事情を踏まえれば、承認プロセスというのは時々の政治情勢によって、薄氷を踏むような慎重さが求められる。現に、今年10月に米連邦議会は長年の懸案であった米韓FTA法案を可決したが、米韓両国政府が協定に署名したのは2007年6月のブッシュ政権時代で、批准までに4年以上を費やしたことになる*5 。米国の批准を受けて、今は韓国の国会に舞台は移っているが、ここでも与野党間の政治対立に巻き込まれ、批准プロセスは遅れている。従って、政治的リスクは米国の専売特許ではないのだが、米国では批准に伴う国内政治リスクを軽減するために、TPA(貿易促進権限、ファストトラック権限)を大統領府に与えてきた。しかし、TPAは2007年7月に失効しており、このままではTPP協定案はTPAに基づく保護がないままに批准プロセスを通ることになり、米韓FTAを上回る困難に直面するリスクがある。TPAが大統領府に付与されている場合、大統領府の責任の下で通商交渉を進め、その合意内容については議会承認が必要ではあるものの、議会は合意内容を修正することはできず、速やかに審議を進めた上で、承認・不承認のみを採決することになっている。TPAが大統領府に与えられていない場合、通商協定は批准プロセスの中で議会から修正を強いられる可能性があり、それが国際交渉上、大きな信用問題となることは言うまでもない。憲法上、米国では通商は連邦議会が取り仕切ることになっているために、こうしたTPA付与という措置が必要になってくるのである*6

今からTPP承認のための政治環境を心配するには時期尚早であるし、特に他国の政治情勢は如何ともし難いが、国際交渉に続いて国内政治の壁を乗り越えることを考えれば、この度の日本政府の対応はあまりにも性急であったと言わざるを得ない。国内調整が不十分なまま通商交渉に乗り出すことの政治的リスクや、後の承認プロセスが滞ることによって日本の国際的信用が毀損するリスクを担うことになるのは果たして誰なのか。そして、TPP協定が締結され、発効するまでには相応の時間を要するであろうことが予見される中、EU、韓国、中国とのFTAについて日本はどのような姿勢で臨むべきだろうか。オーストラリアやカナダとの二国間FTA交渉は不要になるのだろうか。そして、TPP参加によって農産品の自由化除外という軛から自由になった日本は事後、FTA交渉を自在に進めるようになるのか。

TPP加盟だけでは解決しない日本の課題

TPP加盟によって、農業のみならず、医療、金融、通信、政府調達等々の分野が国際競争にさらされ、海外からの単純労働力流入によって雇用は脅かされる上に、日本社会としてのアイデンティティすら危うくなる、と懸念する向きもある。それに対して、TPPによって日本の医療体制が崩壊したり、移民が流入することなどありえず、そうした懸念こそ無知の産物であるとして、賛成派は反対派の声を退けるのだが、そうした懸念は、グローバル化が進む中での、我が国の医療システム、ビジネス環境、食品安全、人材活用といった諸分野の将来像を問う声でもあると考えるべきではないか。TPP反対論はむしろ自由貿易体制下における今までの日本経済の歩みと実績、そして今後の展望についての実直な議論をおざなりにしてきた当事者への警告である。東京財団としても、今後、これらの問題にできる限り答えていきたい。

本来、通商貿易政策とは、国際社会との関係を取り結ぶための手段の一つである。グローバル化は今や国際社会全体を一定の方向に押し流す潮流であり、日本だけがその流れから逃れることはできない。市場の自由化と統合はもはや世界規模の現象であり、少なくとも一律に国境の周りに壁を積み上げるような措置だけで何かを守るようなことは難しいと認識すべきである。

そうである以上、グローバル市場へのアクセスによって享受するメリットを最大化し、デメリットを最小化するような政策上の工夫に我々は注力すべきである。それは具体的には、TPP交渉の対象になろうとなるまいと、幅広い分野について、日本がいかにグローバル市場に向き合うべきかを改めて問う必要がある。

そのためには、迂遠なようではあるが、日本が過去約10年間にわたって進めてきたFTAネットワークの構築について振り返ることも重要だ。ASEAN諸国を中心に日本が築き上げてきたFTAネットワークは何を意図していたのか、当初の目的に照らして相応の成果をあげることができたのか、そして、今後は何を目指すべきなのか。停滞するWTO交渉を前に、日本は2002年の日シンガポールFTAを皮切りに、FTAネットワーク拡充を進めてきたが、冷戦終結後のグローバル化社会に対する純粋なまでの期待感はもはや今の国際社会には存在しないし、中国がアジア、そして世界に占めるウェイトも当時と今では大きく異なる。世界の流れに遅れまいとして築き上げてきた日本のFTAネットワークであるが、国際環境の変化と一層の市場自由化を求める国際社会の声を受けて、今後のありようを検討するタイミングを迎えている。

また、自由貿易協定は一義的には経済政策でありながらも、同時に外交ゲームの有力な手段であることは否めない。その点においては、日本のTPP交渉参加をいかに積極的に、主体的に位置付けることができるかが、今後の交渉に向けた重要な文脈となる。野田総理による参加表明がどのようなトーンで国民に、そして国際社会に提示されるのかは、外交上、極めて重要なポイントである。それはもちろん日米同盟に関わる政治的配慮や、中国やEUを自由貿易交渉に引き出すための小細工といったレベルではなく、日本が国際社会といかに向き合うべきかについての意思表明でなくてはならない。

日本にとっては、むしろ今からが本番であることを強く認識したい。




*1 もちろん、APEC首脳会議の場にて交渉参加を表明する、というのはあくまで日本が自らに課した期限であり、TPPの前身となるP4協定自体が何らかの期限を設定しているわけではない。

*2 現在、TPP協定締結交渉を進めている国は9カ国:シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ、米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア。

*3 本来、FTAとは物品市場アクセスやサービス貿易といった分野を中心的に取り扱う協定であったのに対して、日本政府は非関税分野をも含めたより広範な合意内容を含むEPA(経済連携協定)締結を目指してきた。しかし、近年では第三国間のFTAにおいても、より包括的な分野を含むことが一般的となってきていることもあり、本稿の表記では日本のEPAも含めてFTAとしたい。

*4 なお、この度のTPPをめぐる一連の議論の中で、日本社会が米国に席巻されることに対する警戒感はTPP反対派を中心に非常に強いものがあるが、一方で、TPPを通じてアジアの需要を取り込む、という日本の姿勢に対して、「取り込まれる」側であるアジア諸国の視点に立った考察を国内で目にすることはほとんどない点については留意しておきたい。

*5 同時にコロンビア、パナマとのFTA法案も可決されたが、米コロンビアFTAは2006年11月に署名済み、米パナマFTAは2007年6月に署名済みであった。コロンビアもパナマも署名後は速やかに批准作業を終えており、米国の批准作業が完了することを待っていた。

*6 なお、米韓FTAはTPAを付与されていたブッシュ政権の下で合意に達したものであるため、この度の批准作業の中で合意内容が議会によって修正されることはなかった。