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【読書案内】Edward C. Luck, UN Security Council: Practice and Promise(エドワード・ラック著「国連安全保障理事会:実行と約束」)

July 23, 2007

蓮生郁代(大阪大学大学院客員准教授)

本書のねらい

本書の著者のエドワード・ラック(Edward C. Luck)は、コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)の教授で同大学院国際機構研究所所長である。過去には、アメリカ国連協会(UNA-USA)の会長も長く務めたこともあり、アメリカと国連の関係を論じるコメンテーターとしてマス・メディアへの露出も非常に高い。また、著者は、1996-97年には、後のG4案の原型となったラザリ(Razali Ismail)国連総会議長のイニシアティブの下で行われた安全保障理事会(以下、安保理)改革案作成に深く関わった経験もあるなど、安保理の運営上の諸問題にも精通している人物である。

安保理に関しては、それが挑んできた危機の数々や行使する多様な手段などが、国際政治学や国際法上の研究対象としてこれまで盛んに取り上げられてきた一方で、それが、ある特定の紛争、脅威などに対して果たして有効に対処してきたのかという観点から言及されることはほとんどなかった。すなわち、安保理という一組織自体が体系的な考察の対象となることは稀であった。その近年における唯一の例外的な試みと言えるのが、2004年のデビッド・マローン(David M. Malone)編著による『国連安全保障理事会:冷戦から21世紀へ』 (David M. Malone, ed., The UN Security Council: From the Cold War to the 21st Century, Boulder, CO: Lynne Rienner, 2004, xii+745p.)であろう。同書は、50人以上の著者から編成され、多くの実務家のインサイダーの視点も盛り込んであるという意味で貴重なものだが、これとて一組織としての安保理の存在意義(identity)に焦点をあて洞察したものではない。その点で2006年のラックの著書は、マローンによる書を補完する役割をねらっているとも言え、本書の中心となるテーマは、安保理の誕生から現在に至るまでの組織としての歴史的展開(historical evolution)の考察である。

目次

第1部:文脈
1 大いなる実験の格付け
2 創設時の未来図
3 憲章と実践を通した安保理の定義づけ

第2部:手段
4 平和活動
5 軍事的強制
6 経済制裁、武器禁輸、外交的手段
7 法的に権限を付与された協力のパートナー

第3部:挑戦
8 人道的責務
9 テロリズムと大量破壊兵器
10 改革、適応、展開
11 結論:意見と展望

本書の構成

本書は、第1部:文脈、第2部:手段、第3部:挑戦の3部構成から成る。

第1部では、安保理を考察、評価する際の基準となるような「文脈(context)」とは何かを探求している。安保理の評価基準の設定が困難なのは、比較可能な類似の組織が不在であるということに主に由来している。したがって、第1章は、安保理が時間の経過の中で、年代ごとに、あるいはテーマごとに、どのように対応してきたのかを比較する方法を考案することによって、安保理の業績評価を試みることが提案されている。第2章は、安保理の創設時に遡り、国際連盟の理事会との比較において、国連の安保理がどのように改善されたのか、その創設時の意図が探られる。第3章は、国連憲章中の安保理関連条項に焦点をあて考察している。それらの条項が、ダンバートン・オークス会議、あるいはサンフランシスコ会議においてどのように形成されたのか、そして、それらが時間の経過とともにどのような解釈の変遷を経てきたのかが考察される。

第2部は、安保理の説得と威圧の「手段(tools)」には、主としてどのようなものがあるのかについて言及している。第2部の4つの章においては、「平和活動」、「軍事的強制」、「経済制裁、武器禁輸、外交的手段」、「法的に権限を付与された協力のパートナー」という安保理の代表的な手段が、60年間の実践と学習のプロセスの中で、どのように歴史的に発展してきたのかがそれぞれ考察される。

最後に、第3部は、安保理が現在直面する3つの大きな「挑戦(challenges)」を取り上げ詳細に論じている。第3部の4つの章は、「人道的責務」、「テロリズムと大量破壊兵器」、「安保理改革」という3つの課題をそれぞれ論じるとともに、最終章では本書全体の結論を述べている。

本書の意義と評価

本書が安保理に関して書かれた他の同類の著書と比較して際立っているのは、安保理の機能の有効性の評価という、これまでその重要性は当然認識されながらも、長らく研究者から忌避されてきた問題をあえて正面から論じようとした点である。

著者は、安保理のような類似の組織の見当たらない極めて固有の機能を付与された組織の場合、比較対象として唯一採用可能なのは、安保理それ自体の歴史的推移であるとする。そして、平和活動、軍事的強制、制裁、武器禁輸などの安保理のもつ手段に関しては、内部の再評価プロセスなどを通じて、年代ごとに、機能的有効性が向上してきたことを検証する。また、安保理は、新たな挑戦であるテロリズムや大量破壊兵器による脅威に対処するために、報告やモニタリングなどの相互作用を活用した手段を編み出し、人権や人道的責務に関しても、国家中心主義的だった過去とは決別し、近年大きな関心を払うようになってきたことを指摘する。さらに、安保理の審議のプロセスも、公開性が向上してきた点を評価する。そして、著者は、そこにおいて注目すべきは、安保理が実に自在に自身を変容させてきたその適応性の高さであるとする。安保理は多くの欠陥を持つが、同時にダイナミックな動態性に満ちた人間臭い存在であるとし、それゆえ、著者は、安保理の将来に関し控えめながら楽観的な見方を提示する。

ここで著者の議論の興味深いのは、安保理が自らの機能や役割をこのように柔軟に変化させることができたのは、決して偶然の産物などではなく、60年前の国連創設者達の意図に基づくことを明らかにしている点である。そこで用いられた手法は、1999年に出版された同著者による『混在する言説と政策―アメリカ政治と国際組織、1919-1999』(Edward C. Luck, Mixed Messages: American Politics and International Organization, 1919-1999, Washington, D.C.: Brookings Institution Press, 1999, xvii+374p.) においても用いられた、ダンバートン・オークス会議、あるいはサンフランシスコ会議などの創設時の議論に遡り検討するという歴史的な手法である。その結果、安保理は、そもそも意図的に最大限の裁量を付与されて創設されたのであり、規範や規則や創設者の期待などにあまり拘束される必要がなかったゆえに、60年経た今も変幻自在な存在でありえるのだとする。同時に、現代の近視眼的な安保理改革論者に対しても、鋭い警告を発する。すなわち、安保理が安保理たる所以は、安保理に付与されたその最大限の裁量にあり、たとえ安保理を拘束する方向に改革しても、未来の予測できない未知の脅威に対処すべき安保理の機能の向上にはつながらないであろうことを主張する。

このような著者の安保理論は、ダイナミックで人間臭い魅力に満ちている。ただし、やや楽観的過ぎる感もあり、評者は、次の点から著者の見解に対し若干の疑念を禁じえない。

まず第1に、現代において安保理が抱える「正統性(legitimacy)の赤字」の問題の深刻さが、著者の議論の中では、十分直視されてないように見受けられることである。マローンが2006年発行の近著、『イラクに対する国際的闘争―国連安全保障理事会の政治、1980年~2005年』(David M. Malone, The International Struggle over Iraq: Politics in the UN Security Council 1980-2005, Oxford: Oxford University Press, 2006, xiv+398p.)の中でも指摘したように、安保理の機能は、創設当初のような紛争中の国家間の調整という「政治的軍事的モード(politico-military mode)」から、「法的規制的モード(legal-regulatory mode)」へ段階的に移行しつつある。前者の時代であったならば、著者の主張するような裁量の最大限化という議論は十分妥当していたことであろう。しかし、現代のように、テロリズムや大量破壊兵器のような重大な安全保障上の脅威に関し、安保理がグローバルな法規範形成の機能を担わなければならなくなってくると、事態は一変する。そこにおいては、裁量の拡大化という実効性確保のための原理と、正統性の主張という規範的価値との相克が必然的に起こり、そのバランスの模索が無視できないアジェンダとなってくる。

第2に、上記の正統性の赤字の問題は、安保理の構成、すなわちメンバーシップの再考の問題とも密接に関わってくる。最近の例では、それは、2005年の国連創立60周年記念首脳会合の成果文書作成交渉における、安保理改組の主張となって表象化した。一方、著者の主張する最大限の裁量の尊重という論理は、安保理の機動性の確保を最優先する考え方と結びつきやすい。それは、時として、ローズマリー・フット(Rosemary Foot)、ニール・マクファーレン(S. Neil MacFarlane)、マイケル・マスタンドゥーノ(Michael Mastanduno)が言う5常任理事国による「道具的な多国間主義 (Instrumental Multilateralism)」や、リチャード・ハース(Richard N. Haas)が言う「アラカルト多国間主義(Multilateralism à la carte)」などの正当化の論拠としても援用されかねない危険を孕んでいる。したがって、最大限の裁量の尊重という著者の主張は、メンバーシップの問題との関連においても―とりわけ安保理常任理事国拡大を求める立場にある者(たとえば、日本を含むG4諸国など)にとっては―警戒されるべき側面があることに留意する必要があると言えよう。

    • 大阪大学大学院客員准教授
    • 蓮生 郁代
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