タイプ
レポート
プロジェクト
日付
2007/11/22

代表部便り1 「アフリカのポスト紛争国に希望の未来を築くために -紛争予防と開発協力に関する英ウィルトンパーク会議から」

星野俊也・国連政府代表部公使参事官


ニューヨークの国連本部では、連日、さまざまな議題に関する加盟国間の会合が数多く開かれているが、その周りではシンクタンクや財団、NGO等が主催・共催する知的刺激に富んだ政策指向のセミナーやワークショップもかなり頻繁に行われている。国連を訪問するハイレベルの政治指導者を囲んだ会合や、各国の外交官と有識者や国連スタッフ、NGOメンバーらが意見交換をする光景も日常的である。

国連が政府間の協議や交渉を通じたパワー・ポリティクスの舞台であると同時に、グローバルなこの国際機関が新たな公共政策のアイデアや国際規範の生成・発展を促す知的センターのひとつになっていることも見逃せない。筆者も、昨日は国連PKOの新たなドクトリン形成に関するセミナーに参加していたのだが、その際に有力シンクタンクの幹部らと担当する国連平和構築委員会の関係でアイデアを交換していた。来週は紛争後の「国家建設」の研究グループとのブレインストーミングを企画している。いろいろな会合でブリーフやコメントを求められることもよくあるが、学者としての筆者のバックグラウンドがうまく役立つこともある。国連は、政策広報やアドボカシーの重要な拠点なのである。

もちろん、こうした政策型の知的ダイアローグは、いまやグローバルな現象であり、東京財団の本プロジェクトもひとつの重要なイニシアチブと言えよう。そして、知的政策対話の意義は、つい先週参加していたロンドン郊外の英外務省の会議施設ウィルトンパークでの政策ワークショップにおいても感じたことだった。

会合は、「アフリカの紛争予防と開発協力」をテーマに国際協力機構(JICA)と国連開発計画(UNDP)がウィルトンパーク会議事務局と共催したもので、北米、欧州、アフリカを中心に第一線の実務者や研究者が多く集まった。数日間都心を離れ、リラックスした環境で議論をするというリトリート型の会合である。自由な政策論議を確保するため、「チャタムハウス・ルール」も徹底されている。これは、英王立国際問題研究所(チャタムハウス)の伝統ルールで、政府当局者も学者も、非公開の会合での議論や情報を外部で用いることは許されるが、本人の了解がない限り発言者は明らかにしない、というものである。

会合には、我が方からも緒方貞子理事長以下、強力なJICAチームを始め、経験豊富なメンバーが参加した。UNDP総裁や国連副事務総長を歴任し、現在、英国の国務大臣(アジア、アフリカ、国連担当)の要職にあるマーク・マロック=ブラウン氏も公務の間に顔を出し、夜遅くまで議論に加わった。

表題の通り、アフリカで頻発する紛争を予防するにはどうしたらよいか、そして紛争予防のために開発協力がいかなる役割を果たしえるのかといった問題への関心から有益な分析や洞察、意見が交わされた。議論の背景には、統計的に低成長・低所得と紛争発生の間に有意な関係が見られること(特に人間開発指数の低い国々と紛争発生率との関係が注目される)、サハラ以南のアフリカの32カ国では1980年から2005年までの25年間で延べ126の紛争が発生しているとのデータ(本会合のコンセプト・ペーパーにおけるサキコ・フクダ=パー米ニュースクール教授らの研究チームのまとめたデータ)等に浮き彫りにされる厳しい現実に世界が直面していること、さらに、1994年、100万人にものぼる人々が大虐殺の犠牲になったルワンダで、紛争の兆候をある程度認識しながらも政策に生かせなかった経験に対し、国際社会が痛切な悔恨と反省の思いを抱いていること、等がある。多くの国で平和の定着が進まず、和平合意後もその半数近くが暴力的な事態に舞い戻るケースが多い現状に照らすと、このテーマは、「紛争後の平和構築」の推進という筆者の問題関心とも大きく重なっている。

各セッションでは、紛争要因の丹念な分析――紛争の構造的な要因(政治権力の集中・分権度の問題や所得・資源等の垂直的な不均衡に加え、民族や宗教等に基づくアイデンティティ・グループ間での「水平的な不均衡」の顕在化や人口動態の歪み〔特に若者人口の急増〕等)や国家の機能的な課題(政府キャパシティの脆弱性、国民との社会契約の崩壊、ジェンダー問題等)――やそれらへの政策的な対応が議論され、紛争の予防(あるいは再発防止)における開発協力の役割や国際協力政策の調和や統合のあり方が検討された。国別のケース・スタディもあり、朝から晩まで盛りだくさんのプログラムだった。

筆者の観点からは、紛争経験国や脆弱国家の抱える問題は、紛争の「原因(causes)」とともに紛争の「帰結(consequences)」によってもたらされる諸課題(治安の安定化や和解・移行期司法の問題に始まり、インフラの復旧・復興、元戦闘員の社会再統合、帰還難民・避難民への対応等を含む)があり、紛争予防や平和構築において、その両者に取り組む必要があること、その場合、多くの場面で政治や外交の要素が重要になること、そのために開発協力は必要条件であっても、それを補完する多様な政策的な取り組みが必要になることを強調した。こうした見方との関係では、平時のマクロ経済政策が紛争(後)時のそれとは大きく異なること、「貧困削減」に主眼をおいた従来の開発戦略に更なる見直しが必要であること、「開発協力」も従来の経済開発からより広い角度からの開発に目を向けるべきであること等の指摘があり、学ぶところが多かった。

「政治」ということでは、紛争予防や平和構築に向けた現地政府のコミットメントや国際社会のパートナーシップに向けた政治的意思が確認される機会もあって、意を強くした。また、いうまでもなく、紛争予防には「成功の結果が見えない」というジレンマが存在する。しかし、ある論者は、それを乗り越えても必要な投資をする「政治的な勇気」が必要と強調したことも印象的だった。

最前線にある援助従事者を含め、国際社会が「現地の社会的・経済的・政治的な動向に絶えず目を光らせ、事態悪化(downturns)の兆候を的確に把握すべし」との指摘には、紛争予防に向けた意識的な取り組みのエッセンスが凝縮されている。

開発や復興のための努力と紛争の原因や帰結の議論を連動させていくことは、平和を定着させるための「ギャップ」を埋め、様々な政策を統合的に実施するための戦略作りをするという作業にも結びつく。これは国連平和構築委員会の問題意識につながるものであり、今回の議論はニューヨークでの我々の活動にとって有益な示唆を提供した。

統合的なアプローチという点で、国家・政府レベルの政策のみならず人々のコミュニティ・レベルの暮らしにも目を向けた「人間の安全保障」の視点を取り込む意義も度々言及され、これは今回の会合で共有された認識の一つといえるだろう。アジア、特に日本の戦後復興の経験への関心が表明されたことも興味深かった。

貧困と紛争のサイクルを断ち切り、さらに平和を定着させるためには、人々が「希望」をもって生活できる政治・経済・社会環境が構築される必要がある。あるアフリカからの参加者が述べていたように、ポスト紛争国にとって紛争前の過去に立ち戻ることは決して解決にならない。それは、開発や復興、平和構築が希望の未来を構築する作業であることも意味しているのではないだろうか。

「元気なアフリカを目指して:希望と機会の大陸」は我が国が来年5月に横浜で開催する第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)の基本テーマだが、これは国際社会が現地の人々と協力し、「希望」を拡大していくニーズを反映したものと言えるだろう。
 
ウィルトンパーク会議は、今もロンドン郊外の広大な田園に佇む邸宅で行われている。その始まりは、1946年1月12日、チャーチル元首相のイニシアチブを受け、第二次世界大戦後のドイツの民主化に向けた英国のプロジェクトにさかのぼるという。ところで、国連は、1945年10月24日にその憲章が発効して正式に設立されたわけだが、その総会の第1会期と安保理はロンドンで開催されたという歴史のエピソードがある。試みに資料を調べてみると、ロンドン市内で、1946年1月10日に総会第1回本会議(セントラル・ホール、ウエストミンスター)が、1月17日に安保理第1回会合(チャーチ・ハウス、ウエストミンスター)が、それぞれ開催されたとあった。

今から60年あまり前、1946年1月のロンドンの市内と郊外とで、わずか数日と数十キロを隔てながら、グローバルと地域の両面で戦後の新秩序の形成をめざす事業が始まっていたことは感慨深い。そうした知的伝統を引き継ぎ、今日、新たな国際規範やアイデアをメインストリーム化し、それを実際の政策や事業へと結び付けていく活動を続けていく意義を改めて認識した。そして、国際社会の喫緊のアジェンダのひとつとして、アフリカの人々の「希望」を視野に、紛争予防や平和構築に具体的な成果をもたらすべく邁進していきたいとの思いも新たにしている。

2007年11月14日


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