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2008/7/3

代表部便り8 「横浜の奇跡-第4回アフリカ開発会議(TICAD?)の舞台裏」

森美樹夫(国連代表部公使参事官)


「それでは、ご出席の皆様の総意として、ここに『横浜宣言』を採択します」、福田康夫総理はこう言って、ちょっと気恥ずかしそうに議長席で木槌をトントンっと打ち鳴らし、会場は万雷の拍手に包まれた。

第4回アフリカ開発会議(TICAD?)に向けてこれまで準備を重ねてきた日本の関係者、アフリカ諸国、会議の共催者である国連、国連開発計画(UNDP)と世界銀行、そしてニューヨークから参加した国連児童基金(UNICEF)や国連人口基金(UNFPA)をはじめとする数多くの国際機関、更にはアジア、欧米からの参加者、市民社会、ホストとなった横浜市の関係者、全ての人々の思いが結実した瞬間だった。

平成20年(2008年)5月28日から30日まで、横浜で開催されたTICAD?には41名の国家元首・首脳級(ピンAU委員長を含む)を含むアフリカ51か国、欧米等の開発パートナー諸国やアジア諸国34か国、77の国際機関及びアフリカ連合(AU)等の地域機関、世界的なセネガル人歌手のユッスー・ンドゥールやU2のボノ、ノーベル平和賞を受賞したマータイ女史等の個人招待者、並びに民間セクターやNGO等市民社会の代表が参加し、史上類を見ない大規模な国際会議として成功裡にその幕を閉じた。

発行された会議用パスの数は、各国代表団、オブザーバーやサポート・スタッフ等の分も含めて約7,000枚にのぼったそうである。我が国での40名を超す首脳の参加する会議の開催も初めてのことなら、これ程大規模な国際会議を横浜で開催することも初めて。何もかも前例のないこと尽くし。

しかも、首脳級の参加したアフリカ40か国の内、13か国は日本に大使館を置いておらず、日本の勝手を知らない中で大会議に臨む面々で、受け入れ準備には皆少なからず不安を持っていた。

日本人流の正確無比な会議運営に時間の感覚が異なるアフリカからの出席者が皆ついてきてくれるだろうか。入念な準備プロセスを重ねてきたからと言って多様な参加国の間で内容のある成果文書をまとめきることができるだろうか。或いは、遠いアフリカの地から全ての出席首脳が予定通り横浜まで来てくれるだろうか。色々な不安を抱え、関係者の事前の心配は並大抵ではなかった。

実際、本国の政治事情の急変等を理由にして何人かの首脳が会議直前に出席を取り止めたケースはあったが、結局、会議はほぼ予定されたスケジュールの通りに進み、横浜宣言をはじめとする成果文書が無事にまとめ上げられ、参加したアフリカ各国からもおしなべて「今回のTICAD?はうまく行き、いい形で終わったというのがアフリカの指導者の全般的な印象である。

日本政府をはじめパートナーがしっかり準備して頂いた証左である。良好な関係を築いてきた日本のリーダーシップに感謝する」(共同記者会見でのキクウェテ・タンザニア大統領(AU議長)の発言)という発言が聞かれるに至った。準備を行ってきた外務省関係者の間では、誰が言い始めたともなく「横浜の奇跡」だという感想が洩れ始めた。

平成16年から3年間、外務本省でアフリカ第二課長としてTICADプロセスを担当してきた筆者は、今回、ニューヨークの国連代表部から一時帰国して会議開催支援に当たった。筆者の他にも、アフリカ各国の日本大使館や、ワシントン、ブラッセル、ジャカルタ等、世界各国の大使館から同僚が応援のために帰国、また、外務本省内からも精鋭が集合し、「ロジ隊長」を務めたのは筆者の同期の中・東欧課長だった。

この結果、総勢450名以上に上る会議支援体制が外務省内に立ち上げられたのである。その上に、議長を務めた福田総理、会議の全期間に亘り議長代理を務めた森喜朗元総理や日本・AU友好議員連盟の議員先生方、更には野口英世アフリカ賞授賞式にご臨席いただいた天皇皇后両陛下や同賞の生みの親である小泉純一郎元総理、また、中田宏横浜市長や会場のパシフィコ横浜の関係者の方々、警備に当たった神奈川県警をはじめとする警察関係者まで、文字通り日本を挙げての体制で会議は支えられていたのである。

筆者が外務本省でアフリカを担当し始めた当初はアフリカに対する日本国内での関心はまだまだ低く、報道関係の知り合いに一生懸命声を掛けてメディアで取り上げてくれるようお願いして回ったものである。また、筆者がニューヨークに来てから行った講演で、日本人の聴衆にTICADについて知っている人を聞いてみたら、パラパラと上がった手は3分の1程度だった。

ところが、今回、帰国してみると、TVのニュースは連日、TICAD?を取り上げているし、また、特集番組で現在のアフリカが抱える感染症や紛争問題、資源の現状や貧富の格差等を連日詳しく放映している。地元の神奈川新聞は相当の紙幅を割いてアフリカ特集をやっているし、これは全国紙各紙も同じこと。

更に、横浜のコンビニでは「アフリカ支援キャンペーン」と銘打ってTICADのロゴ入りのミネラル・ウォーターを売っているし、街のあちこちでTICADのバナーがはためき、会議前からそれこそ無数のアフリカに関係したイベントが打たれている。TICAD?親善大使を務める女優の鶴田真由さんは、TV番組やこうしたイベントで、アフリカの魅力からなぜ日本がアフリカ開発に取り組むべきなのかといった話題までを色々な形で訴えてくれた。

まさに、横浜が、そして日本のメディアがこの一週間はアフリカ一色に染まったといった風情は、ほんの数年前に比べて隔世の感があった。横浜の街のあちこちで「アフリカが横浜にやってくる」というポスターを見かけたが、TICADを東京以外で初めて開催したことに伴って、特に横浜の人々にとっては「アフリカ月間」の5月、まさにアフリカに触れてみる、良い機会となったことだろう。

こうした盛り上がりを一過性のお祭りに終わらせることなく、TICAD?の会議の場でアフリカ各国から示された日本や国際社会への期待感には、アフリカが抱える貧困削減や紛争後の平和の定着、エネルギーや食料の不足といった問題への対処といった形で応えていかなければならない。

「横浜宣言」に記されている通り、今回のTICAD?は、「元気なアフリカを目指して:機会と希望の大陸」というテーマの下、(1)近年、めざましい成長を見せつつあるアフリカ経済へのインフラや農業支援等による後押し、(2)人間の安全保障の概念を中心にした、国連のミレニアム開発目標(MDGs)達成のための取り組み(保健、衛生や水の分野での支援)、(3)紛争への後戻りを回避すべく平和の定着と平和維持のための支援、及び(4)気候変動の影響をまともに蒙っているアフリカ大陸での環境・気候変動分野での対策、の四つの分野で具体的な取り組みを国際社会に促すこととした。また、昨今大きな問題になっている食糧価格の高騰についても時間をかけて取り上げた。そして、日本と参加各国・国際機関が率先して取るべき対応を「横浜行動計画」の形で17ページ、120項目に亘って具体的に列挙し、実施していくことを約束した。

こうした支援を実際に行っていくため、福田総理の開会演説では、向こう5年で最大40億ドルの円借款をインフラ整備のためアフリカに提供すること、日本からアフリカへの投資を倍増するため国際協力銀行にアフリカ投資倍増支援基金を設け、この基金を含む国際協力銀行の対アフリカ金融支援を今後5年で25億ドル規模とすること、アフリカのコメの生産高を10年間で倍増させるための支援を進めること、そして、日本の対アフリカODAを漸次増加して5年後までに2倍とすること等を約束した。

筆者が国連で見ていて特に良く分かるのだが、日本が行う国際協力の約束がきちんと守られることについてはアフリカのみならずあらゆる被援助国の間で評判が高い。潘基文国連事務総長が良く使う、「言葉(約束)はもう要らない、必要なのは皆さんの行動だ」という表現に関して、日本は優等生である。

今回、福田総理は、アフリカ各国の首脳から「アフリカの父」と呼ばれて尊敬を集める森元総理に本会合の議事進行をお願いし、参加した40名のアフリカの国王、大統領、副大統領、首相全てと首脳会談を行った。これに加えてピンAU(アフリカ連合)委員会委員長やボノ、ゼーリック世銀総裁等との会談も合わせて行った会談の数は47。

2003年のTICAD?の時に小泉総理(当時)が行った首脳会談が24だったから、5年前の倍である。しかも、会談には前回よりもゆっくり時間を取って行うことにしたので、用意した会談時間はのべ12時間45分に上った。大記録である。

今回、筆者が担当したのが総理の首脳会談であったが、総理は「大変だ」と言われながら、淡々と、かつ時として軽妙なジョークも織り交ぜて文字通り楽しみながら、マスコミには「マラソン会談」と呼ばれた47件の首脳会談をこなされた。アフリカ首脳の中には訪日が初めてなら日本の総理と会うのも初めて、という大統領もいたし、予定の時間に会談が収まりきれず、議論が白熱して大幅に時間超過というケースもあったが、総理のお昼ご飯の時間が少し犠牲になった他はなんとか予備時間も含めた時間を大幅に越えることなく全会談をこなすことができた。

これだけ集中して、アフリカの各地域から満遍なく訪日した各首脳と会談を行った福田総理は、それだけでアフリカの事情にも相当詳しくなっただろうし、2日目あたりからは事務方の用意した発言用の資料を離れて、自らの言葉でアフリカの前向きな変化に対する期待を語り、或いは冗談の掛け合いで場を和ませておられた。また、会談相手からは日本のこれまでの支援に対する感謝の声や自分の国が現在抱える困難、更にはアフリカ開発の展望や国際社会全体が抱える問題への取り組み等、幅広いイシューが提起された。同席していた筆者にとってもこのような経験はもちろん初めてのことである。

福田総理はTICAD?から約1か月後の7月初旬、北海道・洞爺湖でG8サミットを主催する。今回のTICADの場でも、その成果をG8での議論につなげていくという福田総理の決意は、アフリカ各国の首脳に高い期待感をもって受け入れられた。5年に1回開催してきたTICADの年に日本がG8サミットの議長国になるのは、日本外交にとってもめったに回ってこない好機である。横浜宣言に盛り込まれたアフリカの成長に向けた支援の意気込みと日本の取り組みを、サミットのアウトリーチに参加するアフリカ諸国首脳と共にG8各国と幅広く共有し、今後の国際社会全体でのアフリカ開発の取り組みに反映させていくことが求められている。

TICADプロセスを通じた取り組みは、1993年の第1回目の会合開催から15年を数える。なぜ、日本がアフリカ支援に熱心に取り組むのか。会合後の共同記者会見に臨んだ福田総理は、中国への対抗意識や資源・エネルギーの確保が念頭にあるのではという質問に対して、「友人からの支援によって敗戦から復興した我が国は、『パートナーシップの重要性』を身に浸みて承知しており、知恵と経験の交流を図るパートナーシップの構築を重視し、政治・経済等幅広い分野における重要なパートナーであるアフリカと様々な面で協力関係を進め、長続きする関係をアフリカ諸国と構築してきている」と応えている。

一貫してTICADの基軸を成してきたコンセプトは、「オーナーシップ」と「パートナーシップ」。今回、「横浜の奇跡」を呼び起こしたのは、アフリカ諸国自身によるTICADプロセスへの期待感の表れ、まさに、アフリカ諸国のオーナーシップによるものなのであろう。

今後、TICADは、今回策定した「TICADフォローアップ・メカニズム」によって参加国の取り組みをモニターしていくこととなっている。9月の国連総会に際して「アフリカの開発ニーズに関するハイレベル会合」と「MDGsに関するハイレベル会合」を開催する、ここニューヨークにあっても、これは他人事ではない。筆者も、「横浜の奇跡」を噛み締めながら、全力でアフリカのオーナーシップに応えていく気持ちを新たにした次第である。