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2008/9/2

2008年度第4回国連研究プロジェクト研究会(議事録概要)

2008年度第4回国連研究プロジェクト研究会(議事録概要)
「『国家建設における民軍関係:破綻国家再建の理論と実践をつなぐ』を読む」

作成:都築正泰(東京大学大学院法学政治学研究科)




(研究会議事要旨)
冒頭、青井氏(青山学院大)と藤重氏(名古屋商科大)が『国家建設における民軍関係』の概要を報告。本書の共編者である青井氏からは、全体の構成や理論・分析枠組みについて報告があった。本書の第4章を執筆した藤重氏からは、治安分野における「民軍協力」の試みの現状とその課題について報告があった。

続いて出席者全員で自由討論。ここでは、近年「民軍関係」が議論される背景、民側要員のリクルート上の難点、さらに「国家建設」・「民軍協力」における諸課題について率直な意見交換が行われた。




1.出席者
北岡伸一(主任研究員)、青井千由紀(青山学院大学国際政治経済学部准教授)、小澤俊朗(内閣府国際平和協力本部事務局長)、坂根徹(東京大学大学院、日本学術振興会特別研究員)、滝崎成樹(外務省国連政策課長)、鶴岡公二(外務省地球規模課題審議官)、中谷和弘(東京大学大学院法学政治学研究科教授)、蓮生郁代(大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授)、福島安紀子(国際交流基金特別研究員)、藤重博美(名古屋商科大学外国語学部国際教養学科専任講師)、片山正一(東京財団研究員)、相原清(東京財団研究員)、鈴木真理(東京財団広報部)、大沼瑞恵(東京財団政策研究部)、都築正泰(東京大学大学院法学政治学研究科)

2.日時・場所: 7月22日18:30~21:00、東京財団A会議室

3.報告者:青井千由紀 氏(青山学院大)、藤重博美 氏(名古屋商科大)

4.配布資料:「国家建設における民軍協力」(青井氏報告レジメ)、「紛争後の治安回復・維持と民軍関係」(藤重氏報告レジメ)

5.報告
(1)青井氏報告
本書の目的は、「国家建設」における「民軍関係」の理論と実践をつなぐこと。ここで行う理論化は、既存のガイドラインを踏まえかつ現場の経験を組み込んで、実践と極めて密接にかかわるレベルのガイドラインあるいはドクトリンを作ること。本書のタイトルに「破綻国家」とあるが、定義は必ずしも容易ではない。ここでは、アフリカ諸国、バルカン半島、アジアの事例、さらにイラク、アフガニスタンといった多様な事例を念頭に置きつつ一般化を試みた。法的・歴史的文脈がそれぞれ違うとはいえ、これらすべてに共通する課題は「国家建設」、つまり現地の国民が正当とみなす国家制度・ガバナンス形態を構築、再生すること。「国家建設」はニュートラルな意味合いで使用。

本書は安全保障分野の研究成果としての位置づけも可能。我が国ではとかく「国家建設」は国連など国際機関の関心事、あるいは平和構築や開発援助の課題として認識されがちであるが、自国の安全保障上の課題としても活発な議論が必要。また、政策上の問題としての認識も必要。国際社会、国際機関に限らず、西側同盟国が日々頭を痛めている「国家建設」の問題についてより関心が持たれるべき。ここで強調したいのは、安全保障のアジェンダが冷戦後劇的に変化していること。我々の同盟国の一番の関心事は、極東の地政学もないわけではないが、やはり短期的・中期的にはアフガニスタンやイラクの安定化。そういう同盟国の関心の変化に対するセンシビリティーを持った理論や研究がより重要になっている。

本書の構成は、理論と事例研究の二本柱。理論については、執筆者の間で特定の見解に統一しているわけではなく、最低限の枠組みや仮説を受け入れた上で、各自がそれぞれ研究を行っている。理論の部分は最初の5章。さらに民軍それぞれの立場からの論考も含まれている。文民組織として、人道支援組織、開発援助機関、NGOを取り上げている。また、軍事組織としては、民軍協力の経験が豊富で理論化が比較的進んでいるNATOと米軍を取り上げている。事例研究では、カンボジア、東ティモール、コソボ、アフリカ、アフガニスタンを取り上げている。

本書の貢献は、民軍関係を国家建設の過程のなかで位置づけたこと。国家建設を紛争状態から平和構築への移行プロセスととらえて、そのなかで民軍関係の諸局面をハイライトすることがそもそもの関心。このような観点から事例を選んでいる。カンボジアや東ティモールは平和構築の段階にある事例として、コソボやボスニアは中強度の紛争状態の事例として。アフリカについては、平和構築と中強度の紛争の両方の事例がみられる。

今日注目されるべきは、非正規戦への対応と平和構築(建設)のプロセスが同時進行で進められているケース。イラクやアフガニスタンはこれに該当する。両事例に共通するのは、反乱鎮圧のための安定化作戦が展開されていて、また人道援助も開発援助の初期段階も一緒くたに進行している点。これまで主流であった考え方は、人道援助から開発援助の段階にかけての「継ぎ目のない援助」。今必要なのは諸段階の間の「隙間を埋める作業」が必要と言う視点。

なぜそもそも「民軍関係」を問題にする必要があるのか。今日我々が対応しなければならない戦争・紛争の性質に変化がある。新しい形態というわけではないが、内紛やゲリラ戦が今日の安全保障において割合重要な地位を占める。イギリス軍の著名な将軍、ルパート・スミス氏は『ユーティリティー・オブ・フォース』のなかで、今日の戦争を「人々のなかでの戦争」と概念付けている。つまり、現地の人々が居住するなかで、内戦や反乱、組織犯罪が起こっていて、このような状況下で軍隊が行動しなければならない点を指摘。このスミス氏の見解は本書でも共有されているもの。

このように軍事オペレーションの性質が変化しているわけだが、それによる活動上の影響として次の5点がある。

(1)主体の多様化。各国軍隊に限らず、民側も国連やNGOなど非常に多国籍な主体が平和活動に従事。軍側からみて民軍協力は必然であるとスミス氏は主張。しかし、民側には、伝統的な人道主義の観点から、軍と同一領域で仕事をすることに抵抗感を持つ人がいるし、一方で軍との協力をいとわないと言う人もいる。協力のあり方次第という人もいる。このような主体の多様化は、紛争に介入する際の共通の政治目的や手段、あるいはそもそもの紛争の解釈の共有をより困難にしている。つまり、民軍関係が複雑化している。

(2)戦争は戦闘によって勝利するものではなくなっている。

(3)今日の戦争は、人々の支持を獲得することが重大な戦略目的。究極的には、国際社会が支援する政府がいかに現地の人々が満足するようなサービスや公共財を提供することができるようになるかである。それにともなって外交、軍事、開発の3Dからなる「国家の力」の再検討をする必要がある。スミス氏が指摘しているように、軍事力の意味が変化している。外交の補佐という伝統的な概念はもとより、開発の進展を担保するためなどさまざまな「条件創設のための」軍事力という新たな概念化が必要。

(4)したがって、軍隊組織内部でインフラ再建など建設作業分野の専門家に対する需要が高まっている。予備役に依存する現在の体制では能力的に不足が生じていて、早急に組織レベルでの改善が必要。

(5)軍事組織の限界。文民の活動でなければうまくいかない領域がある。また、人道援助・開発の初期段階から平和構築の全体の過程において、早期から文民が関与することが重要。それは紛争下では基本的に民生が崩壊しているため。つまり、紛争即民生支援が必要と言うこと。しかし、紛争下では安全が保障されておらず、基本的に文民が入るのは困難。その場合、軍隊が初期段階で必要最低限の民生支援を肩代わりする。このような状況下で民軍調整の必要性が生じ、また、早期に軍事組織から文民組織への活動の移譲が課題となる。

冷戦後から今日に至る民軍関係の歴史経緯について。歴史的にみて、民生支援は軍事組織にとって戦時占領や軍施政の際に伴っていた作業で、決して真新しいものではない。植民地経営の経験がある国ではこの分野のノウハウが蓄積されてきた。しかし、第二次世界大戦後、冷戦になって超大国間の核を交えた対立が主流となると、民生支援への関心は低下。実際、各国の軍隊で民生支援を担当する部署は大幅に人員と規模を縮小。民事は受入国支援に限定された。

ところが、冷戦終結後、再び民生活動への関心が急激に高まる。その契機となったのは、北イラク、ソマリア、ボスニア。北イラクは冷戦後民軍調整への関心を高めた最初の事例。湾岸戦争後に当時のフセイン政権は少数派への弾圧を強めたが、北部に逃れたクルド族を保護する目的で多国籍軍が出動して安全地域を作った際、軍事活動と文民活動の間での調整が行われた。ソマリアでは内戦をきっかけにして起こった飢餓サイクルを阻止するために、アメリカ軍が統一タスクフォースを投入。この際には「民軍作戦センター」が設置されて、これが多国籍軍と国連、NGOなどとの活動の調整の場として機能。

ボスニアは非常に重要な事例。イギリス軍がCIMIC(民軍協力)の概念を体系化する一つの契機となった。中央ボスニアでは、規模や能力が限られたプレゼンスしかもたなかった英軍は自らの身を守る一つ手段として、「人心の掌握」を狙って学校建設など民生支援活動を展開。その後コソボ危機を経て、NATOにおいてもこの概念が体系化される。本書の第10章では、防衛研究所の吉崎知典氏がNATOにおけるCIMICについて論考している。また、国連では早期から紛争への包括的なアプローチの必要性が指摘されてきた。2000年のブラヒミ報告書で提唱された統合ミッション・タスクフォースや統合ミッションは統合モデルの流れを汲むもの。

9.11以降、民軍関係の複雑化が一般的に指摘されている。アフガニスタン、イラクで現在行われている活動の性質は反乱鎮圧・安定化作戦。軍隊は人心獲得の観点から民生支援活動を展開している。まさに、安全と復興は車の両輪であり、どちらが欠落しても人心を獲得することは難しい。このような状態下では民軍の分離は効率的ではなく、ここで民軍協力が作戦上必然性を帯びる。

一方こういった状況下では、文民組織側も活動のスペースを維持する上で非常に困難な状況に直面している。西側諸国に敵対する集団からは、支援の内容が西側のアジェンダと同義であるとの判断もされるであろう。例えば、女性に対する教育の推進に対して。NGOなどが中立性を強調しても、現在、人道援助要員は国連、NGOを問わずテロの格好の標的になっている。

本書の示唆について。民軍関係との関連によって、国家建設の本質的要素を明らかにしている。すなわち、現地政府の能力が抵抗勢力の力よりも勝る状態を創出すること。また、正当政府の統治、治安、経済面での能力を高める作業でもある。つまり、ウェーバーが言う政府による暴力の正当な独占を可能とする条件づくりと国民が正当とみなすに十分な基盤と能力を持った政治制度の構築。このような作業が相互補完的に行われるのが国家建設であると説明できる。

「強制力」の概念を再検討する必要性を提起。平和構築に必要な強制力にはグラデーションがある。掃討作戦から極めて文民警察に近い治安維持のレベルまで非常に幅広い。また、強制力を行使する目的が多様化。支援や国家建設のプロジェクトと軍事的要素との兼ね合いが問題となる。さらに、軍隊、文民警察、その中間的な機構にあたるコンスタビュラリーとの間でのすみわけも課題となる。このように、近年、強制力が使われる目的にも手段にもバリエーションが非常に出ている。

国家建設における「死活的領域」は次の5点。(1)政治的紛争の穏健化(暫定統治、憲法制定、議会選挙、戦争法廷・真実和解委員会設置などの制度支援)。(2)治安・公共秩序維持と同能力の育成(治安部門改革(SSR))。(3)法の支配の組織化(司法制度の構築、改革、強化)。(4)正当な政治制度と政治参加の育成。(5)社会経済復興と構造改革(健全な国家財政の建設・再建)。

民軍関係の留意点として次の5点を挙げる。

(1)主導権の分離。軍事組織と文民組織では指揮権が別個に独立。国家建設の活動全体に関わる統一された指揮権が欠如している。国連ミッションの場合、文民の事務総長特別代表(SRSG)の下で指揮権の統一が図られる。しかし実際には、軍事活動におけるSRSGの権限範囲は事例によって異なり一定ではない。

(2)統合モデルと分離モデルの2つが存在。前者は、国連や西側社会で主流のモデル。共通の目的のもとで活動する民軍がそれぞれの比較優位に基づいて役割を分担し協力しようと言うもの。一方、人道援助機関で根強いのは後者(文民モデル)。政治的中立性や人道性を重視。両者の間には非常な葛藤がある。

(3)同意の維持・獲得。現在の平和活動では、同意を変数として認識することが重要。同意には多面的な要素がある。紛争当事者さらに現地住民からの支持が必要。同意確保のために軍隊が依拠できる方法は次の2つ。強制力の行使と民軍関係の構築。しかし、それぞれに課題が多く民軍間の摩擦を深める。

(4)活動のすき間。治安と復興が密接に連結する今日の平和活動では、民軍間の役割分担が不十分な領域がある。ここに活動のすき間が生じる。新たな民軍間の役割調整が必要になるが、文民組織と軍事組織ではそれぞれに利害、能力、原則が異なるため非常に難しい。その他に「正当性のすき間」と「再建のすき間」もある。これらは国家建設の主導権を現地政府に移行していく過程で表面化する課題を示す。

(5)民軍共同訓練・計画・実施。国家建設の過程で生じる「すき間」を解消していく上で、より密接な民軍連携が求められる。民軍が共同で訓練、計画立案、実施、評価を行うインターエイジェンシーの体制構築が重要。現在、イギリス、オランダといった諸国では現実となっており、そしてアメリカでも具体化が進んでいる。しかしこれに対する抵抗感も根強い。

(2)藤重氏報告
本書の第4章における問題意識は、国際的に介入する側からみて、国家が実質的に崩壊した状態下で、治安回復・治安維持における民軍関係がどのように成立するのかという点。また、そこにはどういったギャップがあってそれを克服して行くにはどのような課題があるのか明らかにしたい。

民軍関係の概念化において留意するべき点。軍の側は区分が非常に明確であるが、民の側は非常に範囲が広く定義が困難。一般的に想定される民のアクターは、人道援助機関、NGO、国連関係者など。しかしこの研究では、特に治安維持に関係する民のアクターに焦点を置いている。その点において一般的な民軍関係とは多少文脈が異なるかもしれない。

第4章は本書の理論編(第1部「民軍関係の理論的考察」)のなかに位置づけられているが、実際には必ずしも理論的とは言い切れず、現実の問題を整理して紹介する程度のもの。おそらく本章で扱っている内容が軍にも民にも明確に分類できないため、編者の上杉氏と青井氏が理論編に本章を入れたのではないかと思う。

治安回復・維持における民軍連携の目的は、軍から民への継なぎ目のない協力状態を作ること。今日の問題点は、治安分野における文民の役割の重要性が一般的に認識されていないこと。軍隊、警察など実際に武器を持って治安維持に従事する組織の役割は重視されている一方で、それ以外の文民組織が果たす役割については十分に認識されていない。アフガニスタンやイラクが典型的であるが、当初の政策立案の段階では軍隊の役割ばかりが強調されて、後に文民組織の有用性が認識されるようになるが、その段階ではすでに遅く、なかなか治安維持が進まないのが現状。今後の戦略的な課題は、計画立案の段階から軍隊の活動を引き継ぐ文民の役割を考慮に入れること。

治安回復・維持における軍から民への継なぎ目のない協力を図示して説明すると次のようになる。まず、紛争強度(強:「治安回復局面」/弱:「法の支配」確立局面)と活動主体の性質(軍・民)の2つをそれぞれ縦と横の軸として考える。紛争強度が非常に強いレベルの際に治安活動の主体となるのは軍隊(平和強制・平和維持)。この段階は、国連憲章7章に基づく措置(平和強制)がとられるような状況で、治安分野で文民が活動することは現実的ではない。ある程度紛争が鎮圧されたところで、今度は平和維持軍が投入される。しかし、紛争強度が弱まっていくにしたがって、国際的に介入する側の強制力を下げていくことが望ましい。具体的には、コンスタビュラリー、文民警察、裁判所・刑務所という流れで徐々に文民組織の活動が主体になっていくこと。これは、国家が物理的暴力を正当に独占する状態を創出していく過程でもある。ウェーバーが言うようにこれが国家の最も基本的な機能で、この回復が肝要。ここで課題となるのは、軍から民への活動主体の移行がシームレスに行われていくこと。

治安維持における民側の諸アクターについて。文民警察は、冷戦後、国家建設を主目的とする平和活動が多くになるにつれてその重要性が認識されるようになった。冷戦終結直後の時期では、現地の既存の警察機構をそのまま活用して治安を維持する手法がとられていた。介入する側は現地警察に対してスーパーバイザー的役割を果たすのみ。しかし実際には、現地警察自体が特定の政治勢力と結託していて、紛争の主体そのもの。カンボジアはその典型例。警察組織が対立勢力ごとに分かれていて、せっかく国際社会が軍隊を出して介入して和平が達成されてもそれが長期的に維持されない状態が冷戦直後にはみられた。

このような経験から20世紀初頭には、治安部門改革(SSR)の重要性が認識されるようになった。国連が単に現地警察機構をそのまま使うのではなくて、一定の改革をした上で国内の治安維持にあたらせる。また、警察に限らず、裁判所や刑務所などの他の治安部門も一体的に改革することが近年重視されている。

コンスタビュラリーというのは、軍隊と文民警察の役割の間にあるギャップを埋める機構。近年非常に重要視されている。あえて日本語で訳せば、軍事警察あるいは準軍事警察隊。フランスでは「ジャンダラマリ」と呼ばれていて、陸海空に続く第四軍として位置づけられている。しかし、他の三軍と大きく異なるのは、相手にする対象が自分たちと同質の他国の軍隊ではなく、自分たちとは異質の他国の群衆。これを制圧することが主任務。軍隊を投入するほどではないが、紛争終結後の非常に秩序が安定していない状況下で活動する。最近、国連でも「フォームド・ポリス・ユニット(FPU)」と呼ばれるコンスタビュラリーがよく使われている。

治安回復・維持におけるシームレスな民軍連携を阻害する要因は何か。第4章では次の2点の「ギャップ」を挙げている(?「派遣ギャップ」、?「法執行ギャップ」)。まず、第一は、「派遣ギャップ」と呼ばれるもので、文民組織の展開速度が軍事組織に比べて遅いという点。治安回復局面においてはいかに迅速に軍事部隊や警察要員を派遣できるが安定化の成否を決める。有事に備えて日々訓練している軍隊のほうが文民警察よりもはるかに速く活動を展開することが可能。そもそも各国の文民警察は海外での治安維持任務を想定していないし、また余剰人員を十分に確保していない。さらに、個人単位での参加であるため、安全が確保されていない状況では任務への参加をちゅうちょする人員も多く、実際に部隊を編成して派遣するまでにはかなり時間がかかる。

その結果として、文民の参加が必要なタイミングで得られないという事態が起こる。やはりある程度治安が回復するまでは軍隊の役割は大きい。しかしその後も軍隊が駐留して治安維持にあたる場合、現地市民に対して不適切な行動をとる可能性がある。軍隊の基本的な行動様式は敵をせん滅すること。一方、文民警察は、軍隊とは異なり、相手にする対象は市民であってこれをせん滅することは目的とならない。警察が武器を使用する目的は、あくまでも犯罪者による武器を使った抵抗を封じること。軍隊が警察活動を行った場合、結果的に市民に対して必要以上に過激な武力行使を行ってしまう可能性がある。先ほど現在の平和活動の成否はいかに現地の民衆の支持を得るかであると指摘があったが、これでは民衆の信頼を獲得することは難しい。現在のイラクはその典型。

第二は「法執行ギャップ」。治安回復局面において、軍隊と警察のうちどちらが法執行業務を担当するのかが明確でないために、市民による暴動が放置されてしまう事態。一般的に軍隊は法執行業務に従事することには消極的。そもそも軍隊側も必要以上に現地の市民社会のなかで行動すれば反発が大きくなることを理解している。しかし、紛争終結直後の環境では、治安維持に第一義的に責任を負うべき現地警察が機能していない。このように、軍も民も法執行業務を十分に果たすことができない場合、結果的に治安を乱す行動が放置されてさらに治安が悪化する場合がある。以上のように、治安回復・維持におけるシームレスな民軍の役割分担はなかなか困難である。


6.議論
(1)「民軍関係」が議論となる背景
小澤   ルパート・スミス氏の『ユーティリティー・オブ・フォース』は、緒方貞子氏も推薦する本。この本を読んでユース・オブ・フォースの本質が理解できたと言われている。ぜひこの翻訳版が出版されることを期待したい。スミス氏が強調しているのは、平和構築の過程で軍隊が不適当な組織であること。時代の変化に最も対応が遅れるのが軍隊であり、特に装備の面でそれが顕著。しかし、他に適当な組織がないため、冷戦後たびたび投入されてきたわけであるが。
近年、民軍関係が非常に注目されるようになった背景にあるのは、コソボやアフガンの事例。平和の維持、国家再建の過程で軍隊がその特徴を生かした活動を行っても一向に事態が好転しない。したがって、ハーツ・アンド・マインズを勝ち取るために、軍がいろいろな事業を始めてしまう。これがNGOとの緊張関係をもたらす。一体どうすれば良いのかという問題提起がされている。

青井   国連は、豊富な現場での経験から民軍関係の知見を蓄積していて、制度的に改善を試みている。また、軍民の両方同時展開ができる組織は国連とEUのみ。西側諸国で民軍協力への関心が高まったのは、やはりアフガニスタン・イラク以降。ここでは、自分たちにとって脅威となり得る国をいかに脅威でなくすかが最大の関心事。西側諸国が自らの安全保障上のアジェンダとして行う議論。

小澤   しかし、アフガンでは局面が変化しているのではないか。確かに、2年前、一部戦闘部隊を抱え込んで展開するときにCIMICが必要だという議論が行われていた。しかし現在、戦闘部隊はアメリカやイギリスなど一部の国に限定されていて、その他の国は文民の活動を行っている。その文民を保護するために軍隊が活動する。具体的には輸送の面で。このようにみると、現在では軍と民は分離している。

青井   しかし、最近のアメリカをみても、いかにして文民を巻き込んでいくかということに苦心している。特に長期的視野からは、現在でもなお民軍協力は各国共通のアジェンダとしてあるのではないかと考える。

北岡   これまでは国家レベルで政軍関係が議論されてきたが、本書は、現代における軍事力と民間の関係という新たな視点が提示されていて興味深い。

蓮生   これまで政治学では人道的介入など理念の面での関心が強く、どのような条件のもとで介入するべきか、言わば介入のコストを分析する行政学的なアプローチはあまり見られなかったと思うが、どうだろうか。

北岡   簡単に言えば、介入が実現可能かどうか、あるいは介入が耐えられるコストか否かという視点での分析が重要なのであって、イラクの場合、アメリカはコストの計算を間違えたわけである。

青井   政治学でも当然のことながらオペレーション自体のコストに関心が持たれていて、さまざまな国家建設の事例があるなかで分析が蓄積されている。介入に対してどれくらいコストが使えるのか、それがどのような観点から正当化できるのかについては各国ごとに議論が異なっている。

(2)民側要員のリクルート上の難点
小澤   最近の大型の多機能のPKOでは、できる限り軍隊ではなく警察を派遣するほうが好ましいと言うことで、現在、警察が1万人規模で出ている。ところが、事務局の側から見ると、これには非常に負担の大きい作業が伴う。年中人事をやっている状態。通常、警察は部隊として行動しない。1年を期限とする個人単位での募集によって部隊を編成し派遣している。今後、警察人員の派遣がさらに拡大していくとは考え難い。結局、やはり軍隊を使うということになるのではないか。最近、リベリアにインドが女性警察部隊を派遣したが、これは数百人単位であり人事は容易であったと思うが。
     また、欧州の国々では、NGOよりも政府関係者・法曹関係者(裁判官、刑務官、弁護士など)を派遣することが重視されていて、そのための法制が整備されている。ロスターで一定のリストを作成して、それを管理する人が国連やNATO本部、EUに行ってわが国にはこういう人材がいますよとマッチングする。そのマッチングに基づいて民側要員を政府派遣する。例えば、デンマークではEU経由でアフガンに人材を送っている。日本でも一部の議員がこのような手法の導入を提案しているが、現在なかなか浸透していない。

藤重   国連の場合、政府派遣として法曹関係者、特にシビリアン・ポリスを送るのは非常に難しい。弁護士、裁判官、刑務官などは、あくまで個人ベースで普通の国連職員として募集が行われている。政府に対して一括でこういう人材が欲しいと国連から募集が行く形にはなっていない。

(3)国家建設、民軍協力における「内」と「外」の諸課題
北岡   本書を読んでみて、国家建設のケースは非常に多様ではあるが無限ではないという印象を持った。それぞれのケースで何が根本的な問題か、またどのような処方せんが有効なのか十分に検討することが必要。具体的には、紛争の類型、またネーションフッドの存在を見極める必要がある。特に後者については、どのような区割をすればネーションフッドがうまく保持されるのか、また、外からのイニシアティブでどのようにすればそこで一定の社会正義が実現されるのか検討する必要がある。しかし、そもそもそれは現地の国民がオーナーシップを持って取り組むべき課題であろう。

藤重   確かにネーションフッドを外から創出することは難しい。例えば、SSRが国家建設に直接的に寄与するとは言えない。しかし、国家の分断を拡大する要因を軽減する程度の効果はあるのではないか。一国のなかで複数民族が存在する場合、その民族ごとに警察が存在することが多い。日本を例にすると、政党ごとに警察がわかれているような状態。SSRの意義は、民族的あるいは政治的な分断を断ち切って、国家全体の利益、公益を守る警察に改革していくこと。それによってネーションフッドの保持を阻害する要因を減らしていくことができる。しかし、SSRには次のような2つの難点がある。第一に、紛争状態にある国では暴力と政治権力が非常に近い関係にある。それゆえ現地の政治権力がいくら外から圧力を受けても自ら積極的に治安分野の改革を行わない。第二の難点は、紛争国の政治権力者は短期的に治安状況を改善することに関心が強く、長期的で時間がかかる治安部門の改革には消極的。

北岡   外から介入しようとすると、必ずと言っていいほど現地のスポイラーがこれを利用する。例えば、スーダンでは国連PKOが「新たな帝国主義」であると喧伝されている。現在進んでいる大統領に対する逮捕状発行の動きにもたいへんな反発が予想される。外からの介入に対して、フィールドでハーツ・アンド・マインドを獲得することは重要ではあるが、実際には非常に難しい。現地で国連PKOに対する世論調査をもっと実施すべきではないか。不完全な調査になるが、国際社会の介入に対する現地の国民の認識の変化を明らかにすることができるかもしれない。その変化というのは、介入する側が現地の人々に対してどの程度効果的なパブリック・リレーションズを行っているかによる面もあるだろう。

青井   シニカルな見解かもしれないが、西側諸国は被介入国のオーナーシップを考える以前に、自国にとって脅威ではない国に変革することを優先する。確かに「新帝国主義」というレッテルは当てはまるかもしれないが。
     それからパブリック・リレーションズについては、世論調査などする財源や人材は確保できるのだろうか?先述のスミス氏の本のなかでも指摘されているが、軍隊はもちろんのこと、まずもって文民の側が既存の軍事力の考え方から脱却しなければならない。軍隊が古いドクトリンと機材のもとで動いていると先ほど指摘があったが、軍事力の役割と限界が社会の側で注意深く検討される必要がある。

北岡   そもそも軍隊は極限状態に備えたもの。平時での対応が二次的になるのはやむを得ない面もある。また、国家建設の過程で徐々に軍隊から文民警察にレベルを落としていくことは望ましいが、抑止力として軍隊が存在する意義がある。実際に戦闘するわけではないが、いざ何かあれば強制力を行使するぞという意味で。だからそう簡単にレベルを落とせないという現実がある。ISAFを視察した際に印象的であった点であるが、軍隊は重装備を持っているが平時ではそれを表に出さず、パトロールを平服でやる。つまり、安全であると誇示するわけである。このような気配りが随分と行われている。

青井   ただ、歴史的に安定化や建設を仕事とした軍隊はあった。また、米軍などでも、現在では安定化活動についても戦闘と同格の重要性が認められている。

小澤   PKOと多国籍軍の役割分担には種々の形態がみられるが、非常に興味深い事例は東ティモール。そもそもPKOであったのが、多国籍軍、PKOに変わってきた経緯がある。現在は、国連PKOと多国籍軍の両方が展開。前者は警察が中心で、後者は豪州軍とニュージーランド軍が主体。多国籍軍は基本的に何もしていない。何かあるときのバックアップとして安心感を与えている。それではなぜ多国籍軍は国連PKOの枠外にあるのか。豪州軍がその枠内に入ることを拒否したと言われている。

鶴岡   当時、軍隊の駐留継続・増強は、東ティモール政府側の要請と言われていたが、実際には現地の国連が望んでいたこと。まさに抑止力としてあるいは有事の際のバックアップとして国連側が自前の軍隊を持ちたがっていた。しかし、豪州はこのような形で自国の軍隊が使われることに反対していた。しかもその時点で今後何千人もの人々が殺されるような事態は想定されていなかった。私自身、当時、PKO自体引き揚げる時期であると思っていたし、軍隊の駐留継続の議論には疑問を持っていた。そこで、明らかに国連側の圧力があったと考えられるが、当時のラモス=ホルタ首相が国連や関係諸国に書簡を出して軍隊の駐留継続と増強を要請した。そのなかでも反対していると、東ティモールに深く関与している日本政府がなぜ反対するのかとニューヨークで随分批判された。結局、最終的にPKOの枠内ではなく、多国籍軍の形で豪州が東ティモールと合意した上で残るのであれば、それには反対しないということで合意が成立して現状に至っている。
     国際社会はこれからどこまで世界の治安維持を担当しなければならないのだろうか。東ティモールで殺人事件がゼロになることが必要だと言われても、そこまで国際社会は面倒見切れない。ところが、現在の国際社会は実際に負担できる以上のことを進んでやろうとしている。必要な資源や人材を十分に確保・育成しないままで。できないことをあたかもできるかのように決議案をどんどん書いて、共同提案国を募り、もしそれに乗らなければあたかも非文明国であるかのように言って相手を批判する。これは非常に傲慢な姿勢ではないか。できることとできないことの間には冷静な判断が必要であり、また謙虚さも必要。残念ながら現在ではこのような立場は主流になっていない。
さらに問題なのは、途中で飽きてまた流行が去ると撤退してしまうこと。しかし、完全に撤退することはない。その背景にあるのは介入自体の産業化。例えば、一部の途上国ではPKOを出し続けていることで軍隊を維持している。ところが、このような本音ベースの話はなかなか表に出ない。結局、表に出していい議論だけでやって行くと、問題の本質に触れない処方せんを書いてしまう。もう少し本音ベースでの議論が平和構築委員会などでなされるべきではないだろうか。ちなみに、ブラヒミは平和構築委員会を作ることに対して一貫して反対していた。あれほどPKOに精通していて様々な任務をこなしてきた彼であるが。

滝崎   いろいろな試みがなされることが重要で、平和構築委員会はそれ自体良い試みであると思う。しかし、現状は、この1年日本も議長国として努力してきたが、世間の期待とは裏腹に、いつ有名無実化するか分からない状態。折角設立したのであるから、少しでも役に立つものとするよう日本としても引き続き努力していきたい。

鶴岡   産業化というのは揶揄して言っているわけで、もちろん人権や民主主義を軽視するわけでもない。国際社会が介入すること自体決して無駄ではない。重要なのはできるだけ少ないコストでやっていこうという姿勢。現在国際社会で行われている議論に日本として独自の視点を加えることが重要。例えば、「人間の安全保障」と言うのは一人一人の能力を高めていくことであると強調し、そのためには最低限こういうことをやっていこうと提案していく姿勢。それを理論化する際、こういう国家体制でなければいけないとかいうような前提を持ち出すべきではない。

北岡   私自身は、産業化を理由に国連PKOをとがめるというよりはサポーティブな立場をとる。やはり他の国を変えることには限界があるが、一定の範囲で国際社会が介入することは必要。本当にひどいことが起これば国際社会は介入するべき。しかし、なるべく早く引き揚げることが重要。根底から紛争国を変革していくことは「神をも恐れぬ」わざであるし、お金が際限なくかかり非現実的。「人間の安全保障」の根幹にある考え方は「自助」。国際社会がどこまで関与できるのかという領域と現地の国民のオーナーシップとの間の衝突、矛盾をどのように理論的に整理していくかが今後重要になるだろう。