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第8回国連研究プロジェクト研究会議事概要「ジャン=マリー・ゲーノ前国連PKO担当事務次長との意見交換会」

August 20, 2010

第8回国連研究プロジェクト研究会議事概要「ジャン=マリー・ゲーノ前国連PKO担当事務次長との意見交換会」


1.出席者

北岡伸一(主任研究員)、池田伸壹(朝日新聞社経営企画室主査)、兼原信克(外務省欧州局参事官)、紀谷昌彦(外務省国連企画調整課長)、小林賢一(外務省国連政策課長)、高見澤将林(防衛省防衛政策局長)、鶴岡公二(外務省国際法局長)土井香苗(ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京ディレクター)藤重博美(法政大学グローバル教養学部准教授)、渡部恒雄(東京財団研究員)、赤川貴大(東京財団研究員兼政策プロデューサー)、國仲真一郎(東京大学法学部4年)

2.報告者 Jean-Marie Guehenno 氏 基調講演

冷戦後の一時、世界には「全ての問題は国連安保理によって解決されるだろう」というある種の楽観論が存在した。事実、冷戦構造の下では安保理の機能は大きく制約され、その制約が取り払われたがゆえに平和維持活動の範囲が拡大した。カンボジアやモザンビーク、エルサルバドルなどはその成功例と言えるだろう。しかし同時に、旧ユーゴスラビアやソマリアなどの事例も忘れてはならない。1998年における風潮は「国連安保理による平和維持活動はその役割を終え、地域機構にその座を譲るべきだ」といったものだっただろう。1999年には、それまで拡張の一途をたどっていた国連の平和維持活動は縮小の傾向を示し始めていた。現在問われているのは、コンゴやスーダンなど不安定要素が多く残っている中でもこの縮小傾向は続けられるべきなのか、というものである。私はそれには賛成できない。

現在の平和維持活動には、主に3つの課題が存在する。

(1)リソース面での課題:最も頻繁に議論されている課題。兵員や警察官、専門家をどのように調達するか、といった問題である。主な先進国においては冷戦終結後軍の縮小が進んでおり、インドやパキスタンといった南アジアの諸国の兵員に頼らざるを得ないという状況がある。警察官に関しても、各国がテロ対策に重点を置いているために海外任務への派遣を渋りがちである。また警察官や兵員の品質の問題だけでなく文民のキャパシティに関しても問題があるのが現状だ。
(2)加えて、政治的な面についても問題がある。現在のように、いくつもの任務が同時進行で行われている中、政治的なフォーカスをどこにおくのか、という点にも注意を払わなければならない。それぞれの任務、それぞれの紛争に関してはひとつひとつに相当の政治的注意を払わなければならないが、安保理がそれに耐えきれず悲鳴をあげている状況がある。平和維持活動と平和構築ミッションの関係性もあいまいなのが現状だ。個人的には、安保理改革がなされない限り安保理と平和構築委員会の協働は困難であろうと考える。また困難ではあるものの、分担金などに考慮したうえでの、総会を含む国連全体での改革も必要となるだろう。
(3)概念(concept)の面での課題:我々は平和維持活動に関する伝統的な原則(当事者の同意、中立impartiality原則、自衛時のみの武器使用)が現代でも適用可能だと考えがちである。しかし実際はそうではない。武装した民兵集団を攻撃する際にはどうなのか? 国連が伝統的な役割を越えるような存在になることを求められている今、中立性はどう考えるべきなのか?また「安定化」とは何を意味するのか?中国が積極的になっている今、安定化とは民主主義を確立することなのか?法の支配なのか、それとも権威主義でも安定化と言えるのか?国連は主権国家によって構成される組織であって、常に各国家の国益によって影響を受けざるを得ない。しかしそれは権威主義的な国家の“いいなり”に国連がなっていい、という意味ではない。

我々にはいくつもの課題が課されている。どうやって人員や装備を調達するのか。どうやって各ミッション間の調整を図り、効果的なものにするのか。そして我々の最終的な目標は何なのか―――「ブラヒミ・レポート」で提示された結論よりも、我々は先に進まなければならない。未解決な課題に直面している時に、過去の悲惨な体験を引きずって後退するのは最も避けなければならない事態である。野心的すぎず、しかしながら課題に背を向けることのないような結論を見つけなければならない。安保理はイラク戦争時よりは改善しているものの、依然としてまとまっているとは言えないと思う。

3.出席者による自由討論

Q(北岡):近年成長している国家は国際社会や国連に対する責任を果たそうとしない傾向が見受けられ、逆に小さな国家は国連に過度な期待を持っているように感じる。このような状況下で、誰が国連に対して責任を持てばいいのか?この側面から考えるに、国連のリーダーシップが非常に重要であると思う。

Q:冷戦後、我々は多国間の、地球規模の組織によって「黄金時代」のようなものが到来し、障害はすべて取りさらわれた、といった楽観論に満ちていたように思う。しかし国連は、共有できる目標を設定することが出来ずに今日まで来てしまった。たとえばある部隊が動員される際には、それは現場からの緊急な要請があったからであって、部隊派遣によってある目標が達成されるべきであるという合意が存在するから、という視点からではなかった。
資源の動員に関しては、Guehenno氏がおっしゃったように、よりコストがかかるようになってきている。各国が発展しているという要因も当然あるが、その他にも過剰な拡大という問題もある。
品質の高いサービスを各加盟国から確保するに当たっての困難さ、そして経済的な資源の確保においての困難さは、加盟国に共有される目標に関する議論を国連が避けてきたことから来るのだろう。たとえば、法の支配と言った時には最低でも192通りの定義が存在する。民主主義でも同じことが言えるだろう。国連はこの種の議論を避けてきた。これらの議論が何の結論にも達することなく、何らかの定義を国連決議で出すことなど不可能であることを見越していたからだ。すべては最終的には「国連憲章の理念に基づいて」という言葉で片付けられてしまう。これを一歩先に進めることは、当然コンセンサスを得ることを困難にしてしまう。しかし国連はこれを始めなければならない。中立性のある機関こそが、唯一この提示をできる機関なのだ。我々はより明確な、共有可能な目標を定義しなければならない。そしてその目標達成が危機にさらされた時には、あらゆる資源を動員しなければならないことに疑いを差し挟む余地はないだろう。「誰が何をできるか」という議論は行われてきたが、それが「何のために行われるのか」という点に関する議論を国連は無視しがちであった。「何のための」という議論は混乱するし、地元政府や土地の人々、スポンサーの意見を聞かなければならず、皆が合意できるような文言を作ることが非常に困難になる。そしてこの政治的な困難さは、得てして「難しい問題にはタッチしない」というある種官僚的な結論を導いてしまう。しかしこの対応こそが、過剰拡大という事態を招いたのだろう。
緊急事態には当然何らかの(応急措置的な)対応をしなければならない。しかし、そのような事態の再発を防ぐためにこそ、我々が合意できる、明確な方法で定義された目標が示されなければならない。このような目標があれば、事態の発生ごとに議論を行う必要がなくなる。

A(ゲーノ):残念ながら、私も鶴岡氏の議論に同意せざるを得ない(笑)
おっしゃったように、現段階では議論を深めようとする意志はあまり見られない。しかしより実際的な事例に即して、何らかの対応がなされると期待している。スーダンの分離に関して、来年確実に危機が訪れるだろう。このような危機においては、加盟国は何らかの姿勢を示さなければいけないからだ。スーダンにとっての「安定化」とは何なのか、という議論などが行われるだろう。概念的、抽象的な議論よりは、より実際的な議論の中から何らかの結論が生まれてくる。しかし当然、事例を検討する以前に概念的な思考をめぐらさなければならないことは言うまでもない。そして異なる視点を持った国家と話し合うことも必要になってくるだろう。

Q:平和維持活動に関して、現実に発生している事態への適用と共に必要なのが上からの知的なリーダーシップであると思う。
平和維持ミッションの重要な要素、たとえばミッションの最終段階における選挙の実施などが、人々に対して説得力を失ってきているのではないか、と感じる。これは平和維持活動に関する真剣な議論の欠如が招いた帰結ではないだろうか。

A(ゲーノ):選挙の問題に関しては、北岡教授に同意する。選挙とは勝者と敗者を分けるものであり、その結果の実行において確固たるものでなければならない。我々は選挙を選挙そのものだけで民主主義をもたらすものであると考えがちだが、より広い文脈、より広い取り組みの中での一環としてとらえるべきである。政党制度、パブリック・ディスカッションの仕組み、そして国家制度そのものなどにも考慮を払わなければならない。また、選挙制度に関しても検討を行う必要がある。
たとえばコンゴの事例を見ても、憲法の国民投票は膨大な条文に関するもので、民主的なものとは言えなかった。大統領選挙に関しては大統領に正当性を与えるという役割を果たした。しかし、これはバランスを失したものである。本来民主主義とはよりローカルなレベルから発生し、徐々に国家レベルへと拡大するものであるが、コンゴにおいては地方レベルの選挙は行われたことがなかったのである。アフガニスタンにおいては、選挙の実施よりも世界銀行によるプログラムの方が民主主義の定着に効果的であった、ともいわれている。また、コンゴの例に戻ると、議会などの国家機関が整備されたとはいえ、行政がうまく機能していない。これでは空回りする車輪であって、現実に即していない。ドナーはこの状況を見てさらに消極的になり、ある種のシニシズムをも招いてしまう。
私は選挙の有効性を否定するわけではないが、選挙の実施だけをひたすらに目指すことは非常に危険であるとも思う。さらに司法の面においても、我々は国際司法に資源を投入し過ぎるあまり、ローカルな司法制度の構築を見過ごしていたと言えよう。

Q:ジャスティスの問題はどうだろうか。スーダンの大統領を逮捕することが、「安定化」に寄与するだろうか?

A(ゲーノ):それについて語るのは早計であろう。逮捕状の発給が状況の好転に導くかもしれないし、逆に政府の態度を硬化させ、和平プロセスに悪影響を与えたとして後世非難されるかもしれない。ただし安保理などの対応には不備があったように思う。もしかしたら中国は、司法は自分たちの国で動くように国際社会でも動くと考えたのかもしれない。(笑)しかしそれだけではなく、メンバー各国は、司法を圧力の一環としてしかとらえていなかったのだろう。しかし司法をそれだけで論じることは、司法、そして平和の価値を貶めてしまう。
そしてその判断が不可逆的なものであるからこそ、現在スーダンの問題は膠着してしまっている。本来この問題を解決するには交渉と対話が必要なのだが、交渉相手を虐殺の首謀者と言って交渉ができるわけがない。

A:教授がPKO局長当時、PKO要員によるセクシャル・ハラスメントの問題を取材し、国連本部から報道せざるをえなかった。その後、ハラスメントや性的虐待の対策は進んでいるのか?またそれを報道していた当時の一部英米などのメディアの姿勢は、国連に対するバッシングであったととらえているのか?

A(ゲーノ):メディアの考えることは多種多様であり、中には国連をよりよい組織にしたいと考えて報道している人もいれば、国連叩きを行っているだけの人もいた。しかし私としては、国連は透明性を高めなければならない、と思っている。そしてそれは部隊派遣国に、彼らの部隊が誠実に行動するように、という圧力を与える口実となる。規律の問題に関しては、本質的には指揮命令系統の問題だ。
私は英国においてのある調査結果に触れて衝撃を受けたのだが、その調査では英国という優秀な警察組織を持つ国において、性犯罪が最も有罪判決が出る率が低いという。被害者がなかなか訴え出ないという原因があるそうだ。病院も警察組織も発達している英国でこれである。途上国や紛争国においては、病院もないし、警察も信頼できないことが多い。そのような国で性犯罪を防止する為には、指揮官がそのための部隊指揮を確実にしなければならない。そしてそのために、部隊派遣国の協力が不可欠なのだ。強い規律がなければ不祥事が起こる、というのは論理的な帰結である。
対策が進んでいるのかという質問に対してだが、ある程度は進んでいると考える。情報が上層部へ伝わりやすくなり、途中で握りつぶされることが少なくなった。ただし、本音を言うと、より高いレベルでこの問題への関心が共有され、対策がとられることが必要である。たとえば軍法会議を、より現場に近い活動地域に設けることなどである。また著しい不正があった舞台は本国に送還し、司令官を処罰することも考えられる。しかし平和維持ミッションに関して、人材は完全な売り手市場であり、部隊派遣国にそれを伝えるのはたやすい作業ではない。本来は何らかの対策を執らないことこそがその国の名誉を傷つけることなのだが、そうでなく、問題を指摘されたことで気分を害する国もいくつか存在する。

Q:文民の保護という側面で、国連分担金の大きな負担国であり、また特別な役割を持っている日本がどのように今後貢献して行けばいいとお考えか。

A(ゲーノ):日本は今までも「人間の安全保障」という概念を発達させるのに多大な貢献をしてきました。この概念は文民保護というものに非常に近いものです。国連は人々を守るために存在する機関ですが、日本政府には、この概念を説明する義務があると思います。
1点目は、「人間の安全保障」という概念が物理的な文民保護というものを連想させるという点です。これは紛争直後の国においては膨大な任務です。ニューヨークという秩序だった、インフラの整った平和な街においてすら、8百万人の住民に3万5千人の警察官がいるのです。紛争後の国においては秩序などないし、警察も法体系もうまく機能していない。このように、物理的な意味での文民保護という文脈でこの概念を用いているなら、それは国連に過剰なものを求めていることにほかなりません。
2点目は、文民をある種受動的な対象として見ていると捉えられかねない、という懸念です。文民保護とは、文民のエンパワーメントとして考えるべきです。彼らが自らの将来について責任を持つようなものです。そうすることによって、社会によっても、彼ら自身によっても保護されるのです。

Q:治安セクター改革に関して、2点伺います。
1999年以降治安部門改革に関しては議論がなされてきたものの、必ずしもすべてが成功であったとは言えないと思います。問題は、治安セクターという社会の幅広い面に関係するものであるにもかかわらず、効果的な調整が行われてこなかったことにあるのだろうと考えています。その面では国連という最も総合的な国際組織による治安セクター改革は有用なのですが、それもうまくいっているようには見えません。なぜでしょうか。
2つ目の質問として、国連の人々がどれほど真剣に治安セクター改革に取り組んでいるのか、という点です。

A(ゲーノ):来週に治安セクター改革に関するワークショップがあるので、そこでの議論を踏まえて二つ目の質問にお答えするとしましょう(笑)
治安セクター改革が進みにくい理由にはいくつかあります。
?治安セクター改革に関しては、ほとんどの国が多国間ではなく2国間関係に留めたい、という希望があります。それは政治的な影響力の行使にとって重要な手段だと考えられているからです。コンゴにおいてはベルギー、南アフリカ、フランス、アンゴラ、EUがそれぞれの治安セクター改革の案を持ち、調整がまったく行われていなかったのです。
治安セクター改革は「誰が銃を持つのか?」という、権力の中心的な部分に関係するものです。高度に政治的な問題であり、紛争直後の国家にとっても、また治安セクター改革に貢献しようとする国にとってもデリケートな問題です。
?治安セクター改革に関する長期的かつ知的検討が行われていない、という現状も問題です。治安セクター改革に関係するのは主に国防省ですが、彼らはあたかもそれが普通の国家との軍事交流と同じものであるかのように治安セクター改革を考えてしまいます。陸軍海軍に対する軍事訓練、武器の売却など…しかし実際にはこれら正常に機能する国家における「治安セクター改善」と、紛争後の国家における「治安セクター改革」とは別個のものなのです。コンゴ民主共和国における治安セクター改革は、司令官をどのようにして採用するか、というところから始まったのです。誰が司令官で、誰がそうではないのか。兵員が隊列を組み、どのように銃を扱うか、という訓練だけでは治安セクター改革とは言えません。ただ単に、人殺しのプロとして銃をうまく使えるようになるだけです。しかし、我々は後者として治安セクター改革をとらえてしまいがちなのです。
私がある時アメリカ国防総省の人間と話をしていたのは、コンゴ民主共和国においてLRA掃討の為の部隊を訓練するプログラムに関してです。私は彼に、強力な部隊の提供は先方の大統領への大きな政治的なプレゼントである、と言いました。強力な部隊は大統領の命を保障してくれるからです。それが悪いことだとは言いませんが、「治安セクター改革」の政治的な側面にまで考慮したうえでこのような行動はとられるべきです。国防総省の彼は、あくまでも軍人としてのものの見方をしていましたからね。
警察組織の改革に関しては、国連にはボスニアなどでの経験があります。しかし軍隊の改革に関して、国連には経験がありません。また加盟国も、国連にそれを委ねることを避けたがる傾向にあります。将来的な相手国への影響力確保の手段として軍隊の改革を利用したいからです。現実的に、この領域で国連ができることは小さいでしょう。
治安セクター改革に関しては、国連は調整役としての任務があります。治安セクターに関しては、財政的な面からの持続性、政治的な側面から見た要素です。また、DDRを行った場合には元兵士たちはしばしば治安セクターへと流入します。彼らに一般の職業訓練を行うことは不得手なのです。しかし治安セクターの拡大は、それを維持することを困難にするというデメリットがあります。また治安セクター内にかつて反乱軍だったような人間が入り込むわけですから、信頼感が下がってしまうという懸念もあります。

Q:政治レベルの関与を強化する必要性について、具体的にどのような方策がとられるべきなのでしょうか。考えられる方策としては、事務局や事務総長の権限強化、安保理の強化などがあるでしょうし、日本としての関与を強化することも考えられます。

A(ゲーノ):PKOの拡大には慎重になるべきでしょう。もし拡大するのであれば、そのミッションを最後までサポートするという姿勢が各加盟国に必要です。そしてミッションを考えるに際しては、どの国がリーダーシップを取れるのかを明らかにしなければいけません。有志連合の形を執るような場合もあるでしょう。しかし、どのような場合でもその事案に利害関係を持つ国が、見通し、最終的な目標などをしっかりと立てなければなりません。これは何も安保理という枠に限った話ではなく、アドホックな枠組みでも必要なことです。危機に対して、常に政治的なアプローチをしていなければなりません。問題がどう進んでいくのか、関係アクターの望むことは何か・・・このような分析をしなければなりません。
地域機構に関して、私は彼らがPKOの拡大への対処という課題に関して何か答を与えてくれるという見方には懐疑的です。国際機関というものは、得てしてそれを構成するグループよりも弱体であることが多いのですが、それは主権国家に存在するような共通の目標が存在しないからなのです。国連の場合には、日本やアメリカ、ヨーロッパ各国の様に政府の機能や財政が整っている国があり、彼らは国連の支出などに関して厳しい目を光らせています。しかしアフリカ連合においては、そのような国は多くありません。アフリカ連合のガバナンスは加盟国のガバナンスを反映するもので、それは加盟国以上のものにはなりえません。ですから、安易に地域機構に頼ろうとする動きには非現実的だと思います。時には政治的なサポートを得るのに有効であることもありましょうが、彼らに多くを期待できると考えるのは幻想です。

Q:中国やロシアが平和維持活動に参加するモチベーションは何なのでしょうか。

A(ゲーノ):ロシアに関して言えば、彼らは主に国連のロジスティックスの面に関心が強いようです。政治的な側面に関して言えば、ロシアは自らの利害にかかわる事項以外に、平和維持活動への強いビジョンを持っているといは言い難いのが実情です。コソボやグルジアに関しては活発であるものの、その他のミッションに関しては消極的ですね。
中国に関してはまた別の議論をしなければなりません。私は中国に平和維持活動への関与を強めるように言ったことがあります。それによって他の常任理事国にも同様の圧力を与えられるからです。日本に関しても同様のことが言えますがね(笑)
中国においては、平和維持活動に関して異なる二つの見方があるように感じます。中国の外務省は、平和維持活動により関与を深めたいと考えています。国際社会に貢献し、よいメンバーとしての地位を確立するということや、二国間での中国の政治的影響力確保の手段として考えているようです。彼らはこの側面で利益を見出しています。片や国防省は、犠牲者を出すことに関して非常に強い危惧を持っているようです。また平和維持活動がより実効性を強めている現在において、中国軍が「人々に銃を向ける軍隊」として見られることをも恐れています。そのため中国の部隊にはエンジニアや医者など、戦闘部隊以外の人々が多いのです。ハイチには警察部隊が派遣されていますね。彼らの心配は過度なもののように思います。強い警察が必要な場合にも、彼らはそれを避ける傾向があります。
また、現在のミッションにおいて英語の能力は必要不可欠ですが、中国軍に英語を使いこなせる人材が少ないという問題もあります。英語を話せる人材や高い教育を受けた人材は主に私企業に流れてしまうようです。たとえ軍隊の中にいたとしても、彼らはより重要な機関――諜報など――に回されます。
中国は、?台湾問題(ハイチ、リベリア)?天然資源(リベリア、スーダン)が絡まなければ平和維持活動には総じて消極的になりがちです。

Q:日本も同様に犠牲者を出すことに強い懸念を持っています。

A(ゲーノ):私は日本にも平和維持活動に積極的に参加してほしいと思っています。犠牲者の問題に関しては、部隊の能力が高ければ防ぎ得た、という場合が非常に多いのです。リスクが全くないということにはなりませんが、コミュニケーションの問題、さらには装備、医療、情報などにおいて品質の高いものをそろえれば、リスクを限りなく小さくすることが可能です。
政治的な側面に関しては、最終的には政治的リーダーたちが国民に向けて、脆弱国家の安定化がただの「善行」ではなく、自らの国益、自らの安全保障に直接的にかかわるものだと説明できるかどうかにかかっています。

Q:将来的な国連の平和維持活動におけるアメリカの役割についてどのようにお考えでしょうか。基本的にアメリカは国連の活動に関して消極的であり、また彼ら自身が過剰拡大をしているように見受けられるのですが。

A(ゲーノ):アメリカにおいて、国連に貢献するという意識は決して低くないと思います。しかし彼ら自身が過剰拡大に陥っているという指摘はまさにその通りであり、それが部隊の品質にも大きな影響を与えています。また、アメリカが超大国であるために、他国に必要以上の影響を及ぼしてしまうのではという懸念を持っているようにも思います。しかしながらアフガニスタンの状況がひと段落し、過剰拡大が解消すれば、彼らの持つ高品質な部隊、高度な情報機関と能力の高い部隊が果たしうる役割は非常に大きいと考えています。


作成:國仲真一郎(東京大学法学部4年)

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