タイプ
論考
日付
2008/5/18

私のグローバル化論「現代社会における宗教の役割」

加藤 秀樹
東京財団 会長

(本稿は、2008年3月、サウジアラビアのリヤドで開催された第6回「イスラム世界との文明間対話」でのスピーチ原稿の再録である。) (原文は英語。)

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私は宗教学者でもなければ、イスラムの専門家でもない。しかし、政策あるいは社会のあり方という視点から、現代社会が抱える様々な問題について 日々考えている。このような立場から現代社会において宗教というものの果たす役割について私の描くラフなスケッチを示し、議論の材料にしていただ ければ幸いである。但し、私はこの分野においては何の専門知識も持たないので、誤った認識があればお許し頂きたい。 

現代文明とヒト

まず現代文明の本質について考えたい。ある科学者は、現代文明がそれまでの文明と決定的に違うところは、「駆動力」の獲得だという。我々は化 石燃料、つまり数百万年以上かかって貯蓄されたエネルギーを消費することによって活動のスピードを上げ、範囲を広げ、分業と貨幣経済化を究極ま で進めてきたが、それは今や世界全体が活動の単位になるまでに至っている。 

こうした現代文明によって我々は多くのものを得た。便利さ、快適さ、経済的な繁栄等々。 しかし、一方で、現代の「病理」とでも呼ぶべき様々な現象がある。例をあげると、地球環境問題はその最大規模のものだし、金融や商品取引の世 界で実際の需要の数千倍、数百倍の投機的取引が帳簿上で日々行われていることもそうだろう。また、個人のレベルで日本で顕著なのは、(花粉、 アトピーなど)アレルギー疾患の広がり、うつ病など精神疾患や自殺の増加などだ。

ヒトは高度に発達した頭脳を持つと同時に生き物(動物)でもある。この「生き物」と人間の「差」がつくり上げたのが「文明」なのだが、今や現代文明 自体が、それが持つ様々な構成要素(人工的な生産物や活動のスピードなど)によって、「生き物」と「人間」の距離をますます拡大させてしまい、「 生き物」の部分が現代文明についていけないところまで来ているのではないか。それが現代の病理とも言える様々な現象として見られるのではないだろ うか。

宗教

宗教は一般人にとっては、人生の諸相(仏教で言う生老病死)に関する欲望や悩み、恐れなどに対する、対処(こなし方)や癒し、あるいは諦めな どについて説くものであると同時に、そこから導き出される日常生活の規範の体系と言えるのではないだろうか。その大系の大小は世界宗教か土着の 宗教かにより様々であろうが、時代や地域風土を越えた普遍性の大きいものが世界宗教となっていると思われる。つまり、先に述べた言い方を借りる と、「生き物」と「人間」の距離を埋めることが、一般庶民が宗教に期待していることと言えるだろう。

そして、宗教において語られる様々な普遍的価値は抽象的概念であり、それが現実に実践、具体化されるときに、それぞれの時代や地域によって 多様な形をとるのではないかと思われる。このことは、自由、平等、公正、人権など、現代社会において普遍的な価値とされていることが、国や民族 により、実際には多様な形をとっていることと同様だろう。

現代文明社会が宗教に期待するもの

このように考えてくると、最初に述べたように現代文明が「生き物」と「人間」のギャップを極限まで大きくした今の時代こそ、それを埋める宗教の役割が ますます大きくなっているのではないだろうか。その場合、個人が生きていく上での拠り所としての役割も大きいが、「文明の暴走」に対する歯止めとして の役割も大きい。

例えばミクロの次元では、遺伝子操作がある。この生命の操作は技術の進歩と人間の欲望とによって、将来の影響が明らかでないまま進められようと している。一方、マクロの次元では、地球環境問題の深刻さが何十年も前から、一部の人によって警告されていたにもかかわらず、その影響が身近に 感じられなかったため放置され、現在のような状況に至っている。これらはともにどの宗教においても基本命題である人間の欲望のコントロール(禁欲) の問題である。

最後に、宗教にこのような役割を期待した場合の、宗教側の課題について、日本の仏教の現状を念頭において考えてみたい。それは、宗教自身が 、現代文明に追いついていないのではないか、ということである。すなわち、「生き物」と「人間」の間にあるギャップという意味では、100年前くらいの時点 でのそれにしか対応できていないのではないかということだ。これはどの宗教にも見られることで、ガリレオに対する異端判決がつい最近撤回されたのは、 これを示す極端な例といえるだろう。

第5回イスラム世界との文明間対話セミナーでも、イスラムと進歩に関する議論が行われている。イスラムを含めどの宗教でも、時代の変遷とともに概 念の追加や解釈の変更が行われてきたと思うが、そのスピードと程度は様々だろう。(信者側の対応にも大きい差がある。) 宗教がこのギャップをなくし、現代社会と現代人の病理に対応していくには、 ① その宗教の中心となる理念を現代人にわかりやすく解説できるように すること、 ② 現代の生活に沿った日常規範を確立し示すことが必要だ。そしてその際、地域、民族などによる違い、多様性を受け入れることも必要 だろう。

日本人は本来大いに宗教心を持っている人々だと、私は思っているが、現代社会、特に都会では、それが急速に失われているように思える。日本の 仏教に関する限り、現代文明に追いつき、この二点を早急に示さなければ、ここで述べたような役割を果すことができなくなってしまうような気がしてい る。
 


【略歴】1973年、旧大蔵省入省。証券局、主税局、国際金融局、財政金融研究所などを経て、非営利独立のシンクタンク「構想日本」代表。慶応義塾大学総合政策学部教授を兼務。