タイプ
レポート
日付
2013/3/7

東日本大震災と向き合う~聞き書きと吹奏楽がもたらす共感

人材育成プログラムオフィサー
鈴木真理

2万人近い人々の命を奪った東日本大震災から2年がたとうとしている。

津波から5ヵ月後の2011年夏、私は千二百人以上の犠牲者を出した岩手県大槌町を訪れた。財団の「被災地の聞き書き101プロジェクト」で、被災された方ひとりひとりから話をうかがうためである。初めて訪れたこの町のどこからも海が見渡せ、その日は太陽の光を受けて、穏やかに輝いていた。

避難所の体育館で出会った女性は、父の代から、この海でとれるウニの加工販売で生計を立ててきた。
「あんなことあっても、やっぱり海見ると落ち着くのよね。」
津波で家も加工場も、売り物のウニが詰まった冷凍庫も流され、避難中に母親も亡くしたのに、彼女は静かにそう言った。
町のどこからも海が見渡せるのは、そこにあった家や店舗などが全てなくなったからだと、私はしばらくして気づいた。ひび割れだらけのゆがんだ道路の端には、通学かばん、こわれた電気製品、台所用品、衣類など、生活が突然とまってしまったことを示す残骸が、土や砂にまじってうず高く積まれていた。

「ウニなんて、これから何年もとれないだろうね。どうやって生活していくかね。」
彼女はため息交じりにそう言った。(聞き書き101「海のめぐみとともに」)
このプロジェクトは、被災からの復興を願い、その途上で、今までの暮らしと結びついてきたかけがえのないものに目を向けることを目的としている(「被災地の聞き書き101」は書籍にまとめられ、一般販売中)。しかし、目の前にいる被災されたひとりひとりと言葉を交わしながら、私は自分の無力さを感じずにはいられなかった。もちろん復興が、一朝一夕に容易に実現するはずはない。それでも、今ここにいるひとりひとりの心に、何かぽっと温かい灯をともすことができないだろうか。前にすすむ一歩を踏み出す助けになれないだろうか。それさえできない自分に腹立たしさを感じていた。

そのとき、1年前に、ニューヨークのジュリアード音楽院の若手演奏家を日本に招き、病院や障害者施設でコンサートをしてもらったことを思い出した。財団の運営するSylff奨学金を受けて音楽活動をしている彼らの演奏に、クラシック音楽を直に聴く機会がなかった人たちが、手拍子をしてとても喜んでくれた。音楽なら、言葉がなくても気持ちが伝えられるかもしれない。私はそう思った。

実は震災直後から、当財団には海外のSylffフェローや若い音楽家から、「日本に駆けつけて何かできることはないか」と言うメールが届いていた。あの海沿いの町に住むひとりひとりに、日本内外のたくさんのひとたちが応援していることを伝えたいと私たちも願っていたが、そういうことを想定した事業は、そのとき当財団にはまだ存在していなかった。しかし、サントリーホールも震災復興支援を模索していることがわかり、二つの思いを合わせて一つの事業として組み立てようと考え、各所に呼びかけを開始した。
まず、東京財団が運営するSylff奨学金プログラム設置校のひとつであるジュリアード音楽院の教授陣に打診すると「被害を受けた日本の人のために、パリとウィーンの音楽学校(両校ともSylff校)にも呼びかけて、一緒に若手音楽家を派遣したい」と快諾。さらに震災直後から被災地の中高生に楽器を送り続けているNPOの参加を得ることが決まり、そこから宮城県吹奏楽連盟との協力関係が生まれた。こうしてまるでパズルのピースがつなぎ合わさるように、人々の「被災地の人たちの心により添い、応援したい」という気持ちがひとつずつつながり、どんどん大きくなっていった。


こうして「みちのくウインド・オーケストラ」が誕生。部活で吹奏楽をやっている被災地の中学生、高校生を集め、Sylff校で学んだ海外のプロの若手音楽家9人と一緒に仙台で3日間特別練習をし、東京サントリーホールで一緒に舞台に立つという企画だ。石巻、東松島など、宮城県沿岸部を中心に127人の中高生が、「プロの音楽家に指導してもらって、サントリーホールで演奏できるなんて夢みたい」と応募してきてくれた。

共感の輪はさらに広がった。この話を聞いた世界的に有名なマリンバ奏者・安倍圭子氏、ベテラン指揮者である三石精一氏、山下一史氏などが、手弁当で参加を申し出てくれたのだ。さらに、音楽大学で学ぶ日本の大学生、出演する中高生の家族、地元の商店街の人々、東北のバス会社、建設会社など、たくさんの協力者・支援者が集まり、舞台の裏方や東京への移動、食事の世話などを引き受けてくれたのだ。

コンサートでは「音楽活動を復活させた中高生たちが奏でる復興の『証』を一緒に楽しみましょう」との呼びかけに数千人が応募、抽選がおこなわれるほどであった。千二百名の聴衆でいっぱいになった当日のサントリーホールで、宮城県吹奏楽連盟会長の三塚氏は「大震災で多くの団体が楽器を失ったが、各地から寄贈された楽器で活動を再開することができた。この機会に、国の内外よりいただいた様々な支援への感謝を伝え、元気になった子どもたちの姿をみてもらいたい。」と語り、場内が静かな感動に包まれる場面も。(Japan Times掲載記事『教育音楽』掲載記事

コンサートに先立つ3日間の特訓中、中高生たちはおしゃべりをする暇も惜しんで練習していた。真剣なまなざしで、指導してくれる外国人の若い音楽家の演奏をみつめ、リハーサルごとに上達していった。そして本番の演奏は、プロジェクトをずっと見守ってきた私にとって、どれよりも素晴らしく感じられた。頭を上げ、前を見つめて演奏する中高生の姿は、「復興」を象徴しているようだった。フィナーレのラデッキー行進曲では、演奏に合わせて聴衆も手拍子で参加し、舞台と聴衆の心が響きあい、一体となっているように感じられた。「ひとりひとりの力は小さい。でも未来への思いをあきらめずに、みんなで力を合わせれば、なんでも乗り越えて行ける。」ホール中の人々がそう感じているように、私には思えた。

被災地を応援し、ひとりひとりの心に寄り添う気持ちは今も続いている。海外の若手音楽家の一人、ウィーンのデビッドさんは、3月に自分の仕事で来日するのに合わせ、被災地を訪れて夏に指導した子どもたちと再会し、一緒に練習するのを楽しみにしている。ニューヨークのモランさんは、カーネギーホールで開催される東日本大震災2周年復興チャリティーコンサートに参加すると知らせてくれた。トランペットを指導したウィーン音大のパンジュさんは韓国出身。修士課程修了後母国に戻り、1ヵ月の軍事訓練を経て、現在2年の兵役に従事中である。祖国のために励む毎日であるが、心を通わせる日本の中高生のために、以下の文章を寄稿してくれた。

2年がたっても、復興はまだ始まったばかり。私たちはあの日のことを、そして被災地のひとりひとりのことを決して忘れることはない。これからも、様々な人々をつなぎ、その思いと力を結集して、復興を後押しし、よりよい社会の実現に寄与していきたいと思いを新たにしている。


被災地の中高生にみる大人びた精神性と前向きさ

パンジュ・キム 
ウィーン国立音楽大学修士課程在籍(当時)

昨年春に、「みちのくウインド・オーケストラ」のプロジェクトのお話をいただき、一度旅行しとても気に入っていた日本を再び訪れることができるという喜びと、大きな被害を受けた被災地に対し個人では無力であるが、このようなプロジェクトに参加することで自分にも何か貢献できることがあるかもしれないという思いから参加を決めた。2011年3月の震災の被害は信じられないほど衝撃的であった。連日報道されるニュースや津波の恐ろしい映像は私の脳裏に焼き付き、毎日夢に見るほどであった。被災者のことを思うと本当にいたたまれない気持ちになった。心に深い傷を負っているはずの生徒たちと果たして自分がどのように交流できるのだろうか。そのような不安と同時に、優れた音楽家たちとともに日本で演奏できるという期待感も胸に、私は日本へと発った。

8月12日日本着。仙台空港に到着した。震災の時に見た、滑走路にまで津波が押し寄せ飛行機やゴミが一緒に流されていたあの空港とは思えないほど、その名残は全く感じられなかった。

翌朝私たちはバスで東北高校へ行き、初めて生徒たちと顔を合わせた。その時の彼らの印象は、緊張し過ぎというか、おとなしく硬かったように思う。これは自分の教えた生徒たちだけではなく、他の楽器の生徒たちもそうであったとシルフのメンバーから聞き知り、やはり被災した辛い経験の影響でまだ心を閉ざしたままでいるのだろうかと心配した。ところが緊張していたのは皆別々の学校から集まってきており生徒同士も初対面であったからということが後にわかり、一緒に練習するうちに徐々に緊張もとれ、生徒たちの明るい素顔を見た時には私の心配は杞憂であったことを確信できた。彼らの明るさの中に子どもらしい無邪気さを見る一方、難しい環境の中でも前向きに生きる精神的な強さ、ある種の成熟した大人っぽさを感じた。そんな彼らの姿に助けられながら、日本に来る前に私の感じていた不安はいつの間にか消え失せ、生徒たちと音楽を通じて素晴らしい交流ができた3日間であった。

東京へ移動する前に私たちは津波の被害が大きかった石巻を訪れ、街の見学とコンサートを行った。被害の大きさを物語る光景を目の当たりにし愕然とした。ある楽器店では、津波の時の写真と流されたピアノ、そしてそのピアノを修理するのを見せていただいた。津波の犠牲となった方たちを忘れないように色々なところで弾いてもらうために修理しているのだという。あのピアノが完全に復元されるのは難しいのかもしれないが、必ずその音楽から観客にメッセージが伝わっていくことだろう。音楽はそのまま人の心に触れることができる力があるものなのだから。

コンサートでは石巻の方々を前に私たちが慰労するつもりで演奏したが、一生懸命強く生きる人々の姿に逆に励まされた。尊敬するばかりである。

いよいよサントリーホールでの本番の日。忙しいスケジュールで疲れもあったが、リハーサルから本番まで楽しむことができた。本番後はサインの交換などの楽しい交流会が開かれ、そこでは言葉の壁やそれぞれの境遇の違いを超え、誰もが同様になんとも言えない達成感、充実感を味わっていたように思う。
そんな中「韓国人です、在日です」と話しかけてくれた生徒がいた。ここ日本で同じ韓国人に会えて嬉しく思ったその瞬間、自然災害の前に国籍は関係なく、誰もが被害に遭う可能性があるのだということをふと感じた。

東北の学生たちは難しい環境の中でも夢と希望を忘れず前向きに音楽を楽しんでいた。彼らが明るくいられたのは彼らが一生懸命打ち込める音楽があったからではないだろうか。彼らの音楽に対するひたむきな姿勢を見てそう思わずにはいられなかった。そう考えると音楽は人間にとって健全な精神活動となりうるのだということ、また、音楽というと今まで私にとって演奏して聴いてもらうものという認識であったのが、サントリーホールでの演奏というひとつの大きな目標に向かって皆で練習するという今回の経験を通して、コミュニケーションの手段としての音楽という新たな側面にも気付かされた。このことは今後の私の音楽活動に大きな影響を与えるだろうし、またこのようなプロジェクトがあれば積極的に参加したいと思っている。
子どもたちのためにこのような素晴らしいチャンスを、私にも忘れられない貴重な経験を与えてくださった東京財団の関係者の皆さんや学校の先生方、一緒に演奏してくださった演奏家の方々、洗足の学生の皆さん、そして東京まで来て素晴らしい演奏をやり遂げた東北の学生たちに心から感謝したい。(終)


パンジュ・キム
2005年、ウィーン国立音楽大学に入学。2011年ミュンヘン国際音楽コンクール出場。アジアフィルハーモニックオーケストラアカデミー、ウィーンユースフィルハーモニック、ウィーン国立音楽大学・ウェブェルンシンフォニーオーケストラ、アカデミーオブウィーン・フィルハーモニックオーケストラなど、数々のオーケストラで演奏している。2012年、ウィーン国立音楽大学修士課程修了。同大学在学中の2009年にSylff奨学金を受給。