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東日本大震災における農業・農村の復興

June 2, 2011

現場からの復興構想を

東京財団上席研究員
名古屋大学大学院生命農学研究科・教授
生源寺 眞一

1. 問題の構造化

震災の発生から時間が経過するにつれて、農業・農村の復旧・復興に関しても、さまざまなアイデアや主張を目にし、耳にするようになった。農地の復旧に必要な技術的な取り組みについての報道も少なくない。除塩などといった特殊な専門用語も、最近は注釈なしで使われている。なかには、自説の優位性を誇示したいだけなのでは、と勘繰りたくなるような主張もないわけではない。震災を利用するかのごとき言説は慎みたいものだ。むろん、被災した現場からの発言は言うまでもなく、農業の専門家や行政の担当者による発言も、大半が真剣な気持ちからのものであることは間違いない。

ただ、農業・農村の復旧・復興に関する情報の多くがマスコミによって伝えられることもあって、部分的なパーツをめぐる提案や見解が整理されることなく飛び交っているとの印象も拭うことができない。もとの情報が体系性を備えた文脈の中で発信されたものであっても、置かれていた文脈から切り離して、いわば瞬間芸的に伝えるところにテレビ報道の、ときには新聞報道の特徴があるとも言えるからだ。

断片的な発信に傾きがちなマスコミ報道が、しかし、大きな影響力を持つことも厳然たる事実である。そうであればなおさら、問題の全体像を構造化して把握することが重要なはずである。全体像がよく見渡せる中でパーツごとの取り組みが行われるのでなければ、取り組みのあいだに深刻な齟齬が生じる事態や、思わぬ遺漏部分の発現によって全体の進捗にも支障の生じる事態が懸念されるからである。

いま述べた点は、およそ震災からの復旧・復興の取り組みであれば、どの領域についても当てはまることであろう。けれども、これから具体的に論じていくように、農業・農村の復旧・復興については、取り組むべきことがらがいくつかの層として形成されている点で、また、意思決定や合意形成の単位も幾重もの層からなることから、全体像の構造把握の重要性が格段に高いと言ってよい。こんな問題意識に立ちながら、以下では課題の整理を行うとともに、地域の復旧・復興態勢についてひとつの私案を提示したい。議論のひとつの素材として受け止めていただければ幸いである。

なお、東日本大震災による農業・農村の被災には、福島第一原子力発電所の放射性物質による極めて深刻な影響があるが、今回は主として地震と津波による直接の被害からの復旧・復興の問題を念頭に置くことにしたい。原発事故による被災については、現時点でなお災厄回避のプロセスが続いていること、したがって被害の広がりと深さと時間的な見通しを確定できる状況にないこと、食品の安全性に対する国際的な信認が大きく損なわれた点で、オールジャパンの問題としての側面を有することから、いくつか別の切り口が必要であると考えられる。他日を期することにしたい。ただし、これから述べることがらの中にも、原発に関連する復旧・復興の取り組みに深く関係する論点が含まれているのではないかと思う。参考にしていただければありがたい。

また、以下では「復旧・復興」の代わりに、原則として両者の意味を込めて「復興」を使用する。農業・農村に限ったことではないであろうが、新しいかたちを模索・実現することによって、結果として従前の水準の機能復旧も果たされる場合が多いと考えられるからである。概念上はともかく、復旧と復興のあいだに線を引くことは案外難しいように思われる。

2. 復興の態勢

大震災の津波で流失・冠水などの被害を受けた農地は2.4万haと推定され、そのうち85%の2.0万haは水田である。そこで水田を念頭に置くと、農地の生産機能は用水を供給する水源・取水施設・幹線用水路・支線用水路からなる一連の用水施設、湛水可能な農地としての水田そのもの、そして支線排水路・幹線排水路・排水河川等からなる一連の排水施設の三つの要素によって支えられている。とくに今回被災した農地で大きな割合を占めている海岸沿いの低平地では、堤防によって海からの浸水を防ぐとともに、揚水機場のポンプによる強制排水が行われていた。その揚水機場の多くが破損のために機能を停止している。また、内陸部には津波による被害ではなく、ため池の損壊などで灌漑用水の供給がストップしている水田もある。

農業生産が滞りなく行われるためには、農業者の保有する機械や設備を欠くことができない。稲作であれば、トラクターや田植機・コンバインなどが必要であり、多くの農家は住居に隣接する場所にこうした機械を収納する建物を確保している。専業農家や法人経営の中には、収穫したコメを乾燥・調製する自前の設備を保有しているケースもある。今回の震災は、農業者の住居とともに農業用の建物や機械・施設にも甚大な被害をもたらしている。また、農業用施設の破損という点では、施設園芸用のハウスの被害も深刻である。水田にハウスを設けることは全国各地でごく普通に行われており、被災した水田地帯にもイチゴの施設園芸で高い評価を得ている産地が含まれている。

農業の物的な生産基盤をある程度イメージしていただけたと思うが、被災地のかなりの部分では、いま述べた基盤の大半が壊滅という最悪の事態となった。したがって、地域の農業の再建を図るとすれば、ほとんどすべての要素の再建が必要になる。そうした被災地を念頭に置くならば、復興を進める基本的な態勢について、次のように想定することが妥当であろう。

まず、広範囲の受益地を有する基幹的なインフラについては、国もしくは県が責任をもって対処する必要がある。揚水機場や幹線用水路・排水路がその代表である。もともと、これらの基幹的な農業インフラについては、国や県が事業主体となって建設や改良が行われてきた。こうした、いわば点ないしは線のインフラの再興については、政府がリードするかたちで進めることが適切である。これに対して、地域の農業生産や集落の生活の再興、いわば面的な復興については、ボトムアップ型の意思決定を基本とすべきである。この点は農業・農村の領域に限らない。面としての産業や生活の復興は、個々の事業者や生活者の意欲とパワーに依拠したものでなければならない。

単純に自助の精神を唱えているわけではない。震災で大変なダメージを受けた人々を物心両面でしっかり支えることが第一であるが、その場合にも、地域の再興に向けた人々の意欲とパワーの醸成に寄与することをつねに念頭におくべきなのである。意欲とパワーの醸成のプロセスが農業・農村の領域でどのようなかたちをとるかについては、次の節で検討することにしたい。いずれにせよ、産業と生活の再興は上意下達式の設計思想には馴染まない。最終的な意思決定は、その意思決定に責任を負うことができる主体によって行われるのでなければならない。

中央・地方の政府がリードするインフラの再興とボトムアップを基本とする産業・生活の再興。このように区分したわけだが、農業・農村の領域には、ふたつのレベルの中間にあって組織的に、あるいは共同の営みとして機能している要素が少なくない。農業用の用排水路も、支線や末端の段階については地域の農業者の集合的な意志のもとで保全され、利用されている。集落のさまざまなミーティングが行われる集会所も地域のコミュニティの施設である。農業生産そのものに関しても、複数の農家による組織的な営農活動が珍しくない。地域の大多数の農家が参加している場合には、集落営農と呼ばれている。また、施設園芸のように生産自体は個別完結的な色彩の強い部門であっても、出荷は農協などを通じて組織的に行われていることが多い。農協には集出荷施設が設けられているのが普通である。

政府のリードと個々のボトムアップだけではカバーできない大きな問題として、土地利用の調整を忘れてはならない。農村の土地利用調整問題はふたつに大別できる。ひとつは農業内部における土地利用の調整である。毀損した圃場の復興に際しては、おそらくは利用に関する権利関係の調整は不可避であろう。農業の継続を断念する農家も出現することが見込まれるからである。さらに圃場の区画形状の変更を伴う復興計画であるとすれば、所有権に関する調整が必要になるかもしれない。

もうひとつの土地利用調整問題は、異なる用途間の調整問題である。こちらは土地利用計画をめぐる問題と言うべきかもしれない。今回の被災地では、農地と宅地の双方に甚大な被害の生じている地区が少なくない。復興にあたっては、従来の土地利用のゾーニングにとらわれないという意味で、実質的に新たな土地利用計画の策定作業となるケースもあるのではないか思われる。

いくつか例示したように、農業・農村ではハードとソフトの両面でさまざまなタイプの組織が機能している。これらの機能の復旧の具体的な過程においては、従来から機能を支えてきた組織が本来業務として担う場面が多いことであろう。ただし、甚大な被害の生じているケースにあっては、組織そのものの再興からスタートしなければならない場合もあると考えられる。また、各種の機能の復旧についても、それぞれに独立に取り組むのではなく、農業と地域社会のあり方に関するグランドデザインのもとで構想されなければならない場合が少なくないはずである。

3. 現場からの復興構想

被災地の支援にあたっては、人々の意欲とパワーの醸成という観点をつねに意識する必要があると述べた。地域の産業活動の活力や生活空間のアメニティは、個々の力と工夫の集積以外のものではあり得ないからである。けれども、家屋や田畑に壊滅的なダメージを受け、家族や仲間を失って意欲やパワーどころではない被災者も少なくないはずである。したがって、ここは物心両面で救済支援の取り組みを継続しながら、受け止める側の現場の状況を慎重に見極めながら、復興に向けた情報の提供や取り組みのメニューの提示を行うことを心掛けるべきである。

ここで言う情報やメニューの中身については次の節で触れることにするが、そもそもだれが提供・提案役を担う方式が適切であろうか。情報や提案はさまざまなソースからもたらされるから、それをつなぐ仲介役という機能も要請されるに違いない。こうした働きかけや仲介機能の主体としては、現場の農業事情に明るい点や、基幹インフラの再興方針との整合性も求められる点で、県の行政部局が妥当であると思われる。むろん、国や市町村との連携プレーや県と県のあいだに協力関係が機能することを、当然の前提としての話である。また、情報収集や企画立案に経験豊富な人材を擁する点で、政令指定都市の関係部局による働きかけも考えられる。

一方、情報や提案を受け止める側の態勢について、どのようなエリアを想定すればよいであろうか。農業・農村のかたちは、地域の土地条件や過去の歴史を反映して実に多彩である。被災地の農業・農村しかりである。また、立地条件によって深刻なダメージの地区とほとんど無傷の地区に分かれたのも、今回の津波による被害の特徴である。したがって、ケース・バイ・ケースで柔軟に考える必要はあるが、いわゆる旧村(平成の町村合併を経験している場合には「旧旧村」と言うべきかもしれない)を基礎的なユニットとすることは、多くの地域にとって無理のない選択であろうと思われる。地縁的なつながりという点では、いまなお集落が基礎単位であると言ってよいが、借地による規模拡大など、今日の農業経営の活動範囲は集落を越えている場合が少なくない。旧村は小学校区や農協支所の範囲と重なっていることも多く、地縁的なつながりを実感できる拡がりでもある。

旧村を標準的なユニットとして、それぞれに復興のデザインを練り上げる場を設けてみてはどうか。そこは、地域の農業者を中心メンバーとして、自由闊達な議論が交わされる場となる。以下では、こうした議論の場をとりあえず「農業復興協議会」と呼んでおく。協議会に対して、県からは情報の提供や取り組みの選択肢の提案が行われる。また、前節で農業・農村には多様な組織があると述べたが、協議会はこれらの組織から専門的な観点に立った知見の提供を受ける必要がある。ただし、既存の組織の役割は、あくまでも専門的な観点からの助言者のそれに徹することが望ましい。なぜならば、復興の青写真を練り上げていく過程で、既存の制度的な枠組みを超えた取り組みの必要性が提起される可能性も高く、その際には現場からの思い切った発想が尊重されるべきだからである。言わずもがなではあるが、思い切った発想は緻密な検討に裏付けられたものでなければならず、単なる思いつきであってはならない。

緻密な検討と思い切った発想と述べたが、地域の農業者が中心となる協議会の場において、はたしてそれが可能であろうか。こんな懸念があるかもしれない。たしかに高齢化が進んでいる農業界であり、将来のビジョンづくりを担う人材が潤沢に確保できるとは言い難い現実もある。けれども、集落という狭い範囲ではともかく、旧村程度の拡がりであれば、地域の将来を真剣に考えるとともに、経営者としてのセンスにも富んだマンパワー、言い換えれば復興のプロセスを現場でリードしうる人材は間違いなく存在する。むろん、みずからの立場を弁えることも含めて、復興構想づくりに相応しい人材であれば、既存の組織や機関の役職員であっても構わない。

日本の農村ではさまざまな組織や機関が機能している。まず、生産基盤である農地について、改良・更新を担当する土地改良区と権利関係をめぐる制度の運用にあたる農業委員会が存在する。農業技術の普及については、県単位の機関である農業改良普及センターが活動している。生産物の販売など、農業の経済的な側面については、なんと言っても農協の存在が大きい。また、震災による被害とも関係の深い作物や家畜の保険制度を運用しているのは、農業共済組合である。言うまでもなく、市町村行政も多方面で重要な役割を果たしている。土地利用のゾーニングや農地の権利移転にも関与しており、コメの生産調整という苦労の多い仕事も、長年にわたって市町村の職員が担ってきた。

旧村を基本ユニットとする復興の青写真づくりでは、これらの組織の有する専門的な知見を活かしたサポートが有効であろうし、青写真の実現の過程では、組織が本来の業務として分担すべき取り組みも少なくないと思われる。とくに市町村行政には、農業復興協議会の立ち上げから運営に至るまで、縁の下の力持ちとしての役割が期待される。簡単なことではない。地域の農業者が分散して避難を余儀なくされている場合など、立ち上げの合意形成自体が容易ではない。市町村行政の機能にも限界がある。もともと人員や財源の制約から、農林水産分野に思うように資源を投入できなかった市町村が多い中で、行政組織に甚大な人的・物的ダメージを受けている被災地域も少なくない。農業・農村の領域に限ったことではないが、復興に向けて市町村行政に対する支援の充実が必要であることを強調しておきたい。

4. 復興構想の具体像

ここから先は、農業復興協議会の具体的なイメージを浮かべていただくための一種のシミュレーションである。農業・農村の姿かたちが多様であり、地域の農業者の思いにも幅があるはずだから、定型的な復興構想が有効だとは思われない。けれども、日本の農業・農村であれば、いずこもある程度は類似した条件のもとに置かれ、似通った希望と悩みを持ち続けてきたことも間違いない。そのような認識に立って、復興をめぐる議論の進捗のひとつのパターンを描き出してみる。

県からの働きかけと市町村のサポート態勢のもとで、農業復興協議会が設立される。地元の準備の状況もあるから、期日を揃えて一斉にスタートする必要はない。ただし、ことがらの性質上、早くから意欲を表明した地域だけに設立すればよいというものではない。被災地の農業・農村は協議会によって網羅されるべきである。

県から発信される最初のメッセージは、協議会が地域の力と工夫を引き出すための場であり、復興の構想をていねいに議論する場である点をしっかり伝えるものでありたい。あわせて、その時点で国や県から提供可能な支援制度や技術的なサポートについても、情報提供が行われることであろう。さらに、政府が検討している制度面の特例措置などに関する情報も、復興構想を描き出すための前提条件となり得るものであるから、できるだけ直近の情報を提供する必要がある。ただし、そのアイデアの使い勝手の善し悪しにはじまって、制度・政策の大きな枠組みのなかでの位置付けに至るまで、できるだけ体系的な情報を提供する姿勢が大切である。

県と協議会のあいだのコミュニケーションは、市町村のサポート体制のもとで、何度も繰り返されることになるであろう。県としては、地元からの要請があった場合、その妥当性を吟味しながら、国に働きかけを行うルートを確保しておく必要がある。そして、このことを協議会にも伝えておくべきである。必要に応じて中央政府を巻き込みながら、現場と地方政府が往復対話を重ねる中で、制度面での制約条件の緩和と、これによる選択肢の一層の拡大といったプロセスが進展することも期待したい。

県からの技術的な情報提供に関しては、インフラ復旧の見通しにも関連するが、近未来の地域の農業生産基盤がどのような状態になるかについて、できるだけ早い時期に情報を伝えるべきである。例えば、地域によっては地盤の沈降が生じているから、降雨などによる冠水の頻度が高まることも懸念されよう。生産基盤たる農地の条件は、農業経営の選択の幅を大きく左右することから、とくに速やかな情報提供が待たれるところである。それには、現場の関係機関の協力体制のもとで、早期に実態調査と復旧スケジュールの策定を行う必要がある。

協議会は協議会で、地域の農業のビジョンについて主体的に議論を重ねることになる。議論の土台となるのは、地域で利用可能な資源の賦存量である。利用可能な資源の基本は農地であるが、その農地の耕作を希望する農業者の構成はおそらく震災前とは異なることになるであろう。言い換えれば、利用権の調整がひとつの課題になるに違いない。日本の農業全体の傾向として、ここへ来て高齢農業者のリタイアが急速に進んでいるが、被災地域ではこの傾向に一段と拍車がかかる可能性もある。

地域の農業のかたちを構想するうえでは、被災した農地をどのようなかたちで復旧するかが大きな意味を持つ。ただし、とにかく区画を拡大すればよいといった単純な議論にはならないであろう。いかなる作物をどのように生産するかによって、それに適した区画の形状も異なるからである。むしろ、冠水しやすい低平地に関しては、施設園芸のための農地の嵩上げといった土地改良がひとつの検討課題になるかもしれない。施設園芸の先進地である渥美半島に例がある。

農業の技術についても、例えば省エネ・環境保全型の植物工場の研究が進むなど、新しい局面も生まれている。また、農業経営が食品の加工や外食の分野に進出することも、近ごろは普通に行われるようになった。そうすることで、みずから価格を決めることのできる農業経営に脱皮している事例も少なくない。復興構想には、こうした生産技術やビジネスモデルの先駆的な試みを導入することが考えられてよい。この場合、県から協議会に提供される情報や提案とともに、協議会みずからが積極的にアイデアの探索に向かうこともあるはずだ。取引のある生協や出荷先の食品加工の事業所、あるいは調査を通じてつながりのある大学や農業試験場の研究室とのパイプを活用することなどが考えられる。

5. 災い転じて福となす

それぞれの農業復興協議会のエリアの震災前の農業には、悩みもあり、夢もあったはずである。行き詰まりがはっきりしていた面とともに、希望の光として期待されていた動きもあったに違いない。ところが、地域の人々の意志に反するかたちで、震災によって生産基盤は甚大なダメージを受けることになった。津波が直撃した低平地では、農業と農村は文字どおり消失した。

この現実を目の前にして、安全な場に居を構え、安全な場で仕事の日々を送る人間は、言葉を失う。そんなひとりの人間として、震災を利用するかのような言説は厳に慎みたいと思う。漠然とした規制緩和の主張にも首を傾げざるを得ない。しかしながら、被災地の人々が災いを転じて福となすことはあってよい。その意味において、震災を新しい農業・農村像の実現のきっかけとする現場の取り組みに対しては、できる限りの応援を続けたいとも思う。

被災地の農業・農村は、人々の意志に反してリセットされてしまった。津波の激流のあとに残ったのは、荒れ地としか表現しようのない土地である。けれども、そのことによって、過去の経緯に由来する拘束が取り払われていることも事実である。先ほど、地域の資源の賦存状態が復興構想を練り上げる際の土台になるはずだと述べた。その通りなのであるが、もうひとつ見逃せない要素として、その資源の利用パターンの可能性という点がある。震災による大きなダメージを受けた反面、これを復旧することができた暁には、少なくとも同レベルの資源の利用について、そのプランをまったく新しい青写真として描き出すことも可能になる。リセットされたことを逆手にとるわけである。

典型的には、新たな土地利用のゾーニングを構想することが可能になる。宅地と農地の再配置の構想にとどまらず、市民農園のゾーンや体験学習農区といったアイデアも一考に値するのではないか。農村集落にも元農家の世帯が増えており、非農家世帯の混住化も進んでいることから、市民農園の需要は農村内部にもある。体験学習農区は明日の農業を支える若者を生み出す効果があるばかりでなく、ベテラン教師たる高齢農業者の活躍する場にもなることであろう。

地域の人々が実現しようと思っていても実現できなかったことについて、じっくりと想を練ってみる。実現したかった夢をあらためて語り合うことでもよい。その結果として、リセットされた拘束性の弱い条件のもとで、過去の経緯に囚われることなく、理想を込めたプランが青写真として練り上げられる。

このプランが実行段階に移行する中で直面するのが、現行のさまざまな制度による制約である。けれども、復興構想に向けた議論の積み上げと、地域の農業者や住民の創造的な意志の結集があるならば、規制の見直しの議論も地に足のついたものとして展開できるのではないか。規制の見直しの検討に際しては、見直された規制をいかに使いこなすかという切り口を欠いてはなるまい。被災地における規制の見直しに向けた検討には、この意味で高いリアリティーがある。

被災地の人々には災いを転じて福となす権利がある。災いを福となすプロセスから、被災地以外の人々が貴重なレッスンを享受することもできるように思う。

    • 日本の農政改革プロジェクトリーダー/元東京財団上席研究員(名古屋大学大学院生命農学研究科教授)
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