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アメリカNOW 第57号 「センセーショナリズムの裏側」:2010年の話題書で読み解くアメリカ(1) (渡辺将人)

October 26, 2010

まもなく11月2日に全米で投票が行われる中間選挙は、オバマ政権の命運を決する。「政治の季節」を迎えているアメリカでは、ペーパーバックに版を重ねている今年度の話題作に改めて注目が集まっている。中間選挙及び選挙後のオバマ政権を読み解く上で、直接あるいは間接に参考になりそうな2010年の政治ベストセラーから数点を選び、これから数回にわたって解説してみたい。今号で扱うのは、一見センセーショナルな書と誤解されている本に眠る、アメリカ政治の記録的価値である。

エドワーズ凋落を決定的にした元スタッフの回顧録再考

2010年3月末、日本に帰国するさい、餞別としてシカゴの関係者がくれたのが、ジョン・エドワーズ元上院議員のスタッフだったアンドリュー・ヤングの書いたThe Politician: An Insider's Account of John Edwards's Pursuit of the Presidency and the Scandal That Brought Him Downだった。政治の「プロ」の間で、本書ほど出版後すばやく広く読まれた本を私は過去に知らない。私は書店で立ち読みしていただけで未購入だっただけに、実に有り難い餞別となった。本書は1月末に出版された直後から、2010年前半の政治関係書の「話題作」ナンバーワンとなった。政治関係者の間は、若手を中心に2月頃までに急速に口コミが広がり、普段あまりこの手の本を読まない、多忙なスタッフまで購入していた。

出版社の思惑は、言うまでもなくエドワーズの不倫問題の暴露本としての話題性である。本書をあえて私へのお別れのギフトに選んだユーモアのセンスあるシカゴの関係者は「リエルが成田までのフライトのお伴をしてくれるから」と微笑んだ。エドワーズとリエル・ハンターの不倫については、2008年の大統領選を通して真意が定かでないままスキャンダルの火種として燻った有名な一件である。スキャンダルについて、ここで詳細を繰り返す必要もなかろう。エドワーズは愛人であるリエル・ハンターに陣営の宣伝映像を撮らせていた。数分程度の拙い映像作品に大金を支払い、エリザベス夫人との離婚を前提に婚約までほのめかし、妊娠後は人工妊娠中絶を求めるなど、公私混同は激しかった。エドワーズの誠実なイメージは完全に破壊された。その詳細は「暴露本」として売れる要素として十分過ぎる。

しかし、著者ヤングの意図は、身の潔白を証明するため、エドワーズ夫妻に先制攻撃をしかけることだった。失職したヤングにとっても本の契約金は魅力的だっただろう。だが、エドワーズをかばうためにハンターが生んだ子供を自分の子だと発表していたヤングとヤング夫人には、それ以上に切羽詰まった理由があった。エドワーズ夫妻の政治生命のため、そのつど利用される汚れ役人生から足を洗う必要性である。本書はエドワーズの息の根を完全に止めた決別宣言であるが、ヤングにとってはボスを「刺す」ことよりも自らの潔白を示すことへの情熱があったようだ。総頁301頁のハードカバーだが、きわめて平易な英語でリズミカルに書かれている読み易さは、読書を政界の外に広く求める心情の表れであろう。ヤングの出版に対してのさりげない計画性も滲む。編集者やライターの力を借りて口述で記したとしても、本書の詳細な内容から察するに、日記やメモの記録整理を随分前からしていたことが窺える。

さて、「暴露本」以上の意義が本書にあるとすれば何であろうか。「暴露本」は話題先行で内容が事前に表に出る。本書のような本の場合、エドワーズの不倫が事実だったこと、ハンターの出産した子供は側近のヤングの子ではなくエドワーズの子であったことさえ分かれば、あとは低次元の些細なエピソードに終始すると見られても不思議はない。忙しい政治スタッフにとっては、概要が分かればそれで十分とされがちだ。ヤングの自己弁護の本である以上、ワンサイドの情報と言えなくもない。また、こうした本に便乗して騒ぎを増幅することは、民主党の元副大統領候補にもなった大物政治家の倫理欠如と「家族の絆」の脆弱さを露呈することで、民主党としては望ましくなかった。中間選挙年に共和党に攻撃材料を与えることにもなる。

スキャンダル先行の話題の陰に隠れていた貴重な現場証言の価値

しかし、本書に限っては異常事態が起きた。「読み飛ばさずに、この手の本を読んだのは初めて」という人もいたし「今まで読んだ本のなかで、これほど速く読み切ったものがない」「わずか数日で少しも飛ばさずに読み切った」という政治スタッフが多かった。本書を私にくれた主も「成田までに絶対に読破できる。ポリティカル・ジャンキーなら、なぜ画期的な本なのか分かる」と予言めいて語った。確かにどの章も退屈することなく、最速の速度で一冊を読み切った。こんな経験は私にとっても初めてのことだった。

どんな本にも、一般的な話題性と専門家の間での評価に乖離がある。本書ほどその亀裂が激しかった本はない。エドワーズの不倫暴露本という話題性がセンセーショナルだったので、アメリカ政治を語る上での価値が一般には伝わらなかった。本書が政治家のスタッフや、選挙キャンペーン経験者に異常に評価が高いのは、おそらく初めて連邦議員の地元スタッフの現実を当時者が詳細に語った記録だからである。アメリカで議員の側近が本を書くことは少ない。キャンペーンの思い出やホワイトハウスの側近の回顧録などは、ほとんどが著名選挙コンサルタントによるものか、政権の広報の一環としての役割を伴ったものであり、議員の身の回りの世話を日常的にやっていた末端の(しかし議員に実は一番近い)スタッフによる本音は、様々な理由で表に出ることはない。

しかし、「ボスの不倫スキャンダル」という特殊な事情を抱えたことで、身の潔白を証明する必要性に迫られたヤングは、記述の真実度を増すため、不倫とは無関係な部分の原稿でもリアリティを重視した。彼がどのようにしてエドワーズ事務所で信頼を勝ち得たか、日常的にあるいは選挙でどのような仕事をしていたか、そのディテールをかなり書き込んだ。本書に「暴露本」を期待する読者を落胆させるようであるが、本書で不倫についての言及があるのは、後半部分のみである。前半中心に大半はエドワーズ夫妻の政治家夫妻としての振る舞いの詳細、ヤングの地元活動と仕事の家庭への侵蝕の様子、2004年と2008年の大統領選をめぐる内幕の事情である。つまり、1990年代後半から2000年代にかけてのアメリカ政治、とりわけ南部地方政治と連邦上院の業務に参与した当時者による資料価値は相当程度ある。ここが出版社もそしておそらく著者も意図しなかった本書最大の副産物、ある意味では主たる価値である。

本書のエドワーズ不倫暴露本としての寿命は、メディア報道上は1ヶ月、暴露本好きの間で数ヶ月だった。しかし、アメリカの政治スタッフ、とりわけ地元スタッフが仕える政治家とどのような関係を築くのかについての現実の記録として本書は長い寿命を持ち得て、中間選挙前の現在においてもアメリカの書店や空港でペーパーバック版を手に取る人は少なくない。とりたてて有名人でもなく、報道官のようなテレビに出るスタッフでもなく、ボスの黒子として地元を守る立場の人間が、どのような1日を送っているのか。ボスである議員一家とどのような人間関係を持つことがあるのか。こうしたことが書籍として世に出るのはきわめて稀だからだ。

地元事務所スタッフという議員に近い存在

ヤングは立法補佐官ではない。世論調査に長けた選挙コンサルタントでもない。エドワーズの選挙に無給スタッフとして参加し、エドワーズが上院当選後はノースカロライナ州の地元オフィスで辛うじて採用された。しかし、政策専門家ではない地元スタッフのほうが、ワシントンのスタッフより意外にも議員との個人的関係では距離が近いことを本書は明らかにしている。これには複数の理由があろう。

第一に、政治家にとって再選が関心事である以上、選挙民や大口献金者の窓口をしているスタッフは重要である。第二に、その関連であるが火曜日から木曜日のワシントンでの行動は、金曜日の夜から月曜日の行動に従属するという当たり前の原則がある。議場でどのような投票行動をするか、議連でどう振る舞うか、どのテレビに出てどのようなコメントを発するか、どの議員と仲良くするか、どの陳情に時間を割くか、大統領や党執行部との距離感をどう取るか、政策も政務も選挙区や支援者が定義する。2年に1度の選挙にさらされる下院でこの傾向が強いが、ヤングの書は上院もエドワーズ事務所では同様であったことを記している。

そして第三に、これは議員のキャラクターによる要因も混在しているが、地元は議員にとって羽を伸ばし、自分らしさを取り戻す楽しいひとときだ。週末ごとに地元に帰らなくてはならず、パーティや冠婚葬祭で辛いというのは、政策に没頭したいタイプの政治家か、政治家を経験したことのない者の感想であり、アメリカの多くの議員にとって地元はワシントンの政争から逃避できるオアシスである。私の知る議員のなかにも「ワシントンは嫌いだ」と語る者は少なくない。キャピトルヒル詰めのスタッフ、シンクタンク関係者、ロビイスト、全国メディアの政治記者をワシントン好きと仮定すれば、各州から業務上の任務で火曜日から木曜日までワシントンに「通勤」している議員たちの心の拠り所は、かなりの程度地元にあり、10年以上連邦議員をしているのにワシントン嫌いというのは議員としては珍しくない。

実は地元スタッフはこうした議員の性質に近い要素がある。ケミカルな部分で議員と波長が合う腹心的なスタッフには、立法経験もワシントン在住歴もなく、メディアで名前が出ることもない、無名の地元スタッフがいたりするのはそのためだ。ヤングはこの類型に合致する典型的な「地元スタッフ型腹心」であり、エドワーズが愛人の世話をヤング夫妻に任せきりにするまでにヤングを信頼しきった背景には、ヤングとエドワーズの波長があったことが根底にあるようだ。議員の陳情はワシントンではなく地元事務所、週末日程に鍵、というのが「通」のロビイングでもあるが、本書はその手がかりにもなる。

ヤングはほどなくして、ワシントンの首席補佐官でも知らされていないエドワーズのプライベートな空間に組込まれていく。ヤングは地元事務所で運転手に志願するのだが、これがエドワーズとの盤石の関係の礎となった。アメリカの連邦議員には日本の国会議員ように議員車と運転手が割り当てられるわけではない。議員をレーガンナショナル空港からキャピトルヒルまで運ぶのは、ワシントン事務所のスタッフであり、同じく地元空港から自宅まで議員を運ぶのは、地元スタッフであり、いわばそのつどスタッフの誰かが「臨時運転手」となる。議員と密室空間の数十分は、雑談以上の深い会話にはもってこいである。地元スタッフは議員の自宅に入り込み、買い物を手伝い、家族ぐるみの付き合いに発展していく。ヤングとエドワーズの車内雑談により、両者の宿命の繋がりは規定路線となった。

内部の目線で描かれる「ワシントン」と地元選挙区の対比

そのヤングもワシントンへの憧れと劣等感から、議会事務所勤務を志願して、一時期ワシントンで議会事務所スタッフを務めるのだが、早々に嫌気がさしてノースカロライナ事務所に舞い戻る。赴任前に出会ったワシントンの議会事務所の同僚達の引用が興味深い。

「でも、アンドリュー、今でも十分望むものを手に入れているじゃないか」「美しい奥さん、赤ちゃん、持ち家、普通の生活という土台。これらはみんな私たち(ワシントン・スタッフ)の誰もが望んでいるけど、決して手に入れられないものだ。どうして君はワシントンにわざわざやってきて、せっかく手に入れたものを捨ててしまおうとするのかい。DCは悲惨(ミゼラブル)な所だよ。ここにいる人間はろくなものじゃない」

これに対してヤングは首を傾げる。「彼らがなぜそのようなことを言うのか、皆目見当がつかなかった。ワシントンは美しく、エキサイティングでチャンスに溢れた街に見えたから」

選挙や地元では辣腕をふるっていた上院議員のお気に入りスタッフのヤングが、議会ではまったく使い物にならない様子もリアリティがあって面白い。投票を呼びかけるベルがなんのことだか分からなかったり、議会スタッフが使用する専門用語も理解できず、ヤングは右往左往してしばらくは勉強の毎日だった。同じ議員スタッフでも、議会スタッフと地元スタッフがいかに違う職務かを具体例で示した体験談は貴重である。ワシントンは立法と議会の駆け引きの場であり、地元は選挙民向けのアウトリーチの戦場である。前者をこなすには執行部や同僚議員の腹心筋に横のネットワークを蓄積している長年の情報力、あるいは立法の専門能力がなければ難しいし、後者をこなすには選挙区の人口動態、産業、資金筋に熟達し、地元メディアとも太いパイプのある地方政治の猛者でなくてはならない。求められる資質があまりに乖離しているため、両方を深く経験したことがあるスタッフが、アメリカにもほとんど存在しない。

両方経験しないとお互いを客観目線で描くことができないので、ヤングの書以前はワシントンの政策プロが書く本は、どちらかというとワシントンのパワーの魅力一辺倒であり、地元スタッフは出版へのアクセスやチャンスを与えられないか、せいぜい「ワシントン」のエスタブリッシュメントの悪口を酒場で愚痴るに留まっていた。政策にも立法過程にも疎いヤングであるが、地元政務のプロの目線からのワシントン探訪録には、興味深い指摘も多々ある。例えば議員のスタッフのなかで一番権限を持っている重要な人物は、首席補佐官でもなく、立法補佐官でもなく、議員の面会者を決定する全権限を与えられている「スケジューラー」であるという指摘は、政策論の本質からはズレているようで、政務的にはなるほどその通りであると頷いた。スケジューラーは古参のスタッフが務めることが多く、議員の信頼も一番厚い。

選挙区政務一筋のヤングは、ワシントンには染まれなかった。ワシントン郊外のダレス国際空港までヤングの運転する車の中で、エドワーズは「アンドリュー、ワシントンで働くのが嫌いなんだろう?」と言い当てる。「嫌いですね、セネター。本当に嫌です」「ノースカロライナに戻りたいかい?」「はい」。こうしてヤングはエドワーズの特別な配慮によって、地元スタッフに返り咲く。そして、ますます議員との信頼関係は厚くなっていった。本書に描かれる地方政治中心で議員と関係を築くキャリアパスは、ワシントン一辺倒の政治スタッフたちに新鮮な驚きと嫉妬の念を与えた。これが、ワシントンで本書が驚くほど売れた逆説的な一因であると語る関係者は少なくない。アメリカの政治家の「秘書学」として、本書は実に示唆的である。

エドワーズの実像とメディア報道

エドワーズが庶民派のイメージを対外的には維持しながらも、政策にまるで興味のない外見とテレビ出演にしか興味のない人間であるということがヤングの筆ではこれでもかと描かれる。エドワーズが口にあった出来物を気にして部分整形を施していたエピソードも明かされている。ラスベガスでの労働組合のイベントでは、上着の内側に「メイド・イン・イタリー」のラベルが縫い付けられていることを知り、エドワーズはヤングの上着の「メイド・イン・USA」のラベルを服飾店に持ち込んで、急いで付け替えるように指示する。ブルーカラー層出身として親しまれていたエドワーズの大衆的人気も、上辺の演出に基づいていたことが暴露されている。

決定的だったのは2004年の大統領選挙出馬を話し合う内輪の会合のシーンである。参加していた元クリントン大統領選挙補佐官のアースキン・ボールズの「なぜ国民は貴方を大統領として選ばねばならないのでしょう?」という根本的質問にエドワーズがしどろもどろで、まともに答えられなかった。エドワーズは側近の前で自分に恥をかかせたボールズに腹を立て、エドワーズはそれ以後ボールズに助言を求めなかった。エドワーズはイエスマンを求めて、それによって自滅した。ボールズの耳の痛い忠告を聞き入れる度量を失っていた。2008年の大統領選では、エドワーズのもとに集ったジョー・トリッピとも喧嘩別れをしていた。エドワーズがトリッピを役立たずとして非難したのに対して、トリッピは静かに去った。

トリッピの助けでネット選挙を推進していたにもかかわらず、エドワーズ本人はコンピュータを使用しない人間だったことは本人が新テクノロジーのユーザーであるオバマとは対比的である。ヤングによるとエドワーズは電子メールもほとんどしたことがなかった。しかし、これはマケインにも当てはまることなので、エドワーズだけを非難するのはフェアではないかもしれない。ただ、マケインがネットを使用しないのは世代的には十分に理解できるのに対して、エドワーズがネット音痴であったのは衝撃だ。いずれにせよ、キャンペーン組織がネット利用に熱心なことと候補者本人のネットへの習熟は無関係である。

余談的ではあるが、メディア論として興味深いのはタブロイドの取材力が全国メディアをときに上回る現象である。エドワーズの不倫疑惑を最初に嗅ぎ付け、側近のヤングが愛人をかくまっていると察知し、ヤングの家までやってきたのはタブロイドの「ナショナル・エンクワイヤラー」紙であり、全国メディアは同紙の不倫報道を根拠のないものとして馬鹿にして、結果として選挙戦を通して最後までエドワーズに騙された。ただ、タブロイドは当たるとき、外れるときの幅が広く、少ない裏取りで飛ばし書きができることに強みがあったとも言える。これはブログについても言えることが本書では解説されている。

ヤングは「ほかのどの主流新聞もネットワークテレビも不倫を報道できなかったが、それは裏を取ることができるソースを見つけられなかったからだ」としている。本件を確実に追認できるソースは、エドワーズ本人、愛人のハンター、ヤング、ヤング夫人の4人しか存在しないのだから、これは至難だ。タブロイドにエドワーズの不倫を抜かれて、ヤングの本の出版でさらに自分達が落としていた新事実が暴露されて恥をかくこをと恐れていたアメリカの主流メディアは、ヤングの温情で皮肉にもなんとか面目を保った。

アメリカの政治家と秘書との運命共同体はマフィア的?

本書を読んだ政治スタッフの間で議論にのぼっていた感想で共通していたのは「どうしてヤングはエドワーズの隠し子を自分の子だと公言するまでして、エドワーズに忠誠を誓い続けたのか」という疑問だった。「自分だったらそこまでできない」という感想が多かった。一番簡単な答えは、ホワイトハウスでの職が目前にあったからだろう。自分も次のステファノポロスになれるかもしれないと思えば、多少の理不尽な要求も我慢できる。しかし、エドワーズが大統領になれる可能性が低いことは、先に述べたようにボールズの判断などからヤングも随所で感じ取っていたはずだ。2008年もアイオワ、ニューハンプシャーで連敗した時点でその芽は摘まれた。ここで示唆されるのは、「途中下車」ができない政治的な運命共同体の恐ろしさだ。ヤングは次のように述べる。

「愛とか家族という言葉は、力強い絆を感じさせる」「しかし、この絆はまた罠にもなる」「もしこれがマフィアの暗黙の契約のようなものに聞こえたとすれば、あなたは正しい。私の忠誠心は恐怖に由来していた」

ヤング夫妻は、収入、キャリア、持ち家など生活のすべてをエドワーズに依存していた。政治家と秘書の関係がマフィアに類似点している理由として、お互いに弱みを握り合うことにあるとヤングは述べる。エドワーズはヤングに「君は家族だ。今まで私が持ったことのない親友でもある」と囁き続けた。エドワーズは徹底した現実主義者であった。2008年の予備選でヒラリーとオバマのどちらを支持するか揺れる過程で、エドワーズは「ヒラリー・クリントンは理性的に共鳴できる選択肢、バラク・オバマは心情的に共鳴できる選択肢」だとヤングに述べている。ヤングもまた「現実」に生きた。収入源のすべてをエドワーズに依存していたヤングは、不倫隠蔽に泥沼まで加担しながら「副大統領候補にさせないといけない」として最後まで立ち回り続けた。それを渋々ヤング夫人も支えた。ヤング夫人の生活も夫の上司次第だった。

本書でヤングをこき使う悪女として描かれるエドワーズ夫人のエリザベスも、ファーストレディになるためには徹底して「現実的」であった。エリザベスとは私も2008年1月のアイオワのカフェで話したことがある。「ロビイストの金を一切使ってないから、ジョンを信じてほしい」と熱心に語り、私たちを引き連れてアイオワシティのプレハブのような事務所を練り歩き、フィールド活動に勤しむ若手地元ボランティアの慰労をした。同時期のエリザベスが、ヤングを怒鳴りつけ、不倫を察知して苛つく様子も本書に描かれる。激寒のアイオワで、昼食時に労働者の手を握ってまわるエリザベスは実に雄弁であり、自信に満ちており、夫を愛しており、日本から来た私にも時間を割いて熱心に理想を語った。エドワーズとエリザベスをめぐるその後とヤングの告白は、複雑な読後感をもたらした。

シカゴの仲間からプレゼントされた本書は、好奇心と理想に燃えてアメリカの政治の現場を駆け回ったことがある、すべてのアメリカ政治関係者の心に鉛のような重さで響いたに違いない。佳境を迎えている中間選挙で忙しく駆け回る全米の若い政治スタッフの鞄や車の中にも、本書がこっそり入っているかもしれない。エドワーズの顛末と本書の内容をきっかけに、理想的なアメリカの若者の間に誤ったシニシズムが蔓延しないことを願いたい。少なからずの関係者が、ヤングが将来的になんらかの形で政治の現場に復活する可能性を示唆しているが、当面その気配もない。



■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授

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