タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/3/26

アメリカNOW 第90号 低水準となった米医療費の伸び率と「次の医療改革」 (安井明彦)

米国で医療費の伸び率が低下している。今後の医療費の動向は、米国の医療・財政政策にも影響を与えそうだ。

下方修正された医療改革法の財政負担見通し

米議会予算局(CBO:Congressional Budget Office)が、2010年に成立した医療改革法(ACA:Affordable Care Act*1 )のうち、医療保険の加入者拡大にかかわる部分*2 が財政に与える影響に関する試算を改定した*3 。2011年3月の試算で1兆1,310億ドルとされていた2012~21年度の10年間にかかる財政負担は、今回の試算で1兆830億ドルへと引き下げられた。

改定のポイントは幾つかあるが*4 、財政負担の減少という点で興味深いのが、医療費の伸び率に関する見通しだ。

CBOは、ここのところ民間医療保険に関する費用の伸び率が低下していることを背景に、将来の民間医療保険料の伸び率の見通しを下方修正した。一人当たり保険料の年平均伸び率(2012~22年)は5.7%とされ、2021年の保険料は2011年3月の見通しよりも8%低い水準となっている。

保険料の下方修正には、ACAの財政負担を軽減する効果がある。ACAには保険加入者の拡大を進めるための財政支援策が盛り込まれており、保険料の低下はこうした方策に関する費用負担を低下させる。実際に、今回の見通しにおける財政支援策に関わる費用負担(2012~21年度)は、2011年3月の見通しよりも970億ドル少ない。CBOでは、保険料の低下を費用負担軽減の主要な理由にあげている。

低水準となった医療費の伸び率

ACAの財政見通し改定の理由にもなっているように、最近の米国では医療費の伸び率が低下傾向にある。2010年の一人当たり民間保険料負担の伸び率は3.7%となり、1994年以来の低水準となった(図1)。やや期間を長くとっても、2007~10年の年平均伸び率(5.4%)は、1969~2010年の平均(10.0%)を大きく下回っている。高齢者向けの公的医療保険であるメディケアの一人当たり支出も2010年は伸び率が低く(2.3%)、2007~10年の年平均伸び率(4.0%)でみても、やはり1969~2010年の平均(8.7%)を下回っている。

より広い指標である国民医療費(NHE:National Health Expenditures)でも、医療費の伸び率低下は確認できる(図2)。2010年のNHEの伸び率は3.9%となり、前年の3.8%に引き続いての低水準となった。やや期間を長くとっても、NHEの伸び率は2002年をピークに低下傾向にある。




米財政にとっては朗報

医療費の伸び率低下は、米財政にとっては朗報である。医療関係の財政負担の拡大は、米国の財政が中長期的に維持不可能といわれる最大の理由である。なかでも問題視されてきたのが、医療費が経済成長率を上回る伸び率で上昇し続けていることだった。

ところが、前述の図2にあるように、2010年の国民医療費の伸び率は、国内経済総生産(GDP)の成長率を下回る水準にまで低下した。これは、1990年代後半以来の出来事である。

このまま医療費の伸び率が低水準で推移すれば、ACAの働き方も変わってくる。同法で新設されるIPAB(Independent Payment Advisory Board)を使い、強制的に医療費を抑えこむ必要性が低下するのである。

IPABは、メディケアに関する財政負担の伸び率が一定の水準を超えた場合に、これを抑えるための方策を提言する独立機関である。議会にはIPABの提言を迅速に審議することが義務づけられており、IPABを医療費抑制の切り札的な存在と位置づける向きもある*5 。CBOの2011年2月の見通しでも、IPABには向こう10年間の医療費を140億ドル削減する効果があると見積もられていた*6

ところが最近のCBOは、もはや向こう10年の間にIPABが医療費抑制のための提言を行う必要性はなくなったとみている。医療費の伸び率の見通しを下方修正したからだ。IPABによる提言は、メディケアの一人当たり純費用の伸び率が、2015~19年はインフレ率、2020年以降は「一人当たりGDP成長率+1%」を上回った場合*7 に必要とされる。2012年3月のCBOの試算では、2022年までの間にこうした基準が満たされる年は存在しなくなっている*8

IPABは論争的な仕掛けである。選挙で選ばれていない独立機関が大きな権限を持つ点が批判の対象となっており、議会共和党を中心にその設立を阻止しようとする動きが続いている。医療費の伸び率がこのまま低水準で推移すれば、こうした論争的な仕掛けも発動されないことになる。

医療機関の対応がポイントに

ただし、このまま医療費の伸び率が低水準で推移するとは限らない。「IPAB発動の必要はない」とした前述の2012年3月のCBOの試算でも、メディケアの一人当たり純費用の伸び率は、2015~17年こそ1%台となるものの、2022年までには4.2%にまで再び上昇する見込みである。

医療費の伸び率が再び上昇するとみられるのは、最近の伸び率の低下には金融危機の影響が感じられるからだ。2007年以降の米国では、医療行為の利用度合いがかつてほど伸びておらず、これが医療費の伸び率が低下した大きな理由になっている*9 。厳しい金融危機の下では、あまり節約には向かないと思われる医療ですら、利用をためらう動きが広がっていた様子である。また、失業や勤務先の企業の経費節減などの理由によって、好むと好まざるにかかわらず、これまで利用していた民間医療保険が使えなくなった人も少なくない。

他方で、とくにメディケアに関する費用については、低水準の伸び率が今後も維持される可能性も指摘されている*10 。メディケアが緊縮方向で運営されていく可能性は高く、こうした動きを先取りするために、米国の医療機関が効率的な運営方法を積極的に取り入れようとしているからだ。ACAはもちろんのこと、これに先立つ2000年代半ばから、米国ではメディケアに関する医療機関への支払いを厳格にするような改革が相次いで実施されており、医療機関にとって効率化は避け難い既定路線になりつつある。このため米国の医療機関は、医師や病院の連携を強化し、地域の住民の健康を総合的に請け負うような仕組み(ACO:Accountable Care Organization)を構築するなど、効率化に向けた取り組みを進めている。

医療機関による効率化の動きからは、二つの示唆が得られる。

第一は、連邦政府の医療改革に先行して、民間主導で医療費が抑制される可能性だ。オバマ政権が実施したACAは、「医療費抑制という観点では力不足」という評価が主流である。しかし、連邦政府が実際に「次の医療改革」を行う前に、今後の流れを先取りした医療機関が効率化を競うことで、医療費の抑制が進む展開が想定できる。

過去の米国でも、民間主導で医療費が抑制された時期はある。1990年代前半の米国では、当時のビル・クリントン政権による医療制度改革が挫折した。しかし、民間部門でHMO型の医療保険が積極的に取り入れられたことで、1990年代半ばの医療費の伸び率は低水準に抑えられている。

第二は、医療機関による効率化の動きが、「次の医療改革」の原動力になる可能性だ。ACOなどの取り組みによって医療機関が効率化を進めるには、規制や公的保険における診療報酬の算定・支払い方式などの点で、制度的な支援が有用になる。効率化を促進するような制度改革を求める医療機関の要請が、「次の医療改革」を後押しする力学を生み出すかもしれない。

足下で低下している医療費の伸び率も、景気の回復が進むに連れて上昇圧力に直面する可能性が高い。米国が持続的に医療費の伸び率を抑えていくためには、医療機関による効率化と制度面での改革の歯車がかみ合う必要がありそうだ。



*1:CBOでは、Patient Protection and Affordable Care ActとHealth Care and Education Reconciliation Actを併せた呼称として、Affordable Care Actを使っている。
*2:このほかACAには、医療費の上昇を抑制する内容などが含まれている。
*3:Congressional Budget Office, Updated Estimates for the Insurance Coverage Provisions of the Affordable Care Act, March 13, 2012.
*4:例えばCBOでは、経済成長率の見通し引き下げに伴い、メディケア(低所得者向け医療保険)の加入者数の見通しを引き上げている。
*5:Ezra Klein, Can We Control Costs Without Congress?, Washington Post, March 26, 2010.
*6:Congressional Budget Office, CBO's Analysis of the Major Health Care Legislation Enacted in March 2010, March 30, 2011.
*7:いずれも当該年を含めた過去5年間の平均。
*8:Congressional Budget Office, H.R. 452, Medicare Decisions Accountability Act of 2011, March 7, 2012
*9:医療費の伸び率は、医療行為の利用度合い、医療価格、人口要因の3つで決まる。Anne B. Martin1, David Lassman, Benjamin Washington and Aaron Catlin, Growth In US Health Spending Remained Slow In 2010; Health Share Of Gross Domestic Product Was Unchanged From 2009, Health Affairs, January 2012.
*10:Chapin White and Paul B. Ginsburg, Slower Growth in Medicare Spending — Is This the New Normal?, The New England Journal of Medicine, March 7, 2012.

■安井明彦:東京財団「現代アメリカ」プロジェクト・メンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長