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先端医療について語り合える場をつくる~「生命倫理サロン」の試み

June 6, 2012

東京財団研究員
ぬで島次郎

東京財団が生命倫理サロンを開設してから、13回のサロン開催を重ねてまいりました。毎回、参加者の関心の高さと、考えるべきことの多さを感じています。
このたび、これまでのサロン開始後1年半を振り返り、サロンの趣旨や内容について紹介する記事が掲載されましたので、ここに転載いたします[聖教新聞2012年5月1日付紙面より]。

先端医療について語り合える場をつくる~「生命倫理サロン」の試み

自殺して脳死になった人から臓器をもらって移植を受けていいだろうか。よその女性から卵子を買って子どもをつくっていいだろうか。痛んだ臓器や神経の代わりになる「万能細胞」ができたというが本当だろうか――。

人間の生と死に深く手を下す最先端の医療は、多くの希望とともに、様々な懸念ももたらす。私たちは何をどこまでやっていいのだろうか。それを考えるのが生命倫理だが、新しい技術や研究は日々次々と報じられ、ついていくのもたいへんだ。まして、それらがもたらす問題をじっくり考えて話し合える機会は実に少ない。あそこに行けばいつでも生命倫理の話ができる、そんな場が身近にあるといい。

そういう思いで私は、民間シンクタンクの東京財団で、「生命倫理サロン」を始めた。その時々に話題になった先端医療や研究の専門家を呼んで、聞きたいことを教えてもらいながら、集まった人々と意見を交わす。みな、それぞれの立場はいったん離れて自由に、一個人として語り合う。それが「サロン」と銘打った趣旨である。幸い回を重ねるごとにご支持をいただき、この三月末までの一年半に、映画を楽しむ番外編も含めて十二回のサロンを催すことができた。参加者は、当初マスコミ関係者が中心だったが、いまでは医師、研究者、学生、教師、著述業、一般の方に広がった。年齢も幅があり、まさに老若男女になっている。

扱ったテーマも、臓器移植、再生医療、生殖補助医療などの先端医療だけでなく、食糧生産のための生命操作、進化生物学からみた少子化、震災後の電力不足が先端医療と医学研究に与える影響、新しい生き物をつくる合成生物学など、多岐にわたる。毎回、何をやっていいか悪いかについて答えを決めるのではなく、なぜ悪いと思うのか、いいと思うならどうしてそういうことをやりたいのか、一歩踏み込んで率直な意見を交わすようにしている。また、医学・科学について何を知りたいか、何を求めたいか、社会はそこにどう関わればよいのかを、個々の具体例に即して語り合うよう努めてきた。現場の実感を伴った専門知識を受け取れて、それをふまえたいろいろな意見が聞けて、主催者の私がいうのもおこがましいが、参加者に満足してもらえる場になっていると思う。

いま日本では、政府や国会など国レベルでも、専門の学会や大学などでも、こうした生命倫理の問題を考え話し合える場が、実はほとんどない。そこで民間の公益団体である東京財団が、市民レベルでの議論を喚起する役割を果たそうとしている意味は大きい。

「継続は力なり」という。生命倫理サロンでもそれを実感する。とにかくまず続けて行くことが大事だと考えている。そのうえで今後の課題としては、人の生命や身体の一部をどこまで医療や研究の「材料」として扱っていいのか、ルールをつくる基礎になる考え方を練り上げていけるように議論を深めていきたい。たとえば日本では、法律で売買が禁止されているのは臓器と血液だけだが、では人の皮膚や骨や脳(!)や、卵子や受精卵や遺伝子は、普通の物のように売り買いしていいだろうか。人身売買が禁止されるのと同じように、人の尊厳を保護するために、売買禁止の範囲はどこまで広げるべきだろうか。その基準となる根拠は何だろうか。

さらにつき詰めていえば、生命倫理とは、人の欲望とどう向き合うかという問題である。丈夫な身体で長く生きたい、いくつになっても子どもがほしいといった、人の生命と身体を巡る欲望は、果てしなく認められていいのだろうか。ここから先はやってはだめという、欲望を抑える一線があってしかるべきだろうか。そうだとしたら、大勢の人が受け入れられる「我慢する理屈」をつくれるだろうか。これから生命倫理サロンで、そういう議論を進められればと思う。

    • 元東京財団研究員
    • 橳島 次郎
    • 橳島 次郎

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