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《時評》臓器移植法改正~論議を閉ざす与党案一本化に反対する~

April 18, 2008

懸案であり続ける臓器移植法

脳死は人の死か否か、脳死状態の人から他の人の治療のために心臓や肝臓を取り出してよいか--1980年代から世論を二分する論議が続いた果てに、日本で脳死移植に道を開く臓器移植法が、1997年にようやく成立した。だが法に基づく臓器提供数は長く年一桁台で推移し、最近になって2006年10件、07年13件と漸増傾向ではあるが、諸外国に比べれば非常に低い水準にとどまっている。
これは、臓器提供の条件として生前の書面での同意を必須とする法規定が厳しすぎるせいなのか、それとも、日本人は脳死を人の死と割り切れず、脳死移植という行為を通常医療とは認めていないからなのか。脳死移植に対する賛否の議論は、いまだ決着がついていない。
こうした長年の世論の対立を考慮して、臓器移植法には、施行後3年を目処に必要な見直しを行うとの規定が設けられていた。その期限はとうに過ぎているが、現在国会には、推進・慎重両方の考えを反映した改正案が三本提出されている。

改正案の内容と与党案一本化の動きの浮上

脳死移植推進派からは、臓器提供の意思表示があった場合のみ脳死で死を判定し臓器の摘出を認める現行法に対して、脳死を一律に人の死とし、本人の意思表示がない場合でも家族の同意だけで臓器を摘出できるよう改正する案が出されている(2006年3月31日第164国会衆法第14号)。自民党の河野太郎衆院議員らが主導した案である。
これに対し公明党の斉藤鉄夫衆院議員らは、本人同意必須の規定は維持しつつ、臓器提供の意思表示ができる年齢の制限を、現行の15歳以上から12歳以上に引き下げる対案を提出した(2006年3月31日第164国会衆法第15号)。脳死を一律に人の死とする改正には賛同できないが、未成年者が臓器移植を受けられない法規定は改める必要があるとの認識に基づく改正案である。
一方、97年の最初の立法の際に、脳死移植に慎重な立場から対案を出した民主党の金田誠一衆院議員らは、脳死を一律に人の死とせず、逆に判定基準を厳しくするとともに、現行法では規定のない、生きた人から臓器を摘出し移植できる条件などを定めた改正案を提出した(2007年12月11日第168国会衆法第18号)。日本では、脳死移植より生体移植の数のほうがはるかに多く、腎臓や肝臓の移植に占める生体移植の割合は世界一高いにもかかわらず、法規制がなく野放しの状態にある。先の与党の二つの改正案は、この問題をまったく視野に入れていない。金田議員らによる改正案は、脳死移植論議の陰に隠されてきた、生体移植というもう一つの重要懸案に対応しようとするものである。
このように、それぞれの考えを持つ国会議員が主導して、超党派で三つの改正案が出されたことは、臓器移植に対し多様な価値観を示してきた国民に幅のある選択肢を提示した点で、高く評価できる。三案の審議を通じて、脳死は人の死か否か、臓器提供が認められる条件は何かについて、国会で日本社会の選択をあらためて示す機会がもてることを、私は大いに期待していた。
ところがこの4月11日に、与党の二つの案の筆頭提案者である中山太郎衆院議員と斉藤鉄夫議員の間で、改正案を一本化する話し合いがもたれた。世論の抵抗が強いと予想される本人同意規定の緩和を断念し、提供可能年齢の引き下げだけに絞る方向が検討されているという。
私は、この与党案一本化の動きに反対である。日本の臓器移植の今後の方向付けを論議する機会を閉ざし、問題を先送りするだけだからである。提案議員は責任を持って、それぞれの案を最後まで審議の対象にするよう求めたい。

国会審議の範となる先例として

臓器移植法は立法当初から、政府提案ではなく議員提案で進められ、脳死を人の死とするか否かで二つの対立する案が出された。死生観・倫理観に関わる内容なので、賛否を議員個々人の判断にゆだねるため、党議拘束が外された。審議では、提案した議員同士が質疑と答弁に立ち、論戦が交わされた。最終的には参議院で、臓器提供の意思を示した人の場合のみ脳死を死とし、臓器の摘出を認めるという修正案が出され、両院で可決、成立した。
この臓器移植法成立のプロセスは、国会審議はかくあるべしとの範を示した点で、大きな意義を持つと私は考える。ポイントは、以下の三点である:
*対立する論点に合わせて複数の法案が議員提案された
*党議拘束が外された
*審議を通じ、より多数が合意しうる線が探られ、それに沿った修正がなされた
生命倫理の問題に関しては、現在、移植医療だけでなく、代理懐胎の是非を中心とした生殖補助医療についても、日本学術会議が立法を提言している(本プロジェクト第3回研究会報告参照)。こうした多様な価値観の調整を必要とする政策課題について、社会の合意を形成するための立法は、すべて、臓器移植法が示した上記三点の先例に従うべきであると私は考える。

逐条審議できめの細かい議論を

臓器移植法の改正は、同法の審議の先例に従って進められると思われるが、充実した論議を行うためには、まだ不足の点がある。最後にその改善策を提案したい。
私は、臓器移植法やクローン技術規制法の策定に関わった経験から、日本でまともな国会審議が行われにくいのは、以下の点に原因があると考えるに至った:
*法案は提出時に完成品であることが求められる
→政府提案だけでなく議員提案でも法制官僚への依存度が高くなる
→法案は議員でなく役人がつくるものとの固定観念が克服されない
*重要な決定は議場の外で行われることが慣行になっている
→正式な議事録が残らず、決定の根拠の論理的正当性が問われない
*逐条審議をせず、一本の法案丸ごとへの賛否しか決められない
→多様な選択肢の取捨選択を通じた、きめの細かい政策決定ができない
繰り返し述べてきたように、臓器移植法改正は、国民の間に存在する多様な価値観の擦り合わせが必要な政策課題である。それに見合った充実した国会審議を実現するために、まず手をつけるべきなのは、最後に挙げた逐条審議の実現である。
日本で国会が逐条審議をしないのは、手続き法令で決められたことではなく、慣行でそうなっているだけである。実際、過去に逐条審議が行われた例があるそうだが、ほとんど活かされなかったため、とりやめになったと聞く。
価値観の多様化が誰の目にも明らかになった21世紀のいまこそ、旧来の慣行を改め、きめ細かい国会審議を行うことで、政治の活性化を図るべきである。臓器移植法改正は、そのまたとない好機だと考える。
どのように逐条審議をすればよいか、具体的にイメージしてみよう。対象は、臓器移植法という既存の法律の改正である。国会に提出されている三本の法案は、同じ一つの法律の、いずれかの条文を修正する形になっている。そこで、現行法に沿って逐条で審議を行えば、第一条について第一案ではこう修正、第二案ではこう修正、第三案ではこう修正するとしている、どの案がよいか、という議論ができる。
改正の主な論点は脳死後の臓器提供の条件の見直しで、該当する現行法第六条について、三つの案がそれぞれ異なる修正案を出している。そのどれにするか、さらに修正を重ねることも視野に入れて、十分審議してもらいたい。そのように実際の条文に即して審議を行えば、脳死は人の死か否かという問題についても、情緒的に拡散することなく、脳死の人から臓器を取り出してもよい条件は何かという政策論に集中した議論ができるだろう。
また、金田議員らの第三案は、移植医療の様々な問題に対応する、与党の二案にはない条項を数多く備えている。先に述べた生体移植に関するルールの新設は、その一つである。三本のうちどれを選ぶかという従来の審議では、第三案が選ばれなければ、他の二案が扱っていない問題への対応策が、ろくに検討もされないまま、賛否を示す機会もなく葬られてしまう。それではいけない。国会はすべての政策課題に誠実に対応するべきである。
逐条審議をすれば、生体移植に関する案についても、脳死移植の規定をどう改正するかという課題とは独立に、一人一人の議員が自らの判断で決定を下せる。その結果、生体移植条項の導入が否決されるなら、それはそれで国会の意思表示になる。提出されている第三案の内容に異論があれば、さらに修正案を出し合えばよい(どのような規定が必要かについて詳しくは、ぬで島次郎「生体移植の公的規制のあり方--臓器移植法改正試案」『法律時報』2007年9月号、48-53頁参照)。
三つの改正案では、異なる内容の条項を新設する修正を同じ枝番(第六条の二、など)にしているところがあるが、それらは予め事務方で整理し、重複を避けるため異なる枝番に付け替えるなどの処理をしておけばいいだろう。
移植法改正案は、衆議院厚生労働委員会に設けられた専門の小委員会に付託されている。時間をかけた審議ができるはずである。
政策の内容とその論拠だけでなく、そこに至る選択と決定の過程も、生命倫理の重要な《土台》であると考える。本研究プロジェクトでは、政策形成過程のあり方についても、提言を重ねていきたい。

ぬで島次郎 東京財団研究員、プロジェクトリーダー

    • 元東京財団研究員
    • 橳島 次郎
    • 橳島 次郎

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