タイプ
論考
日付
2009/2/25

《時評》受精卵取り違え~事故対応だけでなく親子法の整備を

受精卵取り違えの衝撃

 2月19日、香川の県立病院で、前年秋に不妊治療を受けていた女性が誤ってほかの夫婦の体外受精卵を子宮に移植され妊娠した疑いが生じ、人工中絶していたとの発表があり、ショッキングなニュースとして大きく報道された。
 外科手術で患者が取り違えられ、必要でない切除を受けるという事件はこれまでもあった。だが今回の受精卵の取り違えは、患者本人だけでなく、そこから新たな人の命が生まれる事態を伴う点で、同じ医療過誤といっても、意味合いと影響は著しく異なる。
 そのような重大な過誤を起こした医師と病院が責めを負うべきなのはもちろんだが、社会全体としても、考えなければならない問題があると私は考える。

生命の操作への畏れと懸念が希薄になっていたのではないか

 日本で最初の体外受精児が生まれたのは、1983年である。その後四半世紀を経て、体外受精はいまや一年に約14万件も行われている(2006年、日本産科婦人科学会調べ)。今回のケースは受精卵の取り違えだったが、それとともに現場で危惧されているのは、体外受精や人工授精に用いる精子の取り違えである。それだけ膨大な件数が、ルーチンで行われているということだ。
 この2月初めには、いままで公認されていなかった、友人や姉妹からの卵子の提供によって子が生まれたという発表があって、これも大きく報道された。もしこうした特定の近しい人からの卵子提供が受け入れられ広まるようになれば、より複雑な事情を生む取り違えも起こりうることになる。
 日本では生殖補助医療は、社会的な議論を経ずに、現場で既成事実が積み上げられて進められてきた。ここまで生殖補助医療を普及するにまかせてきたことで、人の生命の始まりを操作しているという畏れと懸念が、産科医だけでなく、社会全体において希薄になっていたのではないだろうか。
 体外受精の技術が人で実用化された1970年代末から、西欧では、人の生命の始まりに手を下すことへの畏れと反発が強まり、1980年代から90年代にかけて、多くの国で生殖補助医療を規制する立法が行われた。たとえばイギリスやフランスでは、体外受精を行う施設はすべて国の免許または許可を得なければならないこととされた。公的機関が、施設の人員や設備が適切かどうかをチェックし、適正な施術が行われるよう管理する仕組みがつくられたのである。
 だが日本では、生殖補助医療に対し公的管理は行われず、産婦人科医の自主管理に委ねられてきた。ようやく1998年に旧厚生省が規制を検討し始めたが、その対象は、当時マスコミなどで問題にされた第三者からの卵子や胚の提供、それに代理懐胎の是非だけで、西欧では等しく公的規制の対象とされた、夫婦間での生殖補助医療は対象外とされた。世論もこうした規制対象の限定に異議をはさまなかった。第三者が関与するかどうかにかかわらず、体外受精そのものが公的管理の対象となるべき重大な生命操作だという認識が、西欧に比べ日本では非常に希薄だったといわざるをえない。
 人の生命を操作しているという畏れをもって常に緊張感を維持することが、体外受精などを施すプロフェッショナルの職業倫理として必要であるのはいうまでもない。そうした職業倫理を根付かせ維持するには、生殖補助医療を受ける側、社会の側にも同じ畏れと緊張が求められる。

過誤を防ぐ技術的管理は現行法の枠内でできるのか

 そのうえで、今回のような過誤を防ぐためには、個々の医師や医療機関に自主管理の徹底を求めるだけで十分か、公的な管理が必要だとすれば現行法の枠組みだけで足りるかどうかを、検討しなければならない。いまのところ厚生労働省は、医療法に基づく指導と調査で対応しようとしているようだが、保健所が第一線の窓口になるようなので、必要な専門知識と人員が確保されるのか、心もとない。全国に、体外受精を行う施設は大小取り混ぜて600程度あるとされている(日本産科婦人科学会に2006年末に登録していた施設は575)。やるのであれば、イギリスやフランスのように専門の独立行政組織を設けるまでいかなくとも、厚生労働省母子保健課に専従の管理室を設けるくらいの体制がいるだろう。それに必要な管理権限を明確にするために、生殖補助医療に関する立法を策定し規定を設けることを検討すべきである。

事故対応に加え、生まれる子の地位の保護が必要

 しかしどれだけ厳密な技術管理を行っても、ミスは起こる。そうした過誤は、生殖補助医療を認める以上、引き受けなければならないリスクである。
 生殖補助医療に伴うリスクは、冒頭で触れたように、過誤が患者本人だけでなく、新たな人の命の誕生という事態につながる特殊な性質のものである。したがって、生殖補助医療の問題に対応するためには、医療上の管理だけでは足りない。生まれてくる子の地位を保護し、安定した親子関係を確立するための法的手当が必要になる。西欧では、生殖補助医療の管理に関する法律はほとんどみな、親子法に関する条項を含んでいる。
 具体的にいえば、精子・卵子や受精卵の由来する人と、妊娠し出産する人と、生まれてくる子を育てる人が一致しない場合が出てくるので、産まれてくる子の親になるのは誰かについて、ルールを明確にしておかなければならない。従来の民法では、親子関係はまず血縁に基づいて決めることを前提にしているので、たとえば不妊カップルのために他の人が精子や卵子を提供した場合、血縁(生物学的由来)でいえば提供した人が生まれてくる子の親とされてしまうことになる。そこで、諸外国のこれまでの立法では、第三者からの精子、卵子、胚の提供を認めるとすれば、生まれてくる子の親は生殖補助医療を受けたカップルとし、提供した人は親にはなれない(されない)と定めるのが普通である。
 このルールが、第三者からの提供を伴わない、カップル間だけでの生殖補助医療においても、取り違えが起こった場合に適用される必要が出てくる。今回のケースのように、取り違えの疑いが妊娠の初期に説明され、人工中絶という苦渋の選択がとられた場合は親子関係の問題は生じないが、中絶できる時期を超えたあとに、または子どもが生まれたあとに、取り違えが発覚する事態も想定される。その際、それは誰の子どもなのか、誰が親となり育てるのかについて、当事者の間で争いが起こることがありうる。そうした事態を防ぐために、カップル間の生殖補助医療において、精子、卵子または胚が誤ってほかのカップルに用いられてしまった場合は、取り違えられた元の男女は生まれてくる子の親とされることはない、といった規定を設ける必要がある。

今回の取り違えを教訓として活かすために

 昔から、産院などで生まれた赤ちゃんが取り違えられよその親に引き取られ、そのまま親子として暮らすというケースはあった。養子一般もそうだが、親子関係を成り立たせるのは血のつながりだけではない。それは民法も特別な場合として認めてきたことで、生殖補助医療は、今回のような過誤・事故がありうることも含め、そこに新たな例を付け加えるだけなのだともいえる。
 先に述べたような親子関係に関する立法が必要であることは、2003年7月、法制審議会に設けられた「生殖補助医療関連親子法制部会」の答申で示されていた。同部会では、今回のような取り違えが起こった場合の法的問題について、すでに検討していたのである。しかしその後生殖補助医療の法規制については、代理懐胎の是非に議論が狭まってしまった結果、この論点は取り上げられずに放置されてきた。これは専門家や行政だけでなく、私たち社会の側もおおいに反省しなければいけない問題である。今回の取り違え事件は、そのことにあらためて気づかせてくれた。この教訓は、活かされなければならない。
 「生命倫理の土台づくり」プロジェクトではこの1月末から、さまざまな専門・立場の外部の有志の方の参加をお願いして、生殖補助医療の法規制について政策提言を準備する作業を行っている。3月中にまとめる予定の提言においては、今回の事態にも対応できるような立法事項案を盛り込みたいと考えている。ぜひご意見をお寄せいただければ幸いである。

ぬで島次郎 プロジェクトリーダー