タイプ
レポート
日付
2010/3/30

公開研究会「政策研究としての生命倫理-プロジェクト2年半の総括」

2007年11月から行ってきた「生命倫理の土台づくり研究」プロジェクトの総括として、2010年3月18日に公開研究会を行った。その概要を以下に報告する。

日時:2010年3月18日(木)午後2時から5時まで
場所:東京財団A・B会議室
出席:研究メンバー9名(青柳、小門、島田、橋爪、洪、光石、ぬで島、冨田、吉原)、
    加藤会長およびマスコミ・大学・企業などからの一般参加者約30名

1 プロジェクト成果報告(ぬで島)

 まず研究リーダーのぬで島が、本プロジェクトで行ってきた議論と成果を、次の6つの項目に分けて報告した。


 0. 【哲学的土台】~日本人固有の生命観、身体観はあるか
 1. 【科学的土台】~生命科学研究の自由と制約の原理
 2. 【医学的土台】~再生医療研究の「仕分け」
 3. 【法的土台(1)】~親子を決める原理
 4. 【法的土台(2)】~人の生命と身体の要素の地位を定める
 5. 【社会的土台】~情報と議論の場のつくり方・「倫理サロン」の提案

  →詳しい報告はこちら (PPT)
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2 プロジェクトの総評(橋爪氏)

 次いで研究メンバーの橋爪大三郎氏(東京工業大学教授、社会学)に、ご専門の「言語ゲーム」の観点から、生命倫理について論じなければいけないことはなにか、本プロジェクトではそれがどこまでできたかを、講演していただいた。
→動画レポートはこちら


1)総 評:

 結論から先に言うと、このプロジェクトでは出来た課題より残した課題のほうが多く、「日暮れて道遠し」の感がある。しかし生命倫理政策の土台をつくろうという作業を行っている研究は日本国内にはほかになく、このプロジェクトが唯一のものといえるので、その点では誇ってよいところもある。

2)社会の土台は、言葉である:

 生命倫理政策は、価値と意味を扱う。価値は個別的なものであるが、意味は相互に関連した網の目を成している。自分に直接関係ないことにでも、悩んだり怒ったりする。生命倫理が対象にするのはそうした意味の網の目であり、それは個別の権利に回収できないことである。したがって生命倫理に関する法律をつくろうとすると、権利を定める通常の法律とは異なる、意味に拠る法律となる。
 人を人たらしめているのは、言葉によって意味の網の目の対象を存在させ、それが他者への配慮の源となっている点である。その互いの配慮のなかで、人々は生命をまっとうすることに価値を置く。
 倫理とは、悪をおかさないよう自己を律して世界の意味を守ることである。それに対し法は、悪をおかした者を処罰して世界の意味(正義)を守る。
 文字は、ルールを書きとめ、法を目に見える対象にする。宗教は、意味と価値の根源的なあり方を書きとめることから生み出される。宗教は、意味や価値があるものとないものを判別する。したがって宗教は立法の根拠の重要な源となる。
 政府は、法を執行し人々の生きる価値と意味を守るだけでなく、法を制定し、特定の行為を規制することで、人々の生きる価値や意味に介入する。

3)生命倫理の土台とはなにか:

 生命倫理は、生命を巡る科学や医学の活動に、政府が規制を加えることである。その意味で生命倫理は、倫理(個人が自己を律する原理)ではない。法またはそれに準じたルールを指している。
 生命倫理は、人の人格や存在と分離した人体の扱いを決めなければならない。場当たり的にそれをすると、人体について、人の生命についての意味の網の目が壊れてしまう。統一したルールの形成が必要である。
 現実は連続的だが、言葉は離散的(分断的)である。言葉を用いると、現実の連続には問題がないのに、そこに分断を持ち込んで、見せかけの矛盾が生じる。「人」や生と死などの基本的なことがらほど、言葉に置き換えるとそうした矛盾=意味のシステムの危機が生じる。そこにこの分野の法や倫理の難しさがある。それを覚悟しないと、議論はできない。
 人から切り離された人体を不適当に扱うことは、そうした意味のシステムの危機が問題になる、新しい事態である。

4)課題はどこまで掘り下げられたか:

 生命倫理の土台をつくるためには、科学、医学、国家(政府)、宗教という言語ゲームのそれぞれの中味を記述し、それら異なる言語ゲームの間の関係を記述し、整理する作業を行う必要がある。
 これは、新しい意味や価値を作り出す作業ではない。すでに人々が持っている意味や価値を抽出する作業である。社会全体だけでなく、それぞれの業界にも備わっている価値と意味の相互承認と調整・再編によるルールづくりが、果たすべき課題である。
 ルールづくりは、現場についての情報を集めるだけではできない。それぞれの現場のルールを集めて取捨選択する作業が必要である。そこで、生命倫理に関わる異なる言語ゲーム間の調整をするには、表れた多様なオプションの間に生じる矛盾を捉えていくとよい。何が矛盾かを絞ってヒアリングしないと、議論が拡散してしまう。当プロジェクトでは、そうした戦略に沿った進め方が十分になされなかった。仕事はスタートに立ったばかりで、これからの課題が多い。
 生命倫理の土台づくりの基本ルールは、「規制が必要であることを論証できなければ、その規制は必要ない」ということである。科学はダメといわれること以外はすべてやってよい営みであるのに対し、政府の活動はやってよいといわれたことしかしてはいけない営みである。科学と国家がそうした正反対のルールで動いていることの関係をどう調整するかを、考えていかなければならない。科学と技術がもたらす新しい可能性を先取りして、20年先にどのようなルールが必要かを構想していってほしい。

3 研究メンバー間の討議

 以上の報告と基調講演を受けて、研究メンバーから、以下のような感想や議論が出された。
*島田氏(宗教学):
 生命倫理は外国から来た議論で、日本で内発的に起こる議論ではないので、難しかった。医学研究者は、直に話を聞いてみると、真っ当にやっているという印象を受けた。日本のこれまでの生命倫理は、みなに納得してもらえそうにないことは回避するだけですませ、議論が起こらないような方向にいきやすかった。それが研究を阻害している面があると感じた。科学の規制でなく発展の土台をつくることも必要だろう。

*光石氏(弁護士):
 欧米の一般原理ではなく、個別具体の権利・人間の尊厳を守りたいと考え、生命倫理に関心をもってきた。生命倫理と翻訳された英語のバイオエシックスは、多くの人に利益があれば少数の人が無視され犠牲にされてもかまわないとの最大多数の最大幸福のような誤った功利主義の考え方に立って議論しているように感じる。そのような多数の利益を図る議論ではなく、その上のレベルに立った「メタ・バイオエシックス」の視点を重視しなければならないと考える。

*洪氏(文化人類学):
 プロジェクトでは、一般の生命倫理のイメージとは違う、整理した議論が聞けた。韓国でも、生命倫理を発信する人は西洋留学組が多い。固有の文化や価値に遡った議論はされていないと感じるので、そこが課題だと考える。

*青柳氏(憲法学):
 憲法の規定は、制定された当初の想定に縛られるものではなく、その後の新しい問題にも適用されていく。ドイツ基本法の「人間の尊厳」を保障する規定は、制定時はナチスの蛮行を否定するためにつくられたが、その後の新しい生命倫理の問題にも適用して議論されている。日本国憲法の学問の自由を保障する規定も、制定時は想定されていなかった現代の生命科学・医学がもたらす問題に適用できる。そうした議論をするべきである。

*小門氏(フランス生命倫理思想):
 プロジェクトでの議論で用いられる「生命倫理」という言葉と、プロジェクトに来ていただいた医科学分野の研究者の用いる「生命倫理」という言葉に込められた意味がだいぶ違っていたと思う。何が違っていたのか、考えていきたい。代理懐胎の問題を扱ったが、一国で禁止しても外国に出かけてやってしまうので、国内での法整備だけでは対応できないことを痛感した。

4 参加者との討議

 次いで、一般参加者との間で、以下のような議論が交わされた。

*異なるゲームの構成員の間で、言葉の違いをどう乗り越えて共有していけるのか?  たとえば法学者は倫理を法に持ち込んではいけないと考える。そこをどう乗り越えて生命倫理の法をつくるのか。
 →専門用語は不可欠で、解消は不可能だ。異なる語法の間を通訳する存在をつくるか、専門集団の内外で言葉を使い分ける習慣を確立するしかない。
 法も意味と価値に基づく規範であり、意味や価値に深く関わる生命倫理に関する法をつくることはできる。今日の講演で、それを相互に理解する基盤ができたのではないか。

*具体的な被害は見当たらないが、意味の網の目が脅かされる事態にどう対応するのかが生命倫理だ、という橋爪氏の指摘は腑に落ちた。代理懐胎だけでなく、第三者の精子や卵の提供による生殖補助は、まさにそうした問題を、とくに生まれた子にもたらす。まずはどのような問題が生じているかを、知っていってもらいたい。

*先端医療における人体の一部の利用は、提供する人と受け取る人の間に大きな格差、不平等があることがいちばんの問題ではないか。とくに、コストの低い国に出かけて先端医療を受けるツーリズムが蔓延してきた。そうしたグローバリズムがもたらす経済格差などの前では、先進国内の生命倫理の議論は無力ではないか。
 →先にもメンバーから一国では対応できないとのコメントがあったが、国際的なレベルでの取り組みが不可欠なのは間違いない。だが国際社会での対応を求める議論を行うには、自国の姿勢とルールを確立したうえでないと、力を持てない。フランスが生命倫理法の制定を急いだのも、国内問題への対応だけでなく、国を超えたレベルでのルールづくりの議論をリードするためという面もあったと考える。日本もそうした取り組みを急ぐ必要がある。

*生命倫理の議論を進めるには、意味や価値だけでなく、事実も共有されないといけない。そうした情報提供の場が必要だ。報告にあった「倫理サロン」の提案に賛成する。

5 閉会の辞

 以上の討議を受けて、加藤会長から、以下のような締めくくりのスピーチがなされた。

*日本ではいったん法律をつくると、そこに書いてあることが無思考、無批判に受入れられていってしまう。昨年の臓器移植法の改正でもそう感じた。それではいけないということを、政策提言においては常に認識していなければならない。
 法律案の提示にまで至らなくとも、研究と討議を通じて多様な論点をまとめ社会に浸透させることも、重要な政策提言である。本プロジェクトはこれで一区切りを付けるが、そこで得られた論点をどう生かしていくか、この問題への取り組みは今後も続けていきたい。

 最後に、研究メンバーと参加者の方々、および財団スタッフに感謝し、閉会とした。

以 上
(とりまとめ:ぬで島次郎・研究リーダー)



生命倫理の土台をつくる-研究総括と、その先の課題-(ぬで島次郎  東京財団研究員、プロジェクトリーダー)
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言語ゲームとしての生命倫理(橋爪大三郎 東京工業大学教授、プロジェクト・メンバー)
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