タイプ
論考
プロジェクト
日付
2014/7/8

【Views on China】水土流失と砂漠化



認定NPO法人緑の地球ネットワーク事務局長

高見邦雄

農業と農村が専門のカメラマン・橋本紘二さんが大同の農村に6年通い、写真集『中国黄土高原~砂漠化する大地と人びと』(2001年、東方出版社)を出版した。風景写真のほぼすべてに侵食谷が写り、人びとの生活にも侵食谷が溶け込んでいて、深いものは100mもある。黄土高原では侵食谷がどこでも見られるし、それまで見たことのない光景に日本人は引きつけられる。

 

平均400mmの年間降水量の3分の2以上が6月半ばからの3か月に集中する。暑い時期の雨は狭い範囲に短時間、集中的に降ることが多い。山の上で見ていると、黒い雲がかなりの速さで移動するが、その下に黒いカーテンのように見えるのが雨で、しばしば激しい雷をともなう。1時間70mmの雨を私も何度か体験したことがある。「ゲリラ豪雨」の呼称はここの雨にこそふさわしい。 黄土高原は長い歴史のなかで森林が失われた。植生の乏しい大地を雨がたたき、土を押し流す。水もそこに止まることがない。中国ではそれを「水土流失」と呼ぶ。黄土は粒径が0.004~0.06mmのシルトで、乾いているときはスコップの刃がたたないくらい固い。ところが、砕かれると微小な粉になって風に舞い、わずかでも水が加わるとグリスのように溶けて流れだす。 畑の土壌は単なる鉱物ではない。農民が何代、何十代もかけて堆肥を運び入れ、肥やしてきたものだ。1cmの表土の形成に百年以上を要すると言われる。畑や山の土が流されると、土地は劣化し、作物や植物を育てる力を失う。これが黄土高原における砂漠化である。皮肉なことに黄土高原では雨が砂漠化を加速しているのである。 そんな話を聞いても、日本人にはピンとこないだろう。中国政府の発表によると、黄土高原から黄河に流れ込む土の量は、年間16億tに達する。この土で幅1m×高さ1mの堤防を築くとすると、その延長はどれほどになるか。目盛りを赤道1周とし、次のなかから近いものを選んでほしい、というクイズを私は講演のたびに出す。0.5周、1周、3周、5周、10周、30周。 正解者が10%に達することは、日本でも中国でもまずなく、1人の正解者もないことも多い。黄土の密度を1.4g/cm3で計算すると、長さは114万kmにもなり、正解は最後の赤道30周。それが毎年なのである。 水土流失の深刻さを表す言葉に「三跑田」がある。「田」は畑、「跑」は逃げるの意味で、雨のたびに水が逃げ、土が逃げ、肥料分が逃げるというのである。傾斜がきつく、表土が浅いところでは、傾いたままの畑に作物を栽培している。その光景をみて、日本人だけでなく、都市からきた中国人が「どうしてこんなところまで…」といって絶句する。 毛沢東の「農業は大寨に学べ」という号令で全国に知られた大寨は、大同から南に270㎞、同じ山西省で、水土流失が深刻な三跑田だった。少しでも水土流失を減らすため、気の遠くなるような努力の末に、一枚一枚を水平な畑に改造し、見事なまでの段々畑を作り上げた。それが刻苦奮闘・自力更生のモデルとされたのだ。 1970年代に私は3度、大寨を訪れたことがある。鳥取県の貧しい農家で育った私は、「中国の農民もものすごい努力によって、大事業を起こした」と考えて、感動を隠さなかった。同じ時期に大寨を訪れた私の友人は、「大寨では小鳥の声を聞けなかった」と話した。大寨に森林がないことに気づいていたのである。 夏の雨が土を流し、それが砂漠化を加速するのは原因の半分であり、あとの半分は人の営為によるものである。黄土高原で森林がなくなった一番大きな原因は過剰な耕作である。山や丘陵の急斜面まで畑が耕されてきた。

 

ヒツジ、ヤギなどの放牧もある。被害が深刻なのは春先で、青いものがどこにもないため、前足で草の根本をかき出して食べている。ヤギは急な岩場も登っていく。林業関係者は「100人が植えた木を100頭のヤギが台無しにする」と話すが、実際はそれ以上かもしれない。政府は懸命に規制しており、農家が放牧で得る収入も多くはないが、貧しい村ほどそこからの収入を無視できず、完全になくすことができない。

生活燃料を得るための伐採もある。大同は中国有数の石炭産地であり、農村でも石炭を使うことが多かった。ところが原油の値上がりに引きずられて石炭価格も上昇し、2000年に1t60元だったものが、2008年末には850元になり、いまでは1000元を超えている。そうなると農家は手を出せない。トウモロコシやヒマワリの茎や芯、アワ、キビの藁などを燃やしているが、足りない分を山に求める人が一時期より増えた。 貧しい農村ほど子供の数が多いのは、男の子が生まれるまで産もうとするからである。山間や丘陵の村は、規模が小さく、農家数が少なくて、1戸あたりの耕地は広い。水と土の条件が悪く生産性が低いので、広くなければやっていけない。そのような村ではウマ、ウシ、ロバ、ラバなどの大家畜を飼えず、耕作は人力に頼るしかない。遠距離の水運びもあった。男手がなければ、生活が成り立たないのである。「女の子も後継ぎだ!」「男も女も同じように良い!」といったスローガンが書かれているが、男手が必要とされる現実があるうちは、なかなか浸透しない。 付け加えると、農村でも収入が上がると、男の子への執着が薄くなる。「ほかの村に嫁に行っても、娘はなにかの機会にみやげをもって帰ってくる。男の子は結婚したら寄りつかなくなる」というのだ。そして、子供が学校に通うのが普通になると、政府の強制がなくても、子供の数は確実に減っていく。 そのような農村事情を折り込んでチャートにし、「環境破壊と貧困の悪循環」と名づけた。1994年8月、最初に専門家を派遣したときの1人が前中久行さん(緑の地球ネットワーク現代表)だった。ほかの専門家のフィールドが熱帯や日本国内であるのに対し、彼は内蒙古自治区を初め中国の乾燥地を研究対象にしていた。そして、「自然の条件は内蒙古がはるかに厳しい。ところが村の様子は大同が貧しいし、農家を比較すると圧倒的にこちらが貧しい。結局は人口/土地問題ではないか」と指摘した。それを機に農村社会の全体を見る目が開かれたのだ。



その農村に大きな変化が現れている。出稼ぎが増え、若い人の姿が農村から消えてしまった。老人と子供が残っていたが、そのうち子供もいなくなり、山間の村では老人だけが取り残されている。 もう1つは朱鎔基総理の時代に推進された退耕還林政策だ。急傾斜地など条件の悪い土地の耕作をやめ、そこを林地に還していく。長く続いた耕地拡大の歴史を逆転させる大胆なものだった。現場では、条件に恵まれ、経済的にも恵まれた農村にプロジェクト(お金)が引っ張られ、道路脇の上質な畑にマツやポプラが植えられるちぐはぐ現象も見られたが、農村の緑化が大きく進み、環境改善が進んだのも事実である。 2008年12月、大同は厳しい寒波に襲われ、外での活動ができなくなった。その機会に私は大寨に向かった。大きな変化が現れていた。かつて大寨のシンボルとして段々畑が切り開かれた虎頭山が森林公園に変っていたのである。退耕還林が試験的に開始される1999年の7年前の着工だった。緑の地球ネットワークが大同での緑化協力を開始した年でもある。人間が壊し続けてきた環境を、修復する力もまた人間は持っている。