タイプ
論考
プロジェクト
日付
2014/10/14

【Views on China】近代戦争の長い影(2) -第2回 日清戦争勃発120周年をめぐる中国の諸言説


筑波大学人文社会系助教
毛利 亜樹

 2014年は「歴史」の語られる年である。欧米や日本の言論空間では、第一次世界大戦勃発から100周年にあたり、今日の東アジアにとっての「教訓」への関心が高まっている。本稿は、これを踏まえ、2回に分けて2014年の習近平政権による近代戦争の教訓の語り方に注目し、それを分析する試みである。

 

    前編では、欧米や日本の言論空間にある第一次世界大戦アナロジーに対する中国政府の反応を扱った。これにより、2014年上半期の習近平政権による、国際舞台における中国の否定的イメージの払拭と対日ネガティブ・キャンペーンの展開について考察した。すなわち、中国政府は、現在の中国を第一次世界大戦後のドイツになぞらえる海外での言説を否定した一方で、2012年秋より、日本を「戦後国際秩序への挑戦者」として印象づけるためのアナロジーを積極的に利用していたのである。

 

 この後編では、中国における日清戦争(1894年~1895年、中国語では甲午戦争)勃発120周年の関連報道を中心的に扱う。本稿では、中国側の言説を紹介する時には、日清戦争ではなく中国語原文の甲午戦争の表記を使用する。伝統的な中国暦では60年毎に甲午の年がやってくる。2014年は日清戦争が勃発した1894年から2度目の甲午の年である*1。この中国暦に基づくサイクルを中国政府が意識したことは、7月25日が関連報道のピークであった点に現れている*2。1894年のこの日、朝鮮半島西岸の豊島付近で、黄海海戦の端緒となった戦いがあったのである。

 

    日清戦争に関する中国側の一連の報道において、日本はどのように語られていたのだろうか?これを検討することで、3つの点を明らかにできる。第1に、中国政府は尖閣諸島をめぐる独自の主張を次第に宣伝しなくなったという変化である。第2に、複数の政治アクターは、日清戦争の記憶喚起により自らの政策選好の重要性を強調する、という中国の政策決定過程の多元化である。これら2つの点を明らかにすることで、第3に、習近平政権下の中国で激しい日本批判が継続しながら、尖閣諸島をめぐる独自主張を中国政府が次第に宣伝しなくなったという変化の生じる理由を説明できる。

1.近代戦争の記憶を喚起する習近平政権

甲午戦争120周年をめぐる中国の諸言説を分析するまえに、2014年上半期の歴史に関する習近平政権の動向を簡単に振り返ろう。

習近平政権は、これまでの共産党政権と同じく、抗日戦争の記憶を呼び起こすことで国内と党内の結束を強めようとしている。2014年2月末に開催された第12届全国人大常務委員会第七次会議は、毎年9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」とする決定を採択した。これまでは国務院の規定に基づき戦勝記念日が運営されてきたが、習近平政権はこれを国家の法律に基づく行事に変えたのである。その理由は、中国人民の抗日戦争における献身と貢献を追憶し、中国人民の日本帝国主義の侵略に対する闘争を銘記し、世界ファシズム戦争における中国人民の抗日戦争における重要な地位を検証し、断固として国家主権、領土の完全性、そして世界平和を護持するという立場を表明し、愛国主義を核心とする偉大な民族精神を高揚するため、と説明された*3

 

習近平自身の言葉に目を向けよう。2014年3月末、ベルリンを訪問した習近平は、「歴史は現実の根源であり、いかなる国家の今日も過去から続くものだ」と述べた。つまり習によれば、ある国家の現在と今後の方向性は、その国家の過去の歩みにより決定されるという。

 

ここには歴史のアナロジーより一歩踏み込んだ、歴史的決定論ともいうべきトーンがある。この歴史的決定論を通じ、習近平はベルリンの聴衆に、今日の中国理解の枠組みを提起していた*4。すなわち、アヘン戦争を経験し日本軍国主義の侵略を受けた中国は平和発展の道を行く、という認識枠組みである。それだけではない。習近平は南京大虐殺にも言及することで、言外に日本軍国主義は現在の日本理解の枠組みでもあることをアピールしていた。つまりベルリンでの習近平は、「日本軍国主義」と「平和発展の中国」を対比することで、自らも国際舞台における対日ネガティブ・キャンペーンを担ったのである。

 

2014年の夏にピークを迎えた甲午戦争120周年関連報道も、歴史が現在のあり方を決定するとの枠組みがあった。第1に、甲午戦争に見られた日本軍国主義は今日の日本の危険性を示すとの主張がなされた。第2に、甲午戦争を計画的、戦略的に発動した日本に対し、腐敗し無能であった清朝の問題から、今日の中国は教訓を学ぶとの主張も繰り返された。つまり日本軍国主義に対する警戒を新たにし、清朝の失敗を繰り返さぬよう準備せよ、というのが甲午戦争120周年をめぐる基本的な論調であった。要するに習近平政権は、抗日戦争だけでなく日清戦争も含めて、近代の日本と中国の関わる戦争の記憶を喚起している。

 

ただし2014年初の状況とは異なり、2014年夏の英語による甲午戦争120周年関連報道はわずかであった。国際舞台における対日ネガティブ・キャンペーンは、いつの間にか影を潜めていたのである。

2.日本批判の継続と尖閣関連報道のトーンダウン

 2014年夏の甲午戦争120周年の関連報道には、その冒頭で、中国の人々に日本軍国主義に敗北したという屈辱を改めて意識させる傾向がみられた。これらの報道では、甲午戦争を「日本軍国主義による中国侵略の始まり」と位置づけている*5。この甲午戦争での敗戦は、清朝の艦隊の敗北という「軍の恥」、かつての文明の導き手が島国に破れたという「国家の恥」であることが強調されたのである*6。多くの関連記事に共通した屈辱の具体内容は、第1に遼東半島、台湾およびその付属島嶼の日本への割譲、第2に多額の賠償金の支払いであった。さらに一部には、旅順における日本軍による中国人虐殺に触れ、日本の蛮行を強調した記事もあった*7

 

しかし他方で、甲午戦争120周年関連報道での尖閣諸島の扱いが小さかったことは注目に値する。同報道のピークであった7月25日付の主要紙に、尖閣諸島の中国側呼称である「釣魚島」と日本を結びつけた強い批判はみられない。例えば7月25日付『人民日報』の解説記事には、「遼東半島、台湾全島とその全ての付属島嶼が日本に割譲された」との一文があるものの、ここに「釣魚島」への明示的な言及はない*8。同日の『解放軍報』でも、「釣魚島の『国有化』」は、中国側からみた今日の日本の警戒すべき行動の1つという位置づけになっており、尖閣諸島に関連付けた突出した批判は見られなかった*9。これは「甲午戦争の末期に日本が釣魚島を不法に盗取した」という2012年9月の中国外交部声明*10における日清戦争の語られ方とは、明らかに異なっている。

 

このように中国公式メディアでは、日清戦争勃発120周年の関連報道でも日本批判の宣伝をしながら、2012年秋の外交部声明に沿った立場を密かに強調しなくなった。だが、中国政府は従来の立場を完全に放棄したのでもない。これは、国有メディア新華社の専門サイトで、「120年前如何に日本は甲午戦争を通じて釣魚島を盗み取ったか」と題する短い記事が掲載されたことから理解できる*11

 

しかし、ここで日中関係にとり重要なことは、甲午戦争120周年関連報道での尖閣諸島の扱いがごく小さかったことである。実際、『人民日報』や『解放軍報』という主要機関誌で、尖閣諸島に関する中国側の主張は積極的に宣伝されなかった。むしろ甲午戦争120周年報道の主要論点は、日本批判より中国にとっての敗北の教訓に置かれていた。これらから、2014年夏頃の中国政府は、日本批判そのものは継続しつつ、尖閣諸島についての宣伝を明らかにトーンダウンさせていたといえるだろう。これは、中国側も日本との関係改善を探っていることの有力な傍証の1つである。換言すれば、中国メディアにおける激しい日本批判の宣伝は、習近平政権が日本との関係改善に動く柔軟性を失っていることを必ずしも意味しないと考えられる。

 しかし次節にみるように、中国メディアから日本を悪者にする言説が消えたのではなかった。習近平政権において、近代戦争の記憶を喚起することは、中国共産党支配の正統性を強調するだけなく、各アクターが重視する政治課題と結びついているからである。   

3、 近代戦争の記憶喚起と政治課題

 戦争の記憶を喚起し、侵略者としての日本を中国の人々に想起させる中国政府及び中国共産党の宣伝をどのように理解するか。この論点に触れた先行研究には3つの見方がある。第1に、対日闘争の継続による、国内および党内の結束と政権の求心力維持のための手段とみる立場である*12。第2に、日米安全保障体制の強化を強く警戒する中国側の反応とみる立場である*13。第3に、近代の歴史経験に基づく中国指導部の対外不信、被害者意識に由来するという立場である*14。いずれの立場にも学ぶところは多いが、中国の政治過程に関与するアクターの多元化が注目されている学問的動向を踏まえれば*15、「中国」という1枚岩の枠組みを所与とする分析には留保が必要だろう。このことを念頭に置きつつ、2014年夏頃の甲午戦争120周年関連報道の内容を簡単に整理してみよう。

1)中国共産党の支配の正統性

 2014年夏の甲午戦争関連報道の内容は、単に日本に対する中国の屈辱を想起させただけではなかった。むしろ中国共産党にとっての本筋は、甲午戦争の惨敗から抗日戦争の勝利に至る、歴史の進歩の物語にあったと考えるべきだろう。すなわち、甲午戦争の敗北は、二度のアヘン戦争や清仏戦争での不振においても終始内向きであった中国人の愛国心を、ついに覚醒させた事件と位置づけられていた。「中国人民は覚醒し、抗日運動を巻き起こし、『一盤散砂」(ばらばらの砂)は団結し、眠れる獅子は目覚めた』というのである*16。ここで、惨敗から勝利へ至る歴史の進歩を領導(指揮命令)した中国共産党の功績がアピールされていたのは言うまでもない*17

 もっとも、日本が侵略者である近代戦争の記憶を喚起することで、中国共産党支配の正統性を強調する手法は、習近平政権に特有なものではない。江沢民政権期の愛国主義教育キャンペーンで抗日戦争に焦点が絞られたのは、国民統合と中国共産党支配の正統性強化のためであったことは、諸先行研究により以前から指摘されてきた*18。習近平政権についても、ナショナリズムによる社会の凝集性を高めるという点で、江沢民政権と似ているとの評価がある*19

2)「強軍」建設の推進

 解放軍も、日本が侵略者である近代戦争の記憶を喚起する習近平政権の方針を忠実に実行していた。7月27日に海軍と軍事科学院が主催した甲午戦争120周年検討会を例にとろう。報道によると、同検討会の目的は、歴史の教訓を総括し危機感を強め、愛国主義を発揚し、これにより「強国強軍」の奮闘目標を実践することだという*20。さらに、海軍政治委員の劉暁江によれば、同検討会は「習近平主席の重要指示精神の具体化」だという*21。その言わんとするところは、日本批判による愛国主義の高揚と軍隊建設の加速は、習近平の政策だというものであろう。ここには、日本に対する屈辱の歴史を想起することで愛国主義と国防意識を高揚させ、「強国強軍」の政策をもり立てていこうという解放軍の立場が明確に現れている。

 日本が侵略者である近代戦争の記憶によって危機意識を煽り、意識、体制、軍事戦略の改革を説く論考にも枚挙に遑が無い。例えば、中国史学会会長の張海鵬による清朝批判のポイントは、日本軍国主義に対する認識不足、清政府の指導力の弱さ、国家安全保障を戦争準備ではなく国際調停に依存したこと、戦略的な消極さ、軍事体制の立ち遅れであった*22。また、解放軍では、拡張的、攻撃的な戦略を取った日本に対し、清朝は理論的に守りに入っていたため日本に敗戦したという論調も強かった*23

 中には、清朝の「受動的防御戦略」を批判し、国益が海外に広がる現在の中国の国防思想は「『積極防御」から『主導防御」に変わるのが必然」という、より強い調子の主張もあった*24。これは中国の軍事ドクトリンの変化に関する議論であるが、それゆえ『学習時報』や『求是』といった権威ある中国共産党の理論誌に掲載された点で注目に値する。「積極防御」は、時代により内容こそ変化してきたが、一貫して、中央軍事委委員会によって示される、最も権威ある、戦争形態の予測に基づく組織づくりを導く原則(中国語:「軍事戦略方針」)と解されてきた*25。仮にこの論考の主張通り「積極防御」の名称が変更されるとすれば、中国の軍事戦略の大きな変更を意味するのかもしれない。

3)平和発展論

 2014年夏の甲午戦争120周年関連報道では、国家ガヴァナンスの改革という論点もあった。理論誌『求是』の解説記事によれば、甲午戦争の敗戦は「清朝の政治体制の失敗」であるとの理解が専門家のコンセンサスだという*26

 この国家ガヴァナンスの改革という論点で筆者が注目したいのは、中央党校の辛鳴教授の論考である。なぜなら甲午戦争120周年関連報道の中で、例外的に日本から受けた屈辱に言及せず、平和発展論の重要性を説いているからである。

 辛鳴によれば、甲午戦争の敗北から3つの教訓が得られる。第1に、富強は強盛の前提だが、これを総合国力に転化できなければ不十分である。第2に、国家のガヴァナンスが優れていなければ、現代の国家間の競争で優位に立てない。第3に、国家にとって経済と軍事のハードパワーは必須だが、平和発展は人の正しい道であるという。このように辛鳴は経済、軍事のハードパワーの増強を否定していないが、「文化文明の潤い」から離れたハードパワーは持続可能ではないと説く。そして、「歴史は曲折するが、平和発展は人の正しい道である」と結論づけていた*27。甲午戦争120周年関連報道の主流は日本軍国主義に対する警戒と準備であったが、日本批判を避けた平和発展論の主張も消滅していないのである。

 以上、本節で甲午戦争120周年関連報道にみられた、1)中国共産党の正統性、2)「強軍」の建設推進、3)「平和的発展論」という三点の内容について簡単に整理した。程度の差こそあれ、いずれの立場も、近代戦争の記憶を想起させることで、自らの重視する特定の改革アジェンダの重要性を印象づけようとしていた。換言すれば、異なる政策選好を持つグループが、自らの利益、価値、政策追求の手段として、「近代戦争の記憶の想起」という習近平政権の方針に沿った議論を展開していたのである。

結びに代えて

 本稿では、前編と後編の2回にわたり、2014年の習近平政権下の中国における近代戦争に関する諸言説に注目し、分析を加えてきた。ここで議論を要約し、暫定的な考察をまとめよう。

 欧米や日本の言論界では、第一次世界大戦勃発から100年という節目にあたり、その今日的教訓への関心が高まっていた。これに対し、2014年上半期の習近平政権は、国際舞台における中国の否定的イメージの払拭と対日ネガティブ・キャンペーンの推進に努めた。2012年秋以来の中国政府による、国際舞台における尖閣諸島関連の対日ネガティブ・キャンペーンは、2013年12月の安倍晋三首相による靖国神社参拝後にさらに加熱した。2014年1月、安倍首相が日中関係を第一次世界大戦時の英独関係に喩えたことにも中国側は敏感に反応した。2014年上半期の中国公式メディアでは、日本の不当さを印象づけようと、第一次世界大戦と第二次世界大戦を混在させるなどの論理的に飛躍した宣伝活動が行われた。習近平自身も、2014年3月末のベルリンにおける講話では、日本軍国主義による中国侵略の歴史が今日の日本の危険性を示唆すると主張し、対日ネガティブ・キャンペーンを担ったのである。

 

 ところが、2014年夏にピークを迎えた日清戦争勃発120周年の関連報道には、明らかな変化が見られた。一連の報道における尖閣諸島の扱いはごく小さく、「甲午戦争の末期に日本が釣魚島を不法に盗取した」という2012年9月の中国外交部声明に沿った宣伝は明らかに控えられていたのである。これは中国政府の、日本との関係改善に向けたメッセージの1つと考えることができる。

 ただし、中国政府による宣伝活動の大状況をみれば、近代戦争の記憶を再生産し、侵略者としての日本像を中国の人々に印象づけようとする手法は何ら変わっていない。また、プレイダウンしたとはいえ、尖閣諸島に関する独自の主張を中国政府が放棄したのでもない。全体的にみて、習近平政権は、近代戦争の記憶を想起させることで愛国主義を喚起し、中国共産党の支配の正統性を強調するという、江沢民政権に似た手法を取っている。習近平政権にも、今日の日本の姿を中国の人々に伝えず、日本像を都合良く操作しているという問題があると言えるだろう。

 しかし同時に、中国における日清戦争勃発120周年の関連報道を、中国政治の多元化という観点から冷静に評価することも必要である。これにより、激しい日本批判の言説が継続するなか、尖閣諸島をめぐる独自の主張を中国政府が次第に宣伝しなくなったという変化の生じる理由を説明できるからである。確かに、中国における一連の宣伝において、日本が侵略者であった近代戦争の記憶を再生産していることは日中関係に望ましくない影響を与えるだろう。しかし、2014年夏頃の中国政府は、侵略者としての日本像を強調する近代戦争の記憶を想起させつつ、尖閣諸島に関する日本批判をひっそりと後退させていた。つまり、中国政府による激しい日本批判の宣伝活動の展開そのものは、対日関係改善の可能性が失われたことを必ずしも意味しないのである。むしろ習近平政権における「近代戦争の教訓」の再生産は、各アクターが自らの改革アジェンダに対する政治的支持を確保するための方便という側面がある。このことが日本において広範に理解されることは、日中関係の当面の改善を側面支援するであろう。

 

 2014年11月のAPECでは日中首脳会談は実現するであろうか。それがどのような結果になろうとも、日中両政府とその国民には、経済力を軍事力に着実に転化させてきた中国と、強化されつつある日米安全保障体制の関係を管理するという、大きな継続案件が待っている。


*1"Defeat in the first Sino-Japanese war haunts China 120 years on", The China Post, January 18, 2014.

*2『人民日報』や『解放軍報』という党と軍の機関紙が「甲午戦争120周年」の関連記事を掲載した。『解放軍報』は2万字に及ぶ特集記事を掲載した。このほか、国営メディア新華社も専門サイトを設けた。<http://japan.xinhuanet.com/jwzz120.htm>

*3「中国確定9月3日為中国人民抗日戦争勝利記念日」『中国新聞網』2014年2月27日。

*4習近平「在徳国科爾伯基金会的演講」『人民網』2014年3月29日。

*5「牢记战争与和平的辩证法」『人民日報』2014年7月25日。鐘声「以史為警鐘長鳴」『人民日報』2014年7月25日。解辛平「到中流激水」『解放軍報』2014年7月25日。「甲午戦争、日本百年国策的負面開端」<http://www.qstheory.cn/freely/2014-07/26/c_1111800510.htm>

*6前掲「牢记战争与和平的辩证法」『人民日報』。

*7「歴史抹不去的甲午之痛」『新華網』2014年9月25日(「人民日報海外版からの転載」)。<http://japan.xinhuanet.com/2014-09/25/c_133670960.htm>

*8前掲「牢记战争与和平的辩证法」『人民日報』。

*9前掲『解放軍報』2014年7月25日。

*10この外務省声明には、「1895年、日本は甲午戦争の末期、清政府の敗北がすでに決定した局面で、不法に釣魚島とその付属島嶼を盗取した。その後、日本は清政府に不平等な馬関条約(注:下関条約の意)の締結、『台湾全島および全ての付属各島嶼』の割譲を強要させた」とある。「中華人民共和国外交部声明」2012年9月10日、<http://www.fmprc.gov.cn/mfa_chn/ziliao_611306/zt_611380/dnzt_611382/diaoyudao_611400/t967820.shtml>

*11「120年前日本如何通過甲午戦争窃取釣魚島」『新華網』2014年7月26日。<http://japan.xinhuanet.com/2014-07/26/c_133511793.htm>

*12習近平政権を扱った先行研究として、阿南友亮「海洋に懸ける習近平政権の「夢」――「平和的発展」路線の迷走と「失地回復」神話の創成」『国際問題』No.631、2014年、42-56頁、高原明生「中台関係安定期における日中関係の展開」『東洋文化』Vol94, 2014, 192-193頁。

*13青山瑠妙「アジアにおける中国の戦略的展開と日中関係」『東亜』568号、2014年、37-38頁。

*14朱建栄『中国外交——苦難と超克の100年』PHP研究所、2012年、24-25頁。

*15政策決定に関与するアクターの増大を扱ったヤコブソンの業績が近年良く参照されるが、日本では1990年代から政策決定の多元化は注目されていた。岡部達味「中国外交の古典的性格」『外交フォーラム』Vol.100, 1996年、116-117頁。

*16毛沢東の「日本軍国主義が中国を侵略したことは悪いことだが、中国人民の覚悟を喚起した」との説明も引用された。前掲「牢记战争与和平的辩证法」『人民日報』。

*17前掲「以史為鏡警鐘長鳴」『人民日報』。

*18例えば、岡部「中国外交の古典的性格」、110-117頁。清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』文春新書、2003年、11頁、増田雅之、高原明生「冷戦終結後の日米安全保障体制と日中関係1993-95年」『日中関係史1972-2012Ⅰ政治』東京大学出版会、2012年、307-308頁、江藤名保子『中国ナショナリズムのなかの日本』勁草書房、2014年。

*19阿南「海洋に懸ける習近平政権の「夢」」、49頁。

*20「知恥近乎勇 国人当自強」『解放軍報』2014年7月26日。

*21『新華網』2014年8月28日<http://japan.xinhuanet.com/2014-08/28/c_133591597.htm>

*22張海鵬「甲午戦争的歴史教訓与現実思考」中国社会科学院近代史研究所ウェブサイト<http://jds.cass.cn/Item/26343.aspx> 。

*23前掲『解放軍報』2014年7月25日。「甲午戦争八個啓示」『求是』(『解放軍報』からの転載)<http://www.qstheory.cn/zhuanqu/bkjx/2014-07/26/c_1111813377.htm>

*24張煌「恩格斯眼中的甲午戦争」『求是』(「学習時報」からの転載)<http://www.qstheory.cn/freely/2014-07/14/c_1111596022.htm>

*25「積極防御」の内容の発展的な変化については、毛利亜樹「胡錦濤政権の国防政策――軍事ドクトリンの展開における位置づけ」日本国際問題研究所編『政権交代期の中国:胡錦濤時代の総括と習近平時代の展望』2013年、97-111頁。

*26武黎嵩「長鳴120年的甲午」『求是理論網』2014年7月29日。 <http://www.qstheory.cn/zhuanqu/zywz/2014-07/29/c_1111838124.htm>

*27辛鳴「甲午戦争対国家治理的啓示」『求是』<http://www.qstheory.cn/zhuanqu/bkjx/2014-07/25/c_1111793580.htm>


毛利亜樹(筑波大学人文社会系助教)  同志社大学大学院法学研究科博士後期課程修了、政治学博士(同志社大学)。

専門は現代中国政治と国際関係論。2010年-2013年度同志社大学法学部政治学科助教、2009年~2011年度海洋政策研究財団研究員、2013年4月より現職。

<著書・論文等>「「伝統」と軍事現代化の狭間:草創期の人民解放軍海軍1950-1960年」柴山太編『日米関係史研究の最前線』関西学院大学出版会、2014年、271-306頁。「海洋へ向かう中国:多元化のなかの統制」『東亜』2013年6月号、30-38頁等。