タイプ
論考
プロジェクト
日付
2013/6/24

【Views on China】華人社会から日中関係を見る ― 求められる視点


早稲田大学国際教養学部准教授
陳天璽


国家ありきの視点の功罪

領土問題、オリンピック、歴史認識など、国際問題を議論する際、私たちは「日本(国民)はこうだ」、「中国(国民)はこうだ」と国家ありきで議論する傾向がある。しかし、そのような見方は、どれほど有効なのであろうか。

あえていうまでもないが、国際関係など、政府、政権の動きを分析すること自体を否定しているわけではない。むしろ、政権や為政者に対する客観的な分析は必要である。しかし、そうした分析が、しばしば、「中国は」とか「中国人は」と置き換えて語られ、理解されがちである。そのため、政府がとった行動をいとも簡単に国家全体、つまり国民の意思と同一視してしまうのは問題ではないかと思う。

現実はそれほど単純ではない。しかも国家ありきのものの見方に影響され、引き起こされた行動を振り返ってみると功罪どちらが多いだろうか。国を代表して競うオリンピックはまだ健全な方だが*i、かつての国家間戦争はもちろん、近年では尖閣の領土問題を引き金に中国国内で発生した日本企業、日本車など「日本」とつくものに対する破壊活動や、日本にある中華学校への放火や脅迫文、在日中国系コミュニティーへの威嚇行為などはまだ記憶に新しい。偏狭な愛国心から派生した盲目な行動は実に劣悪であり、枚挙にいとまがない。しかも、外交問題のプレイヤーは思わぬところに潜んでいる可能性がある。たとえば、尖閣問題もそもそもアメリカ在住華僑と関連が深いという噂もある。

このグローバル化した社会に生きる私たちは、国家ありきを越えるような新しい視点、柔軟な発想を持つ(育てる)べきではないのだろうか。少なくとも、国家ありきで物事を考える場合は、ゼロサムではなく、ウィンウィンに導く、賢知が求められている。

逆境に身を置く華僑華人の発想

筆者がこれまで研究対象としてきた華人は、新しい視点、柔軟な発想をいかに持つべきかのヒントを与えてくれる。華人とは、海外に移住した中国系の総称である。彼らは「東洋のユダヤ人」や「アジア経済の影の支配者」などと言われてきた。華人は世界に4000万人近くいると見られ、世界どこにいっても確かに存在感とバイタリティーがある。彼らのバイタリティーは、無一文で故郷を離れ、新しい環境や文化への適応力と、逆境をチャンスに変える柔軟な発想と行動力にある。

本論では、そんな華人社会に、これからの日中関係やグローバル社会に求められる判断力と柔軟性のヒントを探る。これは言葉を変えれば、国家、政府の分析など政治学や経済学が得意とする上からのアプローチではなく、個々人や社会に浸透している生活、文化、思考様式に基づいた下からのアプローチである。華人社会をどう見るのか、どう理解すればよいのか。日本の中華学校の事例を紹介する。

社会の変容と中華学校の対応

横浜にある中華学校は110年を超える長い歴史を有している。孫文が革命活動の宣伝で来日した際、方言によって分散している華僑社会に対し、民族教育の重要性を訴えたのがきっかけとなり1898年に設立された*ii。授業はすべて中国語を使用し、小学部では、日本語、英語以外の教科はすべて中国語を用いている。

中華学校は学校教育第一条で定められた「正規の学校(一条項)」ではなく、各種学校とされているため、日本の大学や高校への進学が認められず、進学の問題から生徒の減少が問題となっていた。しかし、近年急激な変化が発生している。かつて一クラス10人足らずであった生徒数が、ここ10年ほど前から入学希望者が急増したのである。入試を実施し、一学年一クラス36人では収まらないため二クラスに増やし、それでも入学待機者が出るほどである*iii。しかも、生徒は華僑華人以外に、日本人を含め、多様な文化的背景を持った生徒が増えている。

こうした変化を生んだ背景にある中華学校側の社会変化や教育要求への対応は注目に値する。教育は、それをとりまく国家や社会の影響を大きく受ける。中華学校の場合、もともとの教育理念を保持しつつ、その時々の社会に求められているものを把握し、華僑華人のみならず、日本人や他の国籍の人々など、様々な中華学校入学希望者の教育に対する期待や要望を受け入れ、柔軟に対応しているという特徴がみられる(杉村、2011)。

かつて中華学校は、在日華僑華人なかでも「老華僑」の子弟を対象に、民族の言語と文化の伝承を目的としていた。しかしながら、近年は「新華僑」とよばれる新しく来日した中国系が増えた。彼らは、日本社会のなかにあって日本人とは異なる一方、同じ中国系でありながら、数世代も日本に住んでいる「老華僑」との間に文化的な差異を有している。それに加えて、日本人の子供たちも入学するようになり、学校全体が多様化、多文化化している。こうしたなかで、中華学校が育てるべき人材像も当然のことながら変化している。

かつては、あくまでも華僑華人の子どもを対象に中国語と中国文化の伝承をし、中国人としてのアイデンティティを固める場であった。だが今では、中国系でなくても受け入れるという方針のもと、生徒が小学一年から中国語、日本語、英語のトリリンガル教育を受け、同じ言語基盤のもと、あえて「ナニジンか」区別することなく学校生活を共にするという考え方に立つようになっている。つまり、中国の伝統や文化の伝承という理念を守るという根っこは残しつつ、個々の生徒が生きたい場所で生きたいように進路を選びとり、自由に開花させてゆく、いわば文化を相対的にとらえ、多様な生き方を追求できる人材の育成が目指されている(陳、2007)。

例えば、歴史の授業を例にとってみても、日本と中国、両方の見方から授業を展開している。決められた知識や考え方を一方的に教え込むのではなく、最終的にどの考え方を選び取るかは生徒自身である。そして、まさにどれが必要か、どうすべきかを判断できることこそが、これからのグローバル社会の担い手に求められる能力であろう。

発想の転換と長期的視野

このように、中華学校の近年の発想の転換は、大きな示唆をわれわれに投げかけている。自分の根っこは守りつつも、他者を柔軟に受け入れ共生の道を探る生き方である。

今や国籍や民族など国家ありきの視点よりも、大切なのはむしろ、個々の問題にどのような立場から、どのように対応するかということであり、そうした立場の違いを自分で考え選びとっていくことのできる人材である。

そして、そうした視点や人材を育てていくことでこそ、多くの国際問題をよりウィンウィンに近づけ、平和的に解決に導く対話と判断ができるようになるのではないだろうか。

国際結婚や移住移動が増え、誰が自国民なのかの区別もつけづらく、利害を共有する時代に生きる私たちは、領土や国益などをめぐって争うよりも、むしろ、いかに共存共栄するのか、後世のためにも冷静に取り組まねばならないのではない。日本も中国も、「はざま」や「周辺」におかれている華僑華人から学ぶべき点があるように思う。


<参考文献>
・杉村美紀 2011「変容する中華学校と国際化時代の人材育成」陳天璽編「特集華人とは誰か―教育とアイデンティティ」『華僑華人研究』8号、日本華僑華人学会、75-77頁。
・陳天璽 2007「多民族化する日本の中華学校『アジア遊学 特集:現代日本をめぐる国際移動104号:pp. 142-150. 勉誠出版




*i 代表権を得るために、国籍を変更する選手も多くみられるが。
*ii 孫文は1897年来日した際、「中西学校」の設立を提唱した。その翌年、現在の横浜中華学院、山手中華学園の前身となる「大同学校」が設立された。なお、大同学校は、世界で最も古い「華僑学校」といわれている。
*iii 校舎を新設した学校もある。



陳天璽 CHEN Tien-shi
早稲田大学国際教養学部准教授

筑波大学大学院国際政治経済学研究科修了、国際政治経済学博士。ハーバード大学フェアバンクセンター研究員、ハーバード・ロースクール東アジア法律研究センター研究員、東京大学文化人類学研究室(学振PD)、国立民族学博物館准教授を経て、2013年4月より現職。