タイプ
論考
プロジェクト
日付
2012/9/6

胡錦濤政権の回顧と中国18全大会の注目点 ―外交・国防の領域に関して (2)

3.国防と軍隊建設~「機械化」、「情報化」、「多様化任務」

2000年代、中国の国防戦略と軍隊建設の方針は基本的に大きな方向性が決まっており、異なる軍種間で資源獲得競争があるかもしれないが、巨視的な観点から見て、深刻な路線闘争はないものと考えられる。

2010年の国防白書によると、中国の国防の目標と任務は、(1)国家の主権、安全、発展の利益を維持し、擁護すること、(2)社会の調和(「和諧」)を維持し、擁護すること、(3)国防と軍隊の近代化(「現代化」)を推進すること、(4)世界の平和と安定を維持し、擁護すること、である。このうち、(3)では、「2020年までに機械化を基本的に実現し、情報化建設で重大な進展を得ることを目的とし、(中略)情報化条件下での局地戦争に打ち勝つ能力を中核とする、多様化した軍事任務を完了する能力を向上させる」としている*11

同白書は、軍事力(「武装力量」)の運用として、(1)国境線防衛、海洋防衛、空域防衛、(2)社会の安定を維持し、擁護する、国家建設と災害救助に参加する、(3)国連平和維持活動に参加する、(4)アデン湾とソマリア海域の護衛任務、(5)外国軍隊との合同演習、(6)国際救難、などを挙げている*12。このうち、(2)は武装警察部隊による治安維持活動を含んでいる。つまり、こうした任務もまた、上述した「多様化軍事任務」を構成している。

「情報化条件下での局地戦争」とは、具体的には、対台湾作戦および米軍に対する「接近阻止、領域拒否」(anti-access/area denial)を念頭に置いているものと理解されている*13。このためには、海空軍、第二砲兵、および衛星を利用したネットワーク戦能力が強化されなければならない。同様に、多くの国の軍隊が直面しているように、「多様化した任務」すなわち治安任務から国連PKOや海賊対処にいたるまで、様々な任務を遂行しなければならない。その装備開発、人材確保、教育訓練、補給力強化など、解放軍は各領域で先進国型軍隊への転換が急務となっているのである。こうしたハイテク化、行動範囲の域外化、任務の多様化などの課題に対応するためには、従来の陸軍中心の組織や運用では当然のことながら限界に直面することになる。解放軍では、海空軍や第二砲兵部隊を中心とした統合運用が可能な人材の育成や登用、そして組織改編がいっそう求められることになろう。

また、先進国型軍隊の建設には膨大な経費がかかる。経済建設と国防建設の関係において、17全大会の胡錦濤報告では、従来の「国防建設と経済建設の協調的発展の方針を堅持し、経済発展の基礎の上に国防と軍事の近代化を推進する」*14に代わって「必ず国家の安全と発展戦略の全局の高みに立ち、経済建設と国防建設を統合的にアレンジし、小康社会を全面的に建設するプロセスの中で、富国と強軍の統一を実現する」*15として、軍事への資源投入の増加が明言された。解放軍軍人の給料を2006年と2009年に合わせて倍以上に増額して、人材をつなぎ止める施策をとったのも、この流れにある。高度成長を続ける中国の国防費増大の趨勢は、18全大会にも続くことが予想される。

4.中央軍事委員会人事

前述したように、18全大会は今後5-10年における解放軍の趨勢を決める重要な節目である。中央軍事委員会人事*16の最大の注目点は、胡錦濤が中央軍事委員会主席に留任するかどうかである。トウ小平は、かつて指導部の世代交代を進めるために「若年化」政策を進めて老幹部の引退を推進した。

しかし、「ブルジョワ自由化」に寛容だとして胡耀邦が失脚し、1989年の第2次天安門事件の責任をとって趙紫陽が失脚したことがトウの後継戦略を狂わせた。この間、トウは党規約から「中央軍事委員会主席は中央政治局常務委員会委員のなかから選出される」という規定を削除し、中央軍事委員会主席として、「経験不足」の後継者の後見人としての役割を果たしていた*17。ところがトウ小平は、天安門事件で指導者が分裂したことに鑑み、総書記就任から間もない江沢民に中央軍事委員会主席を移譲し、ようやく引退したのである*18

江沢民は、トウ小平が段階的に引退した前例を利用し、2002年の16全大会でも完全引退せず、2004年まで中央軍事委員会主席に留任して、軍に対する実権を維持した。このため、一時期中国の指導部は2つに分裂していたことになる。江沢民の留任は、トウ小平が自らに主席職を間もなく譲った前例を踏襲せず、大した必要性もないにもかかわらず古い世代が「居残った」印象を与え、極めて不評であった。ここで問題は胡錦濤がこの不評な前例を踏襲してでも中央軍事委員会主席に留任し、習近平指導部に対する影響力を維持しようとするかどうかである。

胡錦濤は17全大会の3年前である1999年の中央委員会総会で中央軍事委員会副主席となり、主席就任への準備を始めた。しかし、胡錦濤は18全大会の2年前である2010年になってようやく習近平を中央軍事委員会主席に就任させた。胡錦濤は自らの昇進より1年遅い昇進を習近平に強いたことになる。胡錦濤は、軍での勤務歴や軍内に支持勢力を持つとされる習近平が早く軍への影響力を行使し始め、自らがレイムダック化することを恐れたものと考えられる。この遅延により、習近平は10年前の胡錦濤よりも「経験不足」となった。そもそも習近平は胡錦濤が想定していた後継者ではなかった。したがって、18全大会で胡錦濤が習近平の「経験不足」を口実に留任を目指す可能性が全くないとはいえないのである。



    





*10 松田康博「第7章 改善の『機会』は存在したか? ―中台関係の構造変化―」、249-251頁。
*11 中華人民共和国国務院新聞辦公室『2010年中国的国防(2011年3月)』北京、人民出版社、2011年、7-9頁。
*12 中華人民共和国国務院新聞辦公室『2010年中国的国防(2011年3月)』、22-27頁。
*13 坪田敏孝「胡錦濤時代の中国の軍事・軍隊政策」、『問題と研究』第41巻1号、2012年1-3月号、146頁。鄭大誠「共軍『十八大』後面臨之挑戦」、徐斯勤・陳徳昇主編『中共「十八大」精英甄補與政治継承―持続、変遷與挑戦』台北、INK、2012年、306-308頁。
*14 江沢民「全面建設小康社会、開創中国特色社会主義事業新局面(2002年11月8日)」、中共中央文献研究室編『十六大以来重要文献選編(上)』北京、中央文献出版社、2004年、32頁。
*15 胡錦濤「高挙中国特色社会主義偉大旗幟,為奪取全面建設小康社会新勝利而奮闘(2007年10月15日)」、32頁。
*16 現在、中国には党と国家それぞれに中央軍事委員会があるが、先に行われる党大会または中央委員会総会で党の中央軍事委員会メンバーが決定され、その後の全国人民大会で国家の中央軍事委員会メンバーが全く同じ顔ぶれで決定される慣行となっている。煩雑さをさけるため、本稿では2つの中央軍事委員会の違いについては、捨象して分析を進める。
*17 この経緯については、平松茂雄『トウ小平の軍事改革』勁草書房、1989年、「第七章 胡耀邦の中共中央総書記辞任と中国軍」および「終章 趙紫陽の中共中央総書記解任と中国軍」、を参照。
*18 平松茂雄『続トウ小平の軍事改革』勁草書房、1990年、2-11頁。トウ小平は1989年9月4日に中央軍事委員会主席の辞任表明をしてから、11月9日に承認されるまで2カ月かかった。経験不足の江沢民が中央軍事委員会主席に就任することに対して、解放軍が抵抗したものと考えられている。