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第1回 現代病理研究会

May 20, 2008

2008年5月14日開催の2008年度第1回研究会は、「自殺と文明」をテーマに議論を行った。また、今後取り組むべきテーマや「病理」の考え方について検討した。

【「自殺」を取り上げた背景】

本プロジェクトでは、日本の自殺率の近年の高止まり傾向や、日本を含む幾つかの先進国で自殺率が高いことから、自殺は現代病理の究極の現象ではないかと仮定し、 昨年10月の研究会 で取り上げた。その結果、1. 自殺は、一般的に大きな要因として指摘される経済的理由(失業・倒産)のほか、文化・宗教的背景、離婚、疾病など古今東西共通の多岐にわたる要因が複雑に関連していること、2. 自殺率は現代社会の特徴をより強く持っていると考えられる都市部(東京都、神奈川県等)よりも農村部(秋田県、青森県等)のほうが高いことがわかり、その要因について詳しい検証が必要との考えに至った。そこで、今年度の主要テーマのひとつとして選定し、詳細なデータ分析と検証を行うこととした。今回の議論では、前回の研究会で挙がった次のような論点を出発点とした。

◆「個人の生きる見通し」がマイナスになったとき人間は自殺する。その意味で、自分および親類縁者の「将来繁殖価」(繁殖し子孫を残せる可能性)が下がるにつれて自殺率が上がることは生物学的にあり得る。

◆しかし、近年、50~60歳代男性の自殺率が上昇傾向にある一方で、70~80歳代の自殺率は減少傾向にある。また、日本では1950年代中頃、将来繁殖価の高いはずの20歳代の若者の自殺率が高い時期があった。これらの背景には、「個人の生きる見通し」をマイナスにさせる、現代文明社会に特有の要因があるのではないか。

◆また、一般的に失業と自殺の相関が指摘されているが、1953~1959年、1983~1986年頃の2つの自殺率ピークは景気悪化と必ずしも一致しておらず、他の要因があるのでないか。ここを解明することで、現在の自殺率の高止まりの要因を分析できるのではないか。

【議論の内容】

今回の研究会では上記のような論点を起点に、1953~1959年、1983~1986年 、および1998年以降、という3つの自殺率ピークに焦点を当てた。今回の研究会のために行った事前調査では、それぞれのピークには以下のような特徴があるのではないかと推測されたが、いずれについても、それを裏付ける有意なデータは入手できなかった。

◆1953~1959年:アノミー的自殺
それまで規範や価値基準が突然変化し、社会の連帯が失われることで自殺者が増える現象。この時期は若年層の自殺が際立っており、とくに復員兵の自殺が多かったといわれている。終戦直後の混乱期が過ぎたことで、戦後の体制激変によるアノミー的自殺が多感な若年層に色濃く現れたとも推測できる。しかし、これでは女性の自殺率は説明できない。

◆1983~1986年:群発自殺
ある人物の自殺がメディア等の報道により何らかの誘因となって次々と類似の自殺が発生する現象。この時期はアイドル歌手の自殺やいじめ自殺のメディアセンセーションがあり、それらを模倣した群発自殺が相次いだ。ただし、800人程度の規模であり自殺率全体の上昇圧力となったとは言えない。

◆1998年以降:失業を契機とする自殺
直接的な原因は景気悪化によるリストラや、中小企業の倒産が原因と考えられる。ただし、これは必ずしも経済的な問題だけで自殺が誘発されたわけではなく、リストラや倒産によって帰属先を失ったり今まで得ていた社会的承認を失ったことによる喪失感も大きく寄与していたと思われる。

なお、1954年から2004年の男性の完全失業率(前年差)と自殺率を回帰分析したところ、ある程度の相関は見られた(重決定係数0.32)。今後は、都道府県別などのより詳細な分析が必要である。他に、自殺と世情・家庭環境との相関をみるために、自殺率と一般刑法犯認知件数および離婚率との回帰分析を行ったが、有意な相関は認められなかった。

また、現在50歳代(団塊の世代)の人々の自殺率が一貫して高いことについては、同時期に生まれた人口が多く、常に競争原理が働きパイの奪い合いが激しいこと、学生運動・バブル等社会的変化の真只中にあったことなどによる、「コホート効果」(同じ時期に生まれた人々が時代を超えて同様の傾向を示すこと)が仮説として考えられたが、これについても、根拠となるデータは入手できなかった。

これらの調査結果に基づき議論を行った結果、今後、本プロジェクトで着目する点として以下のような論点が挙がった。

◆ 都道府県別の自殺率年次推移(性別、年齢別、職業別、手段別など)
各都道府県別の自殺率の経年変化はどうなっているか。とくに、近年自殺率が高い50代男性の自殺は倒産・失業とどのような相関があるのか。

◆性別・年齢別の自殺率年次推移
・厚生労働省発表の「性・特定年齢別自殺死亡率の年次推移」について、1950年以前のデータはどうなっているのか。また、特定年齢だけでなく、詳細な年齢別に見るとどのような特徴が見られるのか。
・上記を諸外国と比較すると、どのような特徴があるのか。

◆平均寿命の延びと自殺率の関係
・自殺に関する調査対象年齢はどのように変化してきているのか。75歳以上のカテゴリーおよび十分なデータはいつから存在するのか。
・平均寿命が延びることで自殺率がどのように変化してきたのか。諸外国ではどのような変化が見られるのか。

◆総死亡率及び自殺死亡率の年次推移
・1920年頃から1950年頃にかけて総死亡率が急速に減少している。この減少要因はなにか。
・1953~1959年および1983~1986年のピーク時において、自殺率が下がった要因はなにか。どのような社会的背景があったのか。

◆フィンランドの自殺および自殺研究
・自殺率がかつて高く現在下がっている国の例として、フィンランドがある。同国の自殺者の性別、年齢構成比、手段など、主な項目の実態と経年変化を日本と比較すると、どのような特徴が見えるか。
・フィンランドにおける自殺の先行研究はどのようなものがあるか。

◆自殺対策基本法(2006年施行)
・法案成立までのプロセスにおいて、立法の根拠として他の国のどのようなデータが参考にされたのか。

上記の各項目についてデータ・情報の収集を進め、次回研究会で、専門家も招いて分析・議論を行う。

【今後のテーマについて:「金融」】

次に、「自殺」のほかに今年度取り組むべきテーマとして、昨年度扱ったテーマのひとつである 「金融」 について、以下のような仮説を検討した。

◆金融そのものは「病理」ではないが、金融市場に占める投機(バーチャル)の部分の割合が実需(リアル)に比べて急速に拡大しているのは「病理」と言えるのではないか。例えば原油価格が一年で二倍というのは異常である。いくらインド、中国の需要が増えたとはいえ、実需の増加だけで価格が二倍になるわけはない。

◆バブルの頃に日本の資産は当然増えた。その際、企業のタクシー券利用や交際費の増大、地価暴騰といった現象は見られたが、一般の人々の生活(実需部分)へは大きな影響はなかった。その頃はまだ投機やバーチャルなインターネット取引等は普通の生活からは少し離れたところにあった。それに対し現在は、例えば、とうもろこしがバイオエタノールの原料として注目されたことで投機の対象になり、それによって日常の食料価格が影響を受けるなど、投機(=バーチャル)のパフォーマンスが実需(=リアル)の世界に浸潤してきている。

◆収益とは本来、実物でしか最終的には上がらないはずものだ。それが、現在、金融資産だけで成長率が10%を記録しているのは異常といえる。法律もガバナンスも効いていない部分のお金が拡大していっている結果であり、バーチャルであるがゆえに成長できている。

◆現在の金融取引は、レバレッジを効かせて資金を何倍にもしたり、瞬時に移動させることができる。バーチャルな取引に規制等の「重り」をつけて資金を動かすスピードを落とさなければ、このままいくと破綻に至るだろう。速く動かそうとするほど抵抗が増すような「重り」をつけなければいけない。その極端な例が「金本位制」。金は掘るのに時間がかかる。時間がかかるという点が「重り」になり現実のリアルな世界と繋がっていた。かつて経済学者は「重り」をなくすのが資本の自由化であり、「重り」をなくすと世界のwelfare(生活水準)が上がるといっていたのだが、現実はそうなってはいない。

◆世界的問題になっている「サブプライム・ローン」は、今住んでいる住宅の資産価値が上がるという前提で、その何倍もの資金を借り手に低金利で貸し付けた。価格が上がることを理由に無担保で資産を証券化するというなど狂気の沙汰であり、それ自体が病理的だ。

上記のような仮説を検証するために、穀物(とうもろこし、大豆)、原油、金融商品(為替)等の国際市場における過去の取引データを収集し、「実需に基づく取引」(リアル)と「実需に基づかない投機」(バーチャル)の割合の変動を検証していく。

【「病理」を考える視点】

最後に、現代文明社会の特徴(「病理」)を考える視点として、次のような議論があった。

◆世界がグローバル化し、物事の変化のスピードが加速化・短期化している中で、局所的には問題がないように見えても、システム全体としてみると明らかに異常な現象が起こっている。例えば、いまだに「格差問題は存在しない。単に人口が高齢化しているだけだ」という人がいるが、格差が引き起こしている現象を社会的に見ると、実際は様々な問題が起きている。

◆つまり、ある分野で設定した問題を、その分野の中だけで局所的にみると理屈として成立し解決できるかもしれないが、全体で見ると、その弊害が他の部分に及んでいる。その意味で、現代文明社会の「病理」とは、ある事柄の弊害が他の部分に押し付けられる現象ともいえる。こうした問題は、これまでのような局所的な見方・考え方では解決できず、「今はこういう世の中になっている」ということを、データで示していく必要がある。

◆とうもろこしが投機対象となって価格が高騰している現象も、多くの人はおかしいと思っているのではないか。しかし、その異常さが正確なデータで示されていないために、きちんとした議論がなされないまま印象論で終わってしまう。そうした現象を問題として定義し、現代がどのような特徴をもった時代なのか、またそうした現象がどこまで拡大していくのかを、データに基づいて検証、議論していくことが必要だ。

◆ある現象を「病理」と思うかどうかは価値判断だとも言える。例えば、出産の際、本来人間は普通分娩できるが、米国ではほとんどが帝王切開を行う。日本人にとってはそれが異常に思えても、アメリカ人は当たり前と考えており、仮にデータで帝王切開の件数を示しても、彼らはそれを「病理」とは受け止めない。

◆「サブプライム・ローン」の例などを見ると、「根拠なしに信じること」が「病理」といえるのではないか。


今後、本プロジェクトでは、「自殺」「金融」をはじめ全部で5つ程度のテーマを取り上げ、上記のような視点から検証を行っていく。


(文責:東京財団政策研究部 吉原祥子)

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