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CSR再論 ― いま、改めてCSRを問い直す

April 15, 2013

CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉があります。企業の社会的責任と訳されますが、我が国における使われ方は様々のようです。

社会をよりよいものにしていくには、政府による政策の実行はもとより、市民自身によるアクションも必要ですが、企業の行動も大切です。政府の役割が相対的に小さくなっている現代では、より重要になっているかもしれません。

もちろん、企業にとっては利益をあげることはその企業存続の条件であり、社会との関わりはそれがあってのことと言う人もいるかもしれません。しかし、社会といかに関わっていくかは、企業の存在意義そのものに関わることですし、社会と積極的に関わっている企業こそが優れた業績を残しているとの指摘もあります。

東京財団では、企業と社会の関わり、つまりCSRに関する研究に取り組んでいますが、このCSRをめぐって、2月26日、東京証券取引所において、企業関係者を対象としたセミナー「CSRを取り巻く世界トレンドと上場企業への期待」(日本取引所グループ、日本財団共催)が開催され、亀井善太郎研究員・政策プロデューサーが登壇し、日本のCSRの課題等について、概要以下のとおり発表しました。


東京財団研究員・政策プロデューサー
亀井 善太郎


私たち東京財団は、特定の党派に寄らない中立、そして非営利・独立の政策シンクタンクである。政策をつくり、この政策の実現を通じて社会をよりよいものにしていくことに取り組んでいる我々が、なぜ、CSRなのか、まずはそこからお話させていただきたい。

社会をよりよいものにしていく上で政府の役割は大きい。しかし、長い歴史を見れば、その役割は変化してきている。かつては社会に存在する課題の大半を政府が解決することができた。しかし、現在は、国境を越えた課題の存在、価値観の多様化を背景とした地域ごと、地域密着型の課題の存在、制度の狭間におきる課題等、政府がカバーできない課題が増加し、その守備範囲は相対的に小さくなってきている。では、そうした政府がカバーできない問題を誰が解決しているかと言えば、それは市民であり、企業だ。

現在、日本経済をめぐっては、ここ、東京証券取引所が活況を呈しているように、アベノミクスという言葉を通じて、政府の役割の再認識が行われている。これは、民主党政権期と比較しただけの話であって、社会の課題に対して相対的に政府の守備範囲が小さくなっているトレンドは世界共通であり、我が国に限った話ではない。

市民については、本日の主題ではないので、また別の機会としたいが、企業が社会の課題解決に関わっていくことこそ、社会をよりよいものにしていく上できわめて重要なことに思える。これはCSRという言葉の定義以上に重要なことなのだ。

さて、そのCSRだが、皆さんはこの言葉にどんなイメージを持つだろうか。私がCSRに関する研究を始めて驚いたのは、この言葉に対する印象が多様であることだ。そして、多くの企業、市民セクターの方々の反応がネガティブなことだ。「亀井さん、いまさらCSRですか」、「CSRって手アカのついた言葉ですよね」としばしば言われてしまう。これほどに本質が理解されないまま、ネガティブなイメージばかりが残っているのは何故なのだろうか……。近年、企業の社会における役割をめぐっては、CSRと表現されるだけでなく、BOP、BSR、CSV、PRI、ESGなど多岐にわたる言葉が氾濫している。このように類似した用語は多数あるものの、日本語に訳した途端に理解が困難になる。公益法人やNPOに利益の一定割合を寄付することだと考える人もいれば、社員をボランティアに参加させることだと考える人もいる。基本的なコンプライアンス遵守と考える人もいれば、単にISO26000の項目をチェックリスト化しているだけのところもある。

しかし、そうした現状が本当のCSR、企業の社会との関わりのあり方を根本から定義していることにはならないのではないだろうか。

この問題を考える前提として、一つご覧いただきたいグラフがある。しばしば社会の動きを見るときに、私は新聞記事にある言葉が掲載された数の推移を見る。ここでは、市民による社会との関わりの一つの言葉である「ボランティア」と企業にとっての「CSR」を比較してみることにしてみよう。

「ボランティア」という言葉は阪神淡路大震災を契機に社会に広がり、その後の自然災害等をきっかけにますます拡大していきている。先般の3.11(東日本大震災)においては、急激な増加を示している。私たち自身が社会に関わっていた感覚とそう違わないはずだ。

一方、「CSR」はどうだろうか。国際社会におけるルール化等によって、我が国に入り、その後拡大したが、ある水準からはほぼ同じ推移となった。なにより注目すべきは3.11のときであるが、これは「ボランティア」と異なり、全く反応していない。

これをどう見るのか、いろいろな分析がありそうだ。企業は活動したはずなのにと言う人もいるかもしれない。しかし、大切なことは、先ほども申し上げた社会をよりよくする主体の一つである市民がこれだけ活発になってきているのに、企業は大丈夫かという問題意識だ。もしかすると「CSR」という言葉そのものが日本においては、社会の大きな変化に対応する言葉になっていないのかもしれない。そもそも、社会における企業の役割として、皆さん自身の説明責任があるのかもしれない。

それではCSRについて考えてみよう。

企業のCSRの取り組みには、二つの類型に分けられるのではないだろうか。

第一に「編み込み型」、ニット型と呼んでもよいかもしれない。本業とCSRがタテ糸、ヨコ糸の関係で織り重なって、もはや分けることができない企業だ。企業によっては、本業そのものとなって溶け合っている事例も見られる。これは戦略的CSRとも言い換えられている。第二に「積み木型」だ。本業は本業、社会との関わりはそれに乗っかっているだけの関係だ。このタイプの企業では、仮にCSRを除外しても会社としては何らカタチは変わらない。じつは後ほど申し上げるが、日本の企業の多くが後者ではないかと見ている。

この両者の相違はなんだろうか。一見すると、その要因は時間軸のように見える。前者は、持続可能性や社会の変化への対応を考えた、自社の長期的な社会における位置づけの探索に基づくものである。また、「自社らしさ」、言い換えれば、自社の競争力へのこだわりを持ち、これを磨き、常に探求している企業において多く見られるものと考えられる。しばしば混同されるが、時間軸といっても社歴が長いことが重要なのではない。自社の将来について、長いタームで考えているということだ。これとは異なり、後者は、思考が短期的だ。当期の利益、当期の成果へのこだわりが強い。換言すれば「自社でなくてもよい」というものである。社会との関わりに個性を見出すことができない。確かに、3か月決算等、株主等からは常に結果を求められることを考えればやむを得ないのかもしれないが、それで自社らしさを失ってしまえば、結果的に自社の競争力の源泉も失うこととなってしまう。

後者の問題について、別の見方をしてみよう。経団連が発表した2011年度の社会貢献活動額(1社あたり平均)を要素別に見てみると、(この年は東日本大震災による影響が大きいのだが)自主プログラムは少数であり、各種寄付が大半を占め、その内訳も多くは金銭寄付ばかりだ。利益の一定規模を寄付に回すといえば聞こえはよいが、結局は利益次第となり、継続できないし、自分自身がどんなことで社会に役に立っているかが見えなくなってしまうという、企業にとって、もっとも重要なことのひとつを見失うことにつながるのだ。

さて、企業にとって大切なCSRだが、この内容は歴史を経て、どう変わってきたのだろうか。つまり、社会の変化、すなわち市場・政府・市民の関係の変化がCSRの内容にどのような影響をもたらしたのだろうか。

市場・政府・市民の関係で見ると、歴史は(1)福祉国家型(市場が政府・市民と分離する時代、政府が市民向け機能を担う社会)、(2)市場利用型(財政再建による小さな政府、市民の多様なニーズを市場が応える社会)、(3)直接給付型(財政制約は継続するが市場が担う機能を縮小し、政府による市民への直接給付を志向)を経てきた。現在は(2)と(3)の選択を繰り返しているが、これに加えて、冒頭申し上げた政府の相対的縮小が起きており、市民の台頭が見られる社会となってきている。

CSRは(1)福祉国家型においては「法令遵守、公害等の抑制・最小化」が求められていたが、(2)および(3)を経て「社会の課題発見と解決」が加わった。ISO26000の項目を見ても明らかであろう。

重要なのは現在だ。価値観の多様化を受けとめる社会において、政府のリーダーシップばかりでなく、価値観や利害の異なる関係者の対話による問題解決が必要とされる。こうした時代においては、企業が、この対話にどう関わっていくのかこそが求められる時代になってきているのだ。

例として、がん対策の話をしておこう。がん対策は、我が国の医療政策分野でも先進的な取り組みとして知られている。超党派による議員立法を契機に、がん対策の基本計画はさまざまな関係者が集う「がん対策協議会」で議論されることとなった。ここには医療関係者はもとより患者代表も参加して議論が重ねられている。しかし、ここで残念なのは、国や各都道府県にも設置された協議会に企業が参加していないことだ。がん対策としては二つの観点から、企業は重要な位置づけを占める。一つには治療薬の開発者としての企業、そして、もう一つはがん患者の社会復帰を受け入れる立場としての企業だ。前者はごく限られた薬剤メーカー等だが、後者はすべての企業が対象となる。がんはもはや治る病気となっており、がん患者にとって最も切実な課題のひとつが社会復帰だ。しかし、こうした議論に対して、企業が積極的に対話に臨むというのはまだなかなか聞くことはできない。ぜひ、皆さん自身も企業がどうこうした個々の問題に関わっていくのか、自分のこととして、考えてほしい。

最後に、CSRを効果的・持続的に進めるためには何が求められるのかを整理しておこう。第一に「○○らしさ(専門性)」へのこだわり、第二に「協働」、第三に「社会ニーズ」である。社会にどんな課題があるのか、そのニーズを的確に捉えたうえで、競争力の源泉である自社の「専門性」によって解決することが必要なのだ。そうした活動を通じ、自らの専門性を鍛えることができるようになる。また、自らの専門性だけで解決することができない場合は、これを補完し、解決を図るための協働を行う必要もある。そうしたときのパートナーとして、NGOやNPO等の市民セクターの担い手の専門性も改めて評価しておくことが不可欠であろう。

これらを進める上で重要なのは政策面での対応だ。政策シンクタンクとして申し上げれば、少なくとも次の三点で日本は遅れをとっている。

まず、投資、SRI普及のための法規制等だ。英国をはじめ欧州では、SRIが盛んだ。その背景には、SRIに関する法規制の存在がある。SRIの普及はCSRのインセンティブにもなる。我が国の場合には、どの省庁がこれを担うのか、そもそも、投資を制限することにもなるSRI規制をどう位置付けるのかといった根本の議論も検討する必要があろう。

次に、利害や関心が異なる関係者間の対話による問題解決をいかに進めるかである。先ほど申し上げた「がん対策」のような具体的な事例や論点について、利害や関心の異なる関係者の対話を設定できるかどうかが試されている。

最後に、市民サイドの担い手の育成である。これは、政府や一部の関係者に限られた仕事を開放することである。言い換えれば、さらなる市場化テストの拡大が求められよう。

以上、CSRをまさに取り組む、いわばプロの皆さんに対して、政策シンクタンクである私たちの視点を示した。甚だ僭越な面もあろうが、社会の課題を解決し、よりよい社会にしていくとの観点から、是非とも協働を進めていきたいと考えている。

    • 元東京財団研究員
    • 亀井 善太郎
    • 亀井 善太郎

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