タイプ
その他
日付
2007/5/18

安田主任研究員講演録(シンポジウム[東京])

「環太平洋の生命文明圏」

安田喜憲(東京財団主任研究員/国際日本文化研究センター教授)

シンポジウム(東京)での講演(抜粋)(2007年4月15日開催)

自然と共存する植物文明

私は「環太平洋の生命文明圏」を長い間、主張しています。世界の文明を見ますと、日本の縄文であるとか、中国の長江、また中米のマヤ、南米のアンデス、あるいは南太平洋、ニュージーランドのマオリ、イースター島といったところですが、このようなアジア・太平洋地域には、今までいわれている四大文明とはまったく違う、独自の文明圏があるというのが私の長年の主張です。それを「植物文明」という名前で呼んでいるわけです。それ以外の文明はヒツジやヤギを飼う「動物文明」である、というのが私の主張です。

そして、この植物文明、これを生命文明圏といっていいのですけれども、そこに共通しているのがアニミズムです。その始まりとなりましたのが長江文明です。長江文明の人々は、まず太陽を崇拝します。それから、鳥を崇拝し、蛇を崇拝し、柱を崇拝し、玉を崇拝します。環太平洋の生命文明圏を代表するシンボルは、太陽、鳥、蛇、柱、玉なのですが、長江文明を研究しましたら、長江文明の人々が玉が大好きだというところから、こういう考えに至りました。

植物文明を代表するシンボルは玉です。地中海文明、あるいはメソポタミア文明、黄河文明、エジプト文明もそうですが、古代の動物型の文明は金銀財宝を大事にしますけれども、植物型の文明の人が大事にするのは玉なのです。これは長江文明の玉ですが、これが丸、これが四角です。丸は天を意味し、四角は大地を意味します。そして、この天地の結合のなかに豊穣を祈る。こういう世界観がアジア・太平洋の文明の根幹を形成しているわけです。

図1図1が長江文明のシンボルですけれども、ここに細かい模様があります。これは直径2センチで、非常に精巧な模様を刻んでいます。図1は5000年前に作られた玉ですから、きわめて高度な技術をもった文明がアジア・太平洋には存在したといえます。

玉を崇拝するというのは縄文もそうです。これはニュージーランドのマオリの人ですが、やはり玉を崇拝していました。金銀財宝ではないということです。あるいはマヤの人々です。これはティカールという美しい遺跡で、このティカールの人々も玉を崇拝していました。

なぜ玉を崇拝するのか、ということが私の長年の謎でした。中国の北のほうの人々も、ちゃんと目の中に玉を入れていますが、マヤの人々は死後、歯に玉を入れています。これらは、私が長江文明を研究してから10年間、悩みに悩んだ課題でした。その謎が解けたのは、玉が山のシンボルだったということがわかってからのことです。山というもののシンボルが玉だったわけです。

長江文明の神話に『山海経』というものがあります。これを読みますと、「何々山には何々玉が採れる」とあります。山は玉のシンボルなのです。その山で採れる玉を持ってきて祭をしたのですけれども、同じようにマヤの人々も巨大なピラミッドを作るわけです。それは、じつは山のシンボルなのです。このように、聖なる山を崇拝することが、アジア・太平洋、環太平洋の人々に共通する大きな世界観です。マオリの人々も、やはりそういう世界観を持っています。

では、その山というのは何かというと、天と地をつなぐ掛け橋なのですね。会津磐梯山の磐梯が、磐(いわ)の梯子と表記されることに象徴されるように、山は天地に向かう磐の梯子だということです。

図2図2は、先ほどの長江の玉に描いてあった模様の拡大です。天地を往来するのは誰かというと、それは鳥です。これは、先ほどの5000年前の玉の横回り直径2センチの小さな文様に描かれていたものです。アメリカインディアンのような羽飾りをつけた人、シャーマンと思われますが、トラの目に触っているという文様です。同じようなものをアメリカインディアンもつけている。南米の人々も、ケツァールという鳥の羽を崇拝している。なぜ鳥を崇拝しているかというと、鳥は天と地を行き交うからです。



図3それから、図3の向かって左、これは雲南省テン王国で2500年前の青銅器に描かれた、ウシを生贄にするところです。彼らは天地をつなぐものとして柱を作りました。これを見ると、アメリカインディアンが取り仕切っているように見えますけれども、じつはこれは中国人がやっているのです。向かって右側はアメリカインディアンです。アメリカインディアンは、やはり柱の上に鳥を置いて崇拝しています。こちらは鳥の羽を柱の上に置いています。そして、今でも中国雲南省のミャオ族のような人々は、柱を崇拝し、その上に鳥を飾っているわけです。鳥も柱も天地をつなぐシンボルです。

私たちも同じようにやっています。これは諏訪の御柱ですけれども、柱を崇拝しています。伊勢神宮の心の御柱もそうです。すべて柱は天地をつなぐものに連なっています。同じようにマヤの人々もセイバの木を崇拝します。これが聖なる木で、まさに天地をつなぐ心の御柱と同じ意味をもっているわけです。

魚食による森と水の循環系の維持

もうひとつ、この地域における大きな特色は、重要なたんぱく質が魚であるということです。これも何度も目につきました。魚を食べることによって森と水の循環系をきちんと守る。「森里海の循環系」を守る原因は、魚を食べるということにあるのです。ですから、アジア・太平洋地域の人々は、魚を主要なたんぱく源にして、ヒツジやヤギを飼わなかったのです。

図4図4はマチュピチュですけれども、美しい棚畑が広がっています。それから、図4の右はミャオ族の棚田です。環太平洋地域の人々は美しく大地を耕し、大地に自らのエネルギーを投入して、美しい森と水の循環系をきちんと数千年にわたって維持してきました。そういう文明の伝統がアジア・太平洋にはあるということです。それを私は「生命文明」と呼んでいます。これは大橋力先生のご提案によって名付けられたのですが、その生命文明のスタートは、おそらくアジア・太平洋、とくに東北アジアにあるだろう、ということが考えられます。

それから、これはどういうわけかわかりませんけれども、モンゴロイドが移動したルートに沿って、マヤやアンデスがある。あるいは南太平洋に沿って行ったのかもしれませんけれども、そういう大きな文明の世界がかつてあったということです。すなわち、この地理上の発見以前までの、西アジアの金銀財宝を大好きな文明とは違う、玉を大事にして自然と共存しながら穏やかに生きていく文明の伝統が、かつて環太平洋にはあったのです。

アジア・太平洋のアニミズム連合

図5そこで、私はそういう文明の伝統をもう一度思い起こして、日本はアニミズム連合のなかで生きるべきである、という提言をいたしました。図5が、そのアニミズム連合のモデルです。ここに中国がありますけれども、最初は、共産主義中国をアニミズム連合で包囲する、という意味で書きました。しかし、最近はだいぶ中国も変わってきまして、自国の持っていた伝統的な文化や儒教にやっと気づき、龍がもっているものも大事だと目覚め始めています。徐々にアニミズムに目覚め始めてきましたので、包囲網ではなくて、中国がアニミズム連合の核心地になる、という可能性が非常に高くなってきました。

中国はやはりすごい国です。たとえば食事の礼節といったものを、全部、自分たちで作ったりする。何よりも龍を作り、それが空を飛び、水のなかを潜り、というような乗り物を発想できるのは、やはりすごいと思います。私はそういう伝統の根本はアニミズムにあると考えているのですけれども、その文明の伝統を、もう一度、中国が思いおこしてくれるとアジアが平和になると思います。

インドはいうまでもありません。日本とまったく同じで、インダス文明以来のアニミズムの伝統を強烈にもっています。ガンジーの平和主義も、インダス以来のアニミズムの伝統に立脚しています。イギリスに植民地化されても、キリスト教徒になった人はほとんどいないのです。インダス文明以来のアニミズムの伝統を強くもった世界観、これをもちつづけようとしたのがインドです。イスラムやイギリスの度重なる侵略にもかかわらず、アニミズムの世界、インダス文明以来の平和で穏やかな時代をもちつづけようと努力している。これがインドです。

これに対して日本は、第二次世界大戦で負けたあと、そういったアニミズムの世界を一義的に放棄しました。一義的に放棄して、キリスト教の世界を受け入れようとしたけれども、受け入れることができなかった。制度としては受け入れたけれども、本当の日本人の心は一神教に変わることはなかったのです。

一方、中国は文化大革命によって、また毛沢東の力によって、今までの伝統社会をすべて破壊し、まったく新しい共産主義という社会に変わりました。21世紀のアジアは、インド、中国、日本というこの三つのきわめて異なる歩みをしてきた国が、どう仲良くしていくかということにかかっていると思います。インドと日本には共通したものとしてアニミズムがある。そして中国には、これからはアニミズムが大事だと考える人が増えてきているわけです。中国は今は確かにヨーロッパで生まれた共産主義を導入して国家の理念にしているけれども、その基底に埋もれているものは何かというと、それはアニミズムではないでしょうか。

ならば、このアジア・太平洋のインド、中国、日本、そして中南米のインディヘナ(Indigena)の人々を含めた、あるいは南太平洋の人々をも含めた、広大なアニミズム連合というものを作る。そして、そのリーダーに日本や中国、インドがなって、平和な世界を作っていくことができれば人類は幸せになれるのではないか、という考えを、私は前からもっております。