インタビューシリーズ「介護現場の声を聴く!」 主な出演者の声〔介護業界に入った動機/介護職の苦楽〕 | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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インタビューシリーズ「介護現場の声を聴く!」 主な出演者の声〔介護業界に入った動機/介護職の苦楽〕

May 29, 2012

介護業界に入った動機/介護職の苦楽

  • 病院で働いていた際、ルーティンワークをこなすことが中心の看護師に比べて、会話や食事介助を通じて高齢者と交流があるため、仕事に魅力を感じた。看護師よりも心の入った人間味のある介護職に入った。(第3回)
  • 花屋で働いていた頃、介護施設に花を配達した時が契機。施設職員が女性の高齢者に怒鳴っている場面に出くわし、「自分の家族と同じような感じで言った方がいいのに…」と感じた。認知症となった祖母を介護できなかったことが心残りになっていたため、介護の世界に入った。(第3回)
  • どんなにつらい時でも、利用者さんの笑顔があると、「やってて良かった」と思う」。(第3回)
  • 苦労を苦労とは感じないぐらいような利用者本位の気持ちを心掛けている。(第3回)
  • 祖母の笑顔が動機。中学生の時、祖母がパーキンソン病にかかり、介助がなければ衣食住できない状態で病院に入院したが、看護師や医学療法士が良くしてくれて、祖母が私でも見たことのない顔を見せて、私もやりたいと思った。(第4回)
  • 「人の心をケアしたい」と考えた。中でも福祉職は人の最期の時間を一緒に過ごすことで、「その人の考え方や価値観を見ることができるのでは」と思った。利用者と話している時、特にケアを通して触れ合えている瞬間が楽しい。高齢者の笑顔を見た瞬間、「やってて良かった」と思う。(第4回)
  • 介護職と飲食業に共通点は多い。介護は精神的ケアが重要で、利用者が何気ないことで視線をそらしたり、急にしかめっ面になった所から観察する力が必要。飲食業も「グラスを傾けたシルエットでドリンクの残りを予測する」といった部分を重視しており、介護職と共通している。(第4回)
  • 人に喜んで貰えることを目一杯やって、給料を貰える。こんなに素晴らしい仕事はない。介護職の楽しさを目に見える形で伝えるのは難しいが、介護職を志す後輩に対しては「3年間、頑張って見よう。利用者の心と繋がったと思う瞬間は必ず来る」と指導している。(第5回)
  • 一般企業に勤務していた際、私以外の女性は全員リストラに遭った。しかし、介護現場は職員同士の競争意識がない。ライバルという意識ではなく、仲間という意識だった。(第8回)
  • 23歳から介護職に入ったが、「お世話してあげている」というよりも、お手伝いさせて頂いていると考えている。介護は大変、大変と言われるが、大変なのはどの仕事も同じ。一度介護職を離れたことがあったが、結局は忘れられなくて戻って来た。(第8回)
  • 離婚した後、「手に職がない」と思って福祉の仕事を始めた。訪問介護事業所の登録ヘルパーを手始めに介護の世界に足を踏み入れたが、魅力があって楽しくなって来て辞められなくなった。(第8回)
  • 15年前に専門学校の学科を出て、介護業界に足を踏み入れた。小学校の頃からボーイスカウトとして老人ホームを訪ねる機会があり、お年寄りの笑顔が忘れられず、何となく中学生の頃から「福祉の道に進む」という漠然とした思いがあった。(第9回)
  • 老人保健施設で働き始めて介護保険制度が創設された。しかし、期待感はなく、現場はピンと来なかった。むしろ、各施設にケアマネージャーの配置が義務付けられ、資格を取るベテランの職員が相次いだいことが印象に残った。(第9回)
  • 30歳で介護の世界に入った。自分の親の世代が要介護状態になった時、何もできないという思いがあり、勉強したいと考えた。「自分自身も安心して年を取れない」「高齢化で市場が枯渇することはない」という判断もあった。(第9回)
  • 苦しい記憶はない。対応が難しい利用者は大変だが、こんなに楽しくてクリエイティブ仕事があると驚いた。元々は介護業界の人間ではなかったため、暗いイメージを持っていたが、楽しさや嬉しさは想像以上。実際現場に行けば分かるが、そんなに暗くない。(第9回)
  • 就職に際して、暗いイメージを受ける事業所もあったが、今の会社は職員が楽しそうにしていた。「こんなに楽しい世界もあるんだ、やり甲斐もあるんだ」と思った。(第9回)
  • 暗いイメージが先行しているので、求職者達も足踏みすると思うが、大きく分類すれば介護職はサービス業。対応した利用者から反応が得られる感動は非常に大きい。やり甲斐を感じやすい。(第9回)
  • 利用者にとっていい結果にならなかったとか、職員同士で人間関係がうまくいかなかったことが辛い。(第9回)
  • 好きな仕事をやらせて貰っているので、喜びはあるし、幸せだ。その半面、利用者の「死」から避けて通れない仕事なので、死を目前にして介護業界から去る人を何人も見ている。それぞれ介護職員が死生観を持たないと、精神的に潰れてしまう。(第9回)
  • 介護職を目指す知人の言葉が契機。職員のコミュニケーションに苦労する。無意識的に他の職員の目を気にして仕事している時がある。例えば、高齢者と会話を楽しんでいると、「何をゆっくりしているの?こっちは忙しく動いているのに…」という周囲の目が気になる。(第10回)
  • 別の業界で営業職をやっており、交流会で大手介護会社の経営陣と会い、やり甲斐を感じた。サービスのエンドユーザーである高齢者から「有り難う」と直接に声を掛けて貰える点に加え、残ったメンバーとは、うわべだけではない仕事という位置付けを超えた結束がある。(第10回)


  • 初めて意識したのが高校3年生。「介護の世界が面白い」と友達が話していたので、飛び込んだ。その後、介護福祉士の資格を持つために専門学校に入り、特養などで経験を積んだが、やる気があれば施設のマネジメントをやらせてくれる所があったので、転職した。(第13回)
  • 老人ホームの男性利用者から「施設に監禁されている」と声を掛けられた。ただ、女性職員は「この人歩けるから出て行っちゃう」と冷ややかに話し、憤りを覚えた。これで「高齢者の待遇を変えたい」という思いが強くなり、資格・経験を持っていないのに、介護の世界に飛び込んだ。(第13回)
  • どの職業でも「苦しい」「辛い」場面がある。介護には楽しいことの方が多いが、介護を要する高齢者を相手にするため、劇的に病気が良くなったり、症状が改善したりすることが少なく、自分達のモチベーションを如何に持って行くかが鍵を握る。明確なビジョンを描けないと厳しい。(第13回)
  • 利用者、家族、ケアマネージャーの笑顔を見ることが楽しい。(第13回)
  • 高齢者の「死」に接するのが辛く、葬儀で焼香を上げた時、涙が止まらなかった。最初に経験した時にめげそうになった。しかし、現在は「強くならなきゃならない」と自分を奮い立たせるとともに、高齢者が亡くなる時に「楽しかった」と思って貰えるように努力している。(第13回)
  • 昨年1月まで不動産業界で働いたが、人とのコミュニケーションを求めて転職した。会社の説明を聞いた時、「自分のやりたいことはこれだ」と感じた。入った後も「これで仕事で良いのか」と感じるぐらい楽しく、人と喋るのが好きなこともあるが、人との付き合いが仕事になるのが新鮮。(第14回)
  • 離婚するのに自立した仕事がないと子供を養えないし、資格がすぐに取れる介護業界に足を踏み入れた。最初は「お世話しなければならない」という感じで構えていたが、思いの外楽しかったため、訪問介護や高齢者専用賃貸住宅(高専賃)など現場での勤務経験は6年に及ぶ。(第15回)
  • 介護職は利用者に遊んで貰っている感覚。小さい時に「おばあちゃんっ子」だったため、子供の頃の経験が日常業務になった感覚。実際、周囲から「大変だね」「すごいね」などと言われるが、「どの辺が大変なの?」という印象。数字を取り扱う仕事など他の仕事の方がよっぽど大変。(第15回)
  • 社会福祉系大学を卒業し、アルバイト期間を含めて保育を8年ぐらい経験した。しかし、給料が少ないことを理由に、社会福祉主事任用資格の保有者を募集していた現在の会社に応募した。訪問介護など介護業界に入って3年が経つが、介護、保育のどっちも楽しい。(第15回)
  • 介護施設は隔離されているイメージがあり、明るさが知られていない。最初は独特な雰囲気に慣れなかったが、今では「おじいちゃん、おばあちゃんの家に帰る」という感覚。従事者は「有り難う」と言われるのが新鮮で、コミュニケーションが報酬として受け取っている傾向が強い。(第17回)
  • パンフレットの営業で事業所を初めて訪ねた際、高齢者が普通に笑顔でカラオケしているのを見て、激震が走った。「これが高齢者を元気にするためのデイケアなんだ」と感じた。(第17回)
  • 高齢者を運ぶ際、重量が腰に負荷を与えるため、腰を痛める職員は多い。私も体を鍛えており、体力に自信があったのに腰を痛めた。多くの事業所では膝を使うよう指導しており、新人の時も「膝を使え。ごみを拾う時でも、とにかくしゃがんで、普段から膝を使う癖を付けろ」と言われた。(第18回)
  • 背が高い人は膝を曲げなきゃならない。自分を過信して男性の方が腰を痛める。総じて見ると背の小さい人の方が腰を痛めるリスクが少ない。(第18回)
  • 男性は力任せでやって腰を痛める。自身はヘルパー2級養成講座を通じて重点を低くするコツを学んだため、腰を痛めた経験がない。(第18回)
  • 高齢者をベッドや車椅子から運ぶ際、その重量が腰に負荷を与えるため、腰痛に見舞われる職員が多いが、腰が痛くて仕事できなくなったことはない。(第19回)
  • 約7年前に介護業界に入った直後、腰を痛めた経験がある。その時は腰が1週間ぐらい痺れていた。最初の頃は力に頼る。しかし、体の使い方に気を付ければ腰を痛めることは確実に防げる。(第19回)
  • 太平洋戦争末期の特攻隊の生き残りやシベリア抑留者が通っていた。タダで昔の話が聞ける。テレビじゃ流せないリアルな歴史や面白い話が聞ける。(第21回)
  • デイサービスには「家族の休憩時間が欲しいから預かる」「独居高齢者が外に出るきっかけがない」というニーズがあるが、通所に来たがらない高齢者への促し方に苦労する。信頼関係を作るなどアプローチに手を尽くす。(第21回)
  • どうしても来ない場合、風呂に入って機能訓練を受けて帰るという個別ケアのアプローチに切り替える。例えば、3時間で風呂専門のデイサービス。夜10時ぐらいまで預かるサービスのメニューを作ることも考える。(第21回)
  • 保育に比べると高齢者の方が求める要求が高い。一方で、喋り方が段々と友達感覚でフランクになり、利用者や家族からクレームが来る時もある。言葉遣いの線引きが大事。(第21回)
  • 興味のある異性が事業所にいると、男性は正装、女性は化粧する傾向も。レクリエーションでネイルサロンやメイクの方が来ると女性陣が喜ぶ。年齢を重ねても男女の意識はある。(第21回)
  • 世間では「3K」(きつい、汚い、安月給)と呼ばれ、ネガティブに捉える。「働く職員が世の中にネガティブ発信しているのではないか」「介護報酬が低いなどの要因があるが、僕達自身に問題がある」と考えた。(第22回)
  • この仕事は好きじゃないとできない。年収が高いだけでは続かない。認知症の方と関わって楽しい時もある。普段名前を覚えてくれていない人でも思い出してくれた。金銭的な部分は大事だけど、介護は楽しい。(第24回)
  • 児童福祉系の学科を卒業し、当初は非行少年向け施設に就職したかった。ただ、当時は施設数が少なく、23区に増えていた特養に就職した。男性の介護員が探さないといないぐらい殆ど女性の職場。16人の介護職員で唯一の男性職員だった。(第25回)
  • 前身は看護婦紹介所としてスタートし、市町村の請負で事業を展開した。介護保険がスタートして大規模資本の会社に利用者ベースで抜かれたが、1999年時点では最大の会社だった。(第25回)
  • 工業系大学を卒業し、製造業に就職。ただ、介護保険の創設が決まり、創業者の母親から頼まれた。サラリーマンとして一生仕事するつもりだったが、強い母親にねじ伏せられた。(第25回)
  • 腰が重くなって事務職に移った人もいる。なかなか治らない(第28回)
  • ふらついた高齢者を支えた時に腰を痛めることが多いが、たまたま今までは大丈夫。(第28回)
  • 最初に痛みが激しく、施設の勤めができなくなった。(第28回)
  • 余り重介護度のルートが重なると「疲れているから」という声も上がって来るので、満遍なく振り分けたり、腰に負担の掛からない介護の仕方をレクチャーしたりする。(第28回)

  • 9割ぐらい苦しいけど、1割ぐらい喜び、楽しみはある。元々はヘルパーとして業界に入り、利用者からストレートに「有り難う」と言われたことが心に響いた。やり甲斐を感じる。自分には「いい仕事をやっている」という感覚はないが、職を選ぶことで必然と社会貢献できていると実感した。(第30回)
  • 経営者に立場が変わったので、ヘルパーなど現場業務は負けるかもしれないが、楽しみや喜びを従業員に感じて貰いたい。(第30回)
  • 1990年代後半頃には「介護保険が始まるので介護が熱いぞ」と聞いていたので、専門学校に行って介護の世界に入った。今はオフィスが殆どだが、最初はヘルパーだった。(第30回)
  • 元々は飲食店を経営していたが、仕事を探している時に今の仕事を見付けた。「介護業界に行きたい」というよりも「仕事内容が面白そうだな」という思い。(第30回)
  • 弁当を配達した時に「昨日の弁当は美味しかった」「来てくれて安心できる」と言われるのが嬉しい。ヘルパーが入っている人ならばまだいいが、独居の方は誰も来ないことがあるので、「安心できる」と言われると「お客さんから必要とされている」と感じる。大切な仕事と思う。(第30回)
  • 前の方が具合悪くてケアマネージャーに電話している時や話が長くなった時、次の高齢者宅への弁当配達が遅れる時がある。前の人をないがしろにできないし、その辺のバランスが難しい。(第30回)
  • 高齢者宅への弁当配達は悪天候でも休めないし、土日関係なく必ず届ける。新聞配達と似たような状況。しかし、配達で使う屋根付きのバイクは強風時に煽られるため、スピードを落として安全運転するしかない。(第30回)
  • 証券業界に身を置いていたが、急性肝炎で2カ月半入院した。幸い生還できたため、「助かった命なので、何か人の役に立つ仕事」と考えた。(第31回)
  • 出身地が震災に見舞われ、仮設住宅で高齢者の孤独死が起きて耐えられなかった。(第31回)
  • 酸素カプセルは健康器具。サロンを営業しつつ、老人ホームに無償で貸し出してサービスを提供しようとしたが、高齢者の健康にリスクがあると断られたので、業界参入を決断した。(第31回)
  • いつまで経っても女性はキレイでいたいという思いがあるはずなので、美容と健康を上手く融合しながら介護の業界で仕事出来たらと思った。(第31回)
  • 仕事に対する考え方としては、面白いというよりも使命感。(第31回)
  • 普通のサービス業と一緒。フェイストゥフェイスで話が出来て、お客さんから喜びの声を貰える。(第31回)
  • 体がつらい。賃金が安いのは農協も一緒。男性のアルバイトでデイサービスの時給は800円。収入は月10万円前後。子供を育てることはできない。共働きで奥様も来るとか、所得を確保している人じゃないと、長期的に続けていくのは困難。(第33回)
  • きつい割に事務作業が多く、厚生労働省関係の書類が増えて行く。本当は高齢者に向き合って介護したいので、ドンドンと削られて時間が割かれる。(第33回)
  • 農協の介護事業所であっても課題は基本的に同じ。賃金は大きな負担。何処の事業所を回っても問題。赤字覚悟でやっている所もあるが、継続して行くことが重要なので黒字化は必要になる。(第33回)
  • 子育て中にやりくりしながら働き続けて来た保育園卒園時の保護者が「親の介護を理由に仕事場を離れる」という話が母親に寄せられ始めた。何とか離職しないで済むように保護者も働き続けられるようにするため、介護に参入した。(第34回)
  • 核家族化の進展で周りに子供達が高齢者と触れ合う時間がなくなっており、高齢者と子供達が関わるような場所を作りたいという思いもあった。(第34回)
  • 他の施設・法人は高齢者サービスから入っているが、少し毛色の変わった入り方かもしれない。(第34回)
  • 利用者を選ばないスタンスを貫きたい。利用希望の打診が来た時、こちらから条件を付けることは極力しない。状況や希望を聞いて、その状況に私達が対応できるかどうか考えるスタンスを大事にする。(第34回)
  • 病気や認知症の状態で他を打診しても断られて来る人も少なくない。全部が全部受けられるわけではないし、特に医療的なニーズが高い人の場合は難しいこともあるが、利用者や家族との対話を大事にする。(第34回)
  • 「色んな施設や病院を回って色々言われて利用する気になれなかったが、施設を見学したら何となく大丈夫そうかなと思って申し込んだ」という利用者の反応を聞いた。(第34回)
  • 施設名に「みんなの家」を名乗ってしまっているので、「この人はダメです」とはプライドを懸けても言わないようにしよう。施設名にこだわっておこうと思っている。(第34回)
  • 2000年度に介護保険が始まる際、ケアマネージャーが在宅介護の中核的を占めることが分かり、興味を持った。その後、ヘルパー2級の資格を取って介護業界に入り、色々な人から「有り難う」と言われることがやりがいを感じる瞬間。(第35回)
  • やったらやった分だけ反応が返って来る。「貢献できている」と実感できて、よりやってみたいという思いが強くなった。(第35回)
  • ずっと在宅に興味があり、有料老人ホームでの勤務で自信が付いてきたので、在宅をやってみたいと思った。その後、在宅介護をやり始めた所、介護保険が始まることになったため、そのまま第1期生で受けてケアマネージャーをやっている。(第35回)
  • 大学時代は無気力な学生。「人に役に立ちたい」「間違いなく人のためになる」と思った。「介護業界が熱くなる」と聞いていたので、飛び込んでみようと思って学校に行った。単純に有り難うと言われるのがやり甲斐だった。(第35回)
  • 業界に関わったのは介護保険が始まる前。一般的に介護と言われるのが施設介護を指していた時代。「介護って何だろうな?」「人の世話をできるんだろうな」と漠然と入って見たら、単純に「凄いな」と思って続けている。(第35回)
  • 辛いことと楽しいことは表裏一体。利用者のことで悩むことはあるけど、利用者に救われる時もある。楽しい気持ちにさせてくれるのも利用者。人と触れ合う仕事をやりたいと思っているので、魅力的な仕事。(第43回)
  • 介護業界に参入する前に特養を見て、「もし僕が介護を受けるならばNG。この業界を変えよう」という思いで業界に入った。(第44回)
  • 福祉系大学を出た後、児童養護施設のワーカーとして就職。現在の特養には社会人3年目で相談員として転職して15年経つ。施設長は3年目になる。(第44回)
  • 自分はダメ人間。高校を卒業してフリーターだった。親から「何か仕事しなさいよ、人が良さそうなだから介護職になれば?」と言われて、ヘルパー資格を取って面接を受けた。(第44回)
  • やってみたら難しい仕事だけど面白いなと思った。しかし、その後は7施設を転々としており、今の施設も2回も辞めた。逃げてばっかりだったけど、最近は介護という仕事に向き合っている。(第44回)
  • 福祉系大学を卒業後、人と関わる仕事にやりたいと思った。大学から「家の近くに良い職場がある」と紹介された。今年で7年目。ずっと同じ施設で働いている。辞めようと思えない。色々と学べる。(第44回)
  • 設計士をやるつもりで大学に行き、バリアフリーやリフォームを勉強した。特養を見に行ったのを機に、業界に入った。(第44回)
  • 2級ヘルパーを取ったが、5分程度でできるオムツ交換に30分掛かった。当時は大変だった。男性利用者がくしゃみしたので、家族が風邪を引いちゃうと心配した。(第44回)
  • 会社に帰ってスタッフにズボンの上からオムツを履かせて練習した。5分でできるようになって、「上手くなったね」と言われて嬉しかった。コミュニケーションを取りながらやった。(第44回)

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