タイプ
レポート
日付
2012/5/31

インタビューシリーズ「介護現場の声を聴く!」 主な出演者の声〔東日本大震災の影響〕

東日本大震災の影響


  • 事業が継続できなくなる被害は出なかったが、被災地の営業所に関しては、ライフラインの寸断、人員・食料の不足などの事態に見舞われたため、5カ所ほどの事業所が2~3週間程度、営業中止に追い込まれた。(第1回)

  • 首都圏で震災の混乱が落ち着いて来たのを受けて、社内の危機管理マニュアルを改定した。事業所ごとにブログやツイッターの開設、食料の備蓄を促した。(第1回)

  • 福島県南相馬市の要介護度の重い高齢者18人をデイサービス事業所で受け入れたが、地元自治体から「半年ぐらい長期間住む形になるのならば老人ホームの規定に変わる。全国には多くの受け入れ余地があるため、デイサービスで長期間の宿泊は好ましくない」とクギを刺された。(第1回)

  • 首都圏の営業所ではデイサービスで高齢者を迎えに行こうとしても、ガソリンが不足していたので、ギリギリの対応だった。ただ、その後は被災地から避難して来た高齢者を対象に、デイサービスセンターの風呂を夜間に開放している。(第1回)

  • 携帯電話が不通になり、道路渋滞などで駆け付けられない「空白の1日」が起きた。事前に準備していた緊急マニュアルのフローが通用しなかった。(第1回)

  • 品薄でガソリンスタンドが計画的に販売していた。中でも軽油が入らず、苦労した。計画停電に伴って入浴時間の調整も余儀なくされた。(第2回)

  • 首都圏では保存食が品薄となり、パン食を好む高齢者から頼まれたヘルパーがパンを求めて何軒も店を訪ねた。(第2回)

  • 国の補助金に期待して、バリアフリー化など高齢者に配慮した設計を持つ賃貸住宅の建設を計画しているが、関連法案の国会審議が震災で停滞し、補助金申請書が役所のホームページからダウンロードできない。このままだと、補助金が貰えないケースも考えないといけない。(第3回)

  • 計画停電の影響を受けて、高齢者の入浴時間を変更するなど苦労した。(第3回)

  • 普段から半分ぐらいになったらガソリンを満タンにするよう指示していたが、1週間ぐらいはスタンドに並んで2時間待って漸く10リットルを買える状況だった。(第3回)

  • 品薄でガソリンスタンドの前に行列ができたため、燃費や備蓄量から残存量を予想したり、給油できるスタンドの確認作業に追われたりした。計画停電が午後3時20分から7時40分にセットされると、施設のコタツやストーブが止まり、高齢者からは寒さを訴える声が相次い だ。(第4回)

  • ガソリン不足や交通機関の乱れ、計画停電による鉄道の運休によって高齢者の送迎に支障が出た。(第5回)

  • 業務連絡は携帯電話に頼っており、直後は情報伝達に難渋した。ただ、ブログや掲示板などインターネット系の情報が役立ったため、震災を機にインターネット系のツールを使用するよう徹底したほか、本部の指示がない場合でも個人が状況を判断する意識付けの必要性を認識した。(第5回)

  • 高齢者の送迎に使うガソリンで打撃を受けた。24時間態勢で人を配置した社内の緊急対策本部を中心に、ガソリンスタンドの情報共有に努めた。食糧備蓄も3日分を確保するよう指示した。(第7回)

  • 福島県から避難して来た18人を関東の事業所に分散して受け入れた関係で、安全対策などに苦労した。中でも、避難直後の高齢者が寒さを訴え、血圧など健康状態に留意しつつ、お風呂に入って貰ったり、温かい飲み物を提供したりした。(第7回)

  • 震災から2カ月が経過し、家族と連絡が取れるようになった上、高齢者も避難先での生活に少しずつ慣れ始めており、地元への帰還を希望している高齢者が増えている。(第7回)

  • 震災は川崎校で介護実技の授業中。古い建物だったので講師

  • 生徒は建物の外に避難した。しかし、その後に電車が止まったため、他の講師や生徒とファミリーレストランで時間を潰したが、既に周辺のビジネスホテルや漫画喫茶は満室。結局は女性同士でモーテルに泊まった。(第8回)

  • 地震が起きた時に会議中。エレベーターは全てストップ。デイサービス利用者の帰宅を控えており、家族が帰って来ない状況が想定され、職員が階段で誘導した。自宅に帰れない方は施設で待機した。(第25回)

  • 今度は特養の夕食時間になったが、エレベーターが復旧しなかったため、デイサービスの職員が特養棟に来て、人海戦術で食事を運んだ。(第25回)

  • 地域包括支援センターの利用者の安否確認をすぐに始めた。独居の方、高齢者のみの世帯を優先して電話したが、段々と繋がらなくなった。公衆電話は意外と通じていたが、翌日まで掛かった。(第25回)

  • 震災の翌日、24時間の店が半分ぐらい営業しておらず、翌々日になると営業店舗が減ったため、ガソリンが危ないかもしれないと判断した。そこで、13日のうちに全車を満タンにするよう指示し、翌日から全くなくなった。(第25回)

  • 施設は被害がなかった。国による特養の設置基準が厳格。(第25回)

  • 6月に宮城県の特養を訪ねた。50人の施設に100人近くを収容しており、空いているスペースにベッドが並び、経管栄養を待っていた。みんなで介護している環境だった。家も流されているので、これから大変。(第25回)

  • 中越地震など過去の災害で、東京都を通じて職員を派遣しており、独居や介護者がいなくなった高齢者を特養として受け入れる訓練をやっている。(第25回)

  • 静養室など空いている部屋を活用し、被災した高齢者を受け入れた場合、通常ならば減額される介護報酬の措置を適用しない特例が実施されたため、受け入れに手を上げた。しかし、結果的に来なかった。(第25回)

  • 3人の職員を1週間ずつ被災地に派遣し、宮城県気仙沼市の避難所に避難している要介護高齢者のケアに当たらせた。(第25回)

  • 訪問介護員がサービス提供中に津波に遭って1人亡くなった。震災直後は生きていたが、その後は非常に寒くなって、その前に救助が来なくて亡くなった。(第25回)

  • 震災当日は帰宅困難者対策に取り掛かり、その後も1~2週間ぐらい対策本部を立てて、従業員の安否確認と事業所の状況把握で対策を進めた。被災事業所では本社の人材を1カ月以上、数人の人間が張り付いた。(第25回)

  • 東北の事業所が津波被害を受けて完全に機能停止したため、救援活動を1~2週間実施するとともに、物資やガソリン供給でも色んな取り組みを行った。(第25回)

  • 普段の訪問介護サービスは概ね自転車が多いが、それでも都内では使用している車両数が非常に多く、車のガソリン調達に苦労した。空いているガソリンスタンドの情報を各車両が投げ合って調達した。(第25回)

  • 仙台市内ではガスが動いていない中で、デイサービスの訪問入浴者を灯油と一緒に送り込んで事業所の運営維持に努めた。(第25回)

  • 訪問介護の業界団体があり、阪神、中越、今回は介護職員を派遣した。別途、東京都も取り組みがある。大規模会社が多いので、社内で被災店舗の支援をやっている。(第25回)

  • 台風15号では朝の段階で直撃の危険があったので、高齢者を迎えに行く時に早く戻せるかどうか確認していた。早期帰宅を希望した人は早く返したりした。(第25回)

  • 台風15号ではサービス提供が不可能な部分については、利用者の状況によっては場合によっては中止する方法を取った。(第25回)

  • エレベーターが止まった介護施設では人力でやった所は大きかったのでは。エレベーターの復旧が1~2カ月止まっていた地域がある中、苦労があった。(第27回)

  • 被災地でも定期巡回型サービスを行っており、福島に会社の資源を投入している会社も存在する。サービス提供場所が仮設住宅の場合もある。(第27回)

  • 電車が止まったのでスタッフが缶詰状態。隣の団地から住民が避難して来た。エレベーターが止まり、スタッフが階段で施設内の安否確認に赴いた。ただ、発生時にはレクリエーションで高齢者が1階に集まっており、混乱はなかった。(第28回)

  • 発生後暫くして家族への連絡が難しくなった。その後、液状化の酷かった千葉県浦安市から高齢者を受け入れた。(第28回)

  • フランチャイズとして宮城に店舗があるため、東京、大阪から職員を派遣した。(第28回)

  • 弁当の配達に出たばっかりで揺れたが、道路が混み始める前だったので当日は平気。しかし、夕方は道路が混み始めたほか、後はガソリン不足。給油に2~3時間待ったが、何とかガソリンと食材を調達できたので穴を開けずに済んだ。(第29回)

  • 震災当日は高齢者の自宅に家具が倒れるケースが多く、倒れた家具を戻す手伝いを行ったため、いつもよりも弁当の配達に時間が掛かった。(第29回)

  • それほど影響はなかったが、交通機関の乱れで当日に帰れないヘルパーが少なくなく、事業所に泊めた。最終的に被害はなかったが、一人暮らしの高齢者宅をピックアップして職員が事務職員を含めて安否確認に行った。(第29回)

  • サービス自体は影響なかったが、スタッフの通勤、交通網の影響が大きかった。(第29回)

  • 「被災地の高齢者を担当して欲しい」「介護拠点を東京に持って来るので、在宅生活を送る仮住まいのホテルに訪問介護を対応して欲しい」という要請が自治体から来た。

  • 「親族の家に身を寄せている人を対象に本当は色々な手続きがあるのだが、受け入れてくれ。とりあえずやってくれ」という要請が自治体から来た。(第29回)

  • 埼玉県の要請に応じて、避難所となったスーパーアリーナにヘルパーを派遣できるよう登録したが、要請は来なかった。(第11回)

  • 夜間の計画停電に苦労した。夜間に停電になると、独り暮らしの高齢者が仏壇に飾っている蝋燭を明かり代わりに使うことが多くなり、火の不始末で火事になるリスクが気になったため、スタッフ総出で利用者の住宅を訪問した。(第11回)

  • 福島県から高齢者を受け入れたが、環境の変化は認知症の人に大きなストレスになる。どれだけ自然な形で、過ごしやすい形で受け入れるかを工夫した。(第14回)

  • 福島県から高齢者を受け入れたが、最初は帰宅願望があった。ただ、徹底して話を聞いて楽しんで貰った結果、今は笑顔が絶えない。今後の方針が決まっておらず、特養への入居も想定しているが、来年2月まで受け入れを継続する。(第14回)

  • システム開発を手掛けているが、1~2週間はプロジェクトがストップした。(第14回)

  • ゴールデンウィークの頃、宮城県気仙沼市を訪ねて体育館に足湯を置き、被災者に喜んで貰った。電気や水道を確保できるメドが立たず、その時には機械を持ち帰ったが、足湯と足のマッサージでコミュニケーションが活発になった。(第16回)

  • 被災地から高齢者を数人受け入れているが、高齢者は傷ついていることを表に出さない。1カ月ぐらい経って少しずつ昔の話が出たので、心のケアが大事であることを実感した。(第16回)

  • 関東圏ではパニックがなかった。特に耳には入らない。計画停電の影響としては大規模施設では食事提供に行き違いで苦労したと聞いた。(第17回)

  • 直後は電話で関係者の無事を確認するのが大変だった。(第17回)

  • 液状化で家が傾いたのに、資材が入らなかった。それが流れるようになったら不動産関係のクライアントが「高齢者向けに何かやりたい」と話すようになった。法改正で制度化されたサービス付き高齢者住宅の建設を持ち掛ける機会が増えている。(第17回)

  • 節電対策に関しては、温度設定を高めに設定しているぐらい。目が行き届いていない。(第18回)、

  • マメに電気を消しているが、エアコンは付け放し。(第18回)

  • 震災直後の計画停電に関しては、その時に働いていた東京都葛飾区の事業所が計画停電の区域に入ったり、外れたりしたので、現場が二転三転して混乱した。(第18回)

  • 新宿に向かうために電車に乗っていたが、途中で緊急停止して電車が動かなかった。帰宅難民として徒歩での帰宅を余儀なくされた。(第34回)

  • 揺れている最中、事務所に確認の電話を掛けたが、職場のスタッフの反応から「阿鼻叫喚の渦になるような揺れ方じゃないのかな…」と思い、後事を託して電話を切った。(第34回)

  • 独居高齢者を中心に家庭を確認したが、一人から「棚の物が倒れていた」という報告があった程度。当日の19時に連絡が付いた時点で、特段の被害がなかった。(第34回)

  • ガソリン不足も「1週間あれば何とか騒ぎは止まる」と思っていた。心配だったが、取引業者が優先枠を設けてくれたので、厳しかったけど何とかなった。(第34回)

  • 計画停電が心配。どの時間帯に停電になった時に何が困るのか、準備を考えた。「なるべく普通にやろう」と考えて、自宅で電動リフトを使っているので玄関から出られなくなる関係で、1~2人を早く送る程度に終わった。(第34回)

  • デイサービスは来て貰ってなんぼ。なるべく同じサービスを提供する。利用時間を短くするのは利用者や家族には不便な話。(第34回)

  • 訪問介護だって人手が急激に変わるわけじゃないので、今の利用者にいつもと同じようにサービスを提供するかに神経を使った。(第34回)

  • 地元の社会福祉協議会同士の連絡から白羽の矢が立ち、高齢者を受け入れた。しかし、現在は福島に戻った。避難地域内の自宅に戻れなかったが、「なるべく近くに帰りたい』ということで圏内に戻った。(第34回)

  • 当日と翌日に少し影響が出たが、次の週から通常通りに戻った。トイレットペーパーは全国の店舗から運んで貰った。ガソリンは何とか都内で確保できた。(第40回)

  • 福島県いわき市のエンゼルケア事業所は影響を受けて、スタッフの家も流された。電話が繋がらない状況に陥ったため、1~2週間ぐらい愛知、山形から貰った物資を全て福島に送った。(第40回)

  • 電話のやり取りはできなかった。社内のインターネットでメールを立ち上げてチャットみたいな形でやり取り。帰れなかったスタッフや職員の数とか、その対応の仕方をメールで指示した。(第40回)

  • 国の要請としてサービス付き高齢者向け住宅で被災地の高齢者を受け入れることを想定していたが、実際に話はなかった。(第40回)

  • 揺れが長い印象。エレベーターなどの被害は無かったが、関連団体の要請を受けて宮城県気仙沼市から高齢者を一人預かった。(第45回)

  • 東日本大震災直後の支援物資に関して、ミスマッチが生じた。何処に何を届けて良いのかガナバンスが動いてなかった、マスコミが集まる所に人や物が集まって来るなど偏りがあった。(第45回)

  • 救援物資の輸送では「支援をやりたい、支援して欲しくない」という組み合わせが一番多かった。求められていないことに気付かない。ボランティアの整理整頓が必要だった。(第45回)

  • 被災地を視察し、「もし東日本大震災が起きた時に何が起こり得るのか」「何を準備すべきか」「自分達の覚悟が何処まで必要なのか」を確認に行った。(第45回)


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