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シリーズ「政権選択の争点を解く」第4回 地方分権-住民も自己責任の覚悟を

October 22, 2008

東京財団上席研究員
木下敏之

はじめに

今回の総選挙は政権選択の選挙といわれていますが、10月22日現在、自民党と民主党の次期総選挙用の公約は公表されていませんので、両党のこれまでの選挙や党の基本理念等を確認しながら、今国会での麻生首相の所信表明演説と小沢代表の代表質問をもとに、地方分権に関する主張について検討しました。

結論から言うと、現段階では、地方分権を強く推し進めるのは民主党であることは明らかです。しかし、自立には自己責任がセットです。地方の側に覚悟が必要です。また、地方公務員改革と地方議会改革を伴わない地方分権も成功しません。このような視点について、元市長としての自分の経験も踏まえながら、以下に述べさせていただきます。

両党で異なる地方分権の位置づけ

もともと、党の基本理念や基本政策レベルでは、民主党のほうが地方分権の位置づけが明確であると言えます。

2005年11月制定の自民党新綱領では、「国、地方の適切な責任分担のもとで、地方の特色を活かす地方分権を推進する」と位置づけられました。その延長線上にあるのが先日の麻生首相の所信表明演説で、首相は地方分権の意味について、「それぞれの地域が、誇りと活力を持つことが必要だが、その処方箋は、地域によって一つずつ違うのが当たり前。中央で考えた一律の策は、むしろ有害ですらある。だからこそ、知事や市町村長には、真の意味で地域の経営者となってもらわなければならない」と言い切っています。

そこから見て取れるのは、地方分権が「地方が豊かになるための手段」という考え方です。従って、国の補助金を全廃しようということではなく、良いアイデアを出してきた市町村に補助金を出しましょうということになるのでしょう。

一方、1998年4月制定の民主党の基本政策では、「中央政府の役割をスリム化し、外交・防衛、司法などのルール設定・監視、年金をはじめとするナショナル・ミニマムの確保など、国家と国民生活の根幹に係る分野に限定する。それ以外については住民に最も身近な『基礎的自治体』が、それぞれの意思決定に基づきサービスを提供することで、柔軟・迅速・民意反映の政治・行政を実現する」と明記されており、明らかに補完性の原理に立っていることがわかります。

麻生首相の所信表明を受けた小沢代表の代表質問でも、次の選挙を、「国民生活の仕組みを選ぶ」選挙だと位置づけており、「財政構造の転換、国民主導政治の実現、そして真の地方分権により、日本の統治機構を根本的に改革」することを強調しています。麻生首相の地方分権の位置づけよりは、この国の行く末にとってはるかに大事なテーマとして位置づけられています。

自己責任の覚悟を住民に問うべき

私は、全国各地を講演に歩いていますが、行った先々で、「地方自治体に政府の権限を任せて、自分たちでなんでも決められるようにした方が良いですか?」と地方の住民(非公務員)に尋ねることもあります。すると、答えは意外なほどに分かれます。地方分権推進一色ではないのです。

なぜかというと、地方公務員や地方議会を間近に見ているだけに、彼らに任せて本当に大丈夫かと思う人もかなりいるからです。また、田舎に行けばいくほど霞が関への、国への幻想を抱いている人もかなりいて、「地方自治体よりはやはり国に任せておいたほうが良いのでは」と思ってしまうのです。一方で、自分で決められるということは、自分たちが責任も負わなくてはならないということを直感的に理解している人々にも出会いました。

基本的なことではありますが、「自立」、「分権」とは、「自己責任」と一体であることをどれだけの地方自治体関係者が自覚しているのでしょうか。当然のことですが、中央集権の現在よりも状況が悪化する場合も多いことを覚悟しておかなくてはなりません。

「自由にやらしてもらうけど、失敗したら、お国が面倒を見てくださいね!」という主張は分権でも自立でも何でもありません。ただの「甘え」であり、「依存」です。この国は、もはや甘い見通しなど語れる状況ではないのですが、この点については、両党ともに何も触れてはいません。もし、分権しただけで地方が豊かになるなどと本当に信じているとしたら、それはそれで恐ろしいことですが。

地方公務員改革のない地方分権はミニ霞が関を作るだけ

私が懸念するのは、地方公務員と地方議会が今のままであれば、地方分権はミニ霞が関を作るだけに終わる可能性が高いということです。いまのまま予算と権限だけが増える状態となれば、最初はかなり不適正な予算の使い方などが問題になると思います。

だからといって、地方分権プログラムに、国家公務員の地方への配転計画を盛り込めとは言いません。それこそ地方分権に反します。一見、自治体に親切な人材再配置プログラムなどは、地方自治体への霞が関支配の隠れ蓑となる可能性もあります。産業振興が急務である自治体は、霞が関からよりも民間から人を採用するべきでしょう。

地方議員の政務調査費の問題に見られるように、地方議会改革も不可欠です。これも国が口を出すべき問題ではありませんが、両党の公約で地方の住民に注意喚起をすることは必要でしょう。

地方の人材育成と都市圏からの還流対策が必要

ただ、地方分権が成功していくために何か対策を公約に盛り込むとしたら、まず、首都圏に豊富に存在する人材を地方に還流する対策を講じるべきではないかと思います。

私は佐賀市の市長として産業振興に力を注ぎましたが、地方では企業においても人材の不足が見られます。一方で、都市部では、ビジネスの経験を積んだ人たちがたくさんいます。そのような人たちを地方に還流させる制度が必要だと感じています。

また、地方の技術開発の源である国立大学や地域の国立試験研究機関の研究テーマも地方自治体の自由になるものではありませんでした。この分野についても、地方自治体に移譲していくということをはっきりして打ち出す必要があります。旧帝国大学や国の試験研究機関は、道州制が実現したら移譲されるのは間違いないこととは思いますが。

自治体の合併や県内の分権は全国一律である必要はない

私も補完性の原理に立って地方分権を考えるべきだと思いますが、だからと言って全国すべてが同じように地方に任せればよいと単純には思いません。他の地域では他の地域の考えがあり、その判断が優先されるべきだと思うからです。

だから、民主党の2007年参議院選挙の公約のように、「全国を300程度の基礎自治体に集約する」ということも地域が決めることであって、国が強制することではありません。また、「都道府県の担っている事務の半分を基礎自治体に移譲する」などということも同様にそれぞれの地域が決める話であり、全国一律である必要はどこにもないのです。民主党もまた全国一律の発想から抜け出てはいないようです。極端だと思う人もいるかもしれませんが、九州は道州制に移行し、東北はこれまでどおりの各県分立でもよいのです。

おわりに

以上、色々と述べましたが、マニフェストだけでなく、実行能力も政権選択の重要な課題です。自立を望む市町村にとって、のろのろと改革を進められるようでは、貴重な時間が失われます。どんどんと人口減少と高齢者数の増加は進んでいくのです。

どちらが実行能力があるか。これはマニフェストから読み取ることはできませんが、すくなくとも具体的な項目と具体的なスケジュールが盛り込まれていることが最低限のことだと思います。

厳しいけれど自立の道を歩むのか。それとも国に頼るのか。近く訪れる総選挙の主眼は、「政権選択」ではありますが、市町村の覚悟が問われている選挙でもあるのです。

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