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今、国会が安全保障法制を議論する理由とは?

April 30, 2015

東京財団 上席研究員
渡部恒雄


東京財団の安全保障プロジェクトでは、2013年11月に 「海洋安全保障と平時の自衛権」 という政策提言を行い、グレーゾーン事案への切れ目のない対応を含む、安全保障法制や政府の機能のあり方について提言を行った。安倍政権は、その後、防衛計画の大綱や国家安全保障戦略等で、当財団の提言の趣旨を反映した方針を示したが、この4月末には、安全保障法制審議のための与党審議が終了し、5月からはいよいよ安全保障法制が国会で審議されることになる。
これらの安全保障法制の変更は、我々が提言したとおり、日本の安全保障の機能を充実させ、むしろ、日本の周辺の地域の安定のためにも、意義のある政策変更になると期待される。しかし、日本の国内外の反応をみるかぎり、不安や抵抗も見受けられる。弟二次世界大戦後、憲法9条に定められた戦争放棄の精神が、国民の間の大きな合意を得てきた日本社会にとって、昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定などと合わせて、現在の安全保障法制の変化により、これまでの安全保障政策が大きく変わるという印象があり、しかも、専門家以外には全体の構図がつかみにくいこともあり、国内外に抵抗も大きいようだ。その点を踏まえ、現時点で安全保障法制の意義と概要を考えてみたい。

まず、なぜ今、安全保障法制を変えるのかといえば、日本をとりまく安全保障環境の大きく変化に対応する必要があるからである。そもそも、日本の今の安全保障関連の法律は、1950年代から1980年代までの冷戦期に対応して作られており、現在の国際環境には適応していないという冷徹な事実を理解する必要がある。
冷戦後の日本を取り巻く環境の激しい変化を考えれば、もう少し早く、抜本的な見直しが必要でもあった。しかし日本がこれまで、何もしてこなかったわけではない。例えば、1998年に北朝鮮が事前通告なしに日本列島を超えるテポドンミサイル発射という状況下で、1999年に周辺事態法が定められ、放置すれば日本に脅威をもたらす日本周辺の脅威にも日本が軍事行動をとる事を可能とした。

ただし、この周辺事態法は、日本が集団的自衛権を行使しない、という範囲で、米軍への後方支援を可能にできるように定めたものであった。今回の法整備では、集団的自衛権の行使を一部認めることで、周辺有事での日本の米軍や関係国への協力を、より実効的でスムーズにしようとしている。その背景には、北朝鮮の核兵器およびミサイル技術開発の着実な進展と金正恩体制の不確実性が増しているという現在の深刻な状況変化がある。例えば、1999年の周辺事態法審議から16年、その間に北朝鮮は3回の核実験を行い、6回(1999年前よりも前のものも通算すると9回)のミサイル発射実験を行っている。

また2001年9月11日の米国での同時多発テロを受け、多国籍軍の対テロ作戦の支援を可能にするため、同年、テロ特別措置法が制定され、多国籍軍のアフガニスタンでの軍事活動を、インド洋での海上自衛隊の給油活動で支援することを可能にした。しかし、これは2年間の時限立法であり、現在もし同様な行動が必要な場合、あらためて法律が必要となる。日本人人質二人が犠牲になった国際的なテロの脅威は、ますます深刻化しているにも関わらず、日本ができることは限られている。したがって、対テロ軍事作戦への支援やテロの温床となる無政府状況を世界で作り出さないための国連平和維持活動により積極的に参加できるように、特措法ではなく、一般法(恒久法)として整備しようとしている。

さらに、日本の安全保障の新しい状況が、尖閣諸島周辺に中国が海警局の巡視船や漁船を送ってきたことで懸念されるようになったグレーゾーン事態である。もし、尖閣諸島に国籍不明の武装勢力が上陸した場合、あきらかな有事ではないが、平時でもない、いわゆるグレーゾーン事態となり、日本の法律が想定していないためにスムーズな対処ができない。これはあくまでも、個別的自衛権の行使の範疇には入るもので、憲法解釈変更が必要なものではなかったにも関わらず、対応が後手にまわってきたものである。

日本社会の中に、新しい法整備に対する不安と抵抗があるのは理解できる。一つには、これまでの憲法解釈と法制で、日本の安全が維持されてきただけに、むしろ法制の変更が、周辺国を刺激して、より事態を緊張させるのではないか、という点だ。この点で重要なのは、今回の法整備は、日本の専守防衛という憲法9条の精神を変えるようなものではないということである。これは、特に、自民党の連立パートナーである公明党の強い意向が反映されている。法改正後も、周辺国も含め、世界の中で日本が最も軍事行動に抑制的な法律を持つ国家であることは変わらない。むしろ、現在の懸念は、日本の領域防衛についての法律の欠陥を放置することで、他国やテロ組織などに隙を見せ、不必要な紛争の原因を作り出すことである。また、国際社会が合意して活動している安全保障活動に対して、タイムリーで効果的な支援ができないことも問題である。この点を変えていくことは、独立国としては当然のことであると同時に、国際紛争の解決に武力を用いず、武力の行使はあくまでも防衛に限定するという憲法9条の精神を変えるものではない、ということを再確認する必要があろう。

周辺国や国内の不安を解消するには、法整備がなぜ必要かという議論の過程が、透明性を持って、国民と国際社会から理解されるような国会審議が必要だということである。そのためには、過去の国会の歴史でみられた、日本を取り巻く現状とはかい離した神学論争にしないことである。政府の試みを「軍国化」と決めつけるような野党の極論や、逆に野党からの懸念に対する政府・与党の論理的な説明の欠如は、ともすれば、周辺国や国際社会からの誤解を招く危険性がある。また、法制議論の透明化と同時に、周辺国への外交的な配慮、例えば、戦後70周年での談話などで、これまでの日本の平和国家としての歩みを変えない内容をアピールすることなどの措置も重要だろう。日本と周辺地域の安全と安定のために寄与することが内外に明きらかになるような建設的な安全保障論議を、国会に期待する。

(この原稿は、共同通信2015年3月9日配信の筆者の論説「国会での安保法制論議への期待」に加筆・修正したものである)

◆英語論考はこちら→ The Abe Government’s Security Bills: Time for a Responsible Debate?

    • 元東京財団上席研究員・笹川平和財団特任研究員
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