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防衛省設置法改正案から シビリアン・コントロール(文民統制)を考える

July 9, 2015

2015年5月28日に実施された参議院外交防衛委員会に渡部恒雄上席研究員が参考人として招致され、防衛省設置法等の一部を改正する法律案(閣法第33号) [1] の審査について委員会冒頭に基調発言をおこないました。
以下は国会会議録 [2] より該当箇所を抜粋したものです。


第189回国会 参議院外交防衛委員会会議録第十七号
参考人 東京財団上席研究員 渡部恒雄

この度は、参議院外交防衛委員会にお招きいただきまして、ありがとうございます。

私は、これまで、日本とアメリカと両方のシンクタンクで両国の安全保障政策を研究してまいりました。研究の主要テーマの一つに、政治と軍、あるいは政治と自衛隊、この関係、英語で言うとシビル・ミリタリー関係、日本語で言うと政軍関係を勉強しておりました。これは、国家の防衛・安全保障政策の中に軍隊と軍人を民主的な手続の下に適切に位置付けて機能させるためにはどうしたらいいかと、民主国家の運営上、大変重要な課題であって、この問題意識で日米の歴史と現状を見てきました。

今回参考人をお引き受けするきっかけになったのは、実は最近の新聞報道で、日本のシビリアンコントロールについて大きな誤解がある報道を目にしたからです。それは、今回のまさに防衛省設置法等の一部を改正する法律案の中の十二条、官房長及び局長と幕僚長との関係に係る規定の改正についての報道です。

例えば二月二十二日付けの東京新聞の朝刊、既存の第十二条を内部部局の背広組が制服自衛官より優位に保つ仕組みだと解釈されるというふうにした上で、この解釈も違うと思うんですが、改正されれば、背広組が制服組をコントロールする文官統制の規定が全廃されることになると報道しています。同紙面で専門家が解説していまして、そうなると、文官は軍事的分野に立ち入れなくなると指摘しまして、戦前、軍事専門家である軍人に全てを委ね、国民が知らないうちに決定がなされ、戦争に突入してしまった反省からつくられた文官統制をほごにすることになり、歴史の教訓の全否定につながると解説しておりました。

その後、同種の報道が新聞やテレビでなされましたが、これは重大な事実誤認であり、それは正しておく必要があると思ってここに出席させてもらった次第です。

最初に確認いたしますが、私が過去に十年間研究生活をしていたアメリカにおいても日本においても、シビリアンコントロールの確保、アメリカでいうとシビリアンスプレマシーという言葉が多いんですが、要するに国民の負託を受けたシビリアンの政治家が軍に対して政策決定で優位にあること、これは民主主義国家の大原則であり、尊重されて機能しております。

日本の大原則は、憲法六十六条第二項、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という条文です。ところが、残念ながら日本では、過去には、シビリアンという意味の文民というのがいつの間にかシビリアンオフィシャルを意味する文官というのにすり替わって、文民統制を補完するものとして文官統制なるものが存在するというこれは誤解が生じました。

私が知る限り、過去に誤解に基づく幾つかの政府の答弁はあったかもしれませんが、現在の政府の機能において文官統制という概念や仕組みはありませんし、研究者の理解でも、一時文民統制の意味で誤解された文官統制という考え方は、文民統制とは直接関係なく、むしろ健全なシビル・ミリタリー関係を維持するにはマイナスであるという理解が一般だと思います。

私がアメリカのシンクタンクで研究を始めた頃、一九九〇年代半ば頃は、既に日本の多くの文献の中に、文官統制という発想は本来のシビリアンコントロールとは似て異なる発想で、本来の文民統制にはマイナスであるという議論がなされておりました。例えば、雑誌「世界」一九九一年八月号。掲載されました、現在法政大学法学部で教えておられる廣瀬克哉教授が書かれた論文で、文官統制、これは括弧書き、から市民統制へ。これでは、文官統制というのはシビリアンコントロールの誤解であり、むしろ真のシビリアンコントロールを形骸化させているという問題提起をされておりました。

文官統制という誤解の背景には、恐らく戦前の日本の軍国主義への反省があるんでしょう。制服組は軍人の使用に積極的で背広組は抑制的であるという思い込みと、それから戦前の軍人の政治介入への警戒感があるのかと思います。

例えば、憲法六十六の文民の定義に関しては、過去の政府答弁で、一九七三年十二月十九日、大村内閣官房副長官が国会で、文民とは、旧陸海軍の職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義思想に深く染まっていると考えられるもの、それから自衛官の職にある者、この二つを判断の基準にしていると答弁しているのが一例です。

ただ、一般的な傾向を見れば、日本においてもアメリカにおいても、軍事や国際関係の専門的な知識を持ち、しかも部下や同僚の命をリスクにさらす制服組の方が軍事力の使用には抑制的です。少なくても、制服組が好戦的であるというのは印象論にすぎないと思います。歴史的に見れば、むしろナショナリズムに駆られた国民やシビリアンの指導者が軍人以上に軍事力行使に積極的になるというケースも多くあるわけです。

例えば、アメリカの二〇〇三年のイラク戦争、この決定過程においては、チェイニー副大統領、それからウォルフォウィッツ国防副長官というような軍歴のないシビリアンの政治家が開戦に積極的で、エリック・シンセキ陸軍参謀長、これは軍人ですね、それから軍人の立場と認識を共有する退役軍人のパウエル国務長官やアーミテージ国務副長官、これは開戦に消極的だったと、こういうケースもございます。

さて、文官統制の概念の誤解はともかく、今回の防衛省設置法等の一部を改正をする法律案の中の十二条の改正に対する懸念の中には、恐らく、防衛大臣の政策決定において自衛隊制服組の影響が相対的に高まることへの懸念というのはあるのかもしれません。

アメリカでも、実はこの点は常に重要な関心事項になっていました。つまり、軍事という専門知識を持っている集団が、その独占している知識を基に市民の望まない方向に国家の外交防衛政策に影響を与えてしまうのではないかという懸念ですね。たとえ制服自衛官側に政治決定に介入しようという意図はなくても、その知識と情報が軍事面に偏っているために、最終的には外交、経済などのほかの要素も入れたバランスの取れた情報を政策決定者に上げることができないかという懸念だと思います。

この点において、これまでの防衛省の機能も、あるいは本法案改正後の仕組みでも、統合幕僚長、陸海空のそれぞれの幕僚長が自衛隊法九条第二項の規定により隊務について防衛大臣を補佐するということは変わっていませんし、制服組とは別の観点と情報を持つ背広組の官房長、局長、防衛装備庁長官がその所掌事務に関して防衛大臣を補佐するものとなっており、この仕組みの中で特に制服組の情報だけが防衛大臣に強く影響するとは考えられません。むしろ、制服組の防衛大臣への補佐を制限することは、軍事面の情報を不足させることになって、国家の安全保障においては時には死活的な要素になる決定の迅速さを欠くことにもなると思います。

実は、アメリカにもこのケースがあります。

一九八六年、国防総省再編法、いわゆるゴールドウオーター・ニコルズ法というのが審議されたときに、政府の決定において、ミリタリー側にちょっとバランスが強く傾き過ぎるかという懸念が起こりました。その法案では、それまで大統領、国防長官、国務長官という国家安全保障会議の定期参加者に制服組の統合参謀本部議長がアドバイザーとして正式に参加するという条項が入っていたからなんです。

この法案を反対する人は、建国の父以来の外交政策の決定の現場から軍人を隔離するというシビリアンコントロールの原則が脅かされるといって反対しました。しかし、この決定の背景には実はベトナム戦争の反省があって、マクナマラ国防長官がシビリアンスタッフをたくさん使って軍人の専門的なアドバイスを無視して、それがかえって状況を悪化したという反省があって、最終的には軍の情報をより正確に国家の政策判断に反映すべきだという考えが優先されて現在に至っております。

日本のシビリアンコントロールのモデルに当たって非常に参考になるのは、アメリカのシビリアンコントロールの理想モデルの変遷です。

朝鮮半島では非常に深刻なシビル・ミリタリーの対立が起こりました。これは御存じだと思います。一九五一年、国連軍の司令官ダグラス・マッカーサーが中国領への戦術核の使用の許可をトルーマン大統領に求めます。トルーマン大統領は、それがもたらす共産圏との全面核戦争のエスカレーションを懸念して反対して、最終的にはマッカーサーは解任されます。

この余韻が残る中に、実は一九五七年、サミュエル・ハンティントン・ハーバード大学教授が「軍人と国家」という著作で、政治に介入しない軍人のプロフェッショナルを育てることによってシビリアンコントロールを確保することを提唱しました。

しかし、ハンティントンの理論をモーリス・ジャノヴィッツ・シカゴ大学教授が一九六〇年に「プロフェッショナルソルジャー」という著作で批判します。軍を軍事領域に閉じ込めてコントロールするのは現実的ではなく、むしろ軍人が文民と価値観を共有させることで一般社会に取り込みコントロールすべきだ、この考え方、つまり文民と軍人の相互信頼の確保がシビリアンコントロールに重要だと示しました。

日本の今までの道、それからこれからの道は、アメリカもそうなんですが、恐らくこの方向なんだろうと。防衛省でいえば、背広組と制服組が共に日常業務を行って相互信頼を高めて、むしろ機能的に良好なシビル・ミリタリー関係を育成していくと、こういうことが重要であって、この考えからすると、例えば最初に言った文官統制のような考え方はマイナスですし、今回の法改正というのはそちらの方向に向かっていて問題はないと考えます。

以上でございます。

御清聴ありがとうございました。(終)


[1] 防衛省設置法等の一部を改正する法律案(平成27年3月)〔PDF〕 http://www.mod.go.jp/j/profile/ikou/houritu/03.pdf
[2] 会議録全文(第189回国会 参議院外交防衛委員会会議録第十七号)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0059/main.html

    • 元東京財団上席研究員・笹川平和財団特任研究員
    • 渡部 恒雄
    • 渡部 恒雄

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