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【書評】小谷賢『日本軍のインテリジェンス』(講談社、2007年)

May 29, 2007

評者:畑野勇(日本国際問題研究所客員研究員)

本書の内容
本書は、日本のインテリジェンス研究が立ちおくれている現状をふまえ、旧日本軍の情報活動の状況を情報収集から分析・政策決定から実行までトータルに把握し、その評価を行うことによって現代日本のインテリジェンス体制構築に関する知見を得ることを目的としている。本書の構成は下記の通りである。


はじめに
第1章 日本軍による情報収集活動
第2章 陸軍の情報収集
第3章 海軍の情報収集
第4章 情報の分析・評価はいかになされたか
第5章 情報の利用―成功と失敗の実例
第6章 戦略における情報利用―太平洋戦争に至る政策決定と情報の役割
第7章 日本軍のインテリジェンスの問題点
終章 歴史の教訓

冒頭で日本のインテリジェンス研究が立ち後れている現状の指摘がなされ、第1・2・3章では日本陸海軍の情報収集活動の状況を、通信情報・人的情報(ヒューミント)・防諜(カウンター・インテリジェンス)の視点から、最新の研究動向や成果を取り入れて詳細に紹介している。第4・5章では日本軍が得た情報をいかに分析・評価・そして利用(戦闘戦術レベルにおいて)したのかについて、成功・失敗いずれについても実例を取りあげながら明らかにしている。とくに成功の事例については、これまで一般向けに刊行された書籍では明らかでなかった事実が多々紹介されており、本書がこれまでのインテリジェンス研究の成果に依拠したものでも、また当事者の回想録やこれまで広く活用されている一次文献の内容をなぞったものでもなく、オリジナリティあふれる重厚な研究の成果をコンパクトにまとめた、すぐれた出版物であることを証明するものとなっている。
第6章では太平洋戦争開戦期を中心に、イギリスとの比較に基づく日本の戦略・国策レベルにおける情報活用の問題点(主観的判断や政治的理由による分析結果の歪曲など)が、第7章では日本軍のインテリジェンスの問題点が5つの観点にまとめられて指摘されている。そして終章ではそれら5つの観点から得られた教訓に基づいて日本のインテリジェンス体制に関する提言がなされる。

日本軍のインテリジェンス能力に関する類例の無い研究成果
本書はこれまでに出版・あるいはアーカイブスに保管された研究文献のほとんどを活用して一冊の書籍に概要をまとめているが、日本国内でこのタイプの書籍はこれまで他に例がない。したがって本書は、旧日本軍のインテリジェンス活動の全貌を紹介し、かつ英米など他国と比較しての活動の到達点を示した唯一の書であると高く評価できる。とくに、本書前半における叙述(日本軍のインテリジェンス活動に関する詳細な調査結果)の重厚さは特筆すべきものである。また本書全体を通じた著者の主張は、「旧日本軍のインテリジェンス能力を、?情報収集?情報分析?情報利用に分けた場合、?は英米に比べて必ずしも完敗したレベルになかったが、?と?の能力において大きな問題があった。その原因は、インテリジェンス・サイクル(政策サイドの情報の要求→情報サイドによるインテリジェンスの提供という作業の不断の繰り返し)が日本で機能しなかったことにある。現在の日本でもこのサイクルの実現のための努力が求められる」としてまとめられるが、幅広い文献や史資料の渉猟から得られた知見に基づく上記の主張は、きわめて明快かつ妥当なものといえよう。

疑問点・要望―現代日本のインテリジェンス・サイクルの形成のために
第一に、“インテリジェンス・サイクル”の視点から陸海軍のインテリジェンス能力や日本の政策決定の特徴を本書の後半(6章・7章・終章)で議論しているが、この部分は繰り返しの表現が多いだけでなく、旧軍の当事者たちによる回想・日本の政策決定過程論においてもしばしば語られてきた内容である。本書前半における叙述(日本軍のインテリジェンス活動に関する詳細な調査結果)の重厚さに対して、後半部分はそれがやや薄くなっているという印象を受けた。

第二に、本書前半と後半の内容では叙述の力点がそれぞれ(1)日本軍の情報収集活動能力の実態把握(2)日本の政策決定過程における問題点の指摘となっているが、本書の意図(“リクワイアメント”に基づいた情報の収集から活用、それを踏まえたさらなる“リクワイアメント”という流れの重要性の指摘)からすれば、(1)(2)の観点は前半と後半とで別れているよりは、全体を通じて貫かれる必要があるのではないか。

本書の構成に関するこれら二点の問題は、著者の文章表現や構成上の問題に起因するものではなく、おそらく本格的な学術論文として準備された原稿の分量が新書版に圧縮される過程で、数多くの事例紹介や“インテリジェンス・サイクル”形成に関する提言(そこではおそらく、海外の研究文献なども積極的に紹介・評価がなされて国際的な比較や理論的考察をも踏まえた議論が展開されたはずである)が削除され、情報戦の専門家ではない読者向けの体裁がとられたことによる、と評者は想像する。

なお著者の小谷氏は上記のような評者のコメントに対して、「欧米発の概念である“インテリジェンス・サイクル”を日本軍の情報運用にそのまま適用するには不具合があり、政策決定と情報の部分を精緻化して、妥当なサイクルモデルを導き出すことが必要と考える」旨返答を下さった。そこで評者は勝手ながら本書の後半部分を、現代日本のインテリジェンス体制の現状認識を踏まえた提言を含めて、別の機会に何らかの媒体で大胆に展開していただければ、と希望するものである。

第三に、本書の分析視角に照らした歴史的事例の活用方法に関して希望を述べたい。本書ではインテリジェンス活動の分析対象が陸海軍に限定されているが、情報の活用という観点から見て、軍以外のルートで寄せられた情報を外務当局や陸海軍が軽視した事実についても考察が可能であろう。このケースで有名なものは、外務省発のいわゆる「東」情報があり、昭和17(1942)年以降に得られた米軍の動向などを日本の陸海軍がどのように活用したか(活用せずに終始したか)については秦郁彦氏の論考(「失われた対米諜報」『正論』1990年2月、のち『昭和史の謎を追う(上)』文藝春秋1993年に所収)に明らかである。また著者は「総力戦研究所」・「陸軍省軍務課の戦争経済研究班(いわゆる秋丸機関)」の活動を紹介して、その分析能力に高い評価を与えているが、これらの組織における「民間人」(有澤博巳や脇村義太郎などの学者や産業人)の役割はきわめて大きかったこともまた、森松俊夫『総力戦研究所』(白帝社1983年)や脇村義太郎「学者と戦争」(「日本学士院紀要」第52巻第3号所収)に明記されている。これら一般にも知られている事実を著者がどのように解釈し、現代の“インテリジェンス・サイクル”論に取り込んで展開してゆくかを期待するのは評者だけではないと考える。

上記のように外務省や学者・産業人などに焦点を当てることは、“インテリジェンス・サイクル”形成と維持のための現代的な提言にも寄与すると思われる。本書では作戦・政策サイドが確固としたリクワイアメントを発することの重要性が再三強調されているが、現代の日本・欧米諸国のように軍隊に対するシヴィリアンコントロール制度が整備され、政策決定に関する民間人の影響力が高い状況を考えた場合には、インテリジェンスを提供しうる側(情報サイド)に関する分析が不可欠であろうからである。たとえば「国家におけるインテリジェンス活動の法的基盤・市民社会とのかかわり」あるいは「インテリジェンスコミュニティ」というようなテーマ(後者については、北岡元氏によるアメリカの事例を踏まえた分析が存在する)などを視野に入れた考察は日本において学問的蓄積が全くない。著者の小谷氏にこれらの点の展望を今後ご教示いただければ幸甚である。

最後に評者の関心に即してもう一つ勝手な要望を付け加えさせてもらうとすれば、“インテリジェンス・サイクル”の観点から見た分析の対象として、第二次大戦中の日本軍の戦闘・戦術をとりあげることは、敵国であった英米両国における冷戦期のインテリジェンス体制の形成に大きな影響を与えたであろうという点において、まさしく好適な事例である。評者はかつて、第二次大戦終結直後に組織されたアメリカ戦略爆撃調査団(THE UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY)の報告書において旧日本海軍の戦闘や戦術に対する評価が相当に高く、そのような高度な戦闘能力を有する集団が今後、真珠湾攻撃のような奇襲を自国に仕掛けてくる事態を予防する体制整備の必要性が強調され、それが戦後の諜報・国防体制の形成に影響を与えた可能性があることを指摘したことがある(『創文』2005年1・2月号)。著者はこのような観点に基づく研究の知見も数多くお持ちと推察するが、それらの成果も今後、是非数多く公開していただければと考える。

    • 公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所研究員
    • 畑野 勇
    • 畑野 勇

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