タイプ
その他
プロジェクト
日付
2009/6/22

【書評】『日台関係史 1945―2008』 川島真、清水麗、松田康博、楊永明著

佐藤晋(二松学舎大学国際政治経済学部教授)


本書の特徴

本書は、4人の研究者の分担執筆による戦後「日台」関係についての本格的通史である。各分野でそれぞれ高評価を得ている著者らが、大日本帝国崩壊時の1945年から現在に至るまでの「日台」関係を、ほぼ15年~20年のスパンに分割して叙述している。しかし本書は、単なる通史的な歴史叙述に加え、それぞれの執筆者が論争点を設定して議論を進めるという特徴を持っている。そこで、本稿では、各執筆者が提示する問題関心にしぼって、評者なりのコメントを述べたい。

「日台・日華の二重構造」

まず、1945年から1957年まで(第1・2章)を扱った川島真は、戦後「日台」関係を、単なる政府間関係ではなく、「日台・日華の二重構造」と捉える視角を打ち出している。つまり、まず日華関係とは戦前以来の大陸にあった国民党・国府との関係が1945年の終戦を経て、1949年以降は領域的には「台湾」に重なるといった政府間関係を指す。この関係は1952年から1972年までは公式の外交関係を形成していた。言い換えると、「国民党・外省人の中華民国政府と日本との関係」である。次に日台関係とは、「台湾人社会と日本との関係」を意味し、戦前は植民地統治を通じた関係であり、その後の「脱植民地化」を経て、日本と台湾の経済的・文化的関係を中心に展開してきたものである。このような分析視角は、日本との「二国」間関係の叙述に、台湾社会の変容を織り込むことを可能としている。例えば、内戦で敗れた国民党が台湾に移ってきたことにより、台湾の脱植民地化は「独立」でも、台湾住民による「日本」との関係の再設定でもなく、中華民国国民となるべく強権的な「国民国家化」として行われたことが指摘される。また、その後の章でも論述されているように、近年の台湾の「民主化」・「台湾化」による対日関係の変化にも射程が及ぶことになり、その結果、日本との関係では「日華>日台」という比重が、台湾化の進展によって、近年では「日華<日台」という構図へと移行しているという。

こうした分析視角を踏まえるならば、中華民国政府による日本人と台湾人を疎遠にさせるような試みがあったのか、逆に日本が台湾人との結びつきを強めようという考えがあったのかなどが今後の研究対象となろう。例えば、日本人技術者留用問題、日本文化輸入問題、元日本人としての台湾人へのさまざまな補償問題、台湾独立運動と日本側の姿勢、台湾における国連による住民投票構想など、多岐にわたる論点が展開できよう。

「二つの中国政策」

 次に、1958年から1978年まで(第3・4章)を扱った清水麗は、台湾側の公開資料を用いることで、これまで日本側の視点からのみ研究されてきた諸事件を、中華民国政府内部の政策決定過程を踏まえて分析している。これは台湾側の資料が1970年代まで公開されているという事情に基づく。例えば中国代表権問題では、台湾が追放されることとなった要因は、日本の対応などではなく、国民政府側の姿勢の問題が大きかったことが指摘される。さらに興味深いのは、川島・松田氏も同様の考えであるが、近年日本の若手研究者の間で関心の高い「二つの中国」政策についての評価であろう。本書では一貫して、日本の「二つの中国」政策は、可能な限りで二つの政府と関係を拡大していこうというもので、どちらかを政府承認しどちらかを承認しないという意味で「一つの中国」政策であったとし、戦後の日本の中国政策とは、現状維持の範囲内で二つの政府との関係構築を模索するものであったと結論している。実際、しばしばある政治家や外交官などの言ったこと、書いたことの断片が、内外の一次資料の渉猟によって寄せ集められ、現実の政策としてはまったく形を見せなかったものが、あたかも隠された意図、すなわち「真の意図」として取り上げられている傾向を、この「二つの中国政策」論が持っていることは否定できない。

「72年体制」

1979年から1994年まで(第5・6章)を扱った松田康博が指摘しているように、1972年以降は国交がなくなった台湾へ日本政府は輸銀融資を継続させている。一方、「二つの中国」政策が展開されたといわれる1960年代は国交のない中国への輸銀融資は行われていない。つまり、1960年代の対中政策よりも、1972年以降の対台湾政策のほうが日本政府の扱いが「重い」のである。つまり、1972年以降の日本政府が「二つの中国政策」を展開していたといえないのならば、なおさら1972年以前は「二つの中国政策」があったとはいえないのである。

また松田は日中で合意された日台の「経済・文化を中心とする非公式な関係」としての「72年体制」の下で生じた日中台間の紛争に詳細な分析を加えている。その中で、日台航空路問題や光華寮問題といった中国と台湾の面子と国益がぶつかり合うゼロサム的状況では、日本政府はなすすべなく政治的混乱を余儀なくされたが、ここにもさまざまな変化が見て取れるという。

例えば、日台航空路線問題では、台湾も大きな政治的ダメージを受けたことで、自らの国際的状況を鑑みてその後の対日姿勢は抑制的なものへと変わっていった。このように断交後、時間が経過するにつれて、日本の台湾への影響力は高まり、ついには主導権をとるような状況が生じてきた。ただし、そこには1979年に「一国二制」の平和攻勢を採用した中国に余裕が生まれたことが、日本側の行動の幅を広げたという背景もあった。一方、1989年の冷戦の終焉以降、共通の敵ソ連の力が弱体化したことで、日本から見て、冷戦の枠組みにおける中国の地位が低下したこと、台湾の台湾化・民主化への高評価、中国の反日ナショナリズムの台頭などの要因から、中国への低姿勢の必要性が低下したなどの要因も働いていた。こうした要因が、次にみる日本の台湾海峡問題への発言の積極性などにつながっていったと思われる。

台湾海峡の安定と「台湾防衛」

最後に、1995年から2006年まで(第7・8章)を扱った楊永明は、東アジアにおける安全保障構造を、「米中台の三角関係」と「米日台の三角関係」に分けて考える視覚を提示し、台湾海峡危機や李登輝の登場・台湾の民主化、小泉政権の誕生などなどを経て、後者の「米台日の三角関係」が優位に立ちつつあると見ているようである。つまり、米日が軍事協力関係を強めるとともに、台湾防衛へのコミットメントを明確化していると論じているように思える。確かに近年、日本政府は台湾海峡の問題に積極的に発言・意思表示をする機会が増えつつあり、これはそれまでの中台の圧力の板ばさみにあって優柔不断に右往左往する日本政府の姿勢とは決別しているといえよう。しかし、日本として台湾海峡の安定に関心を持つということは、台湾海峡の平和が脅かされないこと、つまり台湾の独立も望ましくなければ、中国による台湾侵攻も望ましくないという利益を表明したものに過ぎないと言えよう。つまり、「台湾海峡の平和への関心」は、「台湾防衛への関心」とは、大きく隔たっているものと考えるのが妥当であると思われる。ただし、外交的メッセージを、とりわけ複数の当事者に同時に伝えようとする場合には、相手方の解釈の幅がそれぞれ存在するという問題から、かなりの困難を伴う営みであるということが理解され興味深い。

以上のようにさまざまな刺激を与えてくれる本書であるが、戦後長らく日本では「台湾を語ることはタブーであった」ことを思い返すと、ようやく近年になって研究者および研究の質量がともに高まったことで、このような良書の出版が実現したといえよう。本書は、現在の日本人の国際問題理解を健全な方向へと導く上での絶好のテキストとなることは間違いないであろう。


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