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その他
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2011/1/21

【書評】『参議院とは何か 1947~2010』竹中治堅著(中央公論新社、2010年)

評者:小宮一夫(駒澤大学法学部非常勤講師)


1.はじめに
1989年の参議院選挙で自民党は大敗し、参議院の議席数で過半数を下回った。これ以降も、2007年の参議院選挙で大敗し、民主党にその座を譲るまで自民党は参議院で第一党の地位を死守し続けた。しかし、単独で過半数に届かなかったため、1990年代末以降、自民党は参議院対策の観点から公明党と連立政権に引き込まざるを得なかった。

また、民主党も2009年の総選挙で圧勝し、政権を獲得したものの、参議院の議席が単独過半数に届かないため、社民党及び国民新党との連立政権を作らざるを得なかった。しかし、2010年5月末、米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる対立から社民党が政権離脱し、6月、鳩山内閣は総辞職に至った。そして、菅内閣で臨んだ7月の参議院選挙で民主党は惨敗し、参議院における与党の過半数割れ状況は相変わらず続いている。

以上の記述からも明らかなとおり、1993年に日本新党の細川護煕を首班とする非自民連立政権が誕生して以降、日本政治は橋本内閣の後半から小渕内閣の前半にかけての自民党単独政権を除き、連立政権が常である。憲法で衆議院の参議院に対する優越が認められているものの、日本はアメリカと同じく欧米先進国の中では第二院の権限が極めて強い。それゆえ、衆参の「ねじれ」国会が現出すると、内閣は政権を安定させるという観点から連立政権を組まざるを得ないというインセンティブが働き、世論もそれを支持するのである。このように1990年代(冷戦終結)以降の日本政治を考えるうえで、参議院の存在は無視しえない重要なアクターのひとつである。

さて、本書の著者竹中治堅氏は、既に前作『首相支配―日本政治の変貌』(中公新書、2006年)で、1990年代の一連の政治改革によって首相の権限が強化されたことや、参議院自民党が自民党内において政治的影響力を拡大していったことを明らかにした。そして、これらの論点は学界のみにならず、論壇やマスコミでも議論を巻き起こした。2010年の参議院選挙の直前に出された本書は、前書で打ち出した日本政治における参議院の役割をその生成から昨年の鳩山政権誕生という直近に至るまでの軌跡を振り返り、日本政治全体の中で鳥瞰しようとしたものである。

2.本書の構成と概要
本書の構成は、以下の通りである。

 序章 参議院の見方
 第1章 内閣の鬼門―吉田茂と参議院
 第2章 議長の時代―松野鶴平と重宗雄三
 第3章 河野謙三の登場
 第4章 五五年体制の崩壊と参議院
 第5章 「首相支配」と参議院―再び内閣の鬼門化
 第6章 再可決の時代
 第7章 参議院の役割

まず序章では、参議院が政治過程に及ぼす影響力は小さく、独自の影響力は発揮していないという「カーボンコピー」論と、逆に参議院が政治過程に及ぼす影響力は大きく、独自の影響力を発揮している「強い参議院」論を取り上げ、両者の問題点を指摘する。そして、これらの問題点を克服するため、本書では5つの検討課題が提起される。それは、?異なる政治状況下での参議院の役割、?参議院における一部の重要法案の審議結果が衆議院と異なった場合に、その審議結果が政治過程や政策内容に及ぼす影響、?参議院の法案審議過程以前の政治過程、?与党が参議院で少数派である時に、内閣は如何にして法案成立に必要な支持を他の政党から獲得し、参議院における多数派を形成するのか、?内閣が与党の参議院議員から法案に対する支持を如何に確保しようとしてきたのか、である。

第1章は、1947年に参議院が創設されてから1956年12月に自民党が参議院で単独過半数を獲得するまでの時期を対象とする。この時期は、与党が参議院で過半数を欠いていた時代であり、重要な法案がしばしば修正を受けたり、廃案になったりした。

こうした状況下、吉田茂が率いる自由党は、1949年の総選挙で圧勝し、戦後初の単独過半数を獲得した。第三次吉田内閣は吉田政治の全盛期であったが、参議院において自由党は単独過半数を下回る少数与党であった。そこで、ライバル政党である国民民主党の参議院議員の取り込みを図り、紆余曲折を経て第四次内閣では民主クラブ(旧国民民主党所属で、改進党への参加を拒んだ参議院議員らの会派)との閣内協力を実現させる。

ところで、第5次吉田内閣が誕生した1953年5月の第16回国会以降、参議院の法案審議は次第に安定する。吉田系と鳩山一郎ら反吉田系は激しい権力闘争を繰り広げる一方、重要法案では協力して法案を成立させていった。そして、1955年の保守合同によって誕生した自民党は翌年末、鹿児島補欠選の勝利で念願の単独過半数を参議院で実現したのである。

続く第2章は、松野鶴平と重宗雄三が自民党に属したまま参議院議長を務めた時代、具体的には1956年から71年までを分析対象とする。松野は1956年4月から議長を務め、重宗はその後任として62年8月から71年7月まで議長を務めた。両者ともに参議院自民党会長を経て議長に就任したこともあり、議長時代も、参議院の自民党内において隠然たる影響力を保持していた。

松野と重宗は池田勇人との折り合いが良くなかったこともあり、池田内閣の政治的暴力行為防止法案などの重要法案の成立に協力しなかった。そのため、同法は不成立に終わった。池田内閣期には重要法案の成立がしばしば頓挫し、世間ではこれを池田内閣が「多数の横暴」を行わない証として好意的に受け止める向きが強かった。しかし、裏を返せば、これは参議院の党内有力者である松野及び重宗との関係の希薄さを物語るものであった。

一方、岸首相は松野議長、佐藤首相は重宗議長との関係を重視し、松野や重宗が参議院自民党からの入閣者を推薦することを認め、彼らの推薦者を入閣させた。岸や佐藤は、こうした「バーター」で松野や重宗から法案審議への協力を獲得しようとしたのである。そのため、松野は岸内閣において安保条約関連法案、重宗は佐藤内閣において大学臨時措置法案などの重要法案の成立で積極的に協力したのである。

しかし、参議院自民党で「重宗王国」と称される一大勢力を築いた重宗の存在は、佐藤首相にとって次第にうとましい存在へと変わっていった。

こうした参議院自民党における重宗支配に反旗を翻し、社会党をはじめとする全野党の賛成及び自民の一部(反重宗の桜会と三木派が中心)に造反によって参議院議長の座に就いたのが河野謙三である。第3章は、河野が議長となった1971年以降、具体的にはポスト佐藤をめぐって田中角栄と福田赳夫が熾烈な権力闘争を繰り広げた1972年の自民党総裁選以降、参議院自民党が大きく変容していくさまが描かれる。

本章で興味を惹くのは、河野が議長就任後、直ちに自民党を離党したのは参議院改革といった理想実現の一里塚としてではなく、造反して議長になったため、離党せざるを得なかったという解釈が強く打ち出されていることである。河野は「法案審議に野党七、与党三の比重」をかける「七三の構え」で臨んだため、従前と比較して強行採決が激減していった。また、河野以降、議長の党籍離脱が慣行となっていくが、その結果、議長の参議院自民党に対する影響力は大きく低下していくことになる。さらに、参議院議長の任期が長期化し、それが権力の源泉となることを阻止するため、河野の後を継いだ安井謙以降、参議院議長の任期が原則1期3年となり、参議院自民党の順送り人事となっていったことも、議長と参議院自民党との関係を弱める方向に強く作用した。

そして、1972年の総裁選に際し、田中は参議院に手を突っ込み、重宗の牙城である清風クラブを切り崩し、参議院田中派を作り上げていく。この反作用として、福田支持の参議院議員らも参議院福田派を作る。こうして参議院独自の議員グループは消滅し、参議院議員は各派閥にしっかり組み込まれていくのである。なお、田中派が自民党内で最大派閥を誇り、強い影響力を保ちえた背景には参議院における同派の他派閥に対する圧倒的優勢が大きく寄与していた。

こうした1970年代の参議院自民党の変容を経て、1980年代になると首相は派閥の了解さえ得られれば、参議院自民党から安定的に法案に対する支持を確保できるようになったのである。

第4章と第5章は前著と内容が重複する。まず第4章では、自民党が過半数割れを起こした1989年の参院選後から1993年に誕生した非自民連立の細川内閣期が対象とされる。1989年の参院選後、「ねじれ」国会(分割政府)が出現し、自民党単独の支持で成立する法案は皆無となった。自民党が与党の場合、野党との協議を重ねるようになり、その結果、法案に野党の意見が取り入れられる傾向が強まったのである。

また、前著と同じく1989年の参院選で自民党が過半数割れしたことにより、逆説的に自民党参議院議員が政策決定で大きな役割を果たすようになっていったことや、竹下派の分裂の際、同派参議院議員の多数が小渕派へと流れたため、小渕派における参議院議員の比重が極めて高かったこと、政治改革関連法案での参議院自民党の活躍(社会党の造反を勧誘し、造反を実現させる)とその論功で参議院幹事長も自民党執行部入りし、党四役から党五役へと称されるようになったことが強調されている。

第5章では、1998年の参院選の大敗で退陣した橋本内閣に替わって誕生した小渕内閣は、「金融国会」を乗り切るため、野党案を「丸のみ」をせざるを得なかった。単独少数与党内閣の悲哀を痛感した小渕内閣は連立政権の可能性を探り、まず自由党との連立を実現し、その後公明党も連立に引き込む。自由党との連立だけでは、参議院の過半数に届かなかったからである。

この時期、参議院自民党で台頭したのが村上正邦と青木幹雄である。彼らは、小渕首相の後継を森喜朗にする際、決定的な影響力を行使したのである。村上がその後、金銭スキャンダルで失脚すると、青木が参議院自民党の最有力者となった。小泉首相も衆議院と異なり、解散という恫喝が行使できない参議院に対しては、青木との関係を重視し、彼の意向を尊重する姿勢を見せざるを得なかった。

また、2005年の郵政民営化関連法案成立をめぐる政治過程は、参議院の持つ力を改めて示すものであった。1994年の政治改革が実現されて以来、徐々に力を強めていた首相が最重要視する法案を参議院は一旦否決したからである。

第6章は、ポスト小泉以降の歴代自民党内閣の時代が分析対象である。2007年の参議院選挙で自民党は大敗し、民主党が参議院の第一党となった。それだけではない。参議院の自民党と公明党の議席数を足しても、過半数に届かなくなったのである。

そのため、安倍内閣の後継内閣となった福田内閣は、民主党との大連立構想が頓挫すると、徹底抗戦を強める小沢民主党に徹底的に苦しめられた。その結果、新テロ対策特別措置法案は60日ルールを適用して衆議院の再可決で成立させたものの、日銀総裁人事問題では、衆議院の優越が認められていないため、武藤総裁案を参議院民主党の反対で実現させることができなかった。

これに対し、次の麻生内閣では、衆議院の再可決で海賊対処法案などの重要法案を次々と成立させていった。

本章で明らかになったのは、衆参両院の二大政党制化の弊害である。すなわち衆議院における自民党と民主党との間の争いがそのまま参議院に持ち込まれ、事態が紛糾したのである。

最終章の第7章では、本書の結論として、参議院は法案の審議過程のみならず、政権の構成や内閣が法案を準備する過程など、広範囲の政治過程に強い影響を及ぼしていることが指摘されている。そして、参議院は衆議院内閣制の下で内閣と衆議院が一体となって行う立法などの活動を抑制する存在であり、多角的な民意の反映させる場と位置づけている。

そして、自身の参議院改革案として、比例代表制を全廃して、地域ブロック制を導入し、
選挙区を地域ブロックごとの大選挙区に改めることと、より的を絞ったテーマを選定し、
立法活動につながる調査会の活動の充実を、提起している。

3.論点
本書は、「首相と参議院の関係」という一貫した視点から、参議院を歴史的に概観・鳥瞰したものである。55年体制下、歴代の自民党政権は、しばしば参議院自民党の多数派から支持を獲得するため、政策や法案の内容の見直しを迫られた。また時には、参議院自民党の反対や非協力によって、法案不成立に追い込まれることもあった。それゆえ、1980年代末以降、参議院で与党が過半数割れの状況になると、自民党政権の首相は一層慎重な参議院運営を迫られた。そして、こうした状況を打開するため、連立パートナーを含む与党勢力の過半数突破に尽力した。

小泉内閣期の郵政民営化問題の事例からも明らかなとおり、参議院には解散がないため、衆議院と異なり、首相は「伝家の宝刀」である解散権を用いて、与党の反対勢力を威嚇するという手段を取りえない。また、任期が6年と長いことも、内閣の参議院に対する統制力を弱める方向に作用している。本書で明確になったのは、日本国憲法体制下では、内閣が与党の参議院勢力を統制し、ある程度意のままに動かすには何らかの「仕組み」が必要であったということである。

1970年代、参議院自民党はそれまでの松野鶴平や重宗雄三といった一部有力議員による「俗人」的支配から脱却し、「派閥」化(換言すれば「組織」化)を推し進めていった。従来、これは「良識の府」であらねばならない参議院に「数の論理」が持ち込まれたゆゆしき状況と見なされてきた。しかし、本書を読む限り、これによって、自民党政権の首相は派閥を通して参議院自民党の統制が可能となり、従来よりも与党の参議院対策がやりやすくなったといえる。ここに、参議院自民党の「派閥」化が首相と与党参議院との関係を従来よりも安定化させるという逆説が見られるのである。

また、1970年代のはじめ、河野謙三が就任して以降、参議院議長就任者の党籍離脱が慣行となり、参議院の「政党」化に批判的な論者はこれを強く支持する。しかし、議長に就任した者が党籍離脱するということは、それまで所属していた政党とのパイプが弱まり、議長の与党に対する影響力が相対的に低下することをも意味するのである。これも本書が提起した魅力的な論点のひとつである。

さらに、近年では、衆参両院において自民党、民主党の両党による議席占有率が増大している。いわゆる「二大政党」化である。この「二大政党」化によって、「ねじれ」国会における与野党の対決は激しさを増している。例えば、日銀総裁をはじめとする国会同意人事が政争の具とされ、参議院の反対によって内閣は思いどおりの人事を行いえないのである。本書を読む限り、これは参議院の「二大政党」化がもたらした弊害といえよう。

このように、本書には参議院の逆説ともいうべき論点が多数散りばめられた良書である。参議院の歴史をひもとき、参議院の現状及び将来を考えるうえで、本書は座右の書として欠かせない。

しかし、今後に残された課題も多々ある。例えば、「戦前」の系譜に連なる青木一男や迫水久常らは、なぜ衆議院議員ではなく、参議院議員になったのであろうか。また、彼らは参議院自民党内や自民党全体の中で如何なる影響力を持っていたのであろうか。

その他、参議院自民党の人事慣行はいつ頃確立し、衆議院自民党のそれとの相違は如何なるものであろうか。また、1970年代以降の派閥の「大型」化、「総合商社」化の中で、同一派閥内における衆議院議員と参議院議員の関係は如何なるものであったのだろうか。

最後に戦後の参議院を鳥瞰した本書の公刊は、戦前の貴族院研究にも大いに刺激と示唆を与えるであろう。本書がきっかけとなって今後、貴族院研究と参議院研究の対話が進み、日本における第二院の役割やその存在意義が自由闊達に論じられる知的環境が整備されていくことを期待したい。