タイプ
その他
プロジェクト
日付
2012/4/5

【書評】『沖縄の復帰運動と保革対立』櫻澤誠著(有志舎、2012年)

評者:平良好利(法政大学兼任講師)


近年、戦後の沖縄を扱った研究では、沖縄教職員会の動向に注目した研究が増えてきている。また、社会史的な視座から戦後の沖縄社会の変容を扱った研究も増えてきている。本書は、この2つの潮流が交錯する地点にその位置を占める、まさに時代の空気を内包した研究だといえる。研究素材を主として教職員会に求めつつ、その教職会の組織内活動やその構造変化、そして教職員会と地域とのかかわり方にまで視野を広げた本書は、戦後沖縄の一断面を鋭くあぶりだした研究だといえる。

本書序章でのべているように、筆者が問題にしているのは、マルクス主義歴史学を中核とするこれまでの研究が、「復帰」と「独立」、そして「保守」と「革新」という二項対立の枠組みで沖縄の戦後史を捉えてきた、というところにある。筆者によれば、前者の「復帰/独立」の二項対立の枠組みは、冷戦終結後の「学問の脱イデオロギー化」によって、徐々に解体されてきているという。しかし後者の「保守/革新」という枠組みに関しては、いまだに牢固として存在しており、これが現実政治のレベルにおいては沖縄内部を保革に分断し、住民をかつてのように「島ぐるみ」ではまとまらせない構造を再生産させている、というのが筆者の問題意識である。この現在でも根強く存在する「保守/革新」の枠組みを解体していこうというのが、筆者の狙いとするところである。そこで筆者が最大の課題として取り組んだことは、「保守/革新」の枠組みが歴史的に形成されるそのプロセスを明らかにすることによって、この枠組み自体の自明性を打ち壊すことにあった。より具体的にいえば、沖縄で「保守」と「革新」が対立する政治の構図が、いつ頃、またどのようなプロセスを経て形成されたのかを実証的に明らかにすることが、本書の最大のテーマである。

本書が大きく取り上げた先行研究は、沖縄戦後史研究の第一人者である新崎盛暉の研究である。筆者は、新崎が保革対立軸を自明のものとして捉え、この観点から沖縄の戦後史を分析していること、また同氏が保守との全面対決を志向する運動を「あるべき運動」として希求し、1967年以前のいわゆる超党派的運動には否定的な評価を下していることを問題視する。つまり筆者は、沖縄では67年に入るまで保革対立軸は不鮮明であったという理解のもと、新崎とは正反対に、沖縄内部を二分するような運動を否定的に捉え、超党派の「島ぐるみ」運動を肯定的に評価するのである。すなわち、この「島ぐるみ」の運動こそが地域に密着した「大変質の高い」運動であり、この運動が消滅していく過程こそが、実は保革対立軸が形成されていく過程でもある、というのが筆者の見解である。以下、本書の内容を紹介したあと、いくつかの論点ないし今後の課題を提示してみたい。

本書の構成と概要

本書の構成は次の通りである。

 序章 戦後沖縄復帰運動史研究の課題
 1章 戦後初期の沖縄における復帰論/独立論
    ~講和交渉期の帰属論争の思想的内実~
 2章 1950年代沖縄の地域における教員の役割
    ~社会運動の基盤形成~
 3章 1950年代における沖縄の「青年教員」
    ~教員養成・研修での期待像と実像~
 4章 戦後沖縄における保革対立軸の形成
    ~1960年代初頭の革新共闘への過程~
 5章 戦後沖縄における保革対立軸の成立と「島ぐるみ」運動
    ~教公二法問題の変容過程~
 6章 1960年代沖縄教職員会の復帰運動方針変容過程
 7章 沖縄地域社会における保革対立軸の固定化
    ~教公二法阻止闘争から三大選挙へ~
 終章 沖縄戦後史における二項対立構造の解体

まず第1章では、1940年代後半から50年代初頭にかけて沖縄と本土で展開された「復帰論」と「独立論」のもつ思想的内実を探求している。本書が明らかにした点は、第1に、沖縄人民党の「復帰論」と共和党の「独立論」が、ともにマルクス主義をその思想的基盤とするものであったということ、しかし第2に、両者を決定的に分けたものは、戦前の日本による沖縄への搾取をどう評価するのかにあった、ということである。すなわち、「独立論」は日本に復帰すれば戦前と同様に沖縄は搾取されると考えて独立を主張し、「復帰論」は戦前の搾取を軍閥の責任に転嫁したうえで、再び同様なことは起こらないとして日本復帰を主張した、というのである。

続く第2章では、いわゆる「青年教員」と呼ばれる若い教師たちの動向に注目しながら、1950年代の沖縄おける社会運動の実態について論じている。復帰運動をはじめとする講和後の様々な運動で中心的な役割を果たしたのは、教職員会と青年団である。本書によれば、この両組織に属して地域と密着した形で運動を推し進めたのが、「青年教員」たちであった。本書はこの「青年教員」たちの動きに注目しながら両組織それぞれの運動を概観するとともに、コザという基地の町を1つの事例として、そこにおける「青年教員」たちの活動を明らかにしている。

第3章では、この50年代の社会運動で重要な役割を果たした「青年教員」たちを、別の角度から論じている。すなわち、夏期講習会など教員研修の場における「青年教員」たちの動向や、そこでの本土派遣講師による「青年教員」の評価などを分析することを通じて、50年代の社会運動を下から支えた「青年教員」なるものの実態を明らかにしている。

第4章と5章では、いよいよ本書の最大テーマである、沖縄における保革対立軸の形成過程を真正面から論じている。本書によると、沖縄において保革対立軸は2段階で形成され、まず最初に政党レベルで、次いで運動レベルでそれが形成された、というのである。本書が主たる分析対象としたのは、前者が中道政党と時にはいわれ、また時には「保守」政党とも称された沖縄社会大衆党(社大党)であり、後者が島ぐるみの運動を実践・志向した教職員会である。この中道路線、あるいは島ぐるみ路線をとっていた両組織が、それぞれの段階でみずからを「革新」の側に位置づけ、「保守」との対決姿勢を明確にしたことを、本書は重視するのである。

まず政党レベルの問題を扱った第4章では、この社大党の動向に注目したうえで、同党が1961年の那覇市長選挙を通じてみずからを「革新」の側に位置づけたそのプロセスを論じている。すでにみずからを「革新」と位置づけていた人民党や沖縄社会党と選挙共闘に社大党が踏み切ったことによって、いわゆる「革新三党」という枠組みができ、これによって「保守」琉球民主党と対峙する政党レベルにおける保革対立軸が形成された、というのが本書の立論である。社大党が両党との共闘に踏み切ったその理由として、本書は共闘準備会に参加した労働組合幹部らによる強い突き上げを挙げている。これまで対立していた三党を1つにまとめ上げた共闘会議自体は、1960年に結成された沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)をその母体としてつくられたものである。そしてこの復帰協において中心的な役割を担ったのは、教職員会と労組であった。その意味では筆者のいうように、「三党が歩み寄りをみせ、共闘にまで至ったことは、復帰協結成がもたらした大きな成果であった」といえる。

しかし、政党レベルでの保革対立軸の形成を促した共闘会議の母体である復帰協自体は、沖縄「保守」勢力との対立を回避し、あくまで「島ぐるみ」の運動を志向した。筆者によれば、その復帰協が大きく方針を転換し、「保守」との全面対決姿勢を明らかにしたのは、1967年の教公二法阻止闘争を経てのことだという。筆者はこの復帰協の方針転換の契機となった同闘争を重視し、第5章においてはこの闘争とそこに至るプロセスを主として教職員会の動きに注目しながら論じている。筆者によると、これまで「島ぐるみ」の運動を志向してきた教職員会が、この67年の闘争で「保守」との全面対決に踏み切ったことが、運動レベルにおける保革対立軸の成立である、というのである。

第6章では、この「保守」との全面対決姿勢を鮮明にした教職員会を、とりわけ会長屋良の反対を押し切って「十割年休行使」の決定を行なうまでに至った教職員会を、組織内部の構造変化に注目して論じている。すなわち、1950年代から徐々に影響力を増してきた、いわゆる「層」としての「青年教員」の動向に注目したうえで、教職員会が「革新化」する過程を考察している。筆者は、「青年教員」が軸になって「十割年休行使」を実施できたことが、組織内ヘゲモニーの転換点であったという。

最後に第7章では、教公二法阻止闘争と翌68年の三大選挙(主席選挙、立法院選挙、那覇市長選挙)を通じて、教職員会と地域社会とのつながり方がどのように変化したのかを論じている。すなわち、教職員会が67年の闘争を機に「保守」との全面対決に踏み切ったことが、地域社会における同組織の立場をどのように変化させたのかを分析している。これまで超党派的性質のゆえに地域社会から絶大なる支持を得ていた教職員会が、67年の闘争を機に保革対立の一翼を担う存在へと大きく変わったことによって、その地域社会における支持もまた、「絶対的」なものから「相対的」なものにならざるをえなかった、というのが筆者の見解である。

以上の考察を踏まえて終章では、改めて二項対立構造のもつ問題点が指摘され、いまこそ「教員を中心とした『島ぐるみ』による運動、これまで『忘却』されかけていた歴史を顧みる」ことが重要ではないか、とのべて本書を閉じることになる。

論点ないし今後の課題

以上、本書は1950年代、60年代の沖縄における様々な運動の中核であった沖縄教職員会、なかでも「青年教員」の動向に焦点をあてながら、沖縄における保革対立軸の形成過程を明らかにしようとするものであった。教職員会の諸活動、組織内部の構造変化、地域とのかかわり方の変容など、本書が明らかにした点は実に多岐にわたり、極めて示唆に富むものであるが、最後にいくつかの論点ないしは今後の課題を提示してみたい。

まず第1は、教職員会が復帰協に加盟する他の諸団体といかなる関係を取り結んだのか、あるいはいかなる影響を具体的に与えたのか、という点である。例えば、教公二法阻止闘争のあと復帰協が「保守」勢力との対決姿勢を明らかにしたというが、その方針転換に教職員会が与えた影響とは何だったのか、あるいは68年に教職員会は「基地撤去」方針を掲げるに至るが、それが復帰協の米軍基地への態度にどういう影響を与えたのか、これらを踏み込んで分析することによって、復帰運動の「質的転換」の実態を、あくまで教職員会にこだわりつつ、より鮮明にできたのではないだろうか。

第2は、1960年代の運動がもつという「島ぐるみ」の性質についてである。筆者は、教職員会の「島ぐるみ」的な志向を重視しながら、67年までの復帰協の運動は沖縄の「保守」を敵対勢力とは規定せず、「島ぐるみ」の運動を実践・志向してきた、という見方をとっている。しかし、教公二法阻止闘争と同じく沖縄「保守」勢力と全面対決した64年の主席指名阻止闘争、65年の佐藤訪沖に対する復帰協の抗議行動、あるいは沖縄「保守」勢力が打ち出した「基地と施政権の分離復帰論」に対抗するためにとられた復帰協の基地への態度などをみると、その志向性は別にしても、実態面からみれば、67年よりも早い段階から「保守」と対決・対抗する形で運動を進めていたようにもみえる。また、「島ぐるみ」の志向性に関しても、復帰協内部における運動の性格をめぐる議論にも目配りすることによって、復帰運動のもつ「島ぐるみ」的性質の実態や、その変容過程もより深く説明できたのではないだろうか。

第3は、沖縄における保革対立軸の形成過程を論じる場合、本土側の要因は一体どうであったのか、という点である。とりわけ本書が問題にしている沖縄の「革新」勢力が保革対立軸の一翼として形成されていく過程で、本土「革新」勢力が一体どのような影響を与えたのか、あるいは与えなかったのか、もし与えたとするならば両者の間に軋轢や対立はなかったのか、などの点について、いま少し言及する必要があったのではないか。本書が、「本土側の影響をうけつつ、沖縄において独自の形成を遂げた保革対立軸の形成過程を分析する」ことを重要な課題としていたことからすれば、「本土側の影響」についてほとんど説明がなされていないのは、少々惜しまれる点である。

第4は、そもそも沖縄における保革対立を問題にする場合、その沖縄における「保守」とは一体何なのか、あるいは「革新」とは何なのか、それは本土の「保守」と「革新」と同じなのか、あるいはそうではないのか、という問題である。これは沖縄における「保守」と「革新」が一体何を争点にして対立していたのかという問題とも、重なるものである。これに正面から答えることはなかなか難しく、評者自身も明確な回答を持ち合わせているわけではないが、少なくとも保革対立軸を問題にする場合、いま少し輪郭のわかるような形で説明する必要があったのではないか。そうすることによってはじめて、保革対立軸の形成過程がより内実をそなえたものとして、われわれの前に提示できたのではないだろうか。

最後にこれは本書の構成に関する問題だが、保革対立軸の形成過程を解明することが本書の主題であるとするならば、第2章はともかくとして、第3章と第6章はやや周辺的なテーマを扱っているような印象を受けた。個々の章を独立したものとしてみた場合、問題の着眼点やその論理の緻密さなどは、筆者ならではの鋭さと堅実さがでているが、これら諸章における教職員会の詳しい分析が主題とどう深くかかわるのか、これについては評者として少々気になった点である。また、帰属論のもつ思想的内実を探求した第1章は、それ自体、鋭く示唆に富む内容であるが、歴史実証的な他の諸章とは性質を異にしており、その関連性もやや不明確である。

以上、いくつかの論点や今後の課題を提示したものの、それは本書が教職員会という最も重要なアクターに焦点をあて、そこからいままでみえなかった沖縄戦後史の最も核心的な部分をうまくあぶりだしているがゆえにでてきたものである。評者のこの指摘が本書の価値と意義を減ずるものでないことはいうまでもないし、本書が沖縄における政治と運動の諸問題を考えるうえでまずは最初に手にすべき必須文献であることは間違いない。