タイプ
その他
プロジェクト
日付
2013/9/20

【書評】吉川元・矢澤達宏『世界の中のアフリカ 国家建設の歩みと国際社会』(上智大学出版、2013年4月)



  1960年、アフリカでカメルーン、ナイジェリアをはじめとする17の新興独立国が誕生し、アフリカから「植民地」が消滅した。同年は「アフリカの年」とよばれ、アフリカのみならず、第三世界全体にとって希望の年であった。それから半世紀が過ぎた現在でも、アフリカには「国民国家」建設をめぐって「生みの苦しみ」に直面している国が数多ある。
  国際社会に目を転じると、加盟国が原則として同等の権利を有する国連に、50を超すアフリカの国々が加盟している。それゆえ、国連の諸決定において、国連全加盟国の約4分の1を占めるアフリカ諸国の意向は大きな影響力を持つようになりつつある。
  また、本年(2013年)6月1日から3日にかけて、横浜で第5回アフリカ開発会議が開催された(1993年から5年おきに開催)。日本は世界銀行とともにアフリカ開発会議に当初から関わり、今回まですべて日本で開催されてきた。これまで日本はアフリカの発展に少なからぬ貢献をしてきたが、日本国民の多くはこうした事実を十分に知っているとは言い難い。国民のアフリカに対する関心の低さは、おそらくメディアから発信されるアフリカの情報量の少なさや日本語で公刊されているアフリカ関係の書籍の点数の少なさとも相通ずるものがあろう。
  さて、本書は上智大学創立100周年記念事業の一環として、2011年11月に開催されたシンポジウム「世界の中のアフリカ―国家建設の歩みと国際社会―」の報告を基にする論文6本に、池邉英雄氏の特別寄稿を加えて編まれた。本書の構成と概要は、以下のとおりである。
  「独立後の歩みと国際社会との関わり」と題する第1部には、小田英郎「独立アフリカ50年の軌跡と展望」、植木安弘「アフリカにおける国連の役割―国家主権の問題との関わりを中心に―」、アビオドゥン・バシュア(村上裕公訳)「アフリカにおける平和維持と紛争解決―」が所収されている。
  戦後日本のアフリカ研究を牽引してきた小田氏の論稿は、アフリカの国家建設の歩みを国際情勢の変動と絡めて手際よく整理され、本書の総論として読むことができる。
  続く植木論文とバシュア論文は、国連のアフリカ支援のあり方を論じたものである。国連のアフリカ支援は、これまで紛争収束に力点を置いてきた。だが、近年は紛争後の平和構築支援や政府の統治能力強化、民主主義育成支援にも力を注ぐようになり、国連のアフリカ支援は多岐に渡る。その際、国連が各国の主権とどのように向き合うかが、絶えず問題となる(以上、植木論文)。
  21世紀に入ってスーダン西部で発生したダルフール紛争に対し、アフリカ連合(AU)はミッションを派遣した。しかし、このミッションは資金不足などから十分な活動ができなかった。そこで、AUと国連が合同の指揮系統を持つダルフール国連・アフリカ連合合同ミッションが新たに構想され、これが実施された。この合同ミッションは、国連の「実質的な資源」と地域アクター(この場合はAU)の政治的意志が結びつくことで、平和維持活動・平和支援活動の新たな可能性を示したのである(以上、バシュア論文)。
  第2部は「国家の多様性と動態」と題し、池邉英雄「スーダンに見る国民統合と分離独立」、矢澤達宏「アフリカにおける分離主義の実像をめぐる試論―3つの「逆説」を中心に―」が所収されている。
  池邉論文では、2011年に南部スーダンが分離独立した遠因を、1956年に独立して以降、スーダンで国民統合がスーダンで国民国家の理念が定着せず、国民統合が実現しなかったことに求める。国内でイスラーム教を信仰する北部のアラブ系がキリスト教を信仰する南部のアフリカ系に対して優位に立ち、彼らを抑圧したため、南部スーダンは反政府運動を起こし、ついに分離独立に至ったのである。
  続く矢澤論文では、「3つの逆説」として、以下の3点が提起されている。(1)1946年から98年にかけて、アフリカで勃発した分離独立運動は14ヵ国で18と予想に反してかなり限定的である。(2)分離独立を求める地域がかつての植民地支配に由来する領域としばしば合致するなど、分離独立者に植民地支配の残滓である領域への執着が垣間見られる。(3)西欧の植民地支配を免れたエチオピアで分離独立運動が頻発したのは、西欧列強によるアフリカ分割競争時代に、ソモリ人、オロモン人などがエチオピア帝国に征服され、アムハラ文化を押し付けられたことに由来する。
  「国際関係とアフリカ」と題する第3部には、望月克哉「アフリカ国家における内政と外交の乖離」、来栖薫子「国際関係理論から見たアフリカ―シンポジウム報告概要に基づくノート」が所収されている。
  ナイジェリアは1990年代末に民政移管され、オバサンジョが大統領に当選した。オバサンジョ政権は、国際司法裁判所で敗訴したのちも、バカシ半島の帰属問題でカメルーンとの対話を継続させるなど外交面では成果を挙げている。しかし、内政面では、国民議会による予算修正や石油製品の大幅値上げに反対する労働組合の全国組織の抵抗にあうなど、国内の厳しい批判にさらされている(以上、望月論文)。要するに、「民主化」によって、外交面と異なり、内政面では政策決定を取り巻く環境や政策実施の条件が変化した、すなわち内政面では「民主的制約」が拡大したのである。
  アフリカの国際関係や国家のあり方を研究する意義はどこにあるのか。来栖論文は、主要な国際関係理論がアフリカをどのように論じたかをふりかえり、その意義を、主権などの基本的概念や政治体制、地域安全保障、人間の安全保障に関する理論研究の発展することに見いだしている。
  アフリカの国家建設の軌跡を国際社会の動向と関連づけて論じた論考やアフリカと国際社会との関わりを論じた論考などが集められた本書は、国際政治や日本外交に関心のある者のみならず、国民国家形成に関心を有する者にとって資するところが多くある。
   例えば、南スーダンの分離独立問題では、民族問題・宗教問題はその淵源である。しかし、多民族国家であるスーダンでは、「国民国家」建設にあたって、運命共同体としての「国民」意識を形成することができず、しかも「公共の福祉」も提供されなかった。このような「社会契約」が成立しない国家・社会において、少数派が多数派の支配・圧政から逃れるために分離独立を求め、起ち上がるのはある意味理に適っている。そして、南部スーダンで石油資源が発見されたことが分離独立運動を後押したのである。
  多様な民族集団から構成される新興国家が「想像の共同体」である「国民」意識を作りあげ、国民国家に名実ともになることは容易なことではない。また、三権分立を旨とし、権力の行使に抑制的な統治システムを構築することも容易でないことは近代以降の世界の歴史が如実に示すところである。しかし、今後は、多様な民族集団をひとつの集団(「国民」)に強引にまとめあげるよりも、権力抑制的な統治システムを作り、政府が「良き統治」を行うことで、社会の少数派の政府に対する信頼、さらには「国家」に対する信頼と帰属意識を持たせるようにする方がリスクも少なく、社会・国家の安定につながりやすいのではないだろうか。池邉論文を読んで、このようなことを考えた。
  また、望月論文が示すナイジェリアのオバサンジョ政権が政権運営に苦心している事例は、「民主化」にともなう政策決定・実施過程における国内制約要因の増大を如実に示すものである。オバサンジョ政権は、政権の不安定要素を「暴力」で強引に抑え込むことなく、向き合っている。これは「良き統治」ではないことは事実だが、「悪しき統治」とはいえまい。今後どうなるか分からないが、望月論文を読む限りでは、オバサンジョがこのまま抑制的な権力行使を続けるか否かがナイジェリアにおける民主主義定着の試金石となりそうな予感がする。
   他にもバシュア論文を読んで、ダルフール国連・AU合同ミッションが比較的うまくいっているのは、国連がそれまでのAUの尽力を無にせず、国連との協同という形でAUを包摂し、AUの面子を立てたことの重要性に思いを馳せた。この事例が浮き彫りにするのは、資金や能力の点で疑問符がついても、ダルフール紛争解決のために尽力するAUに国連が責任の一端を分け与え、共に行動することでAUのアフリカにおける平和維持活動・平和支援活動の能力を高めようとする姿勢である。この合同ミッションが成功裡に終了すれば、AUはアフリカにおけるグローバル・ガバナンスとしての存在感を大いに高めることになろう。
   以上、評者が本書を読んで感じたことの一端を紹介した。本書をきっかけに、読者が国際社会や日本はアフリカとどのように関わっていくべきか、アフリカ各国で民主主義が定着し、人間の安全保障がきちんと担保される社会が構築されるために日本は如何なる貢献ができるかなどに思いを馳せていただければ幸いである。
評者:小宮一夫