タイプ
その他
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日付
2013/10/25

【書評】遠藤乾『統合の終焉―EUの実像と論理』(岩波書店、2013年)

評者:小川浩之(東京大学大学院総合文化研究科准教授)


  本書は、連邦国家を目指す大文字の「統合(Integration)」は終焉したが、「統合」は曲がりなりにもEUという遺産を残し、EUへの集権化=小文字の「統合(integration)」と各国への分権化ないし小文字の「逆統合(disintegration)」との綱引きが「ポスト統合」を生きるEUの中心に座るという大きな見取り図を示すものである。目次は以下の通りである。


まえがき
  第1章 ヨーロッパ統合の政治学―EUの実像と世界秩序のゆくえ
第Ⅰ部 EUの歴史的形成―統合リーダーシップのドラマツルギー
  第2章 ジャン・モネ―「ヨーロッパの父」は何を創ったのか
  第3章 ジャック・ドロール―中興の祖はどう動いたのか
  第4章 マーガレット・サッチャー―劇場化するヨーロッパ
第Ⅱ部 ポスト統合を生きるEU―冷戦、拡大、憲法
  第5章 鏡としてのヨーロッパ統合―「地域」の作り方と安全保障、経済統合、人権規範
  第6章 拡大ヨーロッパの政治的ダイナミズム―「EU-NATO-CE体制」の終焉
  第7章 統合の終焉―フランス・オランダによる欧州憲法条約否決は何を意味するのか
第Ⅲ部 危機の下のEU/ユーロ―正統性、機能主義、デモクラシー
  第8章 ポスト・ナショナリズムにおける正統化の諸問題―国家を超えたデモクラシーは可能か
  第9章 ユーロ危機の本質―EUの正統性問題からグローバルな「政治」危機へ
第Ⅳ部 国際政治思想としてのEU―世界秩序における主権、自由、学知
  第10章 ようこそ「多元にして可分な政治体」へ―EUにおける主権と補完性
  第11章 国際政治における自由―EUシティズンシップの問いかけ
  第12章 日本におけるEU研究の可能性―方法論的ナショナリズムを超えて

  第1章では、EUそれ自体を多面的に理解することを目指すとともに、そのEUが事実と理念の双方にもたらす現代世界への含意を考察し、その論理を抽出することを試みるという本書の目的が提示される。そして、読者の前に、EUは「未確認飛行物体(UFO)」ならぬ「未確認政治物体(UPO)」として、また国家でも単なる国際組織でもない「どこか宙ぶらりんな存在」として示される。
  第Ⅰ部は三章構成で、三人の人物を通して欧州統合の歴史が描き出される。第2章では、ジャン・モネがとりあげられる。モネは、①二度の世界大戦で戦時調達と仏経済エリートとかかわり、②アメリカのニューディーラーとのつながりをもち米戦時経済動員に関与したことで、米仏間と戦前・戦後を結ぶ結節点に位置する人物となった。そして彼は、第二次世界大戦後、フランス計画庁長官に就任し、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立に中心的役割を果たした。そうした中でモネは、計画という手法を多用し、ごく一握りの経済系テクノクラートとチームを組み、そこに権力を集中させた。だが、生産に焦点を絞り石炭や鉄鋼という部門別の統合を指向した「モネのヨーロッパ」は、時代が消費に向かう中でしだいに後景に退き、ナショナルな民主制のもつ情念と破壊力を前に幾度も荒波に呑まれ、アメリカのヘゲモニーと大西洋主義の終焉によって終わりを迎えた。
  第3章では、1985年以来、10年間にわたり欧州委員長を務めたジャック・ドロールが扱われる。著者によれば、ドロールは「委員長官房専制」とでもいうべき支配を確立し、トップダウン形式の「ドロール・システム」を作り出した。他方で、欧州委員長にとって最大の足枷となるのは、ヨーロッパ次元での正統性の希薄さと欧州政治社会の脆弱性である。しかし、①欧州委員会という組織を把握し、②欧州理事会という顧客層に入りこみ、③打ち上げ可能な政策ビジョンを詳細にわたって具体化し議論すれば、十分にリーダーシップを展開することが可能となる。そしてドロールは、単一欧州議定書の策定や経済通貨同盟(EMU)の具体化、早期のドイツ統一などでリーダーシップを発揮したが、政治統合に関する政府間会議では、ドロールと彼の下の欧州委員会は時間が経つにつれ周辺化されていくなど限界にも直面した。
  第4章の主役は、1979年から90年までイギリス首相を務めたマーガレット・サッチャーである。そこではまず、首相就任前の親欧州共同体(EC)派としてのサッチャーから「お金を返して」(イギリスの予算負担超過額の還付要求)キャンペーン、そしてフォンテーヌブロー欧州理事会(1984年)での予算問題の決着までの経緯が描かれる。その後、サッチャーは単一欧州議定書(市場統合)の推進に大きな役割を果たしたが、1988年のブルージュ演説でドロールとの世界観・統合観の衝突が露呈する。そうした中で、サッチャー流のビジョンによってECの舵取りに主導権を発揮するという英外務省の意図は外れ、ドイツ再統一に否定的な態度をとったことでサッチャーは次第に孤立を深めていく。実際、通貨統合と政治統合の二本立てによるマーストリヒト条約への道で、サッチャー政権は周辺化されていった。さらに、ヨーロッパ統合をめぐる閣内対立はサッチャーの首相辞任の主な要因となったが、サッチャーの下での統合の政治化と反対勢力の増強は特に保守党内に反統合主義・欧州懐疑主義の種を植えつけ、その後に長く影を落とすことになる。
  第Ⅱ部も三章で構成され、EUと冷戦の関係、EU加盟国拡大、欧州憲法条約が主題となる。まず第5章では、EU単体モデル論(ECSCからEUに至る単体の発展史)の陥穽が指摘され、北大西洋条約機構(NATO)と欧州審議会(CE)を加えた「EU-NATO-CE体制」とでもいうべき複合的な国際体制が提示される。そこでは、EC、NATO、CEが、それぞれが代表する経済、軍事、規範の三面にわたり調和的な分業に従事し、相互に支えあう大文字の体制をなしていた。それに対して、東アジアの地域特性として、①アメリカとの二国間関係に基づくハブ&スポーク状の安全保障ネットワーク、②安全保障上のネットワークを土台にして次第に進行する事実上の経済統合(ただし、中国のような興隆国との安全保障上の溝を内部化)、③共通規範の希薄さ、の三点が指摘される。
  第6章では、EU拡大に焦点が当てられ、拡大を受け入れる加盟国側のインセンティブとして、①自由民主主義的な価値や規範の共有による長期的な安全保障、②そのような規範的レトリックの拘束力、③加盟国が各々に支持する申請国に対して相互に拒否権を発動する恐れ、の三点が挙げられる。そして、EUとNATOそれぞれの役割変化と競合、EUの権能とメンバーシップの拡大にともない、「EU-NATO-CE体制」は調和的な連携を保った「体制」として歴史的な存在になりつつあることが指摘される。その背後にあるのは、大局的には冷戦の終焉とアメリカの位置の変化である。ただし、EUは加盟国拡大にともなう様々な問題にもかかわらず瓦解するわけではなく、むしろその過程で「規制帝国」化し、徐々に影響力を域外へと投射している。
  第7章では、2005年のフランス、オランダでの国民投票による否決とその後のEU首脳による批准の順延決定によって欧州憲法条約が事実上葬り去られたことについて論じられる。フランス、オランダでの「ノン」「ネー」の背景には、①欧州憲法条約の文面の難解さ、②エリート主義批判と民主主義の問題、③(オランダの「ネー」陣営に顕著だが)憲法条約下ではEUの意思決定における大国の比重が増加するという批判があった。そして、2005年の出来事は長期的な危機の中でこそ深い意味づけが可能であるとされ、①社会経済面での「ドロール・コンセンサス」とでもいうべきもの(ヨーロッパとは相互依存やグローバル化の中で国民社会を維持・強化するためにこそ建設するのだという考え方)の揺らぎ、②デモクラシーの問題、③東方拡大に関連してヨーロッパの目的、境界、限界といった定義づけが不明確になったことが指摘される。
  第Ⅲ部は二章構成で、国境を越えたデモクラシーの可能性とユーロ危機の本質について扱われる。第8章ではまず、EUは、その先進例においてですら、正統性・民主主義といった基本的な政治的要請の脱国境化がいかに難しいかを体現しているとされる。EUの権力強化が従来の民主的制御メカニズムの枠外で進行しているという認識が広まる一方で、欧州議会での多数決にもっぱら依拠した民主的制御メカニズムは作動しにくい。また、EUの「出力志向」と「入力志向」の正統性のギャップにより、正統化の問題も生じている。
  第9章では、あらためて通貨統合の背景が整理される。そこにはまず、①EC域内市場での資本移動の自由化、②通貨統一のメリットの想定(国をまたぐ売買・取引のコスト低下、為替損益がなくなること)、③アメリカの経済運営とドルの不安定性に対して共同で制御可能性を高める狙い、といった経済的動機があった。さらに、再統一後のドイツを戦後培ったヨーロッパの域内平和につなぎとめておくという政治的動機が加わったことで通貨統合への歩みは加速し、マーストリヒト条約につながった。他方、ユーロ圏諸国間には労働生産性や経常収支などの不均衡が存在し、さらにより大事なこととして、ばらばらな経済体すべてに単一の通貨政策を実施することが一因となり、ユーロの存在それ自体がそうした不均衡を助長する構図となっていたと指摘される。確かに、①欧州金融安定化基金(EFSF)創設決定、②欧州安定メカニズム(ESM)として救済基金の恒久化決定、③新財政条約のイギリス、チェコを除く25カ国での締結など一連の対応もなされてきたが、ユーロ危機により、長らくEUで大きな要素を占めてきた機能的正統性が深刻な打撃を受け、さらに多くの被支援国に緊縮財政と強いることで社会的正統性も削がれていくこととなった。
  第Ⅳ部は三章で構成され、補完性の原理、EUシティズンシップ、そして日本におけるEU研究の可能性が探られる。第10章では、EUにおける多元多層的な秩序を基礎づける構成原理として補完性の原理がとりあげられる。補完性の原理は、歴史的には、諸政治体間の役割分担に関する規制原理として使用され、アルトゥジウスに源流を持つ。さらに19世紀後半、社会の中での自己実現を重視する人格主義的なカトリック主義者たちがその理念を吸収し、議論の中心的位置を占めるようになり、人格主義者プルードンも大きな影響を及ぼした。補完性原理は、第二次世界大戦直後の連邦主義者たちの議論でヨーロッパ統合の文脈で使われ始め、1980年代には徐々に強力になりつつあったECの権力を肯定する代わりに制限するという二重の必要性から幅広い集団に盛んに議論されるようになった。
  第11章では、マーストリヒト条約で導入されたEUシティズンシップ(欧州市民権)について論じられる。まず、自らが自らを律する自己支配としての積極的自由はナショナリズムと親和的であるとされ(そこでは自己を国家や国民の理想や利益に投じることがより高次の自由と観念され、そうした観念の下では、倫理は国民国家の領域で基本的に閉じている)、また主権国家システムは、世界がイデオロギー的に一色に染まらず、他国への逃げ道が準備されているため、思想・信条について国家からの干渉を受けないとする消極的自由とも合致するとされる。だが、近年の国民国家の甲殻化と包摂的な帝国の終焉によってそうした作動は困難になってきている。それに対して、EUシティズンシップの導入により、EU加盟国の国民ならば、EU内のどこにでも自由に居住でき、基本的権利を享受できる。近年のEUは、合法的長期滞在者であれば域外民もなるべくEU市民に近い形で取り扱う方向にある。そうした意味で、EUシティズンシップは、主権国家システムとは異なる形で、重層的な多元性に根ざした「自由」を構成しているのである。
  第12章では、日本のEU研究は多くの場合、①EU性善説、②統合現象叙述型、③米国理論直輸入型という特徴ないし問題を抱えると批判的な整理がなされる。また「社会」が「国家」や「国民」と同一視され、その前提の下に「社会」研究が進められてきたこと(方法論的ナショナリズム)にも批判の眼差しが向けられ、一国でもなく一国際組織でもなくその間に統治枠組みを形成してきたEUは、そうした既存の前提に存在ごと疑問を呈するとされる。そして、層や分野ごとにゲームが異なり多次元・多分野にまたがった「共同の統治構造(ガバナンス)」が形成される中で、①EUにだけ目を向けていては不十分であること、②加盟国家同士の外交(史)を研究アジェンダの正面に据えるべきこと、③「ヨーロッパ・ア・ラ・カルト」「柔軟性の原則」といった開放的でアドホックな連携の実態的な分析を行うべきことが提言される。そして、本書の眼目は「われわれ自身が当然視していた視座そのものを揺さぶるEUの潜在力になければならなかった」(368頁)として議論が締めくくられる。

  以下、評者なりに本書の特長をまとめたい。まず本書は、大文字の「統合」の終焉を宣告しつつ、危機のただなかにあるEUについて研究する意義が依然として大きいことを説得的に示すなど刺激的な視座を提示している。本書は、「EUの実像と論理」についての第一級の研究であるとともに、著者の政治学や政治思想についての深い造詣が随所に活かされており、そこで示される問題提起はヨーロッパ統合研究者のみならず、国際政治学・政治学研究者にとって非常に重要なものである。また、第2~4章では、モネの計画化にともなう少数派支配、ドロールの「委員長官房専制」による支配とサッチャーの主権国家に基盤を置く立場の対比により統合史を立体的に描き出すことに成功している。そして、自由、民主主義、主権、市民権など国家と深く結びついた概念・制度(方法論的ナショナリズム)を、「多元にして可分な政治体」たるEUを通して相対化し、「多元的な重層性に根ざした質的に異なる」オルターナティブを提示する点に本書の最も重要な特長があるといえよう。

  最後に、若干の疑問点を記しておきたい。第一に、「まえがき」に「2005年、フランスとオランダという欧州石炭鉄鋼共同体設立以来の原加盟国が欧州憲法条約を国民投票で葬り去り、その2年後「憲法概念は放棄」とEU首脳が明示的に合意したとき…大文字の「統合」物語もまた、打ち捨てられたのである。フランスやオランダ、はたまたイタリアやポーランドのような国家や国民は限りなく永遠で、それらはヨーロッパ合衆国において融けてなくなる存在ではないという当たり前のことが確認された」(v-vi頁)とある。だが、ヨーロッパ統合の歴史は深刻な―そして同時代には致命的に思われたであろう―挫折を何度も経験しつつ進展してきたことを考えれば、連邦主義的な大文字の「統合」への動きは本当に終焉したと言い切れるだろうか。また、歴史的に形成されてきた存在である国家や国民はどうして「限りなく永遠」と言えるのかといった疑問が残った。第二に、第3章、第4章の章立てについて、ドロールとサッチャーの両者を扱い、対比させることは大いに意義があると考えられる。しかし他方で、第2章(モネ)とのバランス上やむを得ない面もあるとは思われるが、両者が別の章に分けて扱われるため記述の重複や分断も少なからず見られる点が気になった。第三に、EUの加盟国拡大を促した諸要因と拡大にともなう困難については説得的に分析されていると考えられるが、拡大が本書刊行時の27カ国(2013年7月にはクロアチアが加盟し28カ国)にとどまっている理由についてもより具体的な説明があると望ましかったのではないだろうか。例えば、「すでに加盟した12カ国とちがい、ウクライナ、モルドヴァ、ベラルーシなどの国々に対して、EUはいまだ加盟の公式コミットメントをしたことがない」(199頁)とあるが、なぜ中東欧と地中海の12カ国(クロアチアを加えると13カ国)は拡大の対象となり、ウクライナなどは対象外となったのだろうか。紙幅の制約もあるだろうが、簡潔にでもよいので理由を知りたいと思われるのではないだろうか。むろん、評者によるこれらの拙い疑問点の提示は本書の意義を損なうものではない。本書が、EU研究者や国際政治学者・政治学者はもちろん、ヨーロッパやEUに関心を持つ―あるいは逆に近年のユーロ危機などからEUの存在意義に疑問を抱くようになった―大学生や一般読者にも広く読まれるべき書物であることは間違いないであろう。