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【書評】戸部良一編『近代日本のリーダーシップ―岐路に立つ指導者たち』(千倉書房、2014年)

October 14, 2014

評者:小宮一夫(駒澤大学文学部非常勤講師)


1 はじめに

欧米や日本などの先進国は、新聞・ラジオ・テレビといったメディアやインターネットなどの情報インフラが発達した高度情報化社会である。高度情報化社会では、フォロワーである国民が政府や政治家に対する情報をマスメディアやインターネットを通じて入手しやすいため、リーダーが情報の非対称性に基づいてフォロワーに対し圧倒的優位な立場に立つことが難しい。
とりわけ先進国の中で大衆社会の度合いが強い米国及び日本では、マスメディアの報道がリーダーの評価を大きく左右する。フォロワーは容易にリーダーにとって不都合な情報を入手し、リーダーを批判することが可能となる。それゆえ、リーダーは自らの「カリスマ」性を担保することが従前に比して難しくなってきている。
現在、日本は中国の軍事的脅威や莫大な財政赤字など外交・内政でさまざまな難問を抱えている。しかも、グローバリゼーションの波とインターネットに代表される情報技術の革新により、リーダーは瞬時に判断を求められる案件が急増している。リーダーを取り巻く環境が厳しくなるなか、リーダーの役割は逆説的に大きくなっているといえよう。
だが、現在の政治学においてリーダーシップ論は傍流であり、歴史学においても同様である。政治学では、リーダー(リーダーシップ)よりもフォロワー(フォロワーシップ)に関心を寄せる傾向にある。一方、世間では、リーダーシップへの関心は相変わらず高く、リーダーシップに関する本が多数刊行されている。
こうした状況下、歴史研究者が中心となって、近代以降の日本人が指導者をどのような存在と見なしてきたのかを多角的な視点から検証した本書が公刊された。本書は、学問の世界から見たリーダーシップのあり方に関する学知を世間に広く還元しようとするものである。
なお、リーダーシップを考えるうえで、「歴史」は極めて有効である。歴史は結果が分かっているため、史料状況がよければ、因果関係の検証は比較的容易である。それゆえ、これまでも多くの論者が、「歴史」という豊穣な過去の出来事のデータベースのなかから、現在にも適用可能な通時的な「教訓」を見つけ、現代の課題解決に活かそうと尽力してきた。

2 本書の概要と個別の論点

本書は、通常の歴史分析による論考を時間軸にそって配列した第Ⅰ~Ⅲ部と学際的な論考を集めた第Ⅳ部から成る。以下、各論文の紹介を行い、個別にコメントを付すことにする。
「創生と再建―日本の近代化と政治指導」と題する第Ⅰ部には、小川原正道「『西郷隆盛』的指導者像の形成」(第1章)、瀧井一博「伊藤博文とユナイテッド・ステーツ(United States)―ステーツマン(Statesman)としての制度哲学」(第2章)、奈良岡聰智「参戦外交再考―第一次世界大戦勃発と加藤高明外相のリーダーシップ」(第3章)、フレドリック・ディキンソン「戦間期の世界における政治指導の課題―浜口雄幸を中心に」(第4章)、黒沢文貴「海軍軍人としての鈴木貫太郎」(第5章)の5論文が所収されている。
第1章は、明治期から昭和戦前期にかけての「西郷隆盛論」の変遷を追い、論者がそれぞれの思想や理想を仮託したと結論づける。例えば、大正期には立憲主義や革命に親和性の高い指導者像が、昭和戦前期には大陸進出の先駆者、非常時の理想的指導者と言った像が打ち出される。
今後は、政治家や軍人などの手紙や日記などで西郷がどのように論じられているか。大久保利通など西郷と対比的に論じられる人物は、西郷というフィルターを通してどのような像が仮託されるか、などを検証して行く必要があろう。そうすることで、本研究はさらなる広がりを見せるであろう。
続く第2章は、従来の研究の盲点だった伊藤博文のアメリカ観が抽出された。伊藤がアメリカ
合衆国に見出したものは、藩(states)の閾を超えて人心が一致し、統一国家を形作るという像であった。伊藤は、米国での国制調査を通して、制度の自生的生成と立憲主義という国制一般を貫徹する制度哲学を習得したのである。
本稿は、瀧井氏が打ち出した「制度設計」の政治家としての伊藤像を補強するものである。戦前期に、アメリカの国家的魅力を発見した政治家としては、原敬がよく知られている。しかし、本稿によれば、伊藤は原敬に先んじて「アメリカ」の国家的魅力を発見したことになる。
イギリス一辺倒だった加藤高明は、先達の伊藤や同世代の原敬と異なり、アメリカの国家的魅力を発見できなかった。こうしたところに、加藤が両者と比べて、政治的柔軟性に乏しかった一端が見て取れるのであろうか。
さて、本年は第一次世界大戦勃発100周年である。日本を第一次世界大戦に参戦させるうえで、リーダーシップを発揮したのが、第2次大隈内閣の加藤高明外相である。第3章では、加藤の真の参戦意図は、ドイツから山東半島の権益を奪うことではなく、日本が獲得した山東半島の権益を取引材料に、満州権益の租借期限を延長することにあったとされる。
周知のとおり、対華21ヵ条問題で加藤外交は躓いた。本稿は、加藤が日中交渉の具体的方法について確たる見通しを欠いたまま見切り発車を行ったことに加えて、国内の強硬論の突き上げが加藤外交を失敗させた要因と見なす。
本稿の特徴は、加藤外交の制約要因として陸軍や民間、与党(立憲同志会)の対中強硬論を重視する点になる。加藤は立憲同志会の党首として近い将来に政党内閣の樹立をもくろんでいた。そうした背景もあって、党内及び民間の対中強硬論に配慮したのであろう。対中強硬外交をあえてとることで、外交のフリーハンドを確保しようとしたことが加藤にとって仇となったといえる。
第4章では、立憲同志会・憲政会で幹部として加藤高明を支え、昭和期には立憲民政党の党首として政党内閣を組織した浜口雄幸は、第一次大戦後の「産業化」、「大衆化」、「世界大国化」という3つの大転換にうまく対応したと結論づけられている。
ディッキンソン氏の見立てでは、これに反発する「少数派」が浜口狙撃や満州事変、五・一五事件といった「暴力」によって、第一次大戦後の日本の軌道を大きく変えていったという。著者は、戦間期日本が時代の転換に対応できたにも拘わらず、最終的に失敗したのはリーダーシップの問題よりも19世紀世界から20世紀世界への移行が如何に困難であったかという時代的制約を重視する。
本稿の論点では、一見「大衆」と向き合うことが不得手な浜口が「大衆化」にうまく対応したという指摘が興味を引く。浜口が昭和初期に用いたメディア戦略、例えばパンフレット・リーフレットの頒布、演説等のラジオ放送は、当時の政治家であれば多かれ少なかれ受容されるものであった。第一次大戦後の政党及び政党政治家のメディア戦略を検証することは、政党政治が「大衆」化する社会とどのように向き合おうとしたのかを解明する有効な手がかりといえよう。
第5章は、昭和初期、侍従長を務め、終戦時の首相として知られる鈴木貫太郎の海軍時代の軌跡をたどったものである。本稿では、鈴木は「軍人としてのすぐれたリーダーシップとバランス感覚に秀でた能吏、沈着冷静な判断力と豪胆な決断力とを併せもつ軍人」という評価が下されている。
黒沢氏も指摘されるとおり、鈴木は時に独断専行的に行動するところがあった。これは軍人にとっては由々しき欠点である。鈴木の独断専行的な面の長短についてもっと筆を割くことで、鈴木のリーダーシップの得失がより浮き彫りになったのではないだろうか。
続く第Ⅱ部は「危機の時代―岐路に立つ指導者たち」と題し、戸部良一「宇垣一成待望論の実相」(第6章)、武田知己「日英交渉とリーダーシップの逆説 一九三〇年代の日本外交を事例に」(第7章)、波多野澄雄「終戦をめぐる指導者群像―鈴木貫太郎を中心に」(第8章)、庄司潤一郎「近衛文麿の戦後と「国体護持」―「家柄」と政治指導」(第9章)の4論文が所収されている。
第6章では、1930年代の雑誌メディアに掲載された宇垣一成論が丹念に分析されている。当該期は、各方面から宇垣に期待が寄せられた時期であった。政治の「玄人」筋は軍縮や朝鮮統治で見せた宇垣の実績を評価し、それに基づいて宇垣に大きな期待を寄せた。一方、批判する側は宇垣の「複雑性」や曖昧さを問題視した。これが本稿の結論である。
現状維持を志向する宇垣が変革を求める民衆や革新勢力にあえて対決姿勢を見せず、曖昧な立場をとり続けることで自身への期待をつなぎとめようとしたという指摘は興味深い。
第7章は、満州危機以降の日英交渉(1931~41)に関わった松平恒雄、吉田茂、重光葵を素材として、当該期の日本外交における個人と組織の問題及びリーダーシップを検討したものである。結論は、次のとおりである。「能吏」の松平は日英に「共通する利益」を発見するなどの点で功績を挙げた。組織を度外視し、「独断専行」を厭わない吉田は、交渉手法が稚拙で成果を挙げられなかった。「組織外交」を実践する「能吏」重光は、その能力とリーダーシップゆえに日英交渉で一定の成果を挙げたものの、それが仇となって結果的には「日英乖離」を促進させてしまった。
本稿は、同じ「能吏」であっても、相手に攻撃的な重光と双方向的な松平の評価がイギリスでは対称的なところや吉田の外交センスの悪さなど興味深い論点が散見される。本稿を読む限り、外交官としては、松平のリーダーシップがふさわしいといえる。
第8章では、第5章と同じく鈴木貫太郎が取り上げられている。ただし、時期は太平洋戦争末期である。鈴木が和平のタイミングを探りながら、本土決戦の姿勢を緩めないという二面的な和平戦略をとったのは、「聖断」を活用すべき選択としてあらかじめ考慮していたからだという指摘は興味深い。また、鈴木が戦争に正邪を認めず、米国と米国人に対する素朴な信頼感を有していたことを強調しているのも興味深かった。
鈴木が曖昧な姿勢をとり続けたことで、閣内対立による内閣総辞職が避けられたともいえる。本稿は、鈴木の曖昧な政治姿勢の功罪を冷静に描いた好論文である。
第9章では、近衛文麿が終戦後、昭和天皇の退位を構想し、憲法に積極的に取り組んだ背景が明らかにされている。本稿によれば、五摂家筆頭の「家柄」に由来する自負と「国体護持」が困難であるという危機意識がその背景とされる。五摂家筆頭の「家柄」に由来する自負は、これまで強調されてこなかった論点だけに注目される。これらの認識は、近衛の戦争責任とどのように結びつくのであろうか。終戦後の近衛を扱っているだけに、これらの関係が気になった。
第Ⅲ部は「戦後体制の展開―世界化する日本、そのとき」と題し、楠綾子「安全保障政策の形成をめぐるリーダーシップ―佐藤政権による吉田路線の再選択」(第10章)、黄自進「沖縄返還から見た佐藤栄作の政治指導」(第11章)、佐藤卓己「管制高地に立つ編集者・吉野源三郎―平和運動における軍事的リーダーシップ」(第12章)の3論文で構成されている。
第10章では、高坂正堯らリアリストの国際政治学者らの動向を織り込みつつ、佐藤栄作が「日米安全保障条約に基づく米国の保障と自衛力の漸進的整備を組み合わせ」た「吉田路線」を主体的に再選択していく過程が描かれる。本稿では、佐藤が受身ではなく主体的に「吉田路線」を再選択したことが提起された。
社会党・共産党の革新勢力と自民党右派との対立を突出させたり、過激化させたりすることなく沈静化させようした政治手腕は当時の時代状況を考えると評価すべきであろう。佐藤は自民党政治「中道」化を推し進めたといえる。佐藤の「中道路線」とそれを支えた佐藤派の議員の認識などは、今後に残された課題であろう。
前章に引き続き、第11章でも佐藤栄作の政治指導がとりあげられ、佐藤における3つの「是」と「非」がまとめられた。施政目標を主導的に選択する。相手の政治行動に関する熱心な情報収集を行う。目標達成のためには手段に拘らない。これらが3つの「是」である。一方、3つの「非」は、以下のとおりであり。自ら政敵を挑発しない。いくら叩かれても内情を吐露しない。土壇場にならない限りは絶対に対決しない。
本稿は沖縄返還に関する史実の目新しさはないが、佐藤の政治指導像のまとめは秀逸である。佐藤内閣期には、強行採決と引き換えに、これを行った議長や副議長を犠牲にして交代させるという政治様式が定着して行った。これは、黄氏の分類によれば、「非」と「是」のそれぞれに該当する事例といえる。
第12章では、戦後、岩波書店が創刊した『世界』を左翼論壇の牙城に育てる一方、平和運動の組織者でもあった吉野源三郎の行動様式は自らの軍事知識に裏打ちされたものであったことが明らかにされた。
本稿を読んで、戦後の平和運動や労働運動に見られた「組織化」と軍事的発想の相関関係は、今後研究が深められるべきテーマだとの思いを強くした。こうした組織化された運動に違和感を覚える人々が70年代以降、緩やかな連帯にもとづく市民運動を始めていったのであろうか。
学際的な色彩が強い第Ⅳ部は「リーダーシップの諸相―われわれは指導者に何を求めるのか」と題し、河野仁「現代の軍事的リーダーシップ―ハイブリッド安全保障とCOINドクトリン」(第13章)、野中郁次郎「チャーチルにみる『危機のリーダーシップ』―フロシネの視点から」(第14章)、佐古丞「リーダーの評価について」(第15章)の3論文から構成される。
米国の安全保障に関する近年の議論を検証した第13章の概要は、次のとおり。2001年の9.11同時多発テロの発生後、米国では軍事と非軍事の領域にまたがった「ハイブリッド安全保障」の考えが強まった。このハイブリッド安全保障論ではCOIN(反乱鎮圧)が重視される。2006年、米陸軍はCOINドクトリンを大幅に改定し、敵の殲滅に代わって民心の掌握が最優先されることとなった。また、「平和主義」の戦略文化を持ち、「武力行使」が憲法違反とされる日本の自衛隊はCOIN作戦を遂行するにふさわしい存在であることも指摘されている。
COINドクトリンにおいて、現場指揮官の人間的要素が重視されるようになると、国際貢献としての自衛隊派遣はますますその必要性に迫られることになる。
第14章は、経営学の大家である野中氏が「バランス感覚や実行力を持った賢人や達人の知恵」を意味する「フロネス」をキーワードに、チャーチルの「危機のリーダーシップ」を「高い目的をつくる能力」といった6つの実践知能力から検証したものである。的確な事例でチャーチルのリーダーシップを検証し、チャーチルの卓抜した歴史的構想力が政治資源となったことなどが論点として抽出された。
リーダーシップ論と「歴史」との対話を鮮やかに行った野中氏の手法は、歴史研究者にも十分に適用できるものである。歴史研究者は、理論と史実を組み合わせた仮説検証型の研究をもっと行うべきではないだろうか。事例選択で比較優位に立つ歴史研究者が理論に学びつつ、「豊穣な歴史」のなかから適切な事例を選択して分析していけば、学術的なリーダーシップ研究は新たな広がりを見せるのではないだろうか。
本書の最後を飾る第15章は、政治家の評価に関する著作をとりあげ、客観的な評価基準が困難なことやリーダーシップ理論の変遷を概観したものである。
佐古氏が整理されたとおり、論者によって政治的リーダーに対する評価には大きなばらつきがある。とりわけ一般読者を対象としたものには、その傾向が見られる。当然のことながら、望まれるリーダー像は、時代及び国や社会によって異なる。野中氏の論文に対するコメントとも重なるが、リーダーシップ研究で重要なのは、過度な単純化ではなく、具体的事例に立脚し、比較検証が可能な議論をいかに打ち出していくかだとの思いを強くした。

3 本書全体の論点と展望

本書は、一線で活躍する研究者たちによるリーダーシップ研究の成果を、知的好奇心の強い専門外の読者が読んでも分かるように執筆されたものである。ただし、リーダーシップ研究の実証研究から得られる知見は、良質の評論と変わらないものも多い。こうした点を考慮に入れても、本書の公刊により、リーダーシップに関する良質の知見が新たに出版市場に提供された意義は大きい。
繰り返しになるが、リーダーシップ研究の妙は個別研究にあるように思われる。無理に抽象化しようとすると、どこかで聞いたような議論に陥りやすいからである。本書は、執筆者の大半が歴史研究者ということもあり、対象とする素材(人物)の興味深さを全面に押し出し、各自の個別論点を競い合ったところに特色を見いだせる。
本書には、「西郷隆盛論」論や「宇垣一成論」論という「人物論」研究が所収されている。実証的な歴史研究者が対象人物のイメージの変遷を長い時間軸で追うことで、対象人物に対する新たな分析視角を得たり、世間と学界の評価のズレを浮き彫りにしたりすることができる。本書では、このことが明らかとなり、「人物論」研究の可能性を示唆する。
リーダーシップは時代の制約を受けるのが常である。本章で取り上げられた人物を取り巻く時代背景(「時代制約」)に関する記述を増やし、「時代制約」の中で必死に闘ったリーダーたちという姿勢を強く押し出した方が論文の客観性はより強くなったものと思われる。
その他、今回の論文集では、対象人物を支える組織ないし部下との関係について十分な考慮が払われているとは言いがたい。今後は、こうした視点をもっと強く持った研究が望まれる。
小泉政権や民主党政権など首相のリーダーシップのふるい方ひとつで、政治の流れが大きく左右されることを私たちは目の当たりにしてきた。リーダーシップが時代の趨勢で衰退しつつあるという現実を踏まえても、リーダーシップが不必要となることはありえない。21世紀にふさわしいリーダーシップのあり方を考える上でも、本書を手に取り、「豊穣な歴史」の世界から現代に通じる論点を読者諸氏が各自見つけることが望まれる。
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