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その他
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日付
2015/2/2

【書評】ワン・ジョン著/伊藤 真(訳) 『中国の歴史認識はどう作られたのか』(東洋経済新報社、2014年)(原著:2012年)

  評者:光田 剛(成蹊大学法学部教授)
 
  本書は、中国で育ち、現在はアメリカ合衆国で研究生活を送る国際関係研究者による、中国の「愛国主義」についての研究書である。1989年の(第二次)天安門事件当時には中国の若者が「民主化」を求める姿が世界に印象を残したが、現在の中国の若者は「愛国主義」で世界に強いインパクトを与えている。その転変の理由を「歴史的記憶」に求め、それを、中国共産党の指導者がどう利用してきたかという点と、国民的アイデンティティの再構築にそれがどのような役割を果たしたかという点に着目しながら解き明かそうとしている。原題 Never Forget National Humiliation は「国恥を忘る勿かれ」で、本書に何度も登場するキーワードである。なお、この訳書は、中国史になじみのない読者に配慮してか、中国近代史の展開を追う原書の第2章と理論的枠組を説明した原書第1章を入れ替えて訳している(これ自体は優れた配慮だと思う)が、この評では原書通りの順で紹介していくことにする。

  序「「戦車男」から「愛国主義者」へ」では、現代中国について歴史的記憶を理論的に扱うことが可能か、また妥当かについて検討する。近代史のなかで中国は多くの「傷」を受けたが、それ以来の長い時間や近年の経済成長がその「傷」を癒したのではないかという議論に対しては、教育キャンペーンがその記憶を利用し、また経済成長によって得られた自信がかえって「選民意識‐神話‐トラウマ」の複合体(「CMTコンプレックス」)を強化していると指摘する。また、このような対象が学問的分析になじむのかという疑問に対しては、第2章(原書第1章)で分析枠組を提示することで回答を示そうとしている。
 
  その第2章(原書第1章)「歴史的記憶、アイデンティティ、政治」では、歴史的記憶を扱うための理論枠組が紹介される。本書では、アイデンティティの内容として、その担い手の範囲、アイデンティティに関する利害、アイデンティティを持つことの目的などの「規範的な内容」、他の社会集団との関係に着目した「比較対照的な内容」、「認識のモデル」、「社会的目的」の4点に着目するとし、これに、そのアイデンティティが社会で果たす役割の性格や程度に着目した「寄与度」を加えてアイデンティティを評価するとする。また、アイデンティティがどのようにして政治的行動に反映するかについては、将来に向けての「ロードマップ(道しるべ)」としての役割、現在の困難に際しての「結束の要」としての役割、事件が過ぎ去った後にその経験が社会に定着する際の「制度化」の役割の三点が挙げられている。なお、この章ではこれ以外にも複雑多岐な理論枠組が紹介されるが、この後の章は歴史的展開を中心に追って書かれており、この章の枠組は部分的に援用されるにとどまっている。

  第1章(原書第2章)から第4章までは、中国近現代史をたどりながら、それが現在の愛国主義教育のなかでどのような栄光とトラウマの素材となり、現在の中国人にどのような「CMTコンプレックス」を与えているかを検討する。第1章(原書第2章)「選び取られた栄光、選び取られたトラウマ」では前近代から近代までの歴史が採り上げられ、中国は他国を侵略したことのない「文明」と「礼儀」の国であるという「栄光」の意識と、アヘン戦争以後の「国恥」の「トラウマ」意識とが紹介される。第3章「「中華帝国」から「国民国家」へ:国恥と国家建設」では、辛亥革命以後の中国ナショナリズムの発生と、中国国民党・中国共産党のナショナリズムについて論じる。清朝の「天朝」(「天下」の支配者)的意識が破綻し、中国が「国家」にならざるを得なくなった20世紀初頭、中国ナショナリズムを生み出したのは、王朝の上層部ではない「中間」の魯迅のような人物だった(これが第8章の「中間からの和解」への著者の期待につながる)。その後、中国の政治をリードすることになったのは国民党と共産党であるが、この両党のナショナリズムに対する態度は正反対であったと著者は論じる。「エリート政党」であった国民党の「打倒列強」のナショナリズムは強かったが、共産党のナショナリズムは抑制されたものであった。その理由として、共産党は民族よりも階級を重視した、ナショナリズムは共産党の国際主義と矛盾する、階級闘争の主敵は国内の清朝・国民党であった、共産党にとっては「勝利」が重要で、敗北の歴史は無用のものだったという4点が指摘されている。しかし、毛沢東時代が過ぎ去った後、階級闘争主体の共産党のイデオロギーは通用しづらくなり、転換が図られることになる。第4章「勝者から敗者へ:愛国主義教育キャンペーン」では、1991年の江沢民による「歴史教育キャンペーン」からの展開が述べられ、学校教育のみでなく社会に対する教育のなかでの「愛国主義教育」の成功が紹介される。

  第5章から第8章では、これまでの部分を引き継ぎながら、1990年代と2000年代の展開をいくつかの視点から追っている。第5章「「革命の前衛組織」から愛国主義の政党へ:中国共産党の再構築」は、階級革命の「前衛組織」から「愛国主義政党」へと中国共産党自身がそのアイデンティティを変化させたと論じる。中国共産党は、歴史教育では「屈辱的な外交を終わらせた」と強調し、外交では理念を優先する「道徳主義」的なアプローチから「国益」を優先するアプローチへと転換したとする。第6章「震災からオリンピックへ:新たなトラウマ、新たな栄光」では、2008年の四川大震災と北京オリンピックをとりあげ、震災への対応がナショナリズムの強化に利用されたことと、北京オリンピックでの金メダルへの強いこだわりが、20世紀初めから抱かれてきた、中国人が「東亜の病夫」であるという「トラウマ」と一体の関係にあったことが論じられる。なお、北京オリンピック聖火リレーへの抗議行動に対する世界各地の中国人留学生による「対抗デモ」やフランス資本のカルフールへの攻撃は、愛国主義教育だけではなく、西洋人の「個人主義」とは異なる中国文化の「集団主義」が産んだものとして説明される(日本では、日本人と中国人の国民性の違いとして、「日本人の集団主義」対「中国人の個人主義」と対比されることが多かったのだが……)。第7章「記憶、危機、外交」では、駐ユーゴスラヴィア中国大使館誤爆事件(1999年)、李登輝訪米から台湾海峡危機にいたる展開(1995~1996年)、軍用機空中衝突事件(2001年)の3つの米中紛争が採り上げられる。これらの事件では中国は「歴史的記憶」を動員し、紛争を意図的にエスカレートさせて強硬姿勢をとり続けた。しかし、中国がそのような姿勢をとらない対外紛争もあった。国民の認知度が低い事件や、かつて中国を侵略したことがないベトナム、フィリピン、インドネシアなどへの対応は穏やかであり、このような強硬姿勢をとらない。相手国が歴史上中国に「傷」を与えた国であり、しかも国民に広く認知される事件であることが、中国政府が強硬姿勢をとる要因であると分析される。第8章「記憶、教科書、そして中国と日本の和解」では、その中国の対外的な和解の例として、中国・日本・韓国による教科書共同執筆の試みと日中歴史共同研究が挙げられ、「上から」ではなく、市民・知識人レベルの「中間から」の和解の可能性が強調される。なお、ここでの教科書共同執筆や日中歴史共同研究への評価は、本書が2008年までを対象としているという点を考慮しても楽観的すぎるように評者には思われる。
 
  第9章「記憶、愛国主義、そして中国の台頭」ではより広い視野から中国ナショナリズムを位置づける。現在の中国が経験しつつある社会的な動揺や政情不安、国際的な対中国強硬論はナショナリズムを強化し、インターネットの普及は記憶の保存と増幅に寄与する(この点を指摘しているのは炯眼である)。グローバリズムの進展は、とくに中国のような「閉鎖的な社会」に対しては愛国主義を強化する役割を果たす。しかし、台頭しつつあり、「小康社会」を目指す中国にとって、愛国主義教育はその「一面」でしかないことも認識しておくべきであると強調して、本書は結ばれる。

  本書は、愛国主義教育を受け、また自ら愛国主義教育キャンペーンに関わった著者自身の体験と客観性のバランスをとりつつ書かれたものである点が特色である。また、訳者は、英語・中国語の双方に通じ、ばあいによっては中国語の原語も附記するなどしており、翻訳が細やかな行き届いた配慮のもとに作成されていることがうかがえる。その特長は踏まえた上で、ここでは4点についてコメントを寄せたいと思う。

  第一は、著者自身が必ずしも中国共産党の歴史観とは異なる歴史観から愛国主義教育を位置づけなおしているとは言えないという点である。中国近代を「国恥」の時代と見る視点を相対化する歴史観を著者自身が提示しているわけではない。清朝後期からの社会発展への評価や、「少数民族」から中国近代史をみる視点は本書にはほとんど登場しない。だからといって本書の価値が下がるわけではないが、「愛国主義教育」の問題性を克服するのであれば、同時に「国恥」中心の歴史観とは異なる視点を積極的に提示していく必要もあるのではないだろうか。

  第二は、毛沢東時代の中国共産党のナショナリズムの評価についてである。本書は毛沢東時代の中国共産党のナショナリズムへの関心の低さを強調するが、この点には異論がある。毛沢東以前の時期から中国共産党は少なくとも文書上では「反帝国主義」的ナショナリズムを強調してきたし、レーニン主義の帝国主義論を理論的支えにしている以上、それはむしろ当然であった。また、中国共産党は、「長征」期以来、労働者・農民のみではなく広い範囲の人民を結集し代表する政党としての性格を強調しており、「民族統一戦線」を重要なキーワードとして掲げていた。この「統一戦線」的な自己規定は少なくとも朝鮮戦争後の社会主義改造時代まで続くのである。この時期の中国共産党のナショナリズムは、階級闘争論と対立して抑制されたのではなく、階級闘争論・帝国主義論の枠組に従属したのであって、ナショナリズムが弱かったとは言い切れない。また、1950年代から1970年代までの中国共産党指導部のナショナリズムを評価する際に重要なのは、この時期の共産党指導部が常にソ連との対抗関係・対立関係を意識していたことである。とくに1960年代以後は対ソ関係の悪化からアメリカ合衆国や日本との対立を激化させることに慎重だったことを考慮しなければ、この時期の中国共産党のナショナリズムに対する評価は妥当性を欠くものになってしまうだろう。

  第三は、過去の「栄光」と近代にそれが傷つけられた(または現在も傷つけられつつある)ことによる「トラウマ」への意識は、現代世界では中国だけの問題ではないという点である。イランでは、イスラーム革命体制の下で否定的に見られていたハカーマニシュ(アカイメネス)王朝時代が栄光の時代として捉えられはじめているという(春日孝之『イランはこれからどうなるのか』新潮新書)。いわゆる「イスラム原理主義」による「ウンマ・イスラミーヤ」の過去と現在に対する認識も同じようなものだろう。アメリカの「ティーパーティー」運動はどうであろうか。これらまで視野におさめたばあい、本書の「一国愛国主義」的な問題意識では解けない問題もまた出てくるであろうと思われる。

  第四は、2008年までを対象にした本書の中国分析が2010年代の現在にもあてはまるか、という問題である。たとえば、本書では、ベトナムやフィリピンとの領土紛争は中国政府は穏健に処理しようとすると論じられているが、2010年以後を見るかぎり、そうなってはいない。また、本書では中国は「道徳主義」的外交を放棄したとしているが、社会主義的な「道徳主義」ではないにしても、また「国益」外交を放棄したわけではないにしても、中国は「道徳主義」的なたてまえ強調の外交に回帰しつつあることが見受けられる。この2010年代の問題が本書の提示した枠組にもとづいて解けるのか、それとも中国が本書の提示した段階とは異なる新たな段階に入りつつあるのかは、2010年代半ばに本書を読む私たち自身が解かなければならない問題なのだろう。