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2015/8/6

戦後70年を考える:歴史和解は可能か――日中・日韓・日米の視座から【上】

※本稿は2015年7月6日に開催した第95回 東京財団フォーラムの内容を東京財団が編集・構成したものです。

 

  • 【登壇者】(順不同、敬称略)
  • 川島 真(東京財団政治外交検証研究会メンバー/東京大学大学院総合文化研究科教授)
  • 西野 純也(東京財団政治外交検証研究会メンバー/慶應義塾大学法学部准教授)
  • 渡部 恒雄(東京財団政策研究ディレクター兼上席研究員)
  • [モデレーター]細谷 雄一(東京財団上席研究員・政治外交検証研究会サブリーダー/慶應義塾大学法学部教授)

 

「許さない、忘れない」から「許すけれども忘れない」へ

細谷 今日のテーマは「歴史和解は可能か」です。私にとっては、その答えは簡単です。おそらく不可能でしょう。そういってしまうと話は終わってしまいますが……そもそも歴史和解とは何か。何が争点で、何が和解を難しくしているのか。それを乗り越えるためにどういう知恵をしぼり出すことができるのかを、考えていきたいと思います。
 最初にそれぞれの方の問題意識からお話しいただきます。まず日中関係、川島さんからお願いします。川島さんは、安倍晋三総理の戦後70年談話(安倍談話)に関して提言を行う「21世紀構想懇談会」の委員でいらっしゃいます。また、日中歴史共同研究外部執筆者を務め、笹川日中友好基金などで日中の歴史研究者同士の対話に携わってこられました。

川島 歴史研究者が歴史の和解、歴史認識の問題に取り組むのはある意味邪道です。しかしながら私はいろいろな流れの中で関わってきました。そうした中で得た教訓、あるいは悩みがあります。
 実は歴史家同士の対話はそれなりにはできてきました。日中歴史共同研究においてもです。そうした意味では歴史認識をめぐる歴史研究者の対話の経験はきわめて多く蓄積されてきました。しかし、その歴史研究者の対話のもつ社会的な意味となると、とたんに疑問符がつくことになります。
 例えば、日中歴史共同研究でも、歴史研究者同士の対話に基づく報告書が政府レベルに報告が上がると、政府、とりわけ中国政府から厳しい意見が出され始める。その共同研究を進めた中国政府としては、公にできない内容が含まれている、というわけです。そして、政府の要求どおりに非公開部分を設定したりしたために報告書は原形を留めなくなります。そして、その原形を留めていない報告書が公にされ、それが報道される段になるとさらに異なる話に変わってしまうのです。メディアは、その虫食いの報告書を比較検討し、日中間の相違点を見つけて、それに注目して報道してしまう。そこではもう、対話のプロセスなどは捨象されることになるのです。これがひとつの例ですが、歴史認識をめぐる対話では、歴史家同士と政府、メディア・社会それぞれのレベルにおける話、歴史をめぐる問題の位相が違うという問題に直面します。
 またここに、昨今は難しい要素が加わっています。例えば、今、中国は南京大虐殺と慰安婦に関する歴史資料を世界記憶遺産に申請していて、9月にユネスコで審議されることになっています。内外において歴史をめぐる政策が前面に出ていて、さまざまな対外広報、プロパガンダがなされているのです。こうした中で、いったいわれわれ歴史研究者は何ができるのだろうかと考えさせられています。
 「和解」を研究する人たちの間では、「相手のことを許すけれども、相手の行った行為は忘れない」、これが和解の第一歩であるという議論がなされます。日中、そして日韓の間ではそのレベルには到達していません。政治でも社会のレベルでも、「許さない、忘れない」という状態にあって、「許すけれども忘れない」段階に到達するのはなかなか難しいと感じています。

細谷 日韓関係はいかがでしょう。今年は日韓国交正常化50周年にあたり、それに関連して東京、ソウル、済州島等でさまざまな会議が行われました。西野さんはそうした会議に最も多く出席された研究者です。

西野 私は歴史学というよりはむしろ東アジア、とりわけ朝鮮半島をめぐる国際政治を専門とし、あわせて史料をもとに現代史を研究しています。
 日中、日韓、日米それぞれの歴史和解の問題を考えてみると、日韓関係だけ異なる点があります。日本と韓国は厳密な意味において交戦国ではないということです。日本においては、戦後70年を考える際のひとつのポイントは、第二次世界大戦をどう評価するのか、ということでしょう。しかしながら、韓国においては、大戦の意味づけ以上に、日本の植民地支配、つまり1910年の韓国併合に関する条約から45年の第二次世界大戦終戦までの35年弱をどう評価するのか、ということがポイントになり続けています。
 1965年6月22日に日韓基本条約が調印されて、同年12月に国交正常化がなされました。この時、植民地支配の問題について、両国は玉虫色の決着をつけました。つまり、同条約第2条で、「1910年8月22日(併合条約締結日)以前に大韓帝国と大日本帝国の間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」としました。日本は10年の条約は、本来合法であったものが65年現在は無効になったと解釈し、合法的に植民地統治が行われたという立場をとっています。他方、韓国は条約締結自体が無効であり、植民地支配は違法だと主張しています。結局、51年から65年まで続いた日韓交渉の中で、この認識の差が埋まらないまま、日韓双方が自国の国会に説明できるかたちで、「もはや無効」という文言によって決着をつけたということです。韓国側ではさらに、日韓基本条約の中にいわゆる反省やお詫びという文言がまったく入っていないことが問題になりました。
 しかしながら、1998年に小渕恵三総理と金大中(キム・デジュン)大統領との間で署名された日韓共同宣言が出されました。私はこれをもって形式的には日韓の間で歴史和解は成し遂げられたと見ていいと思います。先ほど、歴史和解は「許すけれども忘れない」ということだとのご指摘がありました。小渕総理は、「痛切な反省と心からのお詫び」を表明し、金大統領はこの表明を評価し、「過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させる」ことが重要だと述べました。つまり、「寛容の精神」が韓国側から表明されたのです。
 にもかかわらず、なぜ今まで問題が続いているのか。日韓両国に事情があるわけですが、今日はおもに韓国側の事情を紹介したいと考えています。

細谷 続いて日米関係についてお願いします。渡部さんは1995年から約10年間、米国ワシントンD.C.のシンクタンクに勤務した経験をおもちで、米国の政策決定者の本音を知る日本では貴重な数少ないリサーチャーです。

渡部 私は日米関係、安全保障を分析・研究しています。歴史家でも外交史家でもありませんので、アメリカ人が歴史問題をどう見ているか、そして日米同盟の機能が国際秩序にどう機能していて、歴史認識とどうつながるのかという切り口でお話しします。
日本、中国、韓国、アメリカの中でどの国が最も違うか。それはアメリカです。第二次世界大戦以降今日までの世界秩序の維持者、覇権国です。
 日本が歴史認識について話す時に気をつけなければならないのは、自虐的にならないほうがいいと考えて東京裁判などを否定しようとすると、日米同盟やアメリカの覇権の否定につながる。すると、日米関係がぎくしゃくしたほうがいいと考える勢力がそこを突っついてくる、ということです。日本はアメリカを現状の秩序を維持している重要な国だと理解し、かつ戦後70年、利益を共有してきたことは忘れてはいけない。それを忘れると、自分が望んでいない方向に話が展開していってしまう。既存の国際関係を否定して自ら墓穴を掘ることのないよう気をつけなければならない。
 主要な欧米のメディアの昨今の焦点は、日本の「歴史修正主義者」が、1930年代の日本の中国への侵略行為を正当化しているか否かということです。日本の一部にそのような人たちがいるのは否定できない事実です。どこの国にも過去を正当化したい人はいます。日本は表現の自由が担保される民主主義国家で、そのような発言も規制されません。
 日本が現実に周辺国に脅威となるような軍備拡大や拡張的行動を行い、既存の国際秩序に対して力によって挑戦しようとしている兆候があるのなら、「歴史修正主義」に敏感になるのは理解できますが、現実にはそうではない。
 また、安倍総理を「歴史修正主義者」とレッテル貼りをする記事も見受けられます。しかし、彼自身は保守的心情をもっているものの、一方で第二次世界大戦後の国際秩序を構築してきた米国との同盟関係を強く支持する政治家です。既存の国際秩序に挑戦するどころか、むしろその維持を強く支持する立場をとっているのです。
 「歴史修正主義」が問題となるのは、過去の侵略行為を正当化することで、未来の国際秩序への挑戦をも正当化しかねないという怖れがあるからでしょう。しかし、現在のところ、アジア地域で既存の国際秩序を力によって変更しようとしていると懸念されているのは日本ではなく、その日本の歴史認識を厳しく批判している当の中国であるというパラドックス的な状況が存在していることに留意する必要がある。
 それから、歴史の和解には終わりがありません。将来にわたっても時おり歴史認識の問題が噴出することを覚悟しておくべきです。そして問題が出てきた際には、自国の生存や国際関係にどの程度影響するのかもよく見る、そして冷静に対処することが必要です。
 今年2月、ギリシャがドイツに対して第二次世界大戦中ナチスドイツによって強要された戦時融資の返済を迫りました。占領に対する損害として、ギリシャの現在の公的債務の半分にあたる1,620億ユーロを請求する権利がある、と主張したのです。このことを知った多くの人は、ギリシャの要求に違和感を覚えたでしょう。しかしながらドイツは淡々と「法律的にも政治的にも解決済み」と冷静に対処していました。「そんなことはもともとやっていない」と安易な自己正当化に走れば、違う流れになっていたかもしれません。冷静な対処の仕方は学ぶべきだと思います。
 細谷さんが最初におっしゃったように、歴史和解は簡単にできるとは思いません。でもだからといって諦めるのではなく、自分の国の不利益を最小にするにはどうしたらいいかを考えることが今後のテーマになると思います。

第二次世界大戦のとらえ方――歴史認識のさまざまな位相

細谷 最初から重要な示唆をいただきました。
 これから4つの質問をします。そのうち3つは今年1月に安倍総理が年頭の記者会見で述べたことです。今年、歴史認識を考える上で、この3つの要素を考える必要があると思うのです。
 一つは先の大戦の深い反省をどのように総括すべきか。これは周辺国からも深い関心が寄せられています。
 二つめは、戦後70年、日本はどのような歩みをたどってきたのか。どのようにして歴史認識の問題を克服しようとし、和解を進めようとしてきたのか。
 三つめに、一つめ、二つめの質問をふまえた上で、これから日本はどのような政策をとったらよいのか。
 そして四つめ、私が付け加えたいことですが、8月に出される歴史認識をめぐる「安倍談話」に何を期待するか、ということです。
 では、まず一つめ、先の大戦を日中、日韓、日米それぞれの関係において、どうとらえたらよいのか、日中関係からお願いします。

川島 先ほど、西野さんから政治レベルでの和解について話がありました。日中関係においても同様の局面があります。1995年の「村山談話」、そして2005年の「小泉談話」が出された時、中国側からすぐにレスポンスがあったわけではありませんが、07年4月12日の温家宝総理の国会演説で明確な回答がありました。2つの談話について、高く評価すると明言しています。政治家の文言のレベルでは、日中関係においても一定の和解ができたといえなくもないということになります。
一方、もうひとつ系列があって、1972年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約、98年の日中共同宣言、そして2008年の戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明の4つの基本文書があります。それらは1972年の「反省」という基調を受け継いだものですし、98年の共同宣言は村山談話の「順守」を明記していますが、これらの文書は、日中間で合意したものです。この「謝罪と反省」を基調とした2つの総理談話と、「反省」を基調とした基本文書という2つのスタイルがあることは記憶しておいていいと思います。98年の共同宣言で交錯してはいますが。
 さて、細谷さんの質問ですが、難しいところです。
 歴史を振り返ってみますと、近代の日中関係は1871年の日清修好条規に始まります。日清戦争までは、日清は対等な関係でした。ところが95年の日清戦争を経て、日本が台湾、澎湖諸島を領有するに至り、不平等条約を締結して不平等な関係になる。しかしながら、これによって日中関係が全面的に悪化したわけではなく、日清ともに近代国家になるという共通の課題をもち、また近代国家の建設において先行した日本が、「近代」のモデルを中国に提供し、とりわけ法律や国家機構、立憲君主などの近代国家の仕組みを、中国から来た多くの留学生が日本で摂取するということが見られました。
 その近代の日中関係が転換するのは、1915年に日本が中国に対して行った対華21箇条要求がきっかけです。これ以後、中国で排日運動、いわゆる反日運動が生じるなど、日中関係が悪化したと見られます。その流れの中で五四運動が起きたわけです。
 日本は1920年代からワシントン体制を尊重する幣原外交において融和的な政策を行ったと評価しますが、中国側の歴史家はまったく違います。日本は明治以来、一貫した大陸政策なるものをもっていて、中国を侵略し続け戦争に向かってまっしぐらに進んだというのが中国での見方です。
 このような日中間の歴史認識のずれは、1930年代となるともっと顕著になります。中国の歴史家は31年の満州事変から45年の終戦までを「15年戦争」とひとくくりにします。これは侵略を基調に置いた見方でしょう。しかし日本の研究者には、33年に塘沽(タンクー)停戦協定で満州事変は終わっているし、33~37年は和平の流れもあるので、日本の侵略がずっと続いていたわけではないという意見が多々見られます。
 とりわけ日中間で大きく異なるのは、先の戦争のとらえ方です。日本に大勝利をしたと考える中国側と、アメリカに対して負けたと考える人が多い日本社会との大きなずれはなかなか埋められません。
 国際連合(国連)の見方もずいぶん違います。中国語で国連は「連合国」。中国は国連を大戦時の連合国の後身と見ています。中国は戦勝国の中心メンバーだったゆえ安保理常任理事国の椅子を得たわけで、敗戦国である日本が安保理常任理事国に入るなどというのは、なかなか理解されません。戦後の日本の国際社会への貢献を考えれば、十分入る資格があると私は考えていますが、中国側のロジックではなかなかそうなりません。
 しかし、そうした歴史認識がどこまで実際の外交に関わるのかということは未知数です。それに、戦前の歴史過程をどうとらえるのかということに関しては、歴史研究者間で史料を共有したり、議論したりする中である程度詰めていくことは可能です。しかしながら、そこから先、つまり問題をどうとらえ、外交上どう使うのか、というのはまた別の話です。歴史認識問題は、その時々において位相が変化しています。中国から見た場合には、歴史認識問題が単独で固定された問題としてあるのではなくて、国内政策、日中関係、対東アジア関係、対世界の諸政策と結びついて意味づけがなされてきていて、時代ごとに歴史認識問題の位相が変化してきたことに留意すべきだと思います。

西野 先の大戦について、韓国は参戦できなかったことに対する残念さ、無念さを今日まで引きずってきています。韓国の歴史博物館のようなところに行くと必ずあるのが「大韓民国臨時政府」の展示です。これは1919年の3・1独立運動を契機につくられた独立運動団体で、光復軍という軍隊組織を立ち上げて参戦を準備していました。だけれども、参戦する前に日本が降伏してしまった。もし光復軍が連合国軍とともに日本に対して戦っていたならば、別の歴史があったのかもしれない――こういう考え方が韓国社会に今でも根強く残っています。
 現実としては、大韓民国臨時政府の位置づけをめぐっては議論があります。国際的には、それは一種の政治団体であって、政府とはいえないという位置づけがなされていますから、なかなか韓国の方々の思いは複雑です。
 先ほど私は植民地支配をどう見るのかが日韓間では重要な問題だと申し上げました。1965年の条約では玉虫色の決着をつけ、そのことを90年代までは政府間では大きな問題にしてきませんでした。しかしながら2000年代に入るころには、1965年当時の締結のやり方自体を否定する認識が韓国内で強くなってきました。
 1965年当時を振り返ってみますと、朴正煕(パク・チョンヒ)政権は権威主義的な色彩の強い政権で、反対運動を戒厳令により抑えるかたちで国交正常化を成し遂げました。しかも、国民が望んでいた日本からの心のこもった謝罪は勝ち取ることができず、加えて思っていたよりも経済協力の額は少なかったのです。もちろん、それをシードマネーとして経済発展をしたことは韓国の多くの方が認めていますが、それよりももっと大事なものをとれなかったのではないか、という認識が強いといえます。それが今日の日韓関係における「歴史認識問題」の始まりです。
 また、日韓関係を考える際にもうひとつ重要なのは、1965年当時、日本が南北朝鮮のどちらを朝鮮半島における正統な政府と認めるのか、あるいは日本は北朝鮮との外交関係を開く余地を残しておくのか、という問題があったということです。これは基本条約の第3条と関わる問題です。
1965年の国交正常化の時点で日韓関係にはこうした問題が埋め込まれており、今になって議論が噴出してきている。いつまでこの状況は続くのか、歴史和解は可能なのか、という今日のテーマにつながってくるわけですが、おそらくは、完全な歴史和解は難しいという現実を直視しないといけないと思います。
 ただし、朝鮮半島との関係でいえば、分断が解消される時、つまり統一朝鮮半島が立ち現れてくると、韓国のナショナリズムのあり方が変わるでしょう。その時に日本は統一朝鮮半島とどういう関係をつくるのか、という観点から歴史和解の問題に取り組んでいかなければならないし、戦後70年、国交正常化50年の節目はそれを今一度しっかり考える重要な契機だと考えています。

戦後70年の総括は現実にそった形で

渡部 歴史認識をめぐっては、日中、日韓関係は複雑ですね。それに比べると日米関係は相対的には単純です。でも日本側の心理はかなり複雑。自分の中でどう納得するかが重要です。
 例えば、東京裁判に関して、敗戦国日本が罪を問われるのはある程度は仕方がないというのは大部分の人が共有する感覚でしょう。他方、アメリカによる原爆投下や東京大空襲こそ大虐殺、国際法違反で、罪を問われないのはおかしいと主張する人もいる。
 また、日本には右派にも左派にもナショナリズムがあります。右派のナショナリズムは保守的で、日米同盟を支持している。ただし、ナショナリズムは自らの過去を正当化しがちなので、反中、反韓ですし、極端に走るとアメリカともぶつかることになる。さらに、今、安全保障関連法案に反対する人の多くに見られるような、左派からの反米ナショナリズムもある。右派も左派も反米につながる要素をもっています。
 歴史問題に関する認識を表明する際には気をつけるべきであることは先ほど指摘したとおりです。日米で認識が乖離すると、それを悪用する勢力が出てくる。それは日本にとっても世界にとっても好ましいものではない。
 日本は戦前、国際協調に向かう世界の流れを理解せず、あるいは無視して、孤立していった歴史があります。しかしながら、戦後日本はそうした道を歩んでいません。例えば、1970年に発効された核兵器不拡散条約(NPT)は核兵器保有国(米、ロ、英、仏、中)以外への核兵器の拡散を防止し、核軍縮交渉を行う義務を定めるもので、現在190カ国が締結しています。日本は核兵器を持とうとすれば技術的には可能なのに、あえて持たない。これは重要な話です。
 日米関係における戦後70年の総括は、日本の総括を要求するところがあります。ただし、その総括を思い込みだけで、現実にそぐわない形でやると、パンドラの箱を開けることになるかもしれない。下手をすると日本が今拠って立つ国際秩序、それを維持するアメリカの覇権と相容れない部分が出てくる。われわれの生きる世界、人類は必ずしも理想だけにそったものではないということを認識して、現実的に折り合いをつけていくことが必要です。
 日中・日韓関係が日米関係と異なる点は、戦後の和解の時期において韓国も中国も民主体制ではなかったため、政府間の合意はあっても国民レベルでの議論や理解が十分ではなかったことです。アメリカは戦前、戦後を通じて民主主義国家ですし、日本も戦後は民主的で国民が自由に議論ができる環境が担保され、民間でそれぞれの歴史認識の違いや矛盾などについて比較的オープンな議論ができました。その意味でも、日韓・日中の歴史的な和解は日米に比べて難しいだろうと思います。
(下につづく)