【書評】『日中 親愛なる宿敵』シーラ・スミス(伏見岳人/佐藤悠子/玉置敦彦訳)(東京大学出版会、2018年)(Sheila A. Smith, Intimate Rivals: Japanese Domestic Politics and a Rising China, Columbia UP, 2015) | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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【書評】『日中 親愛なる宿敵』シーラ・スミス(伏見岳人/佐藤悠子/玉置敦彦訳)(東京大学出版会、2018年)(Sheila A. Smith, Intimate Rivals: Japanese Domestic Politics and a Rising China, Columbia UP, 2015)

September 3, 2018

評者:井上 正也(成蹊大学法学部教授)

本書の概要

論壇紙やネットメディアを紐解くと、急速に膨張する中国に日本がいかに対応すべきかという論考が溢れかえっている。ところが、中国の台頭に直面するなかで、日本の国内政治がいかに変容したかについては、説得力のある答えを示してくれる研究が意外に少ない。

近年刊行された国分良成『中国政治からみた日中関係』(岩波現代全書、2017年)に代表されるように、中国の国内政治という観点から日中関係の変化を読み解いた研究は存在する。だが、「日本政治と中国」というテーマは研究上の空白をなしていると言っても過言ではない。

本書は、アメリカ有数の日本専門家の手によって書かれた現代日中関係論である。著者シーラ・スミスは、豊富な滞日経験を持ち、日本の研究者や政策コミュニティに幅広いネットワークを築いてきた。注釈を見れば分かるように、著者はその人脈を駆使して多くの日本側関係者へのインタビューを重ねている。本書は公文書が未だに公開されていない2000年代の日本の対中外交をめぐる貴重な証言記録でもある。

本書のリサーチ・クエスチョンは、2000年代以降、経済的相互依存を急速に深める日中両国が、関係改善に向けた試みを繰り返してきたにも関わらず、なぜ「対立と和解の間を揺れ続ける」のかという点にある。本書はその答えを政治指導者ではなく、その背後にある社会に求めた。すなわち、著者は台頭する中国を前に日本社会がいかに変容したかに着目し、日本の対中政策決定に関与した多様なdomestic interests(本書では「利益集団」と訳出される)の役割を分析している。

具体的に本書は2000年代以降、日中関係の大きな争点になった四つのケースを取り上げ

ている。

第一は「首相の靖国参拝問題」である。ここでは日本の退役軍人と遺族会の役割に着目しながら、歴代首相の靖国参拝の歴史を概観している。著者は日本遺族会の影響力が会員の高齢化によって減少し、それに代わって靖国が歴史問題をめぐる外国からの批判に反発する人々を結集させる場になっていると指摘する。そして、靖国をめぐる新たなナショナリズムの高揚が日本の戦略的リスクになっていると論じている。

第二に、「東シナ海での海洋権益をめぐる対立」である。1996年に日中両国が国連海洋法条約を批准すると、排他的経済水域の解釈をめぐる両国の対立が顕在化する。双方が海洋調査活動を活発化させた結果、1970年代以降、凍結状態であった日中の領土問題に再び焦点があてられることになった。著者は周辺国に比べて立ち後れていた日本の海洋戦略が、周辺海域での中国の影響力増大に直面したことで急速に整えられていくプロセスを論じている。

第三は、「食品の安全政策」であり、著者は餃子中毒事件をケースとして取り上げている。著者は、従来外交問題とはほとんど関係のなかった食品安全問題が、経済的相互依存の深化によって、消費者団体や監督官庁などを巻き込み、両国関係を揺るがせる事態になったと指摘する。先の二つのケースが日本国内では比較的知られたものであるのに対して、食品安全問題というあまり注目されてこなかったテーマを掘り下げた点で、本書の独自性は高く評価されよう。

そして第四は「島嶼防衛」である。前述した東シナ海における海洋権益議論の延長線上にある2009年と2012年の二つの尖閣危機を取り上げ、この問題が日本の安全保障について深刻な不安を引き起こしたと著者は主張する。すなわち、中国との危機の拡大によって次々と引き起こされる新たな事態に対して、日本の政策調整メカニズムが機能不全にあったことは国民の不安感を惹起した。そして、事件の勃発は、日本の尖閣領有への国民的支持を動員しようとするナショナリズム運動に火を付ける結果になったと筆者は論じている。

これら四つのケースの分析を通して筆者は、日中関係の悪化の要因にいかなる答えを示したのか。第一に、経済的相互依存の深化によって対中政策に関与するアクターの多様化が進んだ点である。かつての日中関係では、経済的相互依存が広がるなかでも、経団連や自民党を軸に利益が集約可能であった。実際1980年代には、経済関係の深化が歴史問題をめぐる政治的緊張を抑制する役割を果たしていた。しかし、このような時代は終焉を迎え、現代日中関係は争点毎に異なるアクターが関与するようになり、紛争解決は容易ではなくなったのである。

さらに第二に、日本の政治改革と中国の台頭の時期が一致した点である。海洋権益や消費者保護といった問題は、中国の台頭によって顕在化した新たな問題群であった。だが、日本の既存の統治システムはこれらの新たな問題に迅速な処方箋を示せず、国民の不満が高まりつつあった。それゆえ、政治改革の過程において、これらの問題群に毅然と対応できる政治家や政党への支持が集まる結果になったのである。

本書の評価

本書の特筆すべき点は、日中関係悪化の原因を単純な「右傾化」や「軍国主義化」に帰することなく、日本社会の変化を通じて政治的緊張化のメカニズムを説明しようとしている点であろう。著者も述べるように、いわゆる「右派・保守派」と「左派・革新派」の対立軸で中国政策を論じることは既に時代遅れとなった。

例えば、尖閣問題について著者は、中国に対する日本国民の不安の高まるなかで、日本政府が有効な対応策を打ち出せないなか、元来政策形成の周辺に位置していた「運動家集団」の過激な主張に、主流派の政治家が共鳴したと説明する。ファナティックな領土ナショナリズムに社会が押し流されたのではなく、世論を背景にした政治家の合理的選択の積み重ねの帰結として、中国脅威論が広く日本社会に受容されていったことを説明する著者の議論には説得力がある。

著者も論じるように、日中関係の緊張は、特定のイデオロギーを持った勢力によって創り出されたものではなかった。2000年代の日本外交は、中国の台頭に対抗する一貫したグランド・ストラテジーを持たなかった。四つの事例研究が明らかにするように、日中関係の悪化は、異なる利益集団が独自に影響力を行使した結果であり、その帰結もそれぞれ異なるものであった。そして、これらの事例に際して日本が示した反応は、「根本的転換」ではなく、あくまで「漸進的な政策調整」にとどまった。著者は多元的な利益が介在する複雑な政策過程を通じて、日本が中国の台頭という新状況に「適応(adaptation)」したと説明している。

しかし、以上の説明には疑問も残らないでもない。例えば、著者は日中関係の緊張要因を利益集団の多様化に求めるが、それは日本政治を「多元主義モデル」として捉える古典的見方に影響され過ぎているのではないか。例えば、小泉首相の靖国参拝は日本遺族会の支持獲得という狙いが存在したことは事実である。だが、小泉が中国の強い反対にも関わらず参拝を強行できたのは、派閥という「利益集団」を無視できるようになった制度的変化によるところも大きかったのではないか。本書の欠点は、日本の政治改革への言及が政党システムの変化に限られ、同時期に進められた統治機構改革についてほとんど言及されていない点である。

90年代の小選挙区制導入による派閥の衰退と、統治機構改革による首相のリーダーシップ強化は、対中外交を含めた日本の対外政策決定プロセスに大きな影響を及ぼした。その点を鑑みると、21世紀の日本外交が、本書の主張するような利益集団の多様化と並行して、政治指導者の価値観がより外交政策に反映されやすい状況になっていることも無視すべきでない。

最後に中国の台頭に対する「適応」を終えた日本外交は今後どのようになっていくのか。

著者は中国の台頭によって、戦後日本が歩んできた歴史に対する自己肯定に揺らぎが生じていると指摘する。長年の取材を重ねてきた日本専門家らしい慧眼である。敗戦国日本が経済復興を成し遂げた背景には、平和憲法による軍事力の自己規制、アメリカに対する戦略的依存、そして自由で開かれた国際貿易秩序への関与という要素が存在した。だが、中国の台頭とトランプ政権のアメリカによって、戦後日本が自明としてきた幾つかの規範は明らかに揺さぶられつつある。

そして、第二次安倍政権の外交を見たとき、司令塔的な国家安全保障会議が設置され、積極的平和主義に基づく「地球儀を俯瞰する外交」が展開されている。その評価はさておいて、安倍政権の外交は台頭する中国に対する日本の大方針を示すものであり、グランド・ストラテジーを欠いた日本外交という著者の評価とは明らかに異なる状況が生じつつあるように思える。中国という鏡に映された日本政治を巧みに描き出した本書の続編を望むのは評者だけではあるまい。

    • 政治外交検証研究会メンバー/成蹊大学法学部准教授
    • 井上 正也
    • 井上 正也

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