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その他
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日付
2018/11/19

【書評】『政権交代の政治力学 イギリス労働党の軌跡 1994-2010』今井貴子著(東京大学出版会、2018年)

評者:高安 健将(成蹊大学法学部教授)

 

政権交代と現代政治

 本書は、政権交代論と福祉国家再編論を接合した領域を対象とする研究書である。いずれも日本政治にとっては「高嶺の花」になりつつあるが、政治学的にも現実政治的にも重要なテーマである。特に、日本では政権交代は政治を不安定化させる「望んではならぬ夢」のように扱われる向きもある。しかし、日本政治が範としてきた英国では現実に政権交代は起き、政治の刷新が行われているようである。政権交代はどのように英国政治の中では起きるのであろうか。

 英国においても、確かに政権交代は頻発する現象ではない。それは政権党が敗北して初めて起きる現象であるが、だからと言って野党が何もせずに「棚から牡丹餅」で実現するものではない。本書は、福祉国家再編期の英国政治における働党、特にトニー・ブレア党首下の労働党を研究対象としている。本書は副題に「1994-2010」と記して時代設定をしているが、実質的には1979年から2015年までをカバーしており、本書からは現代英国政治に関する長期的な見立てを得ることができる。

 ブレア政権と「新しい労働党(ニュー・レイバー: New Labour)」に対する関心は日本でも高かった。しかし、ブレア政権に対する評価は定まっているとは言えない。それは恐らく英国においても同様であろう。ニュー・レイバーはサッチャリズム第二弾なのか、あるいは逆にニュー・レイバーは古い労働党と変わりないのか。1997年に圧勝したにもかかわらず、ブレア政権はなぜ一層の改革に踏み込まなかったのか。労働党政権の政策効果は誤差のうちで、政権交代も大きな変化をもたらすことはなかったのか。政権交代は人気のある指導者さえ登場すれば実現するものなのか。労働党政権下で絶好調にみえた英国の政治経済はなぜ政権末期に急速に状況を悪化させたのか。なぜブレアとブラウンの労働党は以降評判が悪いのか。本書は、こうした興味深い疑問に答えを提供してくれる研究書となっている。

 本書には大きく分けて三つの「問い」がある。第一に、労働党はどのようにして党の「現代化」を実践したのか。「現代化」とは何を意味し、それを形にした総選挙マニフェストはいかなる内容をもち、いかなる過程を経て形成されたのか。第二に、公約の実現可能性を予め担保するためにどのような準備が行われたのか。第三に、政権交代後、公約はどのように実践され、政権党としての労働党は英国の政治社会に何をもたらしたのか。

 本書の鍵概念は「制約の中の裁量(constrained discretion)」である。政治アクターは、目指す政策、目指す社会を実現する上で、制約を受けている。しかし、全てを構造によって規定されているわけではない。アクターには裁量の余地がある。本書で注目する制約は、経済的制約、制度的制約、政治的制約の3つである。経済的制約とは、例えば均衡財政への圧力であり、制度的制約とは福祉国家やサッチャリズムという言葉に象徴されるように、すでに採用されたレジームの「経路」である。政治的制約とは政党間競争や選挙あるいは選挙結果を指す。アクターはこうした制約の中で裁量の余地を模索する。

 より具体的に言えば、現代のサービス経済のもとでは、国家は、ある種のトリレンマに直面しているという。すなわち、均衡財政、雇用の最大化、社会正義の三つは同時に実現することが難しく、二つを選択すれば一つは犠牲にせざるを得ないというのがそのトリレンマである。政治アクターは、このトリレンマに直面する時に、上記の制約を受ける一方で、 支持調達(有権者・市場・メディア)、意思決定構造、政策アイディアという権力資源を活用して政策を構想し、その実現を図る。これがトリレンマへの対応となる。本書では、分析対象として、労働党の財政政策と雇用政策そして社会福祉政策に注目する。さらに本書は、こうした政策がどのようなパフォーマンスを示すのかにまで最終的な関心を寄せる。

 労働党は、多方面から政策アイディアを調達することで権力資源を増大させ、政権交代の実現と長期政権の維持へと繋げていった。本書からは、例えば、総選挙に先立って、ときの首相が次官級の官僚と野党幹部が接触する機会を認める慣習(ダグラス=ヒューム・ルールズ)といった、野党の政権準備を促す英国政治特有の制度措置が、野党の権力資源となり、政権交代後には、円滑な政権の始動、そして政権公約の早期の実施を可能にしたことがわかる。選挙制度が小選挙区制であるというだけで、政権交代のあるデモクラシーが実現する保障はない。政権交代を論じるに際しては、政党にのみ焦点を当てるのではなく、「責任ある野党」を醸成する政治の仕組みを併せて考察することの重要性を本書は喚起している。

 

本書の構成

 次に本書の構成について紹介したい。

 序章は問題設定とこれに取り組むにあたっての理論的概念的道具立てを整理している。

第1章「ネオ・リベラリズム時代のイギリス政治」

    ニュー・レイバーが登場するまでの文脈を整理する。特に戦後の「合意の政治」からサッチャリズムの登場までが重要な文脈を形成していることを明らかにする。英国の福祉国家体制は戦後のケインズ・ベヴァリッジ型福祉国家に規定される一方、労働党と保守党の間の政権交代を経て定着したことがその性格に影響を与えてきたことを確認する。さらに1980年代には、保守党が新しい支持層の取り込みを図りつつ政策刷新を進め大きな政策転換を進めたことが説明されている。政権交代と政策展開のつながりは強い。その上で、1980年代における労働党の組織的政策的変化が描かれる。均衡財政の受容や職業教育訓練に投資する「供給サイド社会主義」への採用は重要である。

2章「ブレア政権の誕生」

    1992年総選挙での労働党の敗因が検討され、その上で、スミス、ブレア両党首時代に、「第三の道」について複数の路線があったことが示される。特に重要であったのが、スミス党首下で作成された報告書『社会正義—国家刷新のための戦略』である。この報告書は、スミス党首によって設置された「社会正義に関する委員会(CSJ)」(ボリ委員会)によるものである。内容は、「ステーク・ホルダー社会」構想や社会的投資国家構想につながる供給サイド社会主義を軸とし、保守党の規制緩和派に対抗する投資派と位置付けられた。報告書では、適切な賃金と職業訓練とが一体となった福祉と雇用の連携を目指すとしており、供給サイドへの介入とともに需要サイドへの介入による完全雇用政策を掲げ、労働市場の外部あるいは移行過程にいる人々の尊厳と自立を重視して中間的労働市場の相互補完的役割にも目配りをしていた。この報告書は、貧困に対する予防的な積極的福祉への党の政策転換を宣言するものであった。これに対し、ブレアが党首に就任して以降、財政規律を重視するブラウンが影の財務相に就任したこともあり、『社会正義』は相当の財政支出を伴うとして積極的に受け入れられることはなかった。

 野党時代の労働党には複数の「第三の道」の原型が存在していた。そうした政策アイディアの源泉は、多様で、シンクタンク、学識経験者やジャーナリスト、ヴォランティア団体代表や経営者などがおり、豪州、スウェーデン、アメリカ、欧州委員会の経験から多くを参考にしていた。ブレア党首時代になると、特徴的であったのは、欧州よりもクリントン政権からの影響を強く受けるようになったことであるという。

3章「ブレア労働党の党内革命と右旋回」

    ブレア党首が抑制的な政策展開(右旋回)を志向するようになるターニング・ポイントについての検討が重要である。党内で高い自律性を確保することに成功したブレアは満を持して、1996年に「ステーク・ホルダー」構想を発表する。この構想は、効率性と社会正義を同時に追求する中道左派の構想であった。この構想は、企業を「コレクティヴな保証の担い手」として位置付けた上で、 労使関係、産業政策、福祉国家、教育の改革を網羅した包括的政権構想となっていた。しかし、この構想は、経営者団体、金融界、メディアから集中砲火を浴びてしまう。ブレアはこの大炎上に驚き、あっというまにステーク・ホルダー構想を「たんなるスローガン」と称して立場を後退させてしまう。ブレアは、この構想に挫折したことで、「左」の限界点を見せつけられたと感じ、以降、労働党の政策を急速に「右」の方向に移動させた。本章では、ブレア党首の当初構想の挫折の過程を描くことで、「制約」をアクターが実感する状況が説得的に再現されている。

第4章「総選挙マニフェストの形成過程」

    マニフェストの形成過程を追跡することで、ブレア党首がなぜ抑制的なマニフェストを作成することを選択したかが描かれている。ブレア党首らは、総選挙での連勝を実現しようと圧勝を求め、中間層が求めるものを見定めるべく、世論調査やフォーカス・グループを積極活用し、公約には実現可能な事項のみを記載するべく絞り込みを行った。スミス肝いりの報告書「社会正義」を骨抜きにし、ステーク・ホルダー社会構想からも離反することを選択した。党内からは、経済界と中間層(ミドル・イングランド)に配慮し過ぎであるとの批判も出た。排除された人びとを放置すれば、そうした人びとが「極右に向かう可能性」をもつことがすでにこの時代に指摘されていたことは興味深い。しかし、ブレアは1992年総選挙敗北の原因と捉えていた、労働党に対するネガティヴ・キャンペーンに脅威を感じ、ミドル・イングランドと経済界の支持を最重要視した。他方、ブラウンは、ブレアと比べて、信頼さえ獲得し維持できるのであれば、人びとの警戒感を惹起しない「ステルス(=みえない)」の増税や公共サービスの充実を可能とみていた。マニフェスト起草の過程では様々な政策アイディアが排除されたが、政権発足後にそうした政策アイディアが政策選択肢の蓄積になったとの指摘は、野党時代の準備の重要性をまた一つ示している。

5章「労働党政権の制約と裁量」

    政権発足後のパフォーマンス(業績)について検討されている。ブレア政権は、総選挙では圧勝しながらも、有権者からの支持は必ずしも圧倒的だったわけではない。保守党の政策に対する「継承戦略」が採用されたのは、市場やマスメディア、世論の信頼を獲得するためであった。特に、ブレア政権は、有権者が負担増を受け入れないという前提から出発しており、政権発足当初、歳出増はできないと判断していたため、政権の言説と政策運営の実態にずれが生じることになった。スピンの多用である。ブレア政権の評価が定まらない背景に、政権の言説が実態を必ずしも反映していなかったという事情がある。

 これに対し、本書は、政策内容を精査することで、ブレア政権の政策が、いわゆるトリクル・ダウンではなく、分配のための介入的政策を駆使していたと評価する。ただ、労働党政権の政策に問題がなかったわけではない。例えば、教育政策では、保守党政権時代に導入された競争、多様化、選択といった市場原理をさらに推進したことから、中間層のスペシャリスト学校と荒廃地区の学校との格差は拡大する結果となった。また、労働市場改革では、雇用の柔軟化(=就労義務化)による雇用拡大を進める一方、公的な就労支援は少なかったことから、パートタイム労働が拡大し、就業率が高まるほどに不平等が拡大するという矛盾を生み出した。こうした政策的傾向は、政権2期目に特に健在化したという。

6章「労働党政権の功罪」

    ブレア政権の評価をまとめ、その後の展開を記している。まず、労働党政権を支えた経済成長については、金融部門の好調、労働力コストの抑制によるサービス部門の成長、個人の借入、資産バブルに依拠していたと簡潔に整理されている。これが成長戦略だとすれば、ニュー・レイバーの基盤は脆弱であったと言わざるを得ない。ブレア・ブラウンの両労働党政権は、サッチャー政権の方向性が「投資なき改革」であり、従来の労働党が「改革なき投資」だった一方で、自らは「投資とともに改革を」志向していたと強調する。これに対し、本書は、一定程度の賛成を示す。本書は、労働党政権による選別的な所得補償や各種自立支援サービスは、貧困を軽減する効果をもっていたとし、「トリレンマをある程度解消し、人々の生活水準の向上『を』もたらした」、「これらの実績がたんなる誤差の範囲に過ぎないとみなすのは、困難な時代において政治がもちうる可能性の芽を摘むことにつながるのではないか」と踏み込んで評価する(本書228頁)。

 反面、労働党政権の再分配政策の対象から外れた世帯は貧困状態が改善しない一方、中間層は所得が伸びず、収入もキャリアも不安定化したという。労働党政権の再分配政策は、残念ながら、社会移動の停滞、格差の固定化と拡大を招いた。労働党政権のもとでは、就労は貧困脱出の道とならず、上昇の社会移動にも結びつかなかったことから、構造問題を変えることはできなかった。

 さらに、本書は、労働党政権が、「富裕層、不安を抱える中間層、貧困層といった社会の分断を乗り越えていくことができない」として、これを同政権の「重大な限界」と捉えた(本書228頁)。労働党政権には、教育や就労支援を通じた就労可能性の向上が貧困の解消や機会の不平等の是正につながるという過度の楽観があった。加えて、同政権は、財政上の制約と、市場と中間層の要請に敏感であったため、就労支援や社会的排除への取り組みを安上がりにして選別的に実施した。総括をすれば、ネオ・リベラリズムの性格を色濃くもつアングロ・サクソン型成長モデルを修正せずに、トリレンマを解消しようとした政策デザインそのものの限界があったというのである。

 政権交代の教訓は本書の以下の言葉に集約されている。

「厳しい制約の中ではあっても、政権党は確実に最良の余地を見出すことができる。その裁量をどの程度発揮できるかは、為政者の権力資源によって規定される。その権力資源の在り方や資源を投じる上での志向性や戦略には、政権を獲得する前の野党期の政治過程と野党をめぐる政治制度が大きく作用する。/ 『制約の中の裁量』をいかなる政策領域で最大化するかは、為政者の目的意識によって決まる。」

 

問題意識から実証へ—本書の意義

 本書の独自性は、第一に、冒頭に述べたように、政権交代論と福祉国家再編論を接合したところにある。これら二つの分野は接点領域である一方で専門性も高く、接合は必ずしも容易ではないが、本書は、福祉国家再編論の知見を活用することで、ブレア政権の政策的位置付けを行い、その上で政権交代が何を実現できるのか、その可能性と限界を探る研究となっている。本書の核心は、政権交代のあり方、政権を獲得する野党の準備が福祉国家再編のあり方を規定した、との主張である。

 第二に、本書の論理構成と展開は緻密かつ明快である。第三に、政党間競争と政策構想から政策パフォーマンスに至る長い連鎖を射程に入れた研究となっている。第四に、本書は豊富な一次資料と当事者のインタヴューを活用することで、政策的な展開や政治的背景について立体的かつオリジナルの分析を提供することに成功している。第五に、本書は政権交代論と福祉国家再編論それぞれについての学問的規範的含意を導き出している。本書は、英国政治特に労働党の研究であることから何らかの一般的結論を安易に導き出すことは必ずしもできない。それゆえに、本書は含意を抽出するのに禁欲的である一方で、これから逃げることもない。

 日本政治にあって安定的な政権交代は、1994年政治改革以降の未完のテーマである。英国においても、議院内閣制がエリート主導の権威主義に堕することなく、リベラル・デモクラシーと矛盾しないためには、政党間競争と政権交代が決定的に重要な要素である。同時に、福祉国家再編は今後の政治経済社会の安定性を確保する上で避けて通れない課題である。政権交代といった権力闘争に規定されることを自覚しつつ、労働党政権の功罪を知ることは、今後の福祉国家再編を考える上で大きな参考となろう。