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【書評】『軍備の政治学― 制約のダイナミクスと米国の政策選択』齊藤孝祐著(白桃書房、2017年)

September 19, 2017

評者:武田 悠 (神奈川大学人間科学部 非常勤講師)

1.本書の目的

冷戦終結後の米国は、ソ連という敵を失い、財政上の制約も厳しくなったにもかかわらず、先端技術に支えられた軍備の研究開発を進めた。その過程で進んだRMA(Revolution in Military Affairs)と呼ばれる軍事技術や組織の革新は、武力行使のハードルを下げたとも言われる。それは現在に至るまで、超大国たる米国の軍事力を支えるだけでなく、米国以外の国にとってもモデルとなってきた。本書は、そうした技術開発重視の政策がなぜ推進されたのかを明らかにしようとしたものである。

特に本書が注目するのは、軍事戦略や財政制約、経済的効果、新しい技術の可能性といった様々な要因が重なり、軍事力の量よりも質が選択されていく過程である。とはいえ、軍備政策に関する公開資料は少なく、研究は難しい。そこで本書は、予算が決定される米連邦議会での議論をとりあげ、どのような論理で新たな兵器や技術の研究開発が正当化され、予算が配分されたのかを検討している。

2.本書の内容

こうした目的のため、本書は全体の構成に触れた序章と結論を述べた終章に加え、以下の7章からなる。

第1章 本書の分析視角

第2章 レーガン軍拡期における通常兵器技術の開発

第3章 脅威の変容と軍備の論理―1989年

第4章 脅威の後退と研究開発投資の重点化―1990年

第5章 湾岸戦争と政策転換の加速―1991年

第6章 マクロトレンドの変容と個別の政策論争―研究開発・調達プログラムの分析

第7章 イノベーション志向の装備調達政策―冷戦終焉後の履行とその定着

第1章では、分析枠組みが提示される。まず本書が注目する軍備の選択に関わる具体的な問題として、現在の脅威に備える調達か将来の脅威に備える研究開発か、また研究開発の中でもどのプログラムを選ぶか、という問題が提示されている。先行研究は他国との競争や模倣といった国際レベルの作用・反作用、国内レベルで軍拡を進める利益や仕組みの制度化、新技術の発展による圧力という3つのレベルのいずれかに依拠して軍拡を説明しており、これらの選択がどうなされるのかが明らかになっていないとされている。

本書はこれら3つのレベルについて、軍拡を進めるだけでなく制約する要因もあることを重視する。各レベルに存在する推進・制約双方の要因の間の関係に注目し、それらが推進・制約の方向にそれぞれ単独で働くのではなく、連鎖することで新たな方向性を生み出しうる、という議論である。この点を検討するため、米連邦議会、特に軍事委員会が開催する公聴会での議論に注目するのが、本書のとった方法の大きな特徴であると言えよう。

続く第2章から第5章は、1980年代から1991年にかけて、アメリカの軍備政策がどう変化していったのかをこの枠組みの下で検討している。

第2章では、レーガン政権期の軍拡が取り上げられる。当初は調達の拡大による量的軍拡が進んだが、1985年以降、財政赤字などが理由となって国防予算が縮小に転じる。そのためレーガン政権は、ソ連に対して優位にある分野での研究開発を一層重視する「競争戦略」をとった。調達予算は急減し、研究開発予算は増加した。

第3章では、こうした研究開発への取り組みがソ連の脅威の後退によって是非を問われた、1989年の国防予算をめぐる議論が取り上げられる。この時期には、財政赤字削減を求める声はますます高まった。これに応えて、調達よりも新技術への投資を進めることで効率的な軍事力を構築しようという提案もなされた。ただ、国防総省や軍、議会はいずれも、ソ連の軍事力や第三世界への兵器拡散を警戒していた。そのため、研究開発に失敗し、現在直面する脅威に対応できなくなるというリスクが懸念された。最終的に決定された国防予算は、総額も調達費と研究開発費の割合も現状維持となった。

とはいえこの間に、研究開発への投資は、ソ連への対抗策から財政制約下の効率的な軍事力構築へと、その理由を次第に変化させていった。残るハードルは研究開発に失敗した時のリスク、すなわち現在の脅威をどこまで深刻と見るかであった。

第4章では、この脅威認識がますます低下した1990年の国防予算をめぐる議論が取り上げられる。国防総省や軍も含め、ソ連の脅威の後退は誰もが認める現象となったが、代わって第三世界への兵器の拡散や地域紛争といった新たな問題が顕在化し、脅威は多様化した。1990年8月のイラクによるクウェート侵攻は、新たな脅威を象徴するものであった。

こうして研究開発が失敗した場合に直面する現在の脅威は小さくなり、財政制約は大きくなった。それに伴い、研究開発は多様な脅威に対応しうる新たな能力を、効率的に構築するものと位置付けられた。そのため国防予算は全体として縮小され、調達費も大幅減となった一方で、研究開発費の削減は小幅にとどまった。

また防衛産業に関しても、議会では、調達の縮小に伴う生産ラインや産業基盤の縮小はやむを得ないとされた。代わって重視されたのが、技術的な優位を維持するという軍事的な考慮に基づく、研究開発への投資であった。民生技術の発展もあって、軍事支出に公共投資としての効果もあるという議論は次第に妥当性を失い、むしろ防衛産業は生産能力が多すぎるという認識の下で取捨選択が進められた。

第5章では、湾岸戦争において新たな技術への期待が高まり、このような研究開発重視の傾向が明らかとなった1991年の国防予算をめぐる議論が取り上げられる。1991年の湾岸戦争は、第三世界の脅威とそれに対応する際の先端技術の有用性を実証した。ソ連経済の悪化も、ソ連製兵器が拡散するという懸念につながり、それに対抗するための研究開発を正当化した。それゆえ国防予算においても、湾岸戦争で活躍した航空機や無人機などの研究開発が重視されることとなった。

第6章では、前章まで検討してきた研究開発重視の傾向が、個別の兵器開発計画にどう影響を及ぼしたのかが検討されている。具体的に取り上げられるのは、新冷戦以前に始まった大型の先進的な兵器である、5つの航空機開発計画である。湾岸戦争での情報収集で有用性を示した大型機JSTARS、開発中止を主張する国防総省と研究開発を重視し継続を主張する議会の間で対立が激化したティルトローター機V-22、効率化よりも先端技術の獲得が目的となった戦闘機ATF、他の現行兵器の調達との間でいずれが効率的なのかが問題となった多目的ヘリコプターLHX、そして必要性は認められつつも難航する技術開発が問題となって中止された艦載機A-12と、各事例で登場する論理や帰結は様々である。

しかしいずれの事例も、脅威の後退と財政の制約、そして新たな技術の可能性が新兵器開発による軍備の効率化を支えた。それら3つの要素が、様々な批判にも関わらず、JSTARSなどの開発を進めたのである。また唯一開発が中止されたA-12の例では、深刻な海軍航空兵力の不足ゆえに脅威の後退という条件が消えた形となり、技術開発のリスクが許容されなくなった、という興味深い推察がなされている。

第7章では、以上のような冷戦終結前後の流れが定着していく1993年から2000年までが概観されている。この時期には、ソマリアなど地域紛争への介入による作戦維持費の増大、中国脅威論の高まり、民主党のクリントン政権によって進められた財政赤字の縮小、上下両院を支配する共和党による国防予算増額の主張といった変化はあったが、先端技術に支えられる効率的な軍事力という方向性は変わらなかった。大幅削減が続いてきたことによる「調達の休日」によって新兵器の調達が進まず、近代化が阻害されるという問題ゆえに、調達費は再び拡大し始めたが、それも予測の範囲内であった。そして何より、研究開発費を削減し調達費を確保するというかつてと逆の方法は、財政赤字の縮小も相まって、1990年代末にはもはや議会に許容されなくなっていた。こうして米国に、技術依存型の軍備が定着することとなった。

終章では、研究開発重視の政策への転換の過程と、脅威認識の変化や財政制約といった要因がまとめられている。その上で最後に、脅威の後退という国際要因と財政の制約という国内要因は、軍備調達の必要性や妥当性を低下させる一方、研究開発のリスクを受け入れる余地を広げ、新たな技術の可能性と結びつくことで研究開発を重視する政策を生んだ、と諸要因の間の連関が整理され、締めくくられている。

3.評価

本書の主な価値は、冷戦終結前後の米国の通常戦力という限られた例ではあるが、軍備政策の背後にある論理を明らかにした点にあると言えよう。特に、軍備拡大を妨げる要因とされてきた脅威の後退や財政の制約が、技術の可能性と組み合わさることで研究開発への投資という質的軍拡につながったという議論は、従来の軍拡に関する議論をより精緻にしたものと言える。

また、軍備政策を正当化する論理に注目し、それを実証するために議会での言説に注目するという方法の有用性を示したことも、本書の貢献の一つであろう。軍備の拡大については米国に関するものを中心に多くの研究があるが、その多くは発表された戦略や政策、予算に焦点を当てている。しかしそれらはいわば結果であり、結果を解釈するためには、結果を正当化する論理に注目する必要がある。こうした作業を米国という事例について行うために著者が注目したのが、米議会での議論であった。

とはいえ、評者も何度か利用した経験があるが、公聴会の議事録や委員会の報告書といった議会資料は、膨大かつ冗長なものが少なくない。それらを読み込み、既存の軍拡に関する理論と照らし合わせ、いくつもの論理の間の連関を見出した本書の成果は高く評価されるべきである。

一方で、著者の更なる議論を聞きたい点も残されている。

まず本書は、著者が指摘する通り、ある政策を正当化する言説を抽出したものであって政策の決定過程を追ったものではない(54頁)。しかしそれでも、第3章から第5章にかけて引用されている議会資料は、それぞれの年の国防予算等に関する議会での審議に関わるものである。それらの資料がどのような性格のものか、また本文中に登場する軍事委員会や各小委員会での審議が国防予算の作成過程においてどう位置付けられるのかが明らかにされていれば、著者の主張はより説得的になったのではないか。例えば第4章では、研究開発による効率的な軍事力の構築を目指す上院軍事委員会と更なる予算の削減を求める予算委員会の対立が描かれているが(142-143頁)、そうした背景まで踏み込めば、両者の対立が軍備をめぐる論争においてどの程度重要であったのかが、より明確になったように思われる。

また2つの論理が対立する場面で、片方の論理が採用された理由が明確とは言えない場合も見られる。例えば湾岸戦争は、実際に活躍した現行兵器の調達ではなく、将来の兵器の研究開発を促進した(162-163、171-172頁)。著者はこれに対して、財政制約下で長期的な効率性を求めるという方針が強かったため、という理由を提示している。しかしこれについては、湾岸戦争直後の状況に即してより具体的に論じられてもよかろうし、LHXに関する議論で触れられている通り(218-219頁)、湾岸戦争で有効性が認められた兵器が改修されつつ調達された例もあることをどう説明するか、という問題もあろう。

最後に政策的には、著者が指摘するように、本書が検討した研究開発重視の軍備政策が果たして長期的に成功したのかという問題が重要であるように思われる(302-304頁)。2000年代以降の米国は、兵器価格の高騰や調達費の不足による近代化の遅れといった問題に直面した。また技術的優越を重視するという方針自体、2003年のイラク戦争では成果を出したものの、それ以降の対テロ戦争では批判を受けることも少なくない。冷戦終結後の米国の軍備政策をどう評価するか、また米国自身がどう評価し、どう軍備政策を修正したのかについては、更に時期を拡げて対テロ戦争時代も射程に収めた著者の研究に期待したい。

    • 神奈川大学人間科学部 非常勤講師
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