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その他
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2018/4/3

【書評】『冷戦の終焉と日本外交 鈴木・中曽根・竹下政権の外政 1980〜1989年』若月秀和著(千倉書房、2017年)

評者:佐藤 晋(二松学舎大学国際政治経済学部教授)

 

なぜ歴史研究は重要なのか

 本書は1980年代、つまり「新冷戦」期から冷戦終焉期にかけての日本外交について、一次資料をもとに叙述した歴史研究である。いわば20〜30年前の「近い過去」の歴史である。したがって—著者は積極的な情報公開請求と関係者への聞き取りによって補っているのであるが—それでもそれ以前の時代に比べれば資料的制約は免れない。そのような時代を対象とする場合、新聞報道やジャーナリストの著作といった、その当時に流布されていた解釈が主に信じられることになる。客観的経緯を記録した公文書は未だ公開されず、当事者の回顧録や日記も未だ刊行されていない、そういった時期に現実理解の頼りとなるのは、その時々の常識的な見方やメディアの報道ほかの情報であり、それが通念として定着していくことになる。

 古来、世界は神々の創作物とみなされていた。世界の出来事を司るのもまた神々の仕業であった。こうした神話的世界観に最初に攻撃を加えたのがトゥキュディデスであった。トゥキュディデスは、それまで神話、またはその延長として理解されていた過去を客観的な証拠にもとづいて解釈することで打破していったのであった。すなわち「神話」を「歴史」によって置き換えていったのである。そのトゥキュディデスは、「私の書いた歴史に物語が欠けていることが、その興味をいくぶんか殺ぐのではないかと恐れる。しかし、もしそれが過去についての正確な知識を求め、未来……を解釈する一助にしようとする研究者によって有益なものと評価されるのであれば、私は満足しようと思う」と述べている(トゥキュディデスに関しては、すべてエルンスト・カッシーラー著、宮田光雄訳『国家の神話』講談社学術新書、2018年、による)。将来に役立つような教訓を得るためには歴史研究が欠かせないのであり、それはその時々の常識的な見方が否定されないまま引き継がれていった結果としての「伝説的な理解」を「歴史的な理解」に置き換えていく作業である。

 資料が十分に公開されて豊富な研究が蓄積されている時代の研究に比べて、「近い過去」はどうしてもその時々の常識的な見方に支配されがちである。しかも、その中には「神話的歴史観」とも言えるような史実に基づかない理解も存在する。そのような通念を、一次資料に基づいていちいち打破していくことこそが歴史研究者に課された使命であろう。その意味で本書は1980年代の日本外交に関する伝説的解釈を打破するための第一陣の著作と言えるであろう。例えば、これまでの通説では、日本の「西側の一員」路線は、大平内閣で台頭したものの鈴木内閣で後退し、それを中曽根内閣が再建し一層推進したものであると理解されていた。そこでしばしば引証されるのが、いわゆる「日米同盟」事件である。もともと大平正芳首相は日米安保関係を「同盟」と呼称していた。それを

訪米時の日米共同声明において「日米同盟」という語が使用されたことを記者会見で質

問された鈴木善幸首相が「軍事的意味はない」と発言し、これに伊東正義外務大臣が抗

議して辞任したという事件である。この事実を提示された読者は、中曽根康弘首相の発

言として知られる「不沈空母」が実は大平首相がすでにカーター大統領との首脳会談で

使用していたことを知るならばなおさら、大平と中曽根の対米協調路線における鈴木時

代による断絶を強く意識することになろう。しかし、本書の著者は一次資料に基づいて、

そのような通説に攻撃を加える。

 すなわち、鈴木内閣がアメリカからの軍事的貢献要求に反発して、いわば「つっぱり」を見せたことで、相手の主張の柔軟化を引き出し、その後の日米協調関係に道を開いた、すなわち中曽根の対米協調外交を用意したとして評価するのである。これは同じように日韓関係の進展についての理解にも適用される。日韓関係の悪化を引き起こした鈴木内閣に対して、中曽根首相は就任後いち早く訪韓し対韓援助問題の難題を処理して日韓友好を演出したという通説に対し、鈴木が韓国からの要求に厳しく対応したことで韓国の要求を穏健化させ、それが中曽根の対韓外交を容易にしたというのである。もし仮に鈴木内閣が続いていたならば、中曽根内閣と同じようなレベルの日米協調・日韓友好関係が実現していたはずであるとまで述べる。著者はまた鈴木内閣が、日米協調路線を国内的に受け入れさせる上で果たした貢献も指摘する。つまり、中曽根のような「タカ派」が推進した場合ならば当時の国民世論は警戒したであろうが、「ハト派」の鈴木が推し進めた対米協力ならば「安心」だというように、鈴木が国民に日米協力に対する「免疫」をつけさせたというのである。後述するように著者が絶賛する中曽根外交を、鈴木内閣が用意したという意味で、鈴木内閣の外交を再評価するのである。

 

「一国外交官史観」

 その当時の常識に支配され続けた見方=「伝説的歴史観」を攻撃し、客観的な証拠に基づいて「神話」ではない歴史を書くことが歴史研究者の使命であるとを、ここまで述べてきた。しかし、客観的資料に基づくとはいえ、その資料を読んで解釈するのは一人の人間であるため、どうしても主観的な思い込みや偏りを避けることはできない。さらに資料の不足をインタビューに頼るとなると、証言者の思い込みや偏り、さらにそれ以外にも様々な問題が生じてくる。一般に、歴史上の人物の思想や行動の動機を理解するためには、一度はその対象者の考えを理解し、同情し、あたかも本人と一体となるかのごとく、資料内に沈潜して内在的な解釈に至ることが不可欠である。いくら批判に値するような人物であっても、山縣有朋には山縣有朋なりの思想があったのであり、東条英機には東条英機なりの合理的な判断があったはずであり、まずは批判するにしても、その対象とする思想・判断の実態がなんであったのかを把握しないと始まらない。しかし、ここが出発点であっても、最終的な歴史叙述においてはバランスのとれた解釈が示される必要がある。そのためには山縣有朋や東条英機の同時代における対立者の思想を調べたり、外交の場合ならばロシアやアメリカなどといった相手国の立場から物事を理解したりすることが役立つであろう。その上で、最後には対象を冷たく「突き放す」ことが不可欠となる。

 しかし、過去の人物ならば簡単に「突き放す」こともできるが、これが現存者、特にインタビュー調査でお世話になった方々となると難しい。また、研究成果公表後の関係を忖度することもありうるため、ややもすると証言者の価値観、物の見方、歴史解釈を尊重しすぎて、それに同化していく傾向が生じてしまう。これは相手が政治家であれ、官僚であれ同じであるが、研究者が相手を尊敬している場合には、よりこの危険性は増していく。もちろん、これらの弊害が本書に示されているわけではない。しかし、あくまで一般論でいうと、インタビュアーと証言者の間にある種の「共犯」関係すら生じることもある。この点については、証言者の解釈を研究者が鵜呑みにしてしまうケースがわかりやすいが、さらに資料を生み出す過程でも生じることがある。具体的にはインタビュアーの質問に、インタビュアーが答えて欲しいと思っているであろう解釈を、証言者が忖度して答えてしまうようなケースがこれに当たる。ここに潜む心理的・実利的誘引には踏み込まないが、インタビュー資料を利用する際には様々な注意が必要であることは間違いなかろう。

 以上の点を本書に当てはめてみても、そうした大きな欠点は見当たらない。また日本外交の具体的な軌跡を日本側の外交資料・外交官の証言を中心に記述していくスタイルのため、若干は日本中心の見方、それも外交官からの見方になりがちな点はやむを得ないと思われる。ただし、今後の現代史研究者の課題として、二つの相対化が行われることが必要となろう。一つは、英米ほかの資料を用いて諸外国の視点からの相対化である。例えば、本書で中曽根内閣の業績として取り上げられているINF協定がグローバル・ゼロ=アジア部のミサイルも全廃するという形になったことへの日本外交の役割である。つまり、冷戦終焉へ向けた画期となったこのINF全廃協定に日本の外交的貢献があったのか、さらに日本の意向が反映されたと言えるのかは、やはり全体状況の理解の中での日本の相対的な役割を考えることが必要であると思われる。ある事実があったことが証明されたとしても、その事実が全体の中でどのような重要度であるのかを考察することは、歴史的事実の評価において欠かせないものと思われる。

 二つ目は、国内他省庁や利益集団、国民世論といった多様な視点からの相対化である。例えば、本書には「日本は……冷戦が終焉した1989年には、ソ連のアフガン侵攻直後の1980年よりも外交上厳しい状態に置かれた」(667頁)といった記述が見られる。これは、日本を取り巻く環境が、米ソ新冷戦下でソ連の脅威を各国が感じているという日本に有利な状況であった時には、「ソ連の脅威」を日本外交が利用できたこともあいまって、日本の存在意義を世界各国が高く評価し、その結果日本の国際的地位が上昇したという著者の見方を示している。この状況の中で外交的成功の果実を収めたのがまさに中曽根外交であったということになる。一方、ゴルバチョフの登場以降の米ソ緊張緩和や中ソ和解は日本外交にとって「不利な状況」であると位置付けられ、冷戦の終焉を前に日本外交の地位は低下していったということになる。こうした見方を防衛官僚、さらには自衛官の立場から相対化してみればどうなるであろうか。やはりアフガン侵攻当時のソ連軍に対する脅威感は強く緊張を強いられていたであろう。またソ連の崩壊は、ソ連軍による北からの脅威が消滅したということで、まさに「有利な状況」の極致であったと言えるであろう。そのほか、日米経済摩擦に対して、これが安全保障関係を害するような摩擦に転化することを防ぐために、中曽根は自ら乗り出してトップダウンで個々の品目の輸入規制の解除や関税引き下げに動いた。これは日米関係を円滑なものとしていたい外務官僚から見ればありがたい介入であるが、通産官僚や関連業界、農林官僚や農家から見れば余計な介入であるととらえられたかもしれない。

 

国際的地位の向上は外交目標か

 本書における日本外交の評価に関連するのが、そもそも外交は何のためにあるのか、外交は目標なのか手段なのか、外交目標は何かといった、より本質的な外交論である。著者の立場を、評者なりにまとめると、日本外交の成功の証として日本の国際的存在感の上昇をあげていることから、「国際的地位の向上」を外交目標として考えていると思われる。この立場を明確化するために、外交目標が自国への「安全保障上の脅威の低減」だと考える立場を仮定してみよう。その場合、ソ連の脅威の増大は不利な状況であり冷戦構造の崩壊は有利な状況となる。これは本書の記述とは正反対なものとなることから、著者の立場が特徴的であることが理解されるであろう。すなわち、本書では、日本を取り巻く脅威が大きければ大きいほど—ソ連の脅威の増大や冷戦構造の緊張—日本外交の成功のチャンスが広がるという論理構造がとられているのである。この立場からは外交は単なる手段ではなくなる。それは外交の活発化が国際的地位の向上をもたらし、国際的地位の向上が外交の可能性を広げ、またそれが地位の向上をもたらすというふうに循環していくからである。

 以上の意味で、外交を単に自国を取り巻く脅威の低減や経済状況の向上のための手段として位置付ける立場に比べて、本書は外交活動に内在する深い意義に着目している。その上で、例えば「西側の一員」としての日本の役割を、対米防衛協力のみならず、東南アジア外交における貢献、さらには対ソ対話にまで広げて考えることで、本書は多角的な外交上の貢献を跡付けている。その結果、本書は、日米協調関係の維持だけが日本の安全保障も経済状況も守ってくれるといった対米外交だけを自己目的化するような狭隘な外交観を拒絶する。また、一般に「日米同盟の制度化」と言われる動きも、単に軍事面の協力ではなく、対韓援助や戦略外交などを含むより広い外交上の側面を含む概念として描かれている。 

 以上のように本書が日本の国際的地位向上を外交的成功と定義していることから、著者が新冷戦の時期における中曽根外交を高く評価していることもうなずける。さらに、その中でも特に「冷戦の枠組み」に沿った外交案件、具体的には対米軍事協力、対中協力強化、対韓関係改善などの面において中曽根が好パフォーマンスを記録したとして叙述される。しかも本書の浩瀚さは、冷戦構造が厳しい時期に日本の国際的地位が高くなり、冷戦構造が弛緩すれば日本の地位が低下したと単純に論じることを許容していない。書評で結論だけ取り上げると、そうした誤解も生じるが、実際に読んでいただけるならば本書の真骨頂が、この間に払われた日本外交の努力の詳細な描写にあることがお分かりいただけるであろう。例えば、新冷戦期は結果的に日本に有利となったが、実際はアメリカからの防衛圧力の強まりを伴っていた。この結果生じた「防衛摩擦」にうまく対処できなかったならば、日本の地位=同盟国アメリカからの評価も高まらなかったであろう。それを実現したのが、上述の鈴木内閣の取り組みと、それを受けた中曽根内閣であった。また、その後しだいに日米経済摩擦が強まっていくが、これを安全保障問題にまで波及させないように、「経済摩擦」の段階で解消しようと主導的に取り組み、切り抜けていったのが中曽根外交であった。またウィリアムズバーグ・サミットに見られるように中曽根は西側の結束を促進させる上で重要な役割を担った。その結果、日米同盟、広くは西側の結束が強化され、ソ連の脅威に対する手立てが備わったのだとすれば、当時の政府・外務省による努力で国際的地位が向上したことで、見方によっては本来の目標であったはずの安全保障も確保されたのであるから、本書の捉え方は適切であるということになろう。

 

歴史の教訓

 トゥキュディデスは冒頭に引用した記述の中で、人間生活における未来を「過去そのものの反映でないまでも、それに必ず似通っているに違いないもの」と捉えていた。つまり、過去に起こったことを正確に記述し、そこから教訓を得て、おそらく同種のことが繰り返されるであろう未来に処する上での有用な知識を産むことが、彼の歴史研究の目標であった。それでは我々は本書から何を教訓として学びとることができるであろうか。確かに本書は随所で、ほぼ同時代人とも言える我々が抱いていた「伝説的な歴史観」を打ち砕いてくれた。この歴史から教訓を得るという営みは、むしろ著者と我々読者との共同作業となるのかもしれない。

 まず、今日の日本外交を悩ませる中国との歴史認識問題を取り上げよう。本書では、歴史認識問題は「冷戦の枠組み」を超えた問題であるとされ、1980年代においても対処がそれほどうまくいかなかったものとされている。しかし、それでも冷戦構造が強かった、すなわちソ連の脅威が強かったため、この時代にはソ連という共通の敵を日中両国が共有するという要因が役立って沈静化できたという。この指摘は正しいと思われるが、だからと言って今日新たに共通の敵を登場させられるのか、共通の敵の存在が日本にとって望ましいのかというと、ともにそうではないであろう。ある歴史的時点の環境要因はあくまで与件であり、それを意図的に再現させることはそもそも不可能である。したがって我々は、今日の「新しい」国際環境のもとでの実現可能な解決に向けて模索を始めなければならない。

 次に、周囲における安全保障上の脅威が強まっている場合に、その国家はどのような対応を取るべきかという問題である。本書からは中曽根外交がうまくソ連の脅威を利用したという側面が読み取れるが、確かにその面もあったにしても、利用するという余裕があれば、中曽根があれほど日米経済摩擦で大幅譲歩し、さらにはバブルを発生させ、果ては「冷戦の敗者」となったということの説明がつかないと思われる。したがって、まずは周辺の脅威をどれくらい正確に把握できるのか、できないのであればそのための手段を手に入れなければいけないということが、第一の教訓になろう。北朝鮮の核ミサイル能力の脅威、中国の海洋進出の意図などを、正確に知る必要がある。また仮にそれらが真の脅威であったとして、日本は対米協調一本でその危機を乗り越えられるのであろうか。中曽根はソ連との対話に積極的であった。では、北朝鮮との対話による脅威の低減を図る必要はないのであろうか。中国との信頼醸成はどのような方法で達成できるのであろうか。

 最後に、歴史研究における「正確な知識」を確定させることの重要性に関わる問題がある。中曽根内閣は日中関係を友好的に維持したが、その手法は胡耀邦と中曽根両首脳間の個人的な友好関係であった。その胡耀邦が失脚したのは、彼があまりに親日的であったからだったのかどうかがここでのテーマである。おそらく胡耀邦の失脚要因の中での日中関係要因はそれほど高くなかったであろうが、これがわずかでもその後の中国指導層に影響し、日中関係を密接にしすぎることが失脚材料となるというトラウマとなり、その結果彼らが日中関係に積極的に取り組むことがなくなったと言えるのであろうか。もしそうだとすると、日中関係の改善への動きが中国側から生じることは望み薄ということになるが、その場合どのような対処が必要となるのか。こうした問題を考えるには、やはり中国国内の情勢分析による正確な知識が必要となることは明らかである。ソ連の崩壊にレーガンの軍拡路線などの西側の強硬姿勢がどのような影響を与えたのか、またそうだとすればその手法を北朝鮮に対してうまく応用できないであろうかなど、多くの教訓を引き出すための貴重な情報源を本書は提供してくれている。